人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

仕事以外のことに、やる気が起こりません。やるべきことは色々あるのですが、気力が湧きません。気持ちの整理がしたいです。アドバイスをお願いします。

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「経理の仕事をしています。仕事は集中してこなすのですが、いつもピリピリしてしまい、家に帰るとがっくりとしてしまいます。気力が湧きません。部屋の掃除や、雑事など、やるべきことはたくさんあるのですが、最低限のこと以外は、先延ばしになってしまいます。どうしたら良いでしょうか。気持ちの整理がしたいのですが、アドバイスをお願いします。」(40歳女性、事務職)

 

ご質問ありがとうございます。

経理のお仕事をされているのですね。経理は数字が合って当たり前ですから、神経を使うお仕事です。仕事中は、きっと集中されていることでしょう。(質問者さんは、責任感・正義感も強いお方であるとお察しします)

けれども、家に帰ると気力が湧かないということですね。仕事でエネルギーを使い果たしているのかもしれません。それだけ仕事に全力投球されているのだと思います。

ひたむきな質問者さんの姿を想像します。

 

しかし、エネルギーが枯れ果ててしまい、日々の雑事がおっくうになるとは、お困りですよね。

解決のため、一緒に状況を整理していきましょう。

 

「最低限のこと以外」は先延ばしになるということですから、「最低限のこと」はできているということですね。きっと気力を振り絞ってされているとは思います。

 

《前半》は【気持ちの整理のために】3つのことを、一緒に考えていきましょう。

①「やるべきこと」と「捨てるべきこと」を明確にする。

②「小さな目標」と「その締め切り」を立てる。

③ できなかった時の別のブラン「Bプラン」を立てる。

 

《後半》は【心のエネルギーを蓄え、浪費しないために】というテーマで書かせて頂きます。

ポイントは、「許し(そのまま受け入れる心)」です

《後半》で一緒に考えていきたいと思います。

 

まず《前半》です。

【気持ちの整理のための3つのこと】

 

①「やるべきこと」と「捨てるべきこと」を明確にする。

長くなるといけないので、要点だけを簡潔に書きます。

今の状況下では、必要最低限のことだけに注目して、残りは「無視」したら宜しいと思います。(しないといけないというストレスから解放されるため、それで良いと割り切るのです)

 

整理するために、書き出しても良いですから、やらないといけないことをリストアップすると良いと思います。

そのリストの優先順位の番号をつけて、1番から順番にしていくのです。

リストの下は、今は無視しましょう。(どこかのタイミングで上位に上がった時に対応しましょう)

 

掃除が好きな方は、部屋が綺麗で片ずけられていることが、「心地が良い」です。(優先順位の上位です)

片付いていることで、日常生活の準備ができるので、その人にとって、掃除は「必要最低限のこと」なのです。(ストレスをなくすための条件です)

 

しかし、そうでない方もおられます。

片付いていなくても、気にならない方もおられます。

そうでない方に、エネルギーが枯渇した状態で、掃除や整理の仕方を指南しても、現実的ではありません。余計ストレスになります。

 

優先順位が低いものは、いざきよく先送りをしましょう。

掃除は、来客が来る等で、優先順位が上がった時に、対応すると考えてみるのです。

(何度も書きますが今はエネルギーが無い状態ですから)

しかし、どうしても気になるようでしたら、「片付ける範囲」を決めましょう。決めた範囲だけを片付けて、満足するようにするのです。(②にもつながります)

 (ズボラを指南するようで、スイマセン)

 

 

②「小さな目標」と「その締め切り」を立てる。

先ほど、「掃除も、気になるようなら、自分の決めた範囲だけを整頓しましょう」と書かせて頂きました。小さな目標を立てることは有益です。そして、その締切を決めることも有益です。(人間は締切がないと先送りをしてしまいますので)

自分で締切を作るのが難しいと思ったら、親か友だちを家に呼びましょう。掃除をせざるを得ない状況を作るのです。(無理がない程度にです)

 

雑事も、あまり詰め込むとやる気が削がれます。

市役所、銀行、郵便局、・・・雑事はこの日にしようと「小さな目標」を立てるのです。

そして「締め切り」を決めましょう。

出来るだけ、簡単にできる小さな目標を立てるのです。そして達成感を味わいましょう。(調子に乗って無理は禁物です。小さな目標に徹しましょう) 

