人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

いつも「感謝できる」理由 その1

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先回、感謝することに「デメリット」は一つもない。

むしろ「メリット」しかない。

しかしそうであっても、感謝するためには「理由」が必要である、と書きました。

 

その続編です。

以前私の知人が、歯が痛くて一週間何も食べられなかったことがありました。

痛みが無くなった後に、しみじみと「歯が痛くないことは、感謝だ」と言っていました。

 

感謝の理由その1は、「当たり前のことの中に、感謝の理由がある」です。

「創造主を信じることの価値」について触れたいと思います。

 

「生きている」ことは、「生かされている」ことです。

「問題がない」ことは、「たくさんのものが通常通り機能している」ことです。

よく考えれば、それらは「ありがたい」こと、「奇跡の連続」なのです。

(そう思いませんか?)

 

神様(=創造主)を信じることは、「特殊なこと」と考える人もいますが、

私から見れば「きわめて合理的なこと」だと思います。

「命」も与えられたもの。

「能力、才能」も与えられたもの。

気がついたなら、自分のものになっていました。

それを「当たり前」「当然の権利」と考えることは、「傲慢」ではないでしょうか。

 

「自分の才能」を当たり前のように考えて、

「できない人を見下す」・・・・時々見る光景です。

「上から目線」で関わってくる人は、見ていて「気持ちが悪い」ものです。

周りの人を傷つけ、最終的には本人を「孤立」させます。

 

「能力の高い人」はそれだけ神様から期待が大きいのですから、ますます謙虚になって「自分のすべき仕事」を進めるべきです。

少し視点を広げてみれは、能力の高い人の周りに、たくさんのサポートをする人がいるのです。

その人たちの協力がなければ、仕事は回りません。

 

しかし「自分だけが一番」と思いたい「自己中心脳」を持っていると、

周りの人は「くず」のように見えるのです。

「その考え」は明らかに「間違って」います。(歪んでいます)

 

神様(創造主)を信じるということは、

「創造主が一番」と言う考えです。「自分が一番」になりません。

すると、社長の下で働く、各部署のように「協力して」仕事を進めることができるのです。(相手を同等として尊重します。)

そのため合理的に考えても、「自分が一番」でないほうが良いのです。

「人間を越えた一番の方がいる」と考えると、「人間同士はチーム(仲間)」になれるのです。

 

「自分が一番」を無理やり進めると、独裁政治となります。

独裁政治とは、粛清が前提です。(粛清=内部の反対者を、追放・処刑すること)

民主主義は、自分と価値観が違う存在を受け入れます。

しかし独裁国家は、自分の思い通りにならない存在は「消す」のです。

(極端な例ですが・・・)

 

話が物騒な方向に向かいましたので、元に戻します。

今「当たり前のことの中に、感謝の理由がある」を考えています。

そして創造主の恵みは、「当たり前」に思えることが多いのです。

 

「健康」も「能力」も一見「当たり前」に見えます。

ですから「感謝すること」が少なるなるのです。

 

先日お話ししていた、詩篇103篇です。(よく出てくるダビデ王の詩です)
詩篇103:1‐5
わがたましいよ【主】をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ【主】をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主はあなたのすべての咎を赦しあなたのすべての病を癒やし
あなたのいのちを穴から贖われる。主はあなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ
あなたの一生を良いもので満ち足らせる。あなたの若さは鷲のように新しくなる。

 

ダビデは、自分で「自分に向かって語っている」、ことに注目してみます。

人生は山あり谷ありです。

良い時には、創造主をほめたたえても、

悪い状況になると、文句ばかりを言う・・・ある意味自然なことではあります。

「人間は良いこと」をすぐに忘れてしまうのです。

 

ですから「主が良くして下さったことを何一つ忘れるな」と「自分に言う」のです。

(人は言ってくれないからです。・・・ダビデは、そうしていました。)

 

「健康」「いのち」「問題解決」・・・「仕事」「家庭」「友人」・・・

「人生のチャンスを得たこと」「困ったときの不思議な助け」「恥ずかしい中での導き」・・・

数えれば、数えきれないほど、誰かに「助けられている」のではないでしょうか。

(「その誰か」の背後には、あなたを「良いもので満たそうと考える、創造主」がおられるはずなのです。)

 

新しい問題を前にすると、【問題】の方が「大きく見えて」

【恵み】が「小さく」または「無かったように」思えます。

 

ですから「恵みを数える」のです。

聖歌の歌詞です。

  1.   望みも消え行(ゆ)くまでに 世の嵐に悩むとき
    数えてみよ主の恵み 汝(な)が心は安きを得ん
    数えよ主の恵み 数えよ主の恵み
    数えよ一つずつ 数えてみよ主の恵み (新聖歌172番)
  2. あなたには、どんな【恵み】が与えられていたのでしょうか?
  3. (今も与えられているのでしょうか?)
  4. 人生の中に、どんな【助け】が与えられていたのでしょうか?
  5. 「創造主」が、あなたの未来に対しても
  6. 「あなたの一生を、良いもので満ち足らせる。」
  7. と約束して、【恵み】を与え続けて下さっているのです。

 

【恵み】を受け取る秘訣は、

プレゼントを差し出された時に「欲しいです。頂きます。ありがとうございます。」と素直に受け取ることです。

(遠慮は禁物です。)

 

創造主の【恵み】は、

創造主は「与えたくて仕方がない」お方であると聖書から分かりますから、

【恵み】が感じられない時から、

「恵みを感謝します」と受け取る準備をしたら良いのです。(これが創造主への信仰です。)


詩篇81:10

「あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。」


エレミヤ33:3
「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」


Ⅰコリント 10:13

「試練とともに脱出の道も備えてくださる。」

 

ですから「創造主」を信じる者は、

「試練の時」に素直に、「脱出の道はどこですか」と祈ることができます。

(・・・この時が、主を体験できるチャンスなのです。)

そして【恵み】によって「脱出の道」を見つけたならば、

そこを通ることができるのです。(通る知恵も、気力も、与えられます。)

 

  1. ダビデが「あなたのいのちを穴から贖われる」と、言った通りのことが、
  2. 泥沼の中にあっても、「信じ、受け取る」者の上に、起きるのです。

あなたは、それらの【創造主の恵み】を受け取りたいですか?

それは約束されたものです。信じてみて下さい。

祝福をお祈りしています。 

 

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