今回は、「鏡」の話です。普通の鏡ではなく「心を写しだす鏡」の話です。
(漢字の「写す」の意味は、「もとの姿・形をそのとおりに、絵や文字や画像などで表すこと」。「映す」の意味は、「ものの姿を光の反射で鏡や水面に投影すること」。ここでは内面そのものを取り扱いますので、写すという漢字を使っています。)
「自分の心の状態」を自分で確認することは、案外難しいものです。
「大丈夫」と言っている人が、まったく「大丈夫でない」ことも多くあります。
また、「理想の自分」を「本当の自分」と思い込んで、
「演技をしながら」生きている人もいます。
そういう人は、いつも演技をしているので「疲れ易く」「問題を起こすこと」もあるのです。
(今回は、そのあたりがテーマです。)
先回は、
①「光の中」で自分を見るようにする。
を考えてみました。
自分の心の「良い部分」だけでなく、「悪い部分」も受け入れること、を考えました。
そのために「どんな時でも自分を受け入れてくれる存在を知る」ことが有益であることにも触れました。
ある人から聞いた話です。
その方の職場に、嘘つきでいつもごまかして生きている、Aさんという人がいるそうです。
やるべき仕事を、他人が見ていないとズルをして、
問い詰められると、言い訳をして、その場だけ過ぎれば良いと考えているようです。
しかし当人は、「自分は良い人」で「思いやりがあって優しい人」だと思っているのです。
「出来るだけ楽をしたい」「人とは揉めたくない」
そして「人から良い人だと思われたい」
お話を聞いていると、Aさんは、「自分の見たい自分」だけを見ている典型例のように感じました。
見たくない、「自分の弱さ、ごまかしの心」は、いつも後回しにしてしまい、
結果的に、人からその嘘を指摘され、「信頼をなくす」のです。
優しいのではなく、「本当の自分の酷さ」を直視できない弱さなのです。
問題を「直視できない」ので、「ごまかし、逃げ出す」のです。
その悪影響が、他人に強く言えない点として、通常は現れてきます。
「自分がごまかしている」ので、「他人のごまかし」に対処できないのです。
問題を見過ごすことを「やさしさ」として勘違いしているのです。
Aさんの件は少し極端な例ではありますが、
しかし本当の自分(自分の弱さ)」を受け入れられないと、「人間関係に問題」が起きてくることは通常のことです。
②「自分を写し出す鏡」に気がつく。
2コリント (新約聖書)3:18
「私たちはみな、「顔のおおい」を取りのけられて、「鏡」のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」
「自分を写し出す鏡」とは何でしょうか。
聖書から考える前に、一般的な観点で考えていきます。
a,自分自身を考えてみます。
自分で洗面所の鏡を見ていると思ってください。
鏡に映った姿は、左右対称です。
人から見える姿ではありません。
「あなた自身の価値観」であなたを見ますから、「あなたが見たいように見る」ことになります。
好き嫌い、良い悪いも、あなたの基準で判断します。だから人からはすごいと思われている点でも、あなたは良くないと判断することがあるのです。
b,人間関係を考えてみます。
他人の感情に触れた時に、あなたの感情が動きます。それによってあなた自身に気がつくことがあります。
(本を読んで、自分に気がつくことも基本同じです。作者の感情や心の機微に触れる時に、あなたの感情が反応をするのです。)
よくこんなことを言う人がいます。
どこに行っても嫌な人がいる、でもその嫌な人を特徴を考えてみたら、それは自分だった。
人を通じて、自分の良い点、悪い点がはっきりとすることが多くあります。
そういう意味では、「人間関係」も「あなたを写しだす鏡」であることが分かります。
しかし人間は完ぺきではありません。
私に、いつも良い関わりをしてくれるとは限りません。
時に、毒親やフレネミー(友達のふりをした敵)のような存在もいるのです。
あなたを陥れ、あなたが苦しむことで喜ぶような人もいます。
そんな人を鏡にしていたなら、あなたは確実に歪みます。
c,神様のことを考えていきます。
ではどうしたら良いのか、ここで「神様の存在価値」が重要になってきます。
神様は「あなたを愛して」おられ、「未来の輝く姿を知って」おられ、「現状の課題を知って」おられるのです。
その神様のことを考えて、自分を思いめぐらすことが、
「最高の鏡」になるのです。
具体的にはこういうことです。
自分の中に弱いところがあります。自分ではどうしようもありません。しかし神様の鏡を見ると「別の視点」が見えてきます。
あなたが「自分を愛せなく」ても、神様は「あなたを愛して」おられます。
(これを実感として伝えることは、与えられた文字数では足りません。)
あなたは「自分がマイナス」だと思っていても、神様は「プラスと考えて」おられます。
あなたは「こんな自分は価値がない」と思っていても、神様は「あなたは高価で尊い存在だ」と言われるのです。(たくさんの聖書の言葉があります。)
「神様の鏡」で自分を見ると、「元気」になります。
そして「自分の欠点や課題」さえも、「別の視点、別の解決法」が与えられるのです。
「自分のどうしようもない愚かさ」や「罪」さえも、「赦される道があり、聖められ、変えられる方法がある」ことが分かるのです。
「自分でつくった鏡」で自分を見ても「新しい発見は一つもありません」
「人間関係の鏡」も健全な時と不健全な時があります。
しかし聖書を通じて「神様からの鏡」を見る時に、あなたの奥底の存在がはっきりと分かってくるのです。
それは「痛痒い」かもしれません。
「見たくないもの」かもしれません。
しかし神様が見せて下さる「将来のあなたの姿」を通じて「今の自分」を見る時、
絶望ではなく、目標と希望を持つことができるのです。
具体的には、どこか別の機会に掘り下げたいとは思っています。
ご質問があれば、コメント欄からお尋ねください。
(承認制ですので、掲載可能と書いて下さった方のみ、掲載するようにしています。)
祝福をお祈りしています。
Ⅱコリ ント(新約聖書)5:17
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
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