人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

【コラム】あなたの居場所は、どこにありますか?(自分の役割を見つける)

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私たちは、生きていく上で「自分の居場所」が必要です。

「自分は一人で生きていける」とカラ元気で呟いても、

ふとした瞬間に、居場所が欲しくなるのです。

もしかすると「居場所は必要ない」と言っている人は、家族等の居場所がすでにあって、それを「当たり前」と思っているかもしれません。

「本当に孤独」になった時、「自分の居場所」を持っている人は救われます。

 

今日はそんな「居場所」について考えてみたいと思います。

 

ぜひ思い巡らしてみて下さい。

「あなたの居場所」についてです。

 

あなたは、一人暮らしですか?家族と一緒に住んでいるのですか?

学生さんですか?社会人ですか?

会社勤めですか?無職ですか?

 

、、、私たちは、自分の意思とは関係なく「ある分類」に分けられます。

そして私たち自身も、「自分は何者」かを考える時に、

「社会の中の位置づけ」を考えたりするのです。

そして帰属意識とその評価を求めます。

 

そして「それが少ない」と孤独を感じます。

そして、それが「本当に無い」と絶望に近い孤独を感じるのです。

 

ですから人間は「社会的な存在」と言われます。

どこかの社会に属さないと「満たされない」のです。「幸せを感じない」のです。

 

「社会に属する」とは、ギブアンドテイクです。

そこには「役割」があります。

 

ですから、「自分の居場所」持つには、

周りの誰かから「あなたの役割」が与えられることが必要です。

 

日本人として生まれたならば、

あなたを、社会としての国が法律で守ってくれます。

最低の生活は保証されます。

しかし同時に、国民としての義務も課せられるのです。

意図しなくても、「役割」が与えられているのです。

 

今あなたは、一人ですか?誰かが近くにいますか?

淋しいですか?満たされていますか?

 

あなたが「充実感」を感じるためには、

あなた自身の「誰かからの役割」を見つけることです。

 

主婦ならば、家族を守ることでしょうか。

(食事を準備し、洗濯をし、掃除をする、、、家族の生活を快適に守る仕事が与えられています。)

会社員なら、自分の仕事が与えられていますから、分かりやすいでしょう。

学生さんなら、勉強をすると共に、家族と同居ならば、家族の中の役割が与えられていると思います。

(もし与えられていないなら積極的に見つけて下さい。自分の部屋を整理する、玄関を掃除する。本当は期待されていることが、きっとあるはずです。耳が痛いかもしれませんが、、、)

 

「役割」を見つけたら、それを「実行する」のです。

人から言われたことは、「何でもする」という意味ではありません。

ギブアンドテイクの原則で考えて「これぐらいは、したほうがいい」という範囲を実行するのです。

(家の中での役割も、バランス良く設定します。、、、バランスが大事です。)

 

しかし、ここで問題が出てきます。

「実行する」には、「エネルギー」が必要です。

そして「実行する時」に、絶えず「人が評価する」(励ましてくれる)訳ではない、「事実」を受け入れる必要があるのです。

 

つまり、誰も評価してくれなくても、

「役割を実行し続ける」必要があるのです。

 

種蒔きと刈取りの法則です。

 

「思い違いをしてはいけません。

神は、

人から侮られることはありません。

人は、自分の蒔いたものを、

また刈り取ることになるのです。

自分の肉に蒔く者は、

肉から滅びを刈り取り、

霊に蒔く者は、

霊から永遠の命を刈り取ります。

たゆまず善を行いましょう。

飽きずに励んでいれば、

時が来て、

実を刈り取ることになります。」

【ガラテヤ(新約聖書)6:7-9】

 

しかし多くの場合、こんな気持ちになる時があります。

 

「あの人がやっていないのに、自分だけするのは不平等だ」

「なぜ評価もなく、自分だけ苦労しないといけないのか」

「私がこれをやる必要、意味があるのか」

 

こんな時、、、

冷静に考えて、「それでもこれが、自分の役割」と悟ったならば、

自分を励ますために、することは二つです。

 

①「誰かに自分を認めて貰うこと」

②「自分で自分を励ますこと」

 

①「誰かに自分を認めて貰うこと」

愚痴を言える相手を見つけましょう。(建設的な意味です。)

人は「自分の本音を知って貰えない」と苦しくなるものです。

逆に言えば「自分の泣き言を知ってくれて、励ましてくれる存在」がいれば、

相当なことでも、頑張れるのです。

 

「信仰を持つ」とは、このように「自分を愛し支えてくれる存在」を信じ、体験するということです。

「天の父なる神様」そして「イエス様」を知る(信じる)と「平安が与えられる」とは、

このような「実存的体験」を持てるからなのです。

(実存的体験:知識ではなく、実際に体験すること)

 

②「自分で自分を励ますこと」

あなたの親友も、そして神様も、「あなたを励ましてくれる」のですが、

「自分で自分を励ますこと」も、重要であり、とても効果があります。

 

仕事の区切りがついたら、たった一人でも「打ち上げ」をしましょう。

ケーキを買うでもいいし、美味しいものを食べることでもいいです。

 

「自分で自分を褒めてあげる」のです。

「こんな状況でよく頑張っているよな」

「誰もやっていないのに、偉い」、、、等々。

 

あなたが、人から評価されなくても実行しているなら、

「実際その通り」ですし、「見えない所を見ておられる神様」もそのように考えているに違いないのです。

 

そんな風に、自己受容できていますと、

(自分のしていることを、納得して実行できていると)、

ひがみがなくなり、やっていること自体が楽しくなってきます。

 

そうすると(まさに良い種蒔きなのですが)

「人が評価して」くれなくて、「やるべきこと」が、「コツコツとできる」のです。

そして「役割を果たして」いくと、「あなたの居場所」が作られます。

(本当です。)

 

居場所が与えられることを、「受け身」で待っているよりも、

「自分から積極的」に、役割を果たして、「居場所を作った方」が、確実で早いのです。

 

「役割」が分からず、「自分の否定的な気持ち」に振り回されると、

役割が果たせず、「居場所で、必要とされている喜び」を感じられません。

 

「自己受容」が大切です。

その為には、他者(最も確実な存在は、神)から「認められていること」を体験する、

「他者受容」をしっかりと味わうことが大切です。

 

そうすると、人の評価を気にしすぎない、毎日の生活ができるのです。

それは、とても「平安な生き方」です。

 

「究極の居場所」は、神ご自身との交わりの中にあると、私は考えています。

 

今回、「自分の居場所」について考えてみました。

何かの気づきや、お役に立てるならば幸いです。

祝福をお祈りしています。

 

1ヨハネ(新約聖書)3:20〜22

「たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。

愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、

また求めるものは何でも神からいただくことができます。」

 

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