先回の続きです。今回は「出来ているつもり」の問題点と危険性を取り上げます。
岡目八目(おかめはちもく)と言う言葉があります。
碁で、傍で見ている人は、当事者よりも八目のハンディをつけるほど優位である、という意味です。
それはつまり、自分自身のことは「見えていないことが多い」と言う意味です。
イギリスで行われた、G7サミットの発信が、さまざまなメディアによってなされています。
その成果や影響は、ここでは触れません。(アジアの安全保障上、極めて重要な会議でした。)
韓国の、文在寅大統領の報道が、今回のブログを書く上で、目に留まりました。
韓国はG7のメンバーではありません。今回ゲストとして呼ばれました。韓国は現在、アメリカと中国の「二股外交」を行なっています。アメリカは、韓国に中国包囲網であるクワッドに加わって欲しいとプレッシャーをかけていますが、韓国は中国に気兼ねをして加わらずにいます。本来なら、台湾と同じ自由主義圏での一員としての立ち位置を明確にしなければならないのですが、ズルズルと二股を続けているのです。
サミットでは、文氏は、ほとんど影が薄い状態でした。(当然です。対中国包囲網も作ろうとしている国々の中で、唯一中国寄りの立場でしたから。)
しかし、文氏は自分の功績を強調し、華々しい外交デビューをしたように、プログでアピールをしたようです
かなり痛い対応です。
国際政治に多少でも関心のある方であれば、文氏の性格はご存知だと思います。
自分の考えを持つことは良いのですが、「自分の考えだけが絶対」で「約束をいつも破る人」は、信用がなくなり、次第に相手にされなくなります。
「自分はできている」(自分は立派だ)という、現実を無視した言動は、孤立を招きます。
その結果、「立てるべき戦略」を誤るのです。
プライドが高い人にこういう傾向があります。
「自分の理想の美しい考え」があります。(現実を無視している傾向が強いです。)
また、心のどこかで「自分は評価されるべき存在」と、思い込まれている場合もあります。
その場合、自分のイメージとは違う扱いを受けると「腹を立てる」のです。
「理想の美しい自分」がいます。
そして、それに合わせたストーリーを作るのです。
ですから、「嘘をつくこと」も、平気です。
捏造は当然で、自分が「ゴールポストを移動した自覚」さえ、無いのです。
(正直さ、誠実さ、からは程遠いのです。真実を見ない人は、目がふさがれてしまいます。)
そのため、「理想を掲げすぎる人」は、問題を起こすのです。(活動家と呼ぶ人もいます。)
確かに「理想を掲げること」は、良いことです。
しかし「厳しい現実」を見ずに、「ひたすら、自分の理想を追い求める人」が、問題なのです。
その人は「架空の世界、フィクションの中」で生きています。
(「お花畑」という言い方をする人もいます。)
最も重要なことは、「現実を見て、現実的な対応をすること」です。
それは「理想を求めること」と矛盾しません。
「出来ていないという現実」は、自分にも環境にも必ずあります。(必ずです。)
その「問題点からスタート」するからこそ、「理想の力」が発揮されるのです。
「スタート地点」をごまかさないようにしましょう。(これが今回の結論です。)
自分自身に関していえば、
「人間は罪びと」です。心の奥では「自分のことしか考えて」いません。
だからこそ、対策が立てられるのです。
「お花畑」では、対策が立てられないのです。
第三者と関わる場合は、
相手は自分の思い通りに、都合よく動いてはくれません。
「相手が悪い」と一方的に非難しても、改善はしません。
こんな「小学生」でも分かることを、「見ようとしない大人」がいます。
「出来ているつもり」は、危険です。
「自分の本当の姿」を見ることが、出来なくなります。
そのものさしで、第三者を見ると、
「自分の都合の良い所だけ」を注目します。
都合が悪くても、ごまかさず、「現実」を直視しましょう。
そこから、「すべての問題解決」が始まるのです。
ここまで読んで下さったほとんどの皆さんは、
これらの指摘は「当たり前」と思っておられる、「誠実な」方々だと思います。
そして「自分の弱さをごまかさない」方々だと思います。
じかし、他の方々への啓発、そして自戒と再確認の意味で、ここに記させて頂きました。
祝福をお祈りしています。
箴言(旧約聖書)20:9-11
「だれが、「私は自分の心をきよめた。私は罪からきよめられた」と言うことができよう。
異なる二種類のおもり、異なる二種類の枡、そのどちらも主に忌みきらわれる。
幼子でさえ、何かするとき、その行いが純粋なのかどうか、正しいのかどうかを明らかにする。」
エレミヤ(旧約聖書)17:9
「人の心は(陰険で)何よりもねじ曲がっている。それは癒やしがたい。だれが、それを知り尽くすことができるだろうか。」
第2コリント(新約聖書)3:16-18
「人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。
主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」
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