今回、二回に分けて「本当の自分」を知る、発見するヒントを考えていきたいと思います。
「自分探しの旅」で、海外で放浪する人がいます。
しかし、お金と時間を使って、わざわざ海外に行かなくても、自分を見つけることはできます。
なぜ「海外」に行くのでしょうか。
それは「非日常」だからです。(国内であっても同じです。)
「非日常」とは、日常ではないことです。
テンションが上がり、ワクワクして、いつもなら「しないこと」ができるのです。
つまり、「演技」ができるのです。
そうすると、新しい環境で、「新しい自分」を発見したような気持ちになります。
「演技の自分」も自分の一部ですが、しかし「演技の自分」ばかりを追い求めると、
逆に「分からなくなる」ことがあります。
アドレナリンが湧き上がる「興奮状態の自分」は、いつかは覚める時がやってきます。
しかしそれを避けていつも「興奮を追い求める」ならば、実は「本当の自分」から目を避けていることにもなるのです。
「本当の自分」とは、服で言えば「普段着」の自分です。
気を抜いており、「見っともない恥ずかしい部分」でもあるのです。
今回、「本当の自分」を確認する上で、
①「光の中」で自分を見るようにする。
②「自分を映し出す鏡」に気がつく。
を焦点としながら、いくつかのことを考えていきたいと思います。
「自分を知る」ことは、「知りたい」と思う部分と「知るのが怖い」部分の二面性があります。
youtubeで、通常のチャンネル動画以外に、家でくつろいだり、普段の様子をアップしている動画を上げている人がいます。それが再生回数が多かったりもします。
視聴者は、「本当の〇〇さんを知りたい」と思って見ていたり、投稿者も再生回数を稼げると、「認められると感じ」嬉しくなったりもするのです。
しかしながら、「不用意な発言が炎上」したりもします。
「自分を知る」とは、「良い部分」だけでなく、「悪い部分」も受け入れなければなりません。
それは、自分を「光の下に連れて行く」作業なのです。
夜中に、電気をつけると、
「今まで見えなかったもの」が見えてきます。
一晩だけの放置なら、ゴミや気づかない荷物は「少ない量」でしょうが、
何年も暗いままですと、(もしかすると人生で初めて電気がつく状態ですと)
「びっくりするような荷物」を発見するかもしれません。
まるで、池の水を全部抜くと、ゴミやら外来種やらがいっぱい出てきて、驚くようなものです。
光の下に出た時、「すべて受け入れる覚悟」を持つことは大切です。
「本当の自分」を知ろうとする時に、
「良い部分」は受け入れることができても、「悪い部分」は無視するとは、正直ではありません。
②でも触れますが、自分を知るには、「人間関係という鏡」が用いられることがあります。
「他人」と関わる時に、「自分の性格や気質」が浮かび上がります。
この時、「浮かび上がった性質」を隠さない(ごまかさない)ことが大切です。
(それが光の下に置くということです)
無視して、見ないようにすることは、「闇の中」に置くことになります。
「闇の中」に逃げていこうとする「あなたの心」を、追いかけて「光を照らす」のです。
エペソ(新約聖書)5:11〜13
「実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。なぜなら、彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。」
○明るみに出された時が、「明らかになる」時です。
ですから、隠しているものが「バレた時」は、実は「自分を知るチャンス」です。
「汚いものがバレた時」それが、自分の中に「汚いものがあること」を認める、絶好のチャンスなのです。
隠したって無くなりません。気がついていないのは「自分だけ」ということもあり得るのです。
「認めて受け入れた方」が、得策です。
「自分を知る」大前提は、汚いものが出たとしても、受け入れる覚悟から始まります。
そしてその覚悟は、自分の恥部を「光の下に出す」ことから始まるのです。
ここからは、少々クリスチャン向けになります。
自分の恥部を、「他人の前」で明らかにすることは、諸事情から難しいことがあります。
人に話すこと自体、抵抗があるでしょうし、話した後に関係が壊れることだってあるからです。
しかし、イエス様や天の神様には、「素直にお見せする」ことができます。
神様は私をつくり、大事に考えて下さっていますから、この方には「すべてを安心して語れる」のです。
とにかく大事なことは、自分の見たくない恥部を「隠さない」ことです。
イエス様には(天の神様には)、すべてが「お見通しである」ことを受け止めるのです。
「隠しても隠せない現実」を認めるのです。
自分の心の奥を「天が知って、認めて下さっている。」
、、、このことが「自分を知る上」で、最も重要なポイントです。
それが分かっている人は、「驚くような自分」を発見しても、
ごまかさず無視せずに、「受け入れる」ことができるからです。
(そのような人や存在に、出会っている方は、幸いな人です。)
今回は、
①「光の中」で自分を見るようにする。
自分を知る上で、最も大事なことを考えて見ました。
次回は、②「自分を映し出す鏡」に気がつく。
を考えていきたいと思います。
祝福をお祈りしています。
2コリント (新約聖書)3:18
「私たちはみな、「顔のおおい」を取りのけられて、「鏡」のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」
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