今回もクリスチャンだけでなく、一般の方にも分かりやすく、短かめにまとめてみます。
今回は、ヨブ記を取り上げます。
旧約聖書のヨブ記のテーマは、「なぜ正しい人が苦しみを受けるのか」です。
彼は親切で正しく、地域のリーダーでした。
しかし、悪魔がヨブを打つことを考え、神様の許可を受けた後、大変な試練を経験したのです。
(※悪魔は、創造主の許可がないと動けません。そして創造主が許可をする時には、創造主の良い計画があるのです。)
彼は、財産が打たれ、家族が打たれ、最後に原因不明の皮膚病にかかり、見るも無残な姿になりました。それでもヨブは「創造主を信頼」し続けました。その変わり果てた姿を見て、妻が悲しみのあまり「神を呪って死になさい」と吐き捨てたのです。それでも彼の信仰は変わりませんでした。
それほどまでに、彼は「善人」だったのです。
壮大なテーマですが、短く 3つに絞ります。
①苦しみには意味があること。
②たましいの苦しみを、創造主に訴えること(苦しみを自覚すること)。
③主に触れられること。
①苦しみには意味がある。
誰も苦しみを喜びません。
しかし苦しみには、意味があります。
詩篇(旧約聖書) 119:71
「苦しみに会ったことは,私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」
人間は、自己防衛本能があり、外からの圧力に対して、普通は抵抗します。
そのため「良いこと」であっても、なかなか受け入れることができません。
神様に叫んでいても、「助け」に選り好みをするのです。選り好みできてしまいます。(気に入ったものは受け入れ、気に入らないものは、無視します。、、、無意識のうちにすることも多いのです。)
しかし、苦しみの中では「状況が変わり」ます。
「苦しみから抜け出る」ために、あらゆる努力をします。
そして「助かりたい一心」で、「自分を変える壁」を乗り越えるのです。
「神様のおきて」を知り、学ぶことができるのです。
苦しみは「自分が変わる」チャンスなのです。
「自分の壁を超えられない程度の苦しみ」ならば、まだ余裕があるということなのです。
②たましいの苦しみを、創造主に訴える(苦しみを自覚すること)
苦しみの真っ只中で、「苦しみを直視せず」、必死に頑張る人がいます。
一旦、苦しみを直視したならば、「歩めなく」なるからです。
ですから「感情を無視」して、「機械的に対処する」ことで、苦しみを乗り越えようとしているのです。
しかし、「苦しみの感情」は、消えません。「水の中に沈めた風船」 のようなものです。
ふっと気を抜いた瞬間に、飛び上がってきます。
その時、「動けなく」なったり、「鬱状態」になるのです。
ですから、健康的に「苦しみを処理」しなければなりません。
その最善の方法は、「自分のことをすべて受け止めてくれる存在」に、「切々と訴える」ことです。
(そして、受け止めてもらうことです。)
ヨブには3人の友人がいました。
しかし、友人たちは慰めるどころか、ヨブの過ちを暴き出そうとしました。
彼らは「あなたが、こんなひどい目」にあっているには、「あなたは、悪いこと」をしたに違いない、と責め立てたのです。
ヨブは、「友人たちには心を許す」ことができず、「創造主に祈る」ことしかできませんでした。
彼は、創造主に切々と「自分の苦しみ」を訴えたのです。そして訴えながら、「自分の感情の痛み」に気がついていったのです。
創造主は、彼の嘆きを受け止めつつ、(ヨブはまったくそのことを知りませんでした)
最後に、ヨブに語りかけ、ヨブの心の中に「隠れた醜い感情」があることに、気付かせたのです。
私たち人間は、心を隠して生きています。
それは、いちいち見ていたら「仕事にならない」からです。
泣き言を言っていても、「解決しない」と思うのです。
しかし一旦「心を隠して」しまうと、「心が何を考えている」のかが、
「分からなく」なるのです。
心の傷も、悲しみも「 無視すること」を習慣にしてしまうと、
「自分の心の中の問題に鈍感」になり、そこで起きているSOSに気がつきません。
ヨブのように「深い部分の心」を言語化し、誰かに話すことは有益です。
その相手は「批判をする人」ではなく、「創造主」か、創造主のように「あなたをすべて受け止めてくれる存在」です。
自分の「負の感情を直視」して初めて、「癒し」が始まるのです。
③主に触れて頂くこと。
「自分の感情」に気がついても、癒しは起きません。
それだけでは、パニックを起こすだけです。
その「痛みの部分」に触れられる必要があります。
「主が触れて下さる」ためには、
「主の願いに従順」になることです。
具体的には、「主の言葉を頂いた時」に、「素直に従う」ことです。
ヨブ記の最後には、ヨブは病気が癒され、財産も回復した様子が描かれています。
そのきっかけが以下の聖書箇所です。
ヨブ記
42:10 ヨブがその友人たちのために祈ったとき、【主】はヨブを元どおりにされた。さらに【主】はヨブの財産をすべて、二倍にされた記
神様は、ヨブを批判した友人たちに、いけにえを捧げ、
「ヨブに祈ってもらうように」と命じました。
ヨブは、その神様の願いに「素直に従った」のです。
ヨブにも感情がありますから、自分を傷つけた友人たちに「複雑な感情」を持っていたに違いありません。
しかし創造主の願いが「祝福を祈ること」であると分かると「素直に従った」のです。
「主に触れて頂く」ためには、主の働きかけ(意向)に心を合わせることです。
創造主の言葉を、「いつも素直に聞く」その習慣が、大事な時に「奇跡と癒し」を受けるきっかけとなるのです。
「神の霊に触れられる方法」は、主への「素直な心」です。
それは、毎日の習慣から起きるものなのです。
ぜひ聖書を読んでみて下さい。
そして「そこに書かれている言葉」を大切にして下さい。
「素直に受け止める心」で読んでみて下さい。
その習慣が、あるタイミングで「神様の依頼を受けた時」に、
「素直に実行する」ことにつながるのです。
その時、あなたは「すでに主に触れられて」いるでしょう。
「癒しと回復」を、気がついたら、受けているのです。
祝福をお祈りしています。
イエス様が「求めたら、聖霊が与えられる」と約束して下さった聖書の言葉です。
ルカ(新約聖書)
11:13 ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。」
求める者は、与えられるのです。
しかしそれを受け取る「素直な心」が重要です。
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