今日は、「見えない心を大切にする」というテーマで、コラムを書いてみます。
「自分の信念」で行動するのではなく、「人の目」だけを気にして、行動する人がいます。
人が見ている時だけ、「正しいことをする」という人です。
人が見ていなければ、「ごまかしても、何をしても良い」と考える人たちです。
もちろん人間は、聖人君子ではありませんから、ごまかしが無い人は一人もいないとは思います。
大学時代、教育課程の授業である女性教授が、
「私は夜中でも歩行者信号を守るようにしている。自分がモラルを教えておいて、自分が守らないならば説得力がないからだ。」
と言われて、凄いなと思いました。
人間は完璧にできることは難しいとは思いますが、
「人が見ていなくても」正しいことをするという姿勢は、大切だと思うのです。
(もちろん、ルールにがんじがらめになることは、逆に不自由であり、自己義を助長する場合があります。人間は完璧ではありません。「完璧ではない人間」を「完璧なように振る舞う」時に、逆に「問題が生ずる」ことは留意すべきです。)
聖書に、
隠れているもので明らかにならないものはない、という言葉があります。
ルカ(新約聖書)12:2-3
「覆われているもので現わされないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。」
心は見えませんが、長く一緒にいると、その人の言葉や行動によって、
見えない考え方が「見えて」きます。
「心」をごまかしていると、「ごまかしている」ことが、どこかで「明らかになる」のです。
(その「事実」は、認めなければなりません)
ですから日本では昔から「お天道様が見ておられる」から、
「恥ずかしくない生き方をすべき」という考え方があるのです。
武士道では、「筋を通す」ことが美徳とされました。
「筋を通す」とは、道理にかなうようにする、物事の首尾が一貫しているという意味です。
反対に「筋を通さない」とは、道理に反する、首尾が一貫していないことになります。
肩苦しいと思うかもしれません。
しかし、このような人は信頼できますし、付き合っていても安心です。
人間は弱さを抱えています。
ずるい心、ごまかしの心を持っています。
だから、「天が見ておられる感覚」(見えないところを、神様は見ておられる感覚)が大切なのです。
それがストッパーとなり、大きな問題を起こさないためのセーフティネット(万一のための仕組み)となるのです。
中国は監視社会です。
都市部ではほぼ全ての交差点に防犯カメラが設置されています。
プレジデントオンラインの2021年3月28日の記事で、
「交通違反者暴露台」のことが取り上げられていました。
100インチ以上の巨大な画面に、交通違反者のモザイクなしの写真、その名前と身分証番号の一部が写し出されるというものです。
(プライバシーは全くありません。)
自由主義国では「あり得ない」ことですが、中国共産党政権では、普通に運営されているのです。
しかしこのシステムによって、交通違反が激減したことは、事実です。
人は見られていると思うと、悪いことはできなくなるのです。
あなたは、見えない神様という存在、
この世界を導いておられる「父なる神様」を信じておられるお方ですか?
私は、「教訓話」をしようとしているのではありません。
処世術として、「このように考えたら、良い生き方ができる」というテクニックの話をしているのでもないのです。
もし本当に、創造主(父なる神様)がおられて、
あなたのことを見ておられるならば、
「見られている以上」、それなりの「生き方」を、考えなければならないと思うのです。
「天が見ておられる、という感覚」
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