人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

【受難週、コラム2】桜の花のように生きる***イエス様の生き方

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現在、私の住む地域では桜が満開です。

毎年、桜を見る度に思います。

桜は、この一瞬に集中して花を咲かせている、と。

たった数日のために、一年をかけ長い冬を越えて、準備をしている、と。

コロナで、イベントとして桜の下で賑やかになる、集まりが少なくても、

ひっそりと黙々と咲いている。

自分のすべきことを、ただ粛々としている。

(日本人は、この桜の「美しさ」と「切なさ」を愛する国民です。)

 

クリスチャンになり、「イエス様の歩まれた道」を知った後は、

まさに「イエス様の生き方」が桜の花のようだ、と感じるようになりました。

 

今日は、イエス様の「ゲッセマネの園の祈り」から、

「自分のすべきことをする」を考えていきたいと思います。

しばらくお付き合い下さい。

 

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今までの流れで言うならば、②課題の分離、となります。

「人のすべき課題」と、「自分の課題」を明確に分け、

「自分の課題に集中する」大切さを考えていきます。

(意志と責任感)

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(ホフマン「園の祈り」)

イエス様は、十字架にかかられる直前、

ゲッセマネの園で、切実な祈りを捧げられました。

 

「アバ、父よ、あなたにはすべてのことが可能です。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが望むことではなく、あなたが望むことを。」イエスは苦しみもだえて必死に祈られた。そして、汗が血のしずくのように地面に落ちた。(マルコ14:36、ルカ22:44)

 

神様からの御使命、

イエス様が歩むように「備えられた道」は、十字架の道でした。

ご自分が「生け贄」として身を捧げることを通じて、

すべての人間の「罪の代価」を支払い、

死後も続く「罪の責め」から、人々を「解放する務め」でした。

 

これは、「罪の無い」「人であるイエス様」しかできない仕事でした。

(「罪を持った人間」が死んでも、「自分の罪」のために死ぬだけですから)

 

イエス様は、父なる神様から、「人類救済の使命」を受けて、

その「救済の道」を歩まれたのです。

 

しかし、現実の「十字架の道」は凄まじいものでした。

痛み、苦しみ、肉体的・精神的な苦痛だけでなく、

父なる神様との交わりが断絶すると言う、

(豊かな交わりを持ったイエス様からすれば)

信じられない程の、霊的苦痛を伴う道、でした。

 

ですから、イエス様は、ゲッセマネの園で、血が混じる程の汗を流して祈られたのです。

 

父なる神様に「投げること」もできない役割を、

弟子たちに「委ねること」もできない役割を、

「ご自分」で、黙々とこなされた「イエス様」。

 

イエス様は、人類代表の「非常に重い十字架」を背負って、

「痛みと苦しみの道」を歩まれたのです。

 

私たち「普通の人間」も、

自分の「すべき責任」を、神様に「任せること」はできません。

まして人に「責任を押し付けること」も、できないのです。

 

誰も「見ていなくても」、

誰も「評価してくれなくても」、

使命を与えられた「当人(私)」が、粛々と進めていくしか「道はない」のです。

 

イエス様は、弟子たちに

以下のように「弟子の覚悟」を迫りました。

「イエスは、みなの者に言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい』」(ルカの福音書9:23)

 

弟子たちも、「自分の課題」を明確に分け、その責任を果たすには、

逃げずに「十字架を負う」覚悟が、必要だったからです。

 

しかし、(最大の十字架を越えられた)「イエス様」の後に、

ついていく「弟子たち(私たち)」には、

イエス様と違って、「十字架を越える恵み」があります。

 

それは、苦しみを「歩み切った」イエス様から、

「慰め」を受けられるということ。

また、責任を持たれたイエス様の「お気持ちの一端」を、

「知ることができる」ということ、です。

 

これは、「苦しみを通った者」だけが「経験できる恵み」です。

そして、苦しみを通じて、苦しんだ方との「心情の交流」が、

一気に深まるのです。(神様の愛が、良く分かるようになります。)

 

「自分の課題」を分離して、

責任を持って言動するとは、とても「辛い作業」を伴うものですが、

「イエス様」の助けを知っているということは、

「大きな恵み」があるのです。

 

次回は、③「イエス様からの励まし」を一緒に考えていきたいと思います。

(苦しみを通られた方だから、理解して下さる、深い慰めです。)

「受難週の祝福」をお祈りしています。

 

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました」(へブル人への手紙12:2)


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