「いつもブログを拝読し、勉強させていただいています。ありがとうございます。
私はクリスチャンです。職場での悩みについてアドバイスを頂きたく、メールをさせて頂きました。
職場にいちいち嫌味を言う女性がいます。こちらがすることなすことをいつも悪く捉えるので、いつも疲れます。他の人のことを話す内容もいつも歪んだ考え方です。そして陰で文句を言っています。劣等感や嫉妬や見栄、自己防衛の面を感じます。
気にしないようにしていますが、3年以上のことなので「正直うんざり」です。疲弊しています。
クリスチャンですから「嫌味を言われても、良い種まきをしたい」と思っています。しかし実際のところ「悪い言葉を言わず、ひたすら忍耐」をしているのが現状です。(耐え切れず、少しは言ったこともあります。)
そして辛い時には、「そっくりそのまま、神様にお話」をします。
しかし嫌味を言われると「傷つき」ます。境界線の概念を適応し、何とか踏ん張ろうとしていますが、上手くいきません。
クリスチャンの方々で、「真心から、自分に対して嫌なことをする相手のことを祈れる人」がいるようですが、私には到底できません。
何かアドバイスを頂けますと嬉しいです。」
Yさんご質問をありがとうございました。
いちいち嫌味を言われる方の、対応はしんどいですよね。
疲れますよね。(その方をネガティブの、Nさんと呼ばせて頂きます)
Nさんは劣等感の塊のような方でしょうから、対処はかなり難しいとは思います。
3年も「ひたすら我慢」しておられるとのこと、そしてかなり疲弊しておられるとのこと、これから書く文章が、何かのヒントになればと思います。
今回、Yさんのお返事として
①ご自身が慰めを経験すること
②その方の祝福を祈ること
③「愛をもって真理を語る」・・・その方の課題を、鏡のようにエコー(指摘)をすること
3つのことを書かせていただきます。
今後の対応のヒントにして頂ければ、幸いです。
最初に、Yさんはクリスチャンであるということですので、
「み言葉を方針」としていくことが、模範解答になると思います。
ロマ(新約聖書)
12:17 だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人が良いと思うことを行うように心がけなさい。
12:18 自分に関することについては、できる限り、すべての人と平和を保ちなさい。
12:19 愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。「復讐はわたしのもの。わたしが報復する。」主はそう言われます。
ガラテヤ(新約聖書)
6:7 思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。
6:8 自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。
6:9 失望せずに善を行いましょう。あきらめずに続ければ、時が来て刈り取ることになります。
「平和を守つこと」と「善を行うこと」・・・・
多分、Yさんが「言い返すのを我慢している動機」は、このようなみ言葉からきているのではないかと思います。
しかし人間は、「ずっと我慢」をしているとどこかで爆発してしまいます。
「『境界線の概念』を適応し、何とか踏ん張っていても、なかなか上手くいかない」と書かれていました。
神様から慰められても、「実際に嫌な人がいる場合」難しいのが現状です。
①の神様の慰めは、文面から「体験されている」という前提で書かせていただきます。
目指すべき「解決の目標」は、
③「語るべきことを語る」(愛をもって真理を語る)です。
そして質問者さんが「恐れられること」も、目標にしていきます。(どういう意味かは、この後書いていきます)
エペソ(新約聖書)
6:16 これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。
6:17 救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。
6:18 あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。
6:19 また、私のためにも、私が口を開くときに語るべきことばが与えられて、福音の奥義を大胆に知らせることができるように、祈ってください。
Yさんは、その方に「課題と問題点」を指摘したことがありますか?