今はエネルギーが枯渇状態ですから「無理がないように」が、おすすめです。

 

③できなかった時の別のブラン「Bプラン」を立てる。

真面目な人の多くは、目標設定をして、それができなかった時に、「自分で自分を裁き」ます。

そのせいで疲れたり、嫌になってしまうことがあり、「目標を立てること」にも嫌悪感を持ってしまうこともあるのです。

しかしこれは、「目標を立てること」が問題ではなく、「自分で自分を裁くこと」が問題です。

 

自分で自分を裁かない対策として、プランAができなかった時には、プランBを立てる練習をするのです。

 

もし予定の日に市役所に行けなかったら、自分で自分を裁かずに、次のプランBを立てましょう。(そのためにも多少の余裕はあった方が良いとは思います)

「自分を許す」練習をするのです。

 

 

《後半》です。

【心のエネルギーを蓄え、浪費しないために】

ここでのポイントは、「許し(そのまま受け入れる心)」です

(今回のプログのテーマがこの点です)

 

人は「思い通りにならない時」に、ストレスを感じます。

「こうあるべきだ」という考えに対して「違うことが起きる時」

「裁きのこころ」がわき上がります。

そして「裁きのこころ」がわき上がると、ストレスは激しくなります。

 

「自分」で「自分」が許せない時、「自分を裁き」ます。すると自分の中で強烈なストレスがたまります。

「周りの人」を許せない、こうあるべきだ、おかしいと思う時、「その人」や環境を裁きます。するとその時もストレスがたまります。

ストレスがたまると、心のエネルギーを大量に消費します。すると状況によっては動けなくなります。

 

だから「ストレスを軽減」するには、「裁きのこころ」を取り除くこと、です。

 

別の言い方をすれば、

裁きべきその人を「許す」こと。環境も「許す」こと。

・・・「そのままで良い」「そういうこともある」と受け止めることです。

 

質問者さんが「失敗した自分や他人」を(仕方がないと)許すことができれば、裁きの思いが減り「ストレス」は確実に(信じられないほど)軽減します。

 

私が持っている本の一冊に「自律神経を整える、あきらめる健康法」(小林弘幸著)があります。

めまいや多くの病気は、自律神経の乱れから起こります。

それを「あきらめること」で本来の状態に整えるという趣旨の書籍です。

 

「あきらめる(消極的)」それはすなわち「裁かない→受け入れる、許す(積極的)」ということです。

 

「自分を裁かず」「環境も裁かない」と、自律神経も整えられ、健康増進、若返りさえも起こるというのです。(裁かないことは素晴らしい力なのです)

 

 ではどうしたら「裁きのこころ」が取り除かれるかを、最後に取り上げます。

 

実は、これがキリスト教の大事な教えなのです。

①まず、自分の中に「裁きのこころ(罪)」があることを、認めることです。

(気づきと、方向転換・悔い改め)

② 「そんな自分が赦されている体験を受けとめること」です。

(心の取り扱い、聖霊体験)

 

人への「許し」は、自分が「赦されている」体験を通じてでなければ、できません。

「失敗を許された」体験を思い起こしてください。

 

クリスチャンであれば、神様が、イエス様が「あなたの罪を赦して下さった」という体験です。「深い罪を赦された体験」を心の中で、何度も思い巡らせてください。

それが心に浸透した分、「自分を許せる」ようになります。そして「人を許せるようになる」のです。(心に聖霊の力が働くことを通じてです)

 

クリスチャンでない方に分かりやすく、「神様の赦しの体験」を説明する方法を、私はまだ十分に持っていません。(なぜなら人間の許しは「不十分」だからです)

しかし、もしあなたの両親が、祖父母や身近な方が、あなたを愛するが故に「あなたの失敗」を許して下さった体験がもしあれば、それは貴重な財産です。

その許しを思い巡らせてください。そして同じように「自分を許し」「人を許す」のです。

 

そうする中で、質問者さんの「裁きのこころ」が解けていく筈です。(ゆっくりとです)

 

「自分を許せる心」とは素晴らしいです。

「ストレスが減り」「気力が充実します」。

毎日の仕事も「無理なくできるように」変えられていきます。(余力が持てます)

