今回は、「信仰を持っている方、向け」の内容になります。
聖書のことを、まだあまりご存知ない方にあっては、
「クリスチャンのある方たちは、こんな考え方をするのか」という参考にして頂ければと願っています。
それでは、しばらくお付き合い下さい。
先回のブログで以下の文章を書きました。
・・・・・
神様(=創造主)を信じる人は、主を「目の前」に置いて生きるようになります。
「自分の考え」があっても、その前に「主を置く」のです。
つまり、「自分の考え」よりも、「創造主の考え」を「優先する」ようになるのです。
(「全能者の知恵」を尊重して生きるようになるのです。)
詩篇16:8-9
「私はいつも、私の前に主を置いた。主が 私の右におられるので、私はゆるぐこと がない。
それゆえ、私の心は喜び、私のたましい は楽しんでいる。私の身もまた安らかに 住まおう。」
・・・・・
最強のガードマンが、一緒に歩いてくれたなら、
とても「心強い」と思います。
仕事中に、何でもできる先輩が一緒にいてくれたなら、
こんな「心強い」ことはありません。
創造主を「目の前に置いて」生きるとは、このような安心をを体験できるのです。
具体例を4つほど上げてみます。
①プレッシャーが限りなく小さくなります。
「創造主を前に置いて生きる」とは、「盾を前にして」歩くようなものです。
「前から石」のような問題が飛んできたとしても、「怖くはありません」。
「石」(問題)は見えますが、
(具体的に)危害が加わらないので、(多少の衝撃はありますが)、
「安心」して、前進することができるのです。
②落ち着いて物事に対処することができます。
「創造主を前に置いて生きる」とプレッシャーがなくなる(又は少なくなる)ので、
「平常心」で問題に取り組むことができます。
そのため、「力む」ことがなくなり、
本来の力を発揮できるのです。(力を抜いて対応できるのです。)
③攻めの対処ができる。(受け身ではなく、積極的な対応)
プレッシャーが少ない分、
心配事や不安にかけるエネルギーを「削減」できます。
すると「気力」が充実してきます。
「問題解決にエネルギー」を「集中する」ことができるようになります。
解決の最大のポイントは、「気力」なのです。
「気力」が充実しているならば、「事前の対処」もできますし、
問題が「小さな内」に「早めに手を打つ」こともできるのです。
余裕を持って、策を進めることができます。
④想定外の展開になっても、動揺しない。
考えたこと以外の問題が発生しても、対処し易くなります。
「創造主が先頭」におられるので、そこに目を向けていれば、
「創造主の計画」の良い方向に「問題(トラブル)」自体が近づいていきます。
(「後ろにいる問題」が「創造主の計画(良い方向)」に変質していくのです。)
ですから「創造主」さえ見ていれば、乗り越えられるのです。
「創造主の力」の方が、
「問題の力」よりもはるかに大きいことをいつも確認しているので、
想定外の問題が見えても、恐れないのです。
以上、具体例を挙げました。
世の中には否定的なものが満ちています。
普通に生きているだけで、プレッシャーがあります。
そして、何かをしようと動き始めると、通常以上の様々なプレッシャーがやってくるのです。
「知識」でこのことを知っていることと、
実際に創造主を自分の前に置いて、「実践」している人では、
「雲泥の差」があります。
ですから、そんな中で、上記のような感覚で生きるためには、
「理論武装」が必要なのです。
(今回は要点だけ簡潔に書きます。)
それは創造主が、
Aどういうお方で、
B私に何をしてくれるのか、
を知る(学ぶ)ことです。(そして信じることです)
A創造主はどういうお方か。
aどんなことでもできるお方。
「私の前にいて下さる、創造主」は、全能者です。この世界を作られたお方です。
全知全能、何でもできるお方です。このことを信仰で受け止める必要があります。
b私を愛しておられるお方。
イエス様は、聖霊の力によって、「主」は「私のお父さん」と祈れるお方だ、と教えて下さいました。
創造主は天の父で、私はその子どもです。
そのお方が、「あなたの前」を歩み、「あなたに道を教えて」下さるのです。
B創造主は何をして下さるのか。
c私を守って下さるお方。
ここでは聖書の言葉だけを示します。
私の好きな聖句です。
詩篇18篇1-3節です。(ダビデの詩です。)
「彼はこう言った。主、わが力。私は、あなたを慕います。
主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。
ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。」
(すべてが神様がして下さることです。じっくり読まれることをお勧めします。)
特に「主はわが巌、わがとりで」が、私の心には強く響きます。
主は私をグルっと360度、全ての敵から守って下さるのです。(私の実感です。)
現実におられる「あなたの創造主であるお方」が、
光の中の「前方」で、
あなたを「しっかりと見つめて」下さり、
あなたが主を見失うことがあったとしても、
「主」は決して「あなたを見失うことなく」、
いつも「導き続けておられる」ことを、
ある瞬間に「あなたは気がつく」のです。
(ここまでくると、信仰というより、事実の確認となります。)
最後に、、、
主を前に置いて生きるには、
C、「事実」を受け止める「謙遜さと素直さ」が必要です。
(このことは記しておかなければなりません。)
自我が強い人は、「主を前に置いて」生きることができません。
自分の意見が強すぎて、「主の後」について行くことができないのです。
例えば、
何でもできる素晴らしい先輩がいて、あなたの仕事に最善のアドバイスをしたとします。
しかし、もしあなたが「自我が強く」、そのアドバイスを「聞く気がない」なら、
アドバイスは、「何の役にも立たない」のです。
「創造主が目の前」にいて下さっても、
「ついて行く気がない」ならば、
あなたは「創造主とは関係のない」「自分が先頭の道」を歩むことになります。
「主を自分の前に置く」とは、単なる美しい言葉ではありません。
主の後について行きたい人は、
「主の考えは何なのか」という「探究心」が必要です。
そして、それを知ったら「愛する主を前に置く」(主の御後をついて行く)という「決断力」も必要なのです。
そのような習慣を持っている、愛する子ども(私たち人間に対して)、
主はいくつもの計画を語って下さるのです。
「主を目の前に置いて生きる」恵みを、
主は「信じ実践する者」に、与えられるのです。
詩篇16:8-9
「私はいつも、私の前に主を置いた。主が 私の右におられるので、私はゆるぐこと がない。
それゆえ、私の心は喜び、私のたましい は楽しんでいる。私の身もまた安らかに 住まおう。」
エレミヤ書33:3
わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。
祝福をお祈りしています。
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