先回の続きです。
目に見えない神様を「信じる」だけでも、初めは大変ですが、
その神様を「愛する」ことが、一体どういうことか、その重要性、その方法についてまとめてみました。
メールや電話は、普通「相手の顔が見えない」ですが、
「相手がいる、存在する」ことは、分かります。
それは、返事が返ってくるからです。
「神様がおられること」の思い込みではない、しるしは、
客観的に、相手の存在が確認できることです。
では、神様の存在は、それができるのでしょうか。
私は、「できる」と考えています。
科学者のように、冷静に事実を並べ、分析する時に、
偶然ではない「何かの傾向」が見えてきます。
先回は①聖書を知ること、を学びました。
聖書を知ると「神様のご性質、傾向」が見えてきます。
また、「悪魔の傾向」も見えてくるのです。
聖書の言葉を思い描きながら、
②祈りの中で、神様と深く交わる中で、
「祈りの答え」を受け取ることができるのです。
その中で、神様の愛や支えを体験します。
また、神様と深く関わると、
「悪魔のささやき」に気がつくようになります。
悪魔の誘惑を退ける過程を通じても、神様の「具体的な助け」を経験します。
そうすると、段々と「神様がおられること」が当たり前になってくるのです。
「神様の助けがない」人生は、考えられない、、、となるのです。
今回は③神様への愛を実践する(応答する)、をまとめます。
しばらくお付き合い下さい。
祈りは一方通行ではありません。
祈れば、必ず答えが返ってきます。
その答えを「無視」すると、関係は深まりません。
ですから「神様を愛する」ことを深めたいならば、教えられたことを、実行することが必要です。
「『心を尽くし,思いを尽くし,知力を尽くして,あなたの神である主を愛せよ.』これがたいせつな第1の戒めです.『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ.』という第2の戒めも,それと同じようにたいせつです.律法全体と預言者とが,この2つの戒めにかかっているのです」(マタ22:37‐40)
聖書を読みながら、教会で学びながら、
神様が「喜ばれること」を実践してみましょう。
実践すれば、よく分かってきます。
「自我でそれをすること」は、とても「難しい」ことを。
「我の頑張り」では、まったく「できない」ことを悟るのです。
(実行しないと、頭だけで、できるつもりとなって、自尊心が肥大化します。危険です。)
この時の「優先順位」は、大切です。
a神様を愛し、b隣人を自分のように愛する。(この順番です。)
「自己中心の人」は、自分をいつも優先して「神様を無視」します。
「人の目が気になる人」は、人の目を気にして「神様を無視」します。
ルールも、正しさも、「仕方がない」と言い訳をしながら、無視をするのです。
(そして基準を外れて、おかしくなり、裁きのドロ沼に入っていくのです。)
ここまで来ると、ただただ「神様助けて」と祈ることしかできなくなります。
私は、これが「本当の祈り」ではないかと思うのです。
深い部分に、「神様に触れて頂いて」神様を愛する気持ちを頂いて、
(少し神様を見上げ、愛して)、
初めて、隣人を愛することができるようになると、思うのです
愛することを、自分の力ですべてできる、とは正しくありません。
その心は、高慢です。
「神様を愛する」とは、
実は、人間としての「最も基礎的なもの」なのです。
これができて、初めて「本当の自分」になれるという類いのものなのです。
そして、これは「神様に助けて頂いて」初めて、深まるのです。
③「神様を愛する」を実践してみましょう。
それを通じて、質問者さんは、神様と深い関係を結ぶことができるのです。
そして、神様から愛されていることが、ありありと分かるだけでなく、
神様が準備して下さっている「あなたへの、素晴らしい計画、恵み」を受け取ることができるのです。
神様を愛するとは、クリスチャン生活の「最大の焦点」なのです。
一緒に、祈り合って、互いに高嶺へと進んでいけたら、素晴らしいですね。
祝福をお祈りしています。
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