人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

「神様を愛する」とは、どういうことですか?

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教会に行きはじめたばかりの者です。

教会で「神様を愛すること」は大切だ、と聞きました。理屈ではなんとなく分かるのですが、実感として、今一歩ピンときません。見えない神様(イエス様)を愛するとは、いったいどういうことなのでしょうか。

 

ご質問をありがとうございました。

教会に行きはじめたのですね。きっとこれから、イエス様の恵みをたくさん学び、体験することと思います。楽しみですね。

教会も、人の集まりです。自分も含めて、不完全な人間の集まりです。

そこで、質問者さんも、いろいろな経験を通じて「愛すること」を学んでいかれると思います。

教会ではやはり、人へのつまずきも起きるものです

その時に最も大事なことが、「神様を愛すること」なのです。

(「神様を愛して」いると、「人間関係のつまずき」を乗り越えることができるのです。そして愛が成熟します。)

 

神様(イエス様)を愛することとして、今回も3つのポイントで考えます。

①神様のことを、「よく知る」こと。

②神様との交わり「お祈り」を、たくさんすること。

③そこで受け取ったことを、「実践してみる」こと。

 

神様を愛することを考えるならば、

神様のことを、①「よく知る」必要があります。

知人と、恩師か恋人がいて、

知人があなたを誤解しても、恩師や恋人があなたを受け入れて下さっているなら、

乗り越えていけます。

しかし、逆ならば大変です。

 

神様は、あなたのことを受け入れて下さいますが、

何でも、悪でも善でもすべて、受け入れられる訳ではありません。

(ここを誤解しては、いけません。)

神様は、あなたのことをいつもサポートする、「Yesマン」ではないのです。

神様には、好き嫌いがあります。(聖であり、義であり、愛であるお方ですから、、、)

 

そのことを知っていると、神様(イエス様)との関係は、ぐっと深まります。

そのためには、神様のご性質が書かれている「聖書」をよく読むことが近道なのです。

聖書は「神様からのラブレター」とも言われます。

 

最初は、新約聖書の「マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ」のイエス様のことを集中して読まれることをお勧めします。(英語の聖書の中には、イエス様の言葉だけが赤字で印刷されているものもあります。)

 

イエス様の言葉、言動を、聖書から読むならば、

神様が、何を喜ばれ、何を嫌われるかが見えて、きます。

そこで、喜ばれることを実践し、罪を見つけたら、素直に謝り、助けを求めたら良いのです。

(どんな罪でも、赦して頂けることは、超絶の恵みです。)

 

次に、それらが分かってきたら②「お祈り」をすることです。

お祈りのポイントは、「素直に祈る」ことです。

 

ある人の最初の祈りは、

「天の神様、私はあなたが、本当にいるのかどうか、分からないです。」と祈ったそうです。

でもこれが「良い祈り」なのです。

飾ったり、取り繕ったりすると、神様との関係を「見失い」ます。

思ったことを、思ったままに祈ることが、大事です。

 

そして、祈りはお題目ではありません。呪文でもないのです。

祈りは、会話です。

ですから、言葉を神様に「投げかけ」れば、何か「返ってくる」のです。

これを受け取ることが、お祈りの醍醐味です。

 

しかしその時も「聖書を知る」ことは、非常に重要です。

心の中には、神様の語りかけもやってきます。しかし自分の思いも湧き上がります。

恐ろしいことに、悪魔(悪霊)の言葉も、飛んでいることがあるのです。

 

これを「フィルター」として(門として)、「入れるものと入れてはいけないもの」を選別する必要があるのです。

 

ヨハネ10:9-10
「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。

盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」

 

イエス様のご性格(ご性質)が分かってくれば、悪魔の言葉を入れることはなくなります。

その上で、イエス様との交わりが深まるならば、たくさんの良いこと(祝福)を経験できることでしょう。イエス様が「どれ程、質問者さんを愛して」おられるかをも、教えて頂けることでしょう。

(楽しみですよね。)

 

最後は、③実践です。

知っても、実践しなければ、その難しさも、神様に助けられなければできないという重要性も分かりません。

 

神様を愛するとは、知識だけではないのです。

行動が伴います。祈りの中で、心が動いたならば、

神様のために「このことをしたい」という強い思いが湧き上がるはずです。

 

まさに「その思い」が、「神様を愛する思い」そのもの、なのです。

そして、それを実践する中で、「自分の限界」を知り、「本当の自分の姿」に気がつきます。

、、、それでも愛して下さっている「神様の大きな愛」に触れる時に、

私たちは「本気で神様を愛する人」になっていくのです。

 

次回、どんな実践や葛藤があるかを、まとめてみるつもりです。

また、神様を愛することが、「優先順位の第一」であることも、まとめる予定です。

祝福をお祈りしています。

 

「『心を尽くし,思いを尽くし,知力を尽くして,あなたの神である主を愛せよ.』これがたいせつな第1の戒めです.『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ.』という第2

の戒めも,それと同じようにたいせつです.律法全体と預言者とが,この2つの戒めにかかっているのです」(マタ22:37‐40)

 

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