私がこれから書こうとすることは、少し刺激が強いかもしれませんが、
参考になると思います。
その方が「ネガティブ」であるなら、「この人はネガティブである」と認識することです。
そして「その人のために、祈り」ます。
すると「憐みの心」がわき上がるはずです。
「このひとは、こういうネガティブな心『罪』によって、損をしている。」
「こんな風に考えたら、きっと上手くいくのに・・・」
その人を見て「我慢をするのではなく」
Yさんが頂いている「み言葉の基準」でもって「判断する」のです。
そして「悪い種を蒔けば、悪い実を刈り取る」刈り取りの法則が及ぶことを、悲しむのです。
特にKさんは「言葉に出して話す」必要はありません。
しかし、いつも、「み言葉の基準」でその方、Nさんを「判断する」のです。
そして、チャンスがあれば「良い種まきとして」・・・「こんな風に考えたら、上手くいかないんじゃないですか」と語るのです。
エコー(オウム返し)の様にです。
攻撃ではなく、Nさんを、「Kさんの基準、み言葉の基準」で、解釈するのです。
こんな感じです。
「否定的批判的に話している内容に、同意を求められた時」に
「私は、そういう風に考えません。それってつまんなくないですか。そんな風に考えたら、自分の心も、否定的になるじゃないですか。私は○○と言う風に考えるようにしています。その方が気分がいいですから・・・」
「私は、悪い種を蒔いたら、悪い刈り取りがあると信じているので、言葉に気を付けるようにしているんです」
それは「Kさんの考え」ですから、Nさんは「否定できない」はずです。
このような会話が続くと、NさんはKさんをうっとうしく思うと思います。
でもその時Kさんは「ネガティブなNさんは悪い種まきをしている」と思えば良いのです。
逆にKさんは、言うべきことを言っているので、すっきりとしています。
チャンスがあれば、身近な人に「Nさんは、ネガティブですよね。あんな風に考えない方がいいのにね。」と言っても良いのではないでしょうか。
多分、同意をする人が出てくると思います。
この時に大切なことは、「Nさんのことをとりなし祈る」ことです。
祈りながら「真理を語る」のです。
失敗をしても、あまり悩まないでください。所詮、人は罪人です。(人間の動機は複雑です。混ざっています。)
聖書の基準で、「悪は悪」なのです。
それを折につけ語ること・・・これが「地の塩、世の光」と言うことになるのかもしれないと思うのです。
この基準を語られると「人は恐れます」
そして「この人の前では、ちゃんとしないと指摘される」と恐れるのです。
(これが、「恐れられることが目標」の意味です。)
ここに書いていることは、職場の上下関係、雰囲気によって言えたり言えなかったりするものです。(状況を見て、適切に対応するようにして下さい。)
①主の慰めを受けて
②その人のために祈ったら
③言いたいことを「バンバン言う」
動機が大事です。「批判」のための言葉ではなく、その人を「建て上げるため」の言葉を「バンバン言う」のです。
(言い方は、非常に重要です。私は、会話の中で言えるタイミングを見つけると「明るい感じ」で「さらっと」言います。)
「様子を見て加減すること」は必要ですが、クリスチャンだから「言いたいことも言わず、一見正しいことを言う」という・・・善人顔をする必要はありません。
悲しい時には悲しいのがクリスチャンです。
怒りを感じる時には、怒るのもクリスチャンです。
「愛をもって真理を語る」このことを意識していくならば、かなり気持ちが変わると思います。
ますは、「言葉に出さず」Nさんの言動に「突っ込み」を入れましょう。
(言葉に出すのは、タイミングを見ての上で、実行しましょう)
悪は悪として「認識」しましょう。
「聖書の物差し(基準)」で、「突っ込み」を入れるのです。
(これが、大切なポイントです。)
そして「悪い種を蒔くと、悪い種まきがある」という厳然たる真理を受け止め、Nさんの刈り取りを注視しましょう。
その「悪の刈り取りの悲しみ」を見たならば、「Nさんをとりなす祈り」が深まるはずです。
繰り返しになりますが、
③「愛をもって真理を語る」・・・「聖書の物差し(基準)」で、「突っ込み」を入れる。
これがゴールです。(平和のために戦う勇気も「時には必要」にはなってきます。)
①その為に、神様に祈り、慰めをもらう。
②その人のことを考えてとりなし祈る。
原則的なことを書かせて頂きました。参考にしてみて下さい。
Kさんの心が、少しでも軽くなることをお祈りしています。
祝福を祈っています。
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