かつて私は、ひとりで「小舟」の船頭だった。
行き先は定まらず、
自信も無い中で、、、
それでは寂しいので、
行き先のあるフリをし、
自信のあるフリをしていた。
毎日、目の前の「小さな行き先」を見つけ出し
それが達成できたことを、「生きる力」にしていた。
「生きる自信」にしていた。
仕事が片付かなくて、沈みそうになって一日が終わると、
眠りは浅かった。
ストレスとプレッシャー、
気を張っていないと、乗り越えられない。
家に帰っても、
心は荒海を漂っていた、、、
24時間戦えますか?
そんなキャッチフレーズが頭に響く。
「戦えないよ!」
戦いに意味はあるの?
この戦いを乗り越えたら、何があるの?
また新しい戦いを探さなきゃならないだけじゃない?
脳内のアドレナリンを湧き上がらせても、
本当は、、、力がわかない。
心の奥では、疲れ果てている。
そんな時、
「あなたと一緒に歩もう」
と言って下さる方と出会った。
「あなたの小舟」に私が併走するから、肩の力を抜いて、
と抱きしめて下さる方が、近づかれた。
それが「イエス様」、
私の救い主だ。
その方のお陰で、私は救われた。
罪からだけでなく、魂も心も救われた。
今も、「自分の小舟」の船頭であることには変わらない。
しかし、
私の「小舟」は、イエス様の「大きな船」と一緒に併走している。
溺れそうな時は、その船が助けてくれる。
だから今は、ストレスの中でも、
ぐっすりと眠ることができる。
しっかりと休んだ次の日には、
また「小舟」を海に下ろして、
目標に向かって進めば良い。
24時間戦えますか?
「私は戦えません!」
でも、私のイエス様が、24時間働いておられるので、
「その方の助けを受けて、休み休みでも、進むことができます!」
先が見えなくても、迷いがなくなった。
その船との距離感さえ間違わなければ、
確かな所を歩むことができる。
行き先のあるフリも、
自信のあるフリも、
しなくて良くなった。
不完全な私を、そのまま包んでくださるイエス様がおられるので、
行き先が分からない時は、分からないと、
自信がない時には、自信がないと言える、
、、、そんな強さを身につけたのだ。
そんなイエス様に「感謝」の言葉しかない!
イエス様の言葉 (マタイ11:28-30)
「11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。 11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
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