人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

「自分を愛する、大切にすること」を邪魔するもの。毒麦の考え(マタイ13章)

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人間は、自己防衛の本能がありますから、普通は「自分を大切」にします。

ところが、いくつかの理由によって、自分を卑しめたり、裁いたり、見下したりすることがあります。

「自分をいじめてしまう」のです。

しかしそれは「本来の姿」ではないので、当然心が(たましいが※)苦しくなります。

※たましいの定義は、昨日のブログをご覧ください。

 

「自分を大切にしたい」と思いながら、できないという、

今回、その心のメカニズムを考えていきます。

 

心の中には、「良い麦のタネ」のような考え方もあれば、「毒麦」もあります。

その「毒麦」を明らかにしたいと願っています。

最後に、その「毒麦を抜く」対処法を考えていきます。

 

①人の目を気にしてしまう。

日本人は、「和をもって尊しとなす」「以心伝心」を強調する文化の中で生きています。

小さい頃から、同調圧力を受け、「人に合わせるように」「恥ずかしいことはしないように」と躾られて、成長します。

「自分が受け入らられ、認められるために」その圧力を受けつつ、成長していくのです。

(「自分を守る手段」として「人の目を気にする」のだ、という「最初の動機」に注目しましょう。)

 

ところが、「自分を守る手段」が、いつのまにか「形だけ」になり、

「人の目を気にしないといけない、受け入れられない」という衝動だけが強くなって、

「自分を大切にすること」が、後回しになることがあります。

 

その結果、人の目を気にして、「自分を大切にできなくなる」のです。

本末転倒の現象なのです。

(このメカニズムを、しっかりと意識化することが、解決の為には重要です。)

「人に認められたい」という通常の「良い麦」と、過剰な承認欲求である「毒麦」が混ざっているのです。

 

②自分を、合格点に至らないと、裁く心理。

多くの日本人は、生真面目です。そして完璧主義です。

だからこそ、鉄道ダイヤはいつも定刻ですし、工場の不良品も厳しくチェックして外に出しません。

「いつも目標を目指し」できない場合は、「改善に努める」

このことが、文化となっているのです。(良い文化です。)

 

しかしこれは「減点法」の考え方でもあります。

度がすぎると、自分を攻撃してしまいます。

 

自分を見る時には「加点法」が良いというのが、教育学や発達心理学での定石です。

「△△ができない、ダメ」ではなく「〇〇ができた、スゴイ」という考え方です。

これが教育上良い考え方です。

 

しかし現実の多くの場面では、「減点法」です。

「100点取れないのか」

「どうして、〇〇できないんだ」

「ダメだ。ダメだ。」

という言葉をいつも聞くことになります。

その内に、「自分はできない」という、「毒麦」をいつの間にか、心の中に受け入れてしまっているのです。

繰り返しになりますが、「自分を大切にすることを邪魔する」この自分の中にある「心のメカニズム」をしっかりと認識することが、重要なのです。

 

③「悪い力の攻撃」に気をつけること。

急に怖くなったり、自信がなくなったり、自分でも理解できずに「落ち込む」ことがあります。

人間は、知性だけで生きているのではなく、「霊的な存在」です。

この「霊的」とは、見えない力の影響を受ける存在という意味です。

 

眠ってるような時(無意識、無防備な時)に、ふっと入れられる思い(タネ)があるのです。

イエス様のたとえ話です。

マタイ(新約聖書)

13:24イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。13:25ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。 13:26麦が芽ばえ、やがて実ったとき、毒麦も現われた。 13:27それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』 13:28主人は言った。『敵のやったことです。』

 

「悪魔という敵」が、「眠っている間」に「毒麦のタネ」を蒔くと、しばらくすると「毒麦」が出てくるというのです。

「思い当たること」はありませんか?(スピリチュアルではなく、現実の生活の中で)

 

「毒麦」とは、一見「良い麦のように」見えます。

しかし成長すると「明らかに、悪いもの」で「主人を攻撃する」のです。

 

人のためという「強迫観念」。

正しくなければならない、価値がないと厳しく訴える「律法主義」。

過剰な犠牲を強いる「自己否定」

 

「毒麦」の考え方は、「絶対にできない基準」や「一見正しいモラル」、「尊厳を否定するプレッシャー」を投げつけて、攻撃をしてきます。

それは「攻撃のための攻撃」(目的が攻撃)ですから、タチが悪いのです。

(議論をするほどに、泥沼に入ります。)

 

ですから、対処法は、「毒麦を見つけたら、捨てる」ことです。

戦う必要はありません。ただ、「見つけて捨てる」だけなのです。

 

その悪魔の攻撃には「パターン」があります。(聖書に書かれています。)

また毒麦にも、「一定の特徴」があるのです。

 

ですから解決は、「その正体を見破る」ことです。

正しく見極めるまでは、下手な対処は他を傷つけます。

イエス様も「早急な対処はいけない」と言っておられます。

 

13:28主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』 13:29だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。 13:30だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」

 

イエス様も「焦って対処しないように」、

「しっかりと毒麦だけ」を「取り分けて燃やす」ようにと言われているのです。

 

今回、「自分を愛する、大切にすること」を考えてきました。

それを邪魔する「毒麦」や「毒麦のタネ」があることを見てきました。

 

自分の中に、どんな「タネ」が入っているかを、正確に見つけ出すことが「重要」です。

そして、対処法として、

「毒麦」がはっきりした段階で、「集めて燃やして」しまうのです。

 

そうすれば、良い麦だけが残り、

健全に「自分を愛し、大切に」できます。

 

敵の攻撃を「軽く見て」はいけません。

油断をすると、「内部」から崩壊させられます。

 

そのためには、「自分の心の状況」を、正しく知る必要があります。

その「方法とヒント」は、昨日のブログで

「ジョハリの窓」を取り上げ、「神様から教えて頂く方法」を考察してみました。

(参考にして下さい。)

 

「毒麦」が「心の中から、一掃」されると、

素晴らしいことが起きます。

「穏やかに自分を見る」ことができます。

「落ち着いて、自信を持って」物事に関わることができます。

「罪責感」から解放され、「自分をそのまま受け止め、愛する」ことができます。

そうすると「人との接し方」も変わるのです。

 

「自分を大切にすること」は、すべての基本です。

それを「邪魔するもの」を、「聖書の基準」でしっかりと「見つけ、対処」しましょう。

祝福をお祈りしています。

 

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