 

人間関係も向上します。(良いこと尽くしです)

 

「自分と環境」を受け入れ、許すこと。そして「裁かないこと」・・・・そこからな毎日の気力の充実が与えられるのです。

 

質問者さんの気力が充実し、

毎日が潤いに満ちたものとなりますように、

祝福をお祈りをしています。

 

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育休明けで自分のポジションがなくなり、職場で居心地が悪いです。どう前向きに考えたら良いですか。

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「妻の出産前に夫婦で話し合い、妻の産休の後は『私が育休を取る』ことを決めました。幸い理解のある職場で、上司の配慮の元、私の下で働いてた同僚が、私の仕事を引き継いでくれました。そして約一年子供と一緒に生活することができました。育休後も、同じ部署に復帰となり、懐かしい人たちと一緒に仕事を再開することができました。しかしその同僚が継続して係の責任者となり、私はその補佐という立場で仕事をしています。復帰後も定時で帰ることも多く、以前の仕事のスタイルとは大きく変わりました。「もし育休を取らなかったら」と考えると、心の中がモヤモヤしてきます。どう気持ちを整理したら良いでしょうか。」(30代男性)

 

ご質問をありがとうございました。

質問者さんは、やさしく責任感を持っておられる方だと思います。奥さんのことを考え、自分が育休を取る、それはこのご時世とはいえ、尊いことだと思います。

そのような方だからこそ、質問者さんは、必要な人として「同じ部署に復帰」されたのだと思います。
「自分のキャリア」を一時期とはいえ見送った質問者さんを応援する方は、男女問わずたくさんいる筈です。まずそのことを受けとめて下さればと思います。

 

しかしそうはいっても、質問者さんは「負の感情のスパイラル」に落ちかけているとも言えるでしょう。
「こうしなかった方が良かったのではないか」「別の方法もあったのでは」という気持ちがわき上がっていることも、察します。

人間は理屈と感情が同じではありません。感情は揺れ動きます。
質問者さんの気持ちを知って下さる方が一人でもいれば、落ち着くでしょうが、同じ気持ちを共有できる方は近くにおられますでしょうか。学生時代の友人とラインで連絡を取ったり、同じ立場の方のブログを読んだり、そのような立場のNPO法人もあります。
情報交換を通じて「自分一人ではないのだ」と知ることは、きっと支えになります。

 

質問者さんは、「精一杯」努力していると思うのです。
特に子育ては「思い通り」にいきません。
その上に「仕事について考えている」のですから、それは相当に「ねぎらわれるべき」ものです。


私からは、3つのことを提案したいと思います。

①「感謝の気持ち」で周りを見ること。
②「すべきこと」を、コツコツとすること。(目標の再設定)
③「幸せの感情」を味わうこと。


①感謝の気持ちで周りを見ること。
「負の感情のスバイラル」時に、「感謝する」という言葉を聞くと、反発したくなるかもしれません。
しかし聞いてほしいのです。

「ブルーの眼鏡」で周りを見ると、「ブルー」に見えます。
「明るい色の眼鏡」で周りを見ると、「明るい色」に見えます。

今の質問者さんのお気持ちで、「周り」を見ると、
「不満」や「苛立ち」ばかりが、見えてくるはずです。

しかし考えてみて下さい。
同じ職場に戻ることができたのは、上司の理解、同僚の協力、同じ部署の方の支えがあってのことの筈です。
質問者さんに「協力してくれる方々」によって、今の質問者さんの状況が、許されていることも事実です。

 

聖書の中に
5:16 いつも喜んでいなさい。5:17 絶えず祈りなさい。 5:18 すべての事について、感謝しなさい。
という言葉があります。

 

「感謝すること」は、健全なことです。
そして「感謝すること」は、健全に周りを見る「きっかけ」になります。

 

イライラが募ったら、ぜひ「感謝の眼鏡」で周りを見て下さい。
そうすれば、同じものが「別の角度」で見えてきます。

「感謝の気持ち」を保ち続けるには、「祈り」が必要になるかもしれません。
「祈り」という言葉になじみがない方は、「思い巡らす」「瞑想」と考えても近いとは思います。
(「祈り」に関しては、別の個所で触れます)

 

