人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

家族の財産の問題です。姉が施設の母の通帳から勝手にお金をおろしていたことが分かりました。非常に気分が悪いです。どのように考えたらよいのでしょうか。

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50代の主婦です。遠隔地のため、久しぶりに母の老人入居施設を訪問しました。いつもは近くに住む姉が、母の世話をしています。母から「お金が必要だから通帳からお金をおろしてきて欲しい」と頼まれました。通帳を何げなく見ると、不定期に数万ずつのお金が下ろされていました。母に尋ねると「多分、Y子(姉)だと思うけど、良く分からない」と言われました。今まで母のお金のことは、何も知りませんでしたが、「姉が勝手にお金をおろしているのかもしれない」と思うと、とても気分が悪くなりました。私たちは二人姉妹です。近日中に姉と話をしたいと思っていますが、どんな風に考えて話したら良いか、アドバイスをお願いします。

 

ご質問をありがとうございました。

お金のことは、家族でもデリケートな問題です。慎重に扱う必要があるとは思います。

今回明らかになったことは、お母さんの通帳の管理についてですが、二人姉妹ということですから、今後は必ず、この問題だけでなく、遺産相続等の話し合いが必要になる時がやってきます。その場合は、法律にのっとって進めていく必要があります。

もしご心配ならば、市町村の「法律相談」など、無料で相談に乗って下さる場所があります。

事前に、法律的なこと(技術的なこと)を、専門家のアドバイスを聞いて、準備をしておくことも、よろしいとは思います。(ネットでもたくさんの事例はのっています)

 

こちらのサイトでは、「どのように考えたら良いか」の指針をお話ししたいと思っております。私は、この世界の「見えるもの」は、「見えないもの」の影響が大きいと、実感しています。

「考え方」は、見えませんが「非常に大事」です。

考え方が定まっていれば、感情的になって失敗することも少なくなります。

その上で「具体的な方法」を活用すべきだと思うのです。

 

まず最初の「私からのアドバイス」ですが、

今のお気持ちを、一度落ち着けて「クールダウン」して、それからお姉さんとお会いすることをお勧めします。

もし質問者さんが、感情的になって話を進めると「売り言葉に買い言葉」となり、泥沼の状態になる可能性もあります。

きっと、質問者さんも、そのことに気がついていたので、この質問をされたのだと思うのです。

 

以下の3点を読んで頂き、

心を落ち着け、思い巡らせていただきたいと願います。

そして今後の方針を熟考した上で、

最善の話し合いができることを、祈っております。

 

①「隠れているもの」は、どこかで必ず「明らかになる」ということ。

②「貪り(むさぼり)は罪」だということ。

③「蒔(ま)いた種の刈り取り」が必ずあるので、注意すべきである、ということ。

 

①「隠れているもの」は、どこかで必ず「明らかになる」ということ。

私は、この問題が、今明らかになって「良かった」と思っています。

今だから、まだ話し合いがお母さんも含めてできるからです。(もしものことの後ならば、大変だったと思います)

 

質問者さんは、この問題を今回「知って」ショックであり、気分が歩くなったと思います。(特に、二人姉妹ということですが、裏切られたというお気持ちがあると思います)

しかし質問者さんが今回「気がついただけ」であって、この事実は「以前から」存在していたことなのです。

 

隠れているもので、明らかにならないものはない、と聖書にあります。
ルカ(新約聖書) 8:17 隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現れないものはありません。

 

その人が隠していても、もし「汚いこと」を考えていたならば

それはどこかに必ず、「明らかになる」のです。

それは、「その人の言動から」かも、知れませんし、今回のように通帳のような「証拠となるものから」明らかになることもあるのです。

 

「心の中」で考えていることは、必ず、「言動」に現れてしまうのです。

ですから、今回のことも「良いチャンス」と考えていくことが、よろしいと思います。

 

気を付けて頂きたいことは・・・

同じ法則が質問者さんにも当てはまります。

質問者さんが「お姉さんを責める」気持ちでお会いすると、必ず「責める言葉」が出てくるはずです。それは良くない(話し合いの妨げ)ですから、いろいろな状況や可能性を考えて、心を整理しておく必要があるのです。

 

もしかすると、そのお金は「お母さんのために必要なお金」だったかもしれません。(分かりませんが)

お母さんの趣味のためのお金かもしれませんし・・・

とにかく、あらゆる可能性を考えてから、その上で「事実を確認する」という姿勢が大切です。(人は見たもの、触れた情報だけで、偏った判断をすることが多いことは心に留めるべきです)

 

私は、「ひどい策略」を考えている人がいることを知った時、

気分は悪くなりますが、

「かわいそうだ」とも思うのです。

なぜなら、3番目に触れますが「霊的な法則」が分からずに間違ったことをしていくと、最後には、「ひどい刈り取り」があることをたくさん見聞きしています。

ですから、気がつかずに「悪業を続ける人」を見ると、かわいそうだと思うのです。

 

