私たちは、生きていく上で「自分の居場所」が必要です。
「自分は一人で生きていける」とカラ元気で呟いても、
ふとした瞬間に、居場所が欲しくなるのです。
もしかすると「居場所は必要ない」と言っている人は、家族等の居場所がすでにあって、それを「当たり前」と思っているかもしれません。
「本当に孤独」になった時、「自分の居場所」を持っている人は救われます。
今日はそんな「居場所」について考えてみたいと思います。
ぜひ思い巡らしてみて下さい。
「あなたの居場所」についてです。
あなたは、一人暮らしですか?家族と一緒に住んでいるのですか?
学生さんですか?社会人ですか?
会社勤めですか?無職ですか?
、、、私たちは、自分の意思とは関係なく「ある分類」に分けられます。
そして私たち自身も、「自分は何者」かを考える時に、
「社会の中の位置づけ」を考えたりするのです。
そして帰属意識とその評価を求めます。
そして「それが少ない」と孤独を感じます。
そして、それが「本当に無い」と絶望に近い孤独を感じるのです。
ですから人間は「社会的な存在」と言われます。
どこかの社会に属さないと「満たされない」のです。「幸せを感じない」のです。
「社会に属する」とは、ギブアンドテイクです。
そこには「役割」があります。
ですから、「自分の居場所」持つには、
周りの誰かから「あなたの役割」が与えられることが必要です。
日本人として生まれたならば、
あなたを、社会としての国が法律で守ってくれます。
最低の生活は保証されます。
しかし同時に、国民としての義務も課せられるのです。
意図しなくても、「役割」が与えられているのです。
今あなたは、一人ですか?誰かが近くにいますか?
淋しいですか?満たされていますか?
あなたが「充実感」を感じるためには、
あなた自身の「誰かからの役割」を見つけることです。
主婦ならば、家族を守ることでしょうか。
(食事を準備し、洗濯をし、掃除をする、、、家族の生活を快適に守る仕事が与えられています。)
会社員なら、自分の仕事が与えられていますから、分かりやすいでしょう。
学生さんなら、勉強をすると共に、家族と同居ならば、家族の中の役割が与えられていると思います。
(もし与えられていないなら積極的に見つけて下さい。自分の部屋を整理する、玄関を掃除する。本当は期待されていることが、きっとあるはずです。耳が痛いかもしれませんが、、、)
「役割」を見つけたら、それを「実行する」のです。
人から言われたことは、「何でもする」という意味ではありません。
ギブアンドテイクの原則で考えて「これぐらいは、したほうがいい」という範囲を実行するのです。
(家の中での役割も、バランス良く設定します。、、、バランスが大事です。)
しかし、ここで問題が出てきます。
「実行する」には、「エネルギー」が必要です。
そして「実行する時」に、絶えず「人が評価する」(励ましてくれる)訳ではない、「事実」を受け入れる必要があるのです。
つまり、誰も評価してくれなくても、
「役割を実行し続ける」必要があるのです。
種蒔きと刈取りの法則です。
「思い違いをしてはいけません。
神は、
人から侮られることはありません。
人は、自分の蒔いたものを、
また刈り取ることになるのです。
自分の肉に蒔く者は、
肉から滅びを刈り取り、
霊に蒔く者は、
霊から永遠の命を刈り取ります。
たゆまず善を行いましょう。
飽きずに励んでいれば、
時が来て、
実を刈り取ることになります。」
【ガラテヤ(新約聖書)6:7-9】
しかし多くの場合、こんな気持ちになる時があります。
「あの人がやっていないのに、自分だけするのは不平等だ」
「なぜ評価もなく、自分だけ苦労しないといけないのか」
「私がこれをやる必要、意味があるのか」
こんな時、、、
冷静に考えて、「それでもこれが、自分の役割」と悟ったならば、
自分を励ますために、することは二つです。
①「誰かに自分を認めて貰うこと」
②「自分で自分を励ますこと」
①「誰かに自分を認めて貰うこと」
愚痴を言える相手を見つけましょう。(建設的な意味です。)
人は「自分の本音を知って貰えない」と苦しくなるものです。
逆に言えば「自分の泣き言を知ってくれて、励ましてくれる存在」がいれば、
相当なことでも、頑張れるのです。
「信仰を持つ」とは、このように「自分を愛し支えてくれる存在」を信じ、体験するということです。
「天の父なる神様」そして「イエス様」を知る(信じる)と「平安が与えられる」とは、
このような「実存的体験」を持てるからなのです。
(実存的体験:知識ではなく、実際に体験すること)
②「自分で自分を励ますこと」
あなたの親友も、そして神様も、「あなたを励ましてくれる」のですが、
「自分で自分を励ますこと」も、重要であり、とても効果があります。
仕事の区切りがついたら、たった一人でも「打ち上げ」をしましょう。
ケーキを買うでもいいし、美味しいものを食べることでもいいです。
「自分で自分を褒めてあげる」のです。
「こんな状況でよく頑張っているよな」
「誰もやっていないのに、偉い」、、、等々。
あなたが、人から評価されなくても実行しているなら、
「実際その通り」ですし、「見えない所を見ておられる神様」もそのように考えているに違いないのです。
そんな風に、自己受容できていますと、
(自分のしていることを、納得して実行できていると)、
ひがみがなくなり、やっていること自体が楽しくなってきます。
そうすると(まさに良い種蒔きなのですが)
「人が評価して」くれなくて、「やるべきこと」が、「コツコツとできる」のです。
そして「役割を果たして」いくと、「あなたの居場所」が作られます。
(本当です。)
居場所が与えられることを、「受け身」で待っているよりも、
「自分から積極的」に、役割を果たして、「居場所を作った方」が、確実で早いのです。
「役割」が分からず、「自分の否定的な気持ち」に振り回されると、
役割が果たせず、「居場所で、必要とされている喜び」を感じられません。
「自己受容」が大切です。
その為には、他者(最も確実な存在は、神)から「認められていること」を体験する、
「他者受容」をしっかりと味わうことが大切です。
そうすると、人の評価を気にしすぎない、毎日の生活ができるのです。
それは、とても「平安な生き方」です。
「究極の居場所」は、神ご自身との交わりの中にあると、私は考えています。
今回、「自分の居場所」について考えてみました。
何かの気づきや、お役に立てるならば幸いです。
祝福をお祈りしています。
1ヨハネ(新約聖書)3:20〜22
「たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。
愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、
また求めるものは何でも神からいただくことができます。」
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