人間は、自己防衛の本能がありますから、普通は「自分を大切」にします。
ところが、いくつかの理由によって、自分を卑しめたり、裁いたり、見下したりすることがあります。
「自分をいじめてしまう」のです。
しかしそれは「本来の姿」ではないので、当然心が(たましいが※)苦しくなります。
※たましいの定義は、昨日のブログをご覧ください。
「自分を大切にしたい」と思いながら、できないという、
今回、その心のメカニズムを考えていきます。
心の中には、「良い麦のタネ」のような考え方もあれば、「毒麦」もあります。
その「毒麦」を明らかにしたいと願っています。
最後に、その「毒麦を抜く」対処法を考えていきます。
①人の目を気にしてしまう。
日本人は、「和をもって尊しとなす」「以心伝心」を強調する文化の中で生きています。
小さい頃から、同調圧力を受け、「人に合わせるように」「恥ずかしいことはしないように」と躾られて、成長します。
「自分が受け入らられ、認められるために」その圧力を受けつつ、成長していくのです。
(「自分を守る手段」として「人の目を気にする」のだ、という「最初の動機」に注目しましょう。)
ところが、「自分を守る手段」が、いつのまにか「形だけ」になり、
「人の目を気にしないといけない、受け入れられない」という衝動だけが強くなって、
「自分を大切にすること」が、後回しになることがあります。
その結果、人の目を気にして、「自分を大切にできなくなる」のです。
本末転倒の現象なのです。
(このメカニズムを、しっかりと意識化することが、解決の為には重要です。)
「人に認められたい」という通常の「良い麦」と、過剰な承認欲求である「毒麦」が混ざっているのです。
②自分を、合格点に至らないと、裁く心理。
多くの日本人は、生真面目です。そして完璧主義です。
だからこそ、鉄道ダイヤはいつも定刻ですし、工場の不良品も厳しくチェックして外に出しません。
「いつも目標を目指し」できない場合は、「改善に努める」
このことが、文化となっているのです。(良い文化です。)
しかしこれは「減点法」の考え方でもあります。
度がすぎると、自分を攻撃してしまいます。
自分を見る時には「加点法」が良いというのが、教育学や発達心理学での定石です。
「△△ができない、ダメ」ではなく「〇〇ができた、スゴイ」という考え方です。
これが教育上良い考え方です。
しかし現実の多くの場面では、「減点法」です。
「100点取れないのか」
「どうして、〇〇できないんだ」
「ダメだ。ダメだ。」
という言葉をいつも聞くことになります。
その内に、「自分はできない」という、「毒麦」をいつの間にか、心の中に受け入れてしまっているのです。
繰り返しになりますが、「自分を大切にすることを邪魔する」この自分の中にある「心のメカニズム」をしっかりと認識することが、重要なのです。
③「悪い力の攻撃」に気をつけること。
急に怖くなったり、自信がなくなったり、自分でも理解できずに「落ち込む」ことがあります。
人間は、知性だけで生きているのではなく、「霊的な存在」です。
この「霊的」とは、見えない力の影響を受ける存在という意味です。
眠ってるような時(無意識、無防備な時)に、ふっと入れられる思い(タネ)があるのです。
イエス様のたとえ話です。
マタイ(新約聖書)
13:24イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。13:25ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。 13:26麦が芽ばえ、やがて実ったとき、毒麦も現われた。 13:27それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』 13:28主人は言った。『敵のやったことです。』
「悪魔という敵」が、「眠っている間」に「毒麦のタネ」を蒔くと、しばらくすると「毒麦」が出てくるというのです。
「思い当たること」はありませんか?(スピリチュアルではなく、現実の生活の中で)
「毒麦」とは、一見「良い麦のように」見えます。
しかし成長すると「明らかに、悪いもの」で「主人を攻撃する」のです。
人のためという「強迫観念」。
正しくなければならない、価値がないと厳しく訴える「律法主義」。
過剰な犠牲を強いる「自己否定」
「毒麦」の考え方は、「絶対にできない基準」や「一見正しいモラル」、「尊厳を否定するプレッシャー」を投げつけて、攻撃をしてきます。
それは「攻撃のための攻撃」(目的が攻撃)ですから、タチが悪いのです。
(議論をするほどに、泥沼に入ります。)
ですから、対処法は、「毒麦を見つけたら、捨てる」ことです。
戦う必要はありません。ただ、「見つけて捨てる」だけなのです。
その悪魔の攻撃には「パターン」があります。(聖書に書かれています。)
また毒麦にも、「一定の特徴」があるのです。
ですから解決は、「その正体を見破る」ことです。
正しく見極めるまでは、下手な対処は他を傷つけます。
イエス様も「早急な対処はいけない」と言っておられます。
13:28主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』 13:29だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。 13:30だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」
イエス様も「焦って対処しないように」、
「しっかりと毒麦だけ」を「取り分けて燃やす」ようにと言われているのです。
今回、「自分を愛する、大切にすること」を考えてきました。
それを邪魔する「毒麦」や「毒麦のタネ」があることを見てきました。
自分の中に、どんな「タネ」が入っているかを、正確に見つけ出すことが「重要」です。
そして、対処法として、
「毒麦」がはっきりした段階で、「集めて燃やして」しまうのです。
そうすれば、良い麦だけが残り、
健全に「自分を愛し、大切に」できます。
敵の攻撃を「軽く見て」はいけません。
油断をすると、「内部」から崩壊させられます。
そのためには、「自分の心の状況」を、正しく知る必要があります。
その「方法とヒント」は、昨日のブログで
「ジョハリの窓」を取り上げ、「神様から教えて頂く方法」を考察してみました。
(参考にして下さい。)
「毒麦」が「心の中から、一掃」されると、
素晴らしいことが起きます。
「穏やかに自分を見る」ことができます。
「落ち着いて、自信を持って」物事に関わることができます。
「罪責感」から解放され、「自分をそのまま受け止め、愛する」ことができます。
そうすると「人との接し方」も変わるのです。
「自分を大切にすること」は、すべての基本です。
それを「邪魔するもの」を、「聖書の基準」でしっかりと「見つけ、対処」しましょう。
祝福をお祈りしています。
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