「否定的な感情」を断ち切って下さい。
「感謝の眼鏡」で見るのです。
そうすれば、今置かれている状況が「幸せだ」と思える「材料」が見えてくるはずです。(大切なことです)

 


②「すべきこと」を、コツコツとすること。(目標の再設定)
質問者さんの文章を読ませて頂くと、
「育休前の自分」と「現在」のギャップに戸惑っておられることを感じさせられます。

 

人は、「こうあるべきだ」という「山(目標設定)」を定めて、そこに向かっていくことに「達成感」を感じるものです。

一つ質問をします。
質問者さんの、「現在の目標設定」は、何でしょうか。
(いくつか書き出してみて下さい)        

その答えは、
確実に「以前(育休前)の目標」とは違うものになっているはずです。
しかし質問者さんのお言葉からは、以前の目標と現在の目標が「ごっちゃに」なっていることを察します。
(ですから、もう一度、「理性的」に整理して欲しいのです)
(感情が絡んだ時、「理性」は非常に役に立ちます)

 

人は質問者さんを、「いろいろな価値観」で評価をします。
ある人は「素晴らしい」と言い、ある人は「残念だ」というでしょう。
それによって「嬉くなったり」、「傷ついたり」します。

 

しかし厳密には「人の評価(価値観)は重要ではありません」(状況が変わればすぐに変化します)
あなたと奥さんが話し合った「あなたの家庭の目標」こそが重要であり、そこに向かっていくことが「評価すべきこと」なのです。
職場を無視するわけではありません。しかし質問者さんは、今の時期「職場」より「家庭・子育て」を選んだ「勇士」です。
その「覚悟」を、持ち続ける必要があります。

 

その上で、現在の仕事の目標を「再設定」することです。
あなたが、「感謝しつつ」、「再設定」し、目の前の仕事の目標を「コツコツと実行」してくならば、
どこかで「達成感」が与えられ、今の仕事の「充実」につながるはずです。

(「結果として」人の評価にもつながります。あくまで「結果」です)

 

「給与をもらう」という目標だって、「素晴らしい目標」です。
それで家庭が潤い、子育てができ、家族の幸せにつながるのならば、大切なことです。
「だれかをサポートする」目標も、尊い目標です。

 

どちらにしても、一度昔の「山(目標)」から、離れる必要があります。
同僚や上司の方とは、「確実に違う道」を質問者さんは歩んでいるのです。

 

ですから「人と比べる必要」はありません。(むしろ比べてはいけません)
自分の歩むべき道をしっかりと見るのです。そして「コツコツと歩む」のです。

 

現在の質問者さんは、以前には見ることができなかった「別の景色」をみていることと思います。

誰もが知っている道を歩むことは、単調であり、面白みに欠けます。
むしろ人が通ったことがない道で、山頂を見ざしたならば、確実に人間としての「経験値」は高くなるのです。
それは「人間的な厚み」につながります。

一度しかない人生、いろいろな景色が見えた方が、「素晴らしい」と思いませんか。

 


③「幸せの感情」を味わうこと。
とはいっても、心の中がささくれ立っている時には、そのような気分にはならないことでしょう。


詩篇63篇(旧約聖書)
63:1 神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない、砂漠の衰え果てた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです。
63:6 ああ、私は床の上であなたを思い出し、夜ふけて私はあなたを思います。

 

私のブログで良く出てくる「ダビデ」です。
彼は、素晴らしい「神様の愛情と守り」を体験し、その体験に「気を失うほど」の思いを持っていました。
そして寝床で、「その時の感情」を、思い巡らしたのです。

 

もしあなたがクリスチャンであれば、「神様から愛されている感情」を味わって下さい。
「赦されていること」「感謝の数々」を思い起こして下さい。
床の上で、いつもその感情を思い巡らし、その感情に浸るのです。

 

もしクリスチャンでなかったとしても、

あなたが感じる「幸せな感情」を味わって欲しいのです。 

(お子さんのこと、家族のこと、愛されていること、期待されていること)

 

「心の部屋」が「光で一杯」ならば、闇は入ってこれません。(入れません)
しかし心の中が「スカスカ」で、闇が入る余地がある時に、闇は「平気で入り込んで」きます。

 

ですから「闇が入らないように」(入ることができないように)