先回、感謝することに「デメリット」は一つもない。
むしろ「メリット」しかない。
しかしそうであっても、感謝するためには「理由」が必要である、と書きました。
その続編です。
以前私の知人が、歯が痛くて一週間何も食べられなかったことがありました。
痛みが無くなった後に、しみじみと「歯が痛くないことは、感謝だ」と言っていました。
感謝の理由その1は、「当たり前のことの中に、感謝の理由がある」です。
「創造主を信じることの価値」について触れたいと思います。
「生きている」ことは、「生かされている」ことです。
「問題がない」ことは、「たくさんのものが通常通り機能している」ことです。
よく考えれば、それらは「ありがたい」こと、「奇跡の連続」なのです。
(そう思いませんか?)
神様(=創造主)を信じることは、「特殊なこと」と考える人もいますが、
私から見れば「きわめて合理的なこと」だと思います。
「命」も与えられたもの。
「能力、才能」も与えられたもの。
気がついたなら、自分のものになっていました。
それを「当たり前」「当然の権利」と考えることは、「傲慢」ではないでしょうか。
「自分の才能」を当たり前のように考えて、
「できない人を見下す」・・・・時々見る光景です。
「上から目線」で関わってくる人は、見ていて「気持ちが悪い」ものです。
周りの人を傷つけ、最終的には本人を「孤立」させます。
「能力の高い人」はそれだけ神様から期待が大きいのですから、ますます謙虚になって「自分のすべき仕事」を進めるべきです。
少し視点を広げてみれは、能力の高い人の周りに、たくさんのサポートをする人がいるのです。
その人たちの協力がなければ、仕事は回りません。
しかし「自分だけが一番」と思いたい「自己中心脳」を持っていると、
周りの人は「くず」のように見えるのです。
「その考え」は明らかに「間違って」います。(歪んでいます)
神様(創造主)を信じるということは、
「創造主が一番」と言う考えです。「自分が一番」になりません。
すると、社長の下で働く、各部署のように「協力して」仕事を進めることができるのです。(相手を同等として尊重します。)
そのため合理的に考えても、「自分が一番」でないほうが良いのです。
「人間を越えた一番の方がいる」と考えると、「人間同士はチーム(仲間)」になれるのです。
「自分が一番」を無理やり進めると、独裁政治となります。
独裁政治とは、粛清が前提です。(粛清=内部の反対者を、追放・処刑すること)
民主主義は、自分と価値観が違う存在を受け入れます。
しかし独裁国家は、自分の思い通りにならない存在は「消す」のです。
(極端な例ですが・・・)
話が物騒な方向に向かいましたので、元に戻します。
今「当たり前のことの中に、感謝の理由がある」を考えています。
そして創造主の恵みは、「当たり前」に思えることが多いのです。
「健康」も「能力」も一見「当たり前」に見えます。
ですから「感謝すること」が少なるなるのです。
先日お話ししていた、詩篇103篇です。(よく出てくるダビデ王の詩です)
詩篇103:1‐5
わがたましいよ【主】をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ【主】をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主はあなたのすべての咎を赦しあなたのすべての病を癒やし
あなたのいのちを穴から贖われる。主はあなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ
あなたの一生を良いもので満ち足らせる。あなたの若さは鷲のように新しくなる。
ダビデは、自分で「自分に向かって語っている」、ことに注目してみます。
人生は山あり谷ありです。
良い時には、創造主をほめたたえても、
悪い状況になると、文句ばかりを言う・・・ある意味自然なことではあります。
「人間は良いこと」をすぐに忘れてしまうのです。
ですから「主が良くして下さったことを何一つ忘れるな」と「自分に言う」のです。
(人は言ってくれないからです。・・・ダビデは、そうしていました。)
「健康」「いのち」「問題解決」・・・「仕事」「家庭」「友人」・・・
「人生のチャンスを得たこと」「困ったときの不思議な助け」「恥ずかしい中での導き」・・・
数えれば、数えきれないほど、誰かに「助けられている」のではないでしょうか。
(「その誰か」の背後には、あなたを「良いもので満たそうと考える、創造主」がおられるはずなのです。)
新しい問題を前にすると、【問題】の方が「大きく見えて」
【恵み】が「小さく」または「無かったように」思えます。
ですから「恵みを数える」のです。
聖歌の歌詞です。
- 望みも消え行(ゆ)くまでに 世の嵐に悩むとき
数えてみよ主の恵み 汝(な)が心は安きを得ん
数えよ主の恵み 数えよ主の恵み
数えよ一つずつ 数えてみよ主の恵み (新聖歌172番) - あなたには、どんな【恵み】が与えられていたのでしょうか?
- (今も与えられているのでしょうか?)
- 人生の中に、どんな【助け】が与えられていたのでしょうか?
- 「創造主」が、あなたの未来に対しても
- 「あなたの一生を、良いもので満ち足らせる。」
- と約束して、【恵み】を与え続けて下さっているのです。
【恵み】を受け取る秘訣は、
プレゼントを差し出された時に「欲しいです。頂きます。ありがとうございます。」と素直に受け取ることです。
(遠慮は禁物です。)
創造主の【恵み】は、
創造主は「与えたくて仕方がない」お方であると聖書から分かりますから、
【恵み】が感じられない時から、
「恵みを感謝します」と受け取る準備をしたら良いのです。(これが創造主への信仰です。)
詩篇81:10
「あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。」
エレミヤ33:3
「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」
Ⅰコリント 10:13
「試練とともに脱出の道も備えてくださる。」
ですから「創造主」を信じる者は、
「試練の時」に素直に、「脱出の道はどこですか」と祈ることができます。
(・・・この時が、主を体験できるチャンスなのです。)
そして【恵み】によって「脱出の道」を見つけたならば、
そこを通ることができるのです。(通る知恵も、気力も、与えられます。)
- ダビデが「あなたのいのちを穴から贖われる」と、言った通りのことが、
- 泥沼の中にあっても、「信じ、受け取る」者の上に、起きるのです。
あなたは、それらの【創造主の恵み】を受け取りたいですか?
それは約束されたものです。信じてみて下さい。
祝福をお祈りしています。
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