本日は、「山にに登った者だけが、山の景色を見ること(体感すること)ができる」について、考えていきます。
詩篇121:1‐3
「私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのか。
私の助けは【主】から来る。天地を造られたお方から。
主はあなたの足をよろけさせずあなたを守る方はまどろむこともない。」
本日、北海道のある牧師先生のお話を聞きました。
最北に近い地のある教会に問題が起き、その教会には「たった一人の女性」の信徒しか残らなかったそうです。
牧師もいない中で、その女性は、将来に絶望する気持ちで、祈ったそうです。
「この教会は、どうなるのですか?」
何度も祈る中でのある時、彼女の心の中に【声】が響いたそうです。
「この教会は、わたし(創造主)の教会である」(わたしが守り、導く)
彼女の心には、平安が与えられ、祈り続けることができたそうです。
直後から、周りの教会の牧師たちが、交代で車で何時間もかけて、その一人の女性のために、日曜日のメッセージに行って下さったそうです。
その後、神学生が派遣され、1年後、現在の牧師が派遣され、今に至るということです。
その女性は、後に笑顔で、
「2年前の私に話すことができたら、『大丈夫、すべて上手くいくから』と言ってやりたい。」と笑ったそうです。
私たちは、苦難の最中には、目の前が真っ暗になります。
信仰を持っていたとしても、苦しい時には苦しいものです。
しかし、私たちに【助け】が与えられるならば、
その苦しみを乗り越えることができるのです。
そして【声】を聞き、【助け】を受け、試練を乗り越えたならば、
「それを乗り越えた人」だけに「見える景色」があります。
そこには、ドラマを見るのでもなく、人から聞いた話でもない、
「生の感動」があるのです。
聖書は、「乗り越えられる試練しか与えられない。」
「試練と同時に、脱出の道が与えられている。」と言います。
私たちも【助け】を受け、問題を乗り越えていくならば、
「山に登った者だけ」が見える景色を、見ることができるのです。
それは平凡な地上では、「決して見ることができない」景色なのです。
祝福をお祈りしています。
Ⅰコリント 10:13「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」
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