人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

メメント・モリ、「死を意識して生きる」について

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例年よりも月日が経つのが、早く感じます。

コロナ禍で、時間が「今まで以上に早く」感じられるのは、私だけではないようです。

 

ところで、元気な方も、歳をとります。

100年経てば、今生きている殆どの方は、あちらの世界に行かれます。(私も含めて)

これは確実なことです。

一年一年、死が近づいているのです。

「死への準備」の意味も込めて、本日はこのテーマを取り上げてみます。

 

色々な視点がありますが、以下の3点を考えていきます。

①死を意識すると、謙遜になる。

②歳をとることは、現実を受け入れること。

③死への準備が大切。

しばらくお付き合いください。

 

①死を意識すると、謙遜になる。

人間は、地上では永遠に生きられません。

不老不死を願っても、いつかは死にます。

 

その時には、「持っている地位や財産」を「誰かに託さ」なければなりません。

これが現実です。

ですから、いつかは「人に委ね」なければならなくなります。

何でも「自分が一番」では、対応できません。

謙遜になることが大切です。

 

「創造主」を本当に信じている人は、自分を超えたものに「委ねる訓練」を受けているので、

「人にも」委ね易くなります。

 

しかし「自分を超えた存在」を信じない人は、握っているものを離す葛藤が大きいのです。

そういう人は、「自分が神」になっています。(価値の基準として)

自分のお金を神にする人、自分の健康や思想を神にする人(「自分の拠り所」はそれぞれですが)、

しかし、「死」の前ではすべてが「無力」です。

強制的に謙遜になるように、「押し出される」のです。

 

その時には、、、

創造主が準備する「天国」に入るか、悪魔が落とされる「地獄」に行くかの判断を、

(自分ではなく、創造主によって)受けることになります。

 

②歳をとることは、現実を受け入れること。

「歳をとると、できないことが増えてくる」ものです。

そして歳をとる度に、「できない現実」を、受け入れざるを得なくなります。

体力、気力が衰えていく現実を、受け入れなければいけません。

どんなに能力の高い人でも、必ず衰えます。

 

(私は、創造主を信じ、死後の天国と地獄を信じる立場ですが、)

「地上の人生に終わりがある」、「死の現実」を認めると、

「創造主」がおられると言う事実を、認めざるを得ません。

「私はそんなことは認めない」と言っても、死後には言い訳はききません。

 

死後のことを「後から考える」と先送りしても、

必ずどこかで直視しなければならないのです。

 

コロナ禍は、私たちに「死」と「死後」を突きつけたのです。

人は必ず死にます。

ですから、備えなければなりません。

それなのに、過剰にバタバタするならば、

「死への備え」ができていないということではないでしょうか。

 

③死への準備が大切。

死を考えると「謙遜」になります。

先ほども書きましたが、いつかは「バトンを渡す」時がきます。

自分は絶対ではなく、多くの中の一人だと認める時がきます。

 

どれだけ「世界を支配」したいと考えても、

「創造主」がおられ、

私は「そのルール」の中で、生きていくしかないのだ、と言う事実を悟るのです。

 

創造主を信じることが、

「死後の備え」の第一歩です。

創造主を信じれば、創造主の「ルール」を知り、

そのルールに「合わせること」が最善であることに、気がつくのです。

 

「神は死んだ」と言ったニーチェは、

神に勝つために「超人」という存在を考えました。

しかし、人間は神(創造主)に勝てません。

(ニーチェの思想はそんなに単純なものではないのですが、、、ここでは論じません。)

 

「神のことは考えたくない」と毛嫌いをしても、

「死」を前にするならば、

人は謙遜にならなければならなくなります。

 

創造主が「死後に天国」という場所を、備えておられます。

それを事実として受け入れるなら、

「天国に入る方法」を考えないといけません。

 

創造主の「天国に入るためのルール」は、

(知っておいて下さい。)

「罪」を持っていたならば、

天国には入れません。

すべての「罪の罰金」が支払われ、「罪が赦され」なければいけません。

 

そのために、キリストの十字架があり、

十字架を信じる者は、

「自分の罪」の身代わりに、

「キリストが罰を受け、代価を支払って」下さったことを体験します。

(これが「罪の赦し」です。)

 

私たち人間は、罪を犯さずに生きていくことは不可能です。

思い出して下さい。「人生の汚点」は一つや二つではないはずです。

そのすべての罪が赦されなければならないのです。

 

キリスト(救い主)を信じるのは、「罪の赦し」のためです。

(それが創造主の願いです。)

死を意識して生きていきましょう。

そうすれば、悪いことをしにくくなります。

 

失敗してもいいのです。

創造主は、「タラントの例え」の箇所で、

持っている能力を「失敗を恐れずに活用」することを喜ばれる、お方と分かります。

タラント(能力)を隠して、使わないことを嘆かれる、お方なのです。

 

キリストを「信じる」か、「信じない」かが最大のポイントです。

それによって、「罪の赦し」を受けるかどうかが決まるのです。

 

一度しかない人生です。

キリストを信じ、罪を赦して頂いて、

神様とつながることで、最高のパフォーマンスを発揮したいと思いませんか。

(信じた後の恵みは、書ききれないほどあります。)

 

「死」を意識して生きましょう。

そうすれば、「後悔しない生き方」ができるのです。

 

祝福をお祈りしています。

 

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