聖書に「いつも喜んでいなさい。」とありますが、苦しい時に喜ぶことは難しいのではないでしょうか。喜べない時に喜ぶのは、偽善のように思えるのですが…。
ご質問をありがとうございます。
誠実なご意見だと思います。
喜べない時に、「喜ぶように」と勧めるのは、正直な心を「偽らなければならない」ように感じることは、当然な気持ちだと思います。
「いつも喜んで生きること」は、確かに素晴らしい生き方ですが、それが「演技」であるならば、とても虚しいことです。ある人はそれを見てガッカリするでしょう。
「本当に喜んで生きる」ために、二つのポイントを考えていきたいと思います。
しばらくご一緒にお付き合い下さい。
今回は、以下の二点です。
①「喜ぶ」から「笑うことができる」のか、「笑う」から「喜べる」のかを考える。
②「良い言葉」を「心に植えること」の力。
①「喜ぶ」から「笑うことができる」のか、「笑う」から「喜べる」のか。
以前ブログで書いた、先輩のお話です。
その方が老人ホームでお話をする時、いつも最初に皆で声を合わせて「ワッハッハ」と笑わせるそうです。
「さあ、みんなでワッハッハと笑いましょう。笑うと身体から良い物質が出て、健康になります。免疫力がアップして、風邪をひいてもすぐ治ります。免疫力アップはコロナ対策にもなります……」
そう言って、半ば無理矢理に「ワッハッハ」と笑わせるそうです。
すると渋い顔をしていたおじいちゃんおばあちゃんも、穏やかな顔になり、話をよく聞いてくれるようになるそうです。
私もこの話を思い出す時、人がいない場所で(変な人だと思われないように)、小さな声で「笑ってみる」ことがあります。
確かに、心がスッキリして、気分が変わります。
(一度、試しにやってみて下さい)
行動療法という治療法があります。
心と身体は影響しているので、行動を変えると、気持ちにも影響があるのです。
榎本恵牧師の ブログの中に、こんな話がありました。
ある先輩が、会社の研修で「お客様に笑顔を向けることは大切です」と話した時、
一人の女性社員が手を挙げ、
語気強く「作り笑いは、かえって失礼なのではないでしょうか」と言ったそうです。
会場は凍りつきました。
するとその先輩は、穏やかに、
「いつも笑顔でいると、心もついてくるものですよ。一度やってみてください」
と優しく答えたそうです。
実際、そんなものだと思います。
これも、試してみる価値はあると思うのです。
「喜ぶ」から「笑うことができる」のか、「笑う」から「喜べる」のかを考えてきましたが、
人は、「形から入って」も、「心に影響」を与えることができるものです。
もう少し深めていきます。
しかしながら、質問者さんが言われるように、
もし「形だけ」で、「ずっと」心が伴っていなければ、
「喜び、感謝」(の演技をし続けること)は、虚しいことです。
私は、「人の心」は、イソップ寓話の「北風と太陽」のようなものだと思っています。
北風で寒い時には、マントを離さなくても、太陽が出て暑くなると、自然とマントを脱ぐようになるのです。
つまり、強引でも「笑ったり、笑顔になること」によって、「心の周りの空気」を一瞬でも、温めることができたならば、
そのことによって、こわばった緊張が緩み「心自体」も穏やかになるのです。
最後に、最も大切なポイントをお語りします。
②「良い言葉」を「心に植えること」の力。
言葉には、力があります。(言霊と言われるほどです)
こんな話を聞いたことがあります。
小さな女の子が、「カタツムリ」を手に乗せて遊んでいたそうです。
するとその近くに、殻がない「よく似た生き物」がいました。(ナメクジです)
女の子は大声で、「お家がないカタツムリだ!」と言って、手に乗せて遊び始めました。
それを見ていたお母さんが、ナメクジを見つけるなり、
「きゃー、ナメクジ」と言って、手からナメクジを払い落としたのです。
女の子はそれ以降、ナメクジを見ると「きゃーナメクジ」と言って逃げるようになったのです。
これは、どういうことでしょうか。
どうして、こういうことが起きたのでしょうか。
お母さんの「恐怖心」が「きゃーナメクジ」という言葉によって、
女の子の心に移ってしまったのです。
別の話をします。(逆の話です)
お母さんが、「きれいな花ね」と言って、感動して、その花を女の子に渡します。
するとその女の子は「きれいな花ね」と言って、その感動を受け取るのです。
言葉には、力があります。
(心を開いている時に)
「ある言葉」が語られることを通じて、「ある感情や価値観(心の動かし方)」が、
ビデオや写真のように、別の人の心に「コピー」されるのです。