少し話がズレてしまいました。

「隠れているもの」は「必ず明らかになる」ということ。

お姉さんが、もし本当に「悪いこと」を考えていたならば、それはどこかで必ず「明らかに」なります。そのことを覚えて、(落ち着いて)今後の対応をしましょう。

(感情的にならず、冷静に事実を確認していきましょう)

 

同時に大切なことは、「質問者さんの(ご自分自身)」の「隠れた思い」も明らかになることも、忘れてはいけません。

(そのため、私たちは「どこに出しても恥ずかしくない」考えで「生きること」、「生きることを目指すこと(人間は完ぺきではありませんから)」を求めるのです)

 

神様を信じる方は、神様の目を意識しましょう。神様は「心の奥のすべて」を知っておられますから、その方に言い訳(申し開き)ができる範囲で、ことを行いましょう。

そして罪だと自覚したら、瞬時に(言い訳なく)謝罪しましょう(悔い改めです)。それによってあなたは「聖め」られていき、「歪んだ感情」と「言動」も整えられるのです。

 

②「貪り(むさぼり)は罪」だということ。


出エジプト(旧約聖書)モーセの十戒の最後
20:17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。

 

人のものを「盗む」ことは、泥棒です。

そして人のものを「うらやむこと」も罪なのです。

つまり、自分には「所有権がない」のに、それを「欲しいと思うこと」は罪なのです。

 

これは厳しいかもしれません。

普通、心で思っているだけでは、「この世の法律」では裁かれません。

しかし聖書は、神様の価値観です。

心の中で、思っているだけでも「罪は罪」なのです。


ロマ(新約聖書)
ロマ 7:7 律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。 

 

この基準(神様の言葉:律法)が提示されてはじめて、それが「罪」なんだと、「自分の罪」に気がつきます。

もしお姉さんが、自分の権限ではない「お母さんのお金」を欲しいと思っていたならば、聖書では、それだけで「罪」です。(お姉さんが否定してもです)

通帳のお金を勝手に取ったならば、心で思った「罪」を実行に移しただけなのです。

(そして犯罪が成立してしまいます)

 

もしお姉さんの心に「罪の思い」があれば、それは罪として、しっかり見ていくことが大切です。

 

仮にお姉さんが言い訳を言ったとしても、「でもそれは罪ですよね」と(心の中であったとしても)言うことができます。

聖書がそうはっきりと言っていますから、お姉さんが否定しても問題ではありません。罪は罪なのです。(そう考えて、接すると冷静に対処できます)

 

 

③「蒔(ま)いた種の刈り取り」が必ずあるので、注意すべきである、ということ。

私の良く知っている、保険屋さんのお話です。

その方は代理店を長くしていますが、本当に親切丁寧にお客さんに関わる方です。

夜中でも「事故現場」に駆けつけで、対応するようなタイプの方です。

 

その方がこんなことを言っていました。(その方はクリスチャンではありません)

事故が起きて、「ふんだくってやろう(可能な限り得をしよう)」と考える人は、長い実でみると、得をしたようでも、最終的には損をすることが多いような気がします。

そう言う人は、意外と事故を起こしやすいのです。「得をしよう」と考えても、最後は損をして「帳尻が合う」ような気がします。

 

「得をしよう」、「自分の権利を越えても、得をしよう」。これは「貪り(むさぼり)」です。

「貪る(むさぼる)」と、その「悪い刈り取りがある」ことを、多くの事例を通じて、体験的に知っておられるように思いました。


ガラテヤ(新約聖書)
6:7 思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。
6:8 自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。
6:9 善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。

 

「良い種」を蒔けば、「良い刈り取り」があり、

「悪い種」を蒔けば、「悪い刈り取り」があるのです。(これが神様の法則、この世界の法則のようです)

 

これは「霊的な法則」です。しかし霊の世界だけでなく、最後には物質界(現実世界)でも「その通り」になります。

それを知らず(その法則、ルールを知らず)、「悪い種」を蒔き続ける人は、先ほども書きましたが、「かわいそう」なのです。

 

お姉さんが気がつかずに、そのことをしているとすれば、

その影響は、そのお子さんや周りの方に、必ず影響をしていきます。そしてご本人にもどこかで「刈り取り」があるはずです。

 

①隠れているものは、必ず表に出る。

②貪り(むさぼり)は、明らかに罪。

③悪い種を蒔(ま)けば、必ず悪い刈り取りがある。

 

それらのことを踏まえて、対処していくならば、質問者さんは過剰に感情的にならないと思います。

 

一度、ゆっくりとした気持ちで、お姉さんとお話ししてみて下さい。

質問者さんが、堂々としているならば、話し合いは「良い方向に向かう」と確信しています。

 

姉妹ですから、このことを通じて、関係が良くなっていけるといいですね。

祝福をお祈りしています。

 

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