私は既に成人していますが、いつも父親と話をすると、「ダメ出し」を受けます。
「お前のここが出来ていない」と、父親と少しでも違う考えはで、否定してきます。
父親は自分に厳しい人で、向上心を持った人なので、言っていることは「その通り」なのですが、居心地が悪いです。親子関係は良くしたいのですが、どんなふうに考え、また対応したら良いでしょうか。
ご質問をありがとうございました。
「血は水よりも濃い」と言われますが、親子は近い分、難しいですよね。
文章を読む限り、質問者さんのお父さんは、
自分にも厳しく、人にも厳しいタイプのように思われます。
そういう方が、口にする言葉は、
「絶対に正しい」とご本人が信じている基準ですから、
否定するばかりか、議論もできないことが多いです。
(特に親子関係の場合は、小さい時からの積み重ねがあるために、難しいものです。)
今回、質問者さんのお父さんの心情を分析し、
聖書の観点から、対応を考えていきたいと思います。
まずお父さんは、まだ子どもであるあなたを「一人前と認めていない」可能性があります。
そうであれば、自分が何とかしなければならない、と思っている可能性があるのです。
お父さんの心は、お父さんでしか変えられません。
ですから「お父さんの気持ち」は、認める(受け入れる)必要があるのです。
(後で、対処の方法を考えていきます。)
お父さんは、ある条件を達成して「一人前」と考えているかもしれません。
〇〇のレベルの学校を出るとか、〇〇の就職をするとか、〇〇の給与を得るとか、
〇〇の結婚とか、〇〇の子どもとか、、、、
この〇〇は、お父さんの人生観です。
人生観は、歳をとる毎に変わってきます。ですから、今議論しても仕方がないとは思います。
(あなたの気持ちは、伝えることは可能ですし、むしろ伝える必要があるとは思います。しかし、お父さんを変えるつもりで議論することは、難しいのです。現実として。)
お父さんは、「絶対に正しい」ことだけを選んで、口に出している可能性がありますから、
お父さんは、自分の発言(立場)を正当化するために、
「正しさ」という武器を使って、質問者さんを「自分の願いに近づけたい」と思っているかもしれません。(愛情からの場合も多いですが、、、)
このような場合、お父さんの考えは「客観的なもの」ではない場合もあります。
そうであっても「反論」は、火に油を注ぎます。
お父さんは、自分が正しいと考える根拠を長々と語り始めるでしょう。
(「自分の正しさ」を根拠としているので「間違っている」とは受け入れ難いのです。)
実際、お父さんの正しさを修正(更新)できるのは、お父さんだけなのです。
ここからは聖書的な根拠です。
エペソ6:1-4
「1 子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。
2 『あなたの父と母を敬え。』これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、
3 『そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする』という約束です。
4 父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」
前後は逆になりますが、
まず「父親に願われていること」は、「子どもを怒らせてはいけない」です。
ですから、自分の価値観を一方的に押し付けることは、間違っているのです。
(幼いうちは別です。幼少期は、子どもたちは親の価値観をスポンジのように吸収します。怒りません。)
子どもの人格を認めながら、「主の訓戒で諭す」というのが、模範解答です。
お父さんが聖書の価値観を知らないならば、倫理とか哲学と置き換えても宜しいかとは思います。
その観点から考えると、
質問者さんのお父さんは、「突っ込みどころは、満載」だと思います。
親は子供に、感情的に怒ってはいけません。
(もちろん理想論です。現実はそうならないことが多いのが事実です。)
だから、祈りが必要であり、神様の助けが必要です。
人間的な成熟が要求されるのです。
(まさに親業です。)
成人した質問者さん(子どもの立場)から見るならば、
親を一人の人間として、冷静に見ることです。
できてないところを期待して「裁かない」ことです。
それは「相手を変えようという」ことであり、ほぼ「100%上手くいきません」。
子どもの立場は、どういうものでしょうか。
「主にあって」両親に従うが、模範回答です。
これは、無条件、盲目的では「ない」のです。
主にあってを、真理、正しい情報と言い換えても良いかもしれません。
お父さんの意見で、おかしいなと思う点があるならば、
論破ではなく、冷静にそのポイントを伝えることは可能です。
(父親のプライドを配慮して、行動しましょう。)
客観的な資料が必要かもしれません。
お父さんが「理解できそうな情報」を集めるのです。
本を送っても良いかもしれません。
その場合、質問者さんが事前に読んでおいて、
伝えたい内容に線をひいたり、付箋を貼っておいたりするのです。
子どもが読んで、線を引いてあれば、親はそこだけでも、目を通すはずです。
そして「強制でもないし、意見を変えさせようでもなく」
「自分の考えの根拠」として、伝えるのです。
その上で、父親の立場を理解して、尊重するのです。
(これが主にあって両親に従う、の本質だと思います。)
明らかに間違っている場合は、尊重しつつ、距離をあけることも、一つの知恵です。
議論をしないことも、知恵です。
近づき過ぎると、不毛な議論が始まり、血を見ます。
だから、必要に応じて、距離をあけるのです。
(平和な距離感を保つのです。そして必要なら、近づく備えをしておくのです。)
両親であっても、100%理解し合うことは不可能です。
可能なのは、「受け入れ合うこと」です。(時間が必要な場合が多いです。)
お父さんがあなたを受け入れなくとも、
あなたはお父さんを受け入れていきましょう。(人生修行です。)
そうすれば、お父さんの「背後の愛情が見えてくると思います。
そして「理想通りにできない葛藤」も見えてくると思うのです。
お父さんとの関係が、ますます良いものとなっていけますように、、、。
子どもなのに、不条理だ、と思わないで下さい。
「真理に従う人生修行だ」と思って、少しでも対応していけることを願っています。
親子共々、真理に従っていくのが、人生だと受け止めていきましょう。
祝福をお祈りしています。
エペソ6:1-3
「1 子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。
2 『あなたの父と母を敬え。』これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、
3 『そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする』という約束です。」
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