ですから、(いつも信じ、心を開いている)、「小さい時の体験」は強烈です。
柔らかな心に、たくさんの「言葉」によって「様々な価値観」が、移されていくのです。
「いつも喜んでいなさい」
これは、「言葉」です。
もし、この「良い言葉」を通じて、その「価値観」が、
あなたの「心の真ん中」に「移される」ならば、
あなたは「喜ぶことができる人」に変えられるのです。
とても単純なことです。
心の真ん中に「喜びなさい」という言葉を「収める」だけです。
すると「その価値観」を通じて、すべてを見ることができるようになるのです。
それが「感謝のメガネ」という考え方です。
「不満のメガネ」を脱ぎ捨てて、「感謝のメガネ」で見るようにすると、
いつも「感謝」で考えるようになるのです。
では、喜べない時に、どの様にしたら良いのでしょうか。
その答えは、「喜べない」時にこそ、「喜びなさいという言葉」を心に植えることが重要です。
私がクリスチャンになった20代に、こんなことがありました。
当時、中学の教員をしながら、小学校免許を通信教育で取ろうとしていました。
仕事をしながら、レポートを書き、定期的にスクールングを受けました。
一日、2、3時間の睡眠時間が続いた頃、心も身体もボロボロで、体力の限界を越えていました。
そんな時、あるキリスト教の集会に参加したのです。
それは、「感謝する」と「人生が変わる」という、マーリンキャロザース師(実はとても有名な方)のお話でした。
たくさんの絶望的な環境の人々が、「感謝する」というその単純な選択によって、
「不思議な奇跡」を体験したというお話でした。
私は、そのお話を聞きながら考えました。
「こんな限界にきている、自分の今を『感謝』できたら、『いつでも感謝できる』のではないだろうか」
そして、心の中で神様に「今の状況を感謝します」と何度も繰り返し祈ったのです。
その後、なんだか心の中が軽くなったのを感じました。
(私の心が「感謝のメガネ」に変わった瞬間でした)
次の日です。
職場で、上司から、「あれ、どうしたの今日は気分が良いみたいだね」と言われたのです。
よく話を聞いてみると、昨日まで死んだような暗い顔をしていたとのことでした。
(死んだような顔って、どんな顔なんだ、と心の中で突っ込んでしまいましたが)
確かに、前の夜、睡眠時間が短い割にぐっすり眠れましたし、
頭もスッキリとしていて、心の中から力が湧き上がるような気分でした。
どん底で「感謝する」と、こんなに気分が違うんだ、と驚いた体験でした。
聖書の言葉です。
1テサロニケ(新約聖書)
5:16いつも喜んでいなさい。17絶えず祈りなさい。18すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・ イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。
クリスチャンは、この言葉を「神様からの言葉」として、「どんな時」も自分の心に受け止めようとしています。
素直に「その言葉」を受け止め、その背後の「価値観」を心に収め続けるです。
「感謝のメガネ」で生きるには、「信じる心」と「受けとめる(収める)努力」が必要です。
「感謝」を「バカにしていると」その言葉の背後の「素晴らしい力」を受け取れません。
「信じる心」と「受けとめる(収める)力」が必要なのです。
(苦しい時にその決断ができれば、それに相当する効果と恵みがあります)
「感謝すること」だけでなく、
良い言葉、すなわち質問者さんが知っておられる金言などを、思い巡らすことも、同じ効果があると思います。
「良い言葉」を信じ、「心に収める」のです。
ぜひやってみて下さい。
「良い言葉」をたくさん見つけて下さい。
そして、単純に、黙々と「その言葉の力」を信じて、「心に収めて」みて下さい。
きっと、始めた直後から、あなたの人生が変わっていくと信じます。
「感謝すること」のヒントをつかむことができましたか?
祝福をお祈りしています。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
もし気に入って頂けたら、たくさんの方に読んで頂くために、クリックの御協力をして頂けると幸いです。(一日一回カウントされます)
読者登録をして下されば、新しい記事を自動的に知らせてもらえます。(無料ですが、はてなブログの登録が必要です。)
もう一つ別のブログランキングです。(こちらもクリックして頂くと助かります。一日一回カウントされます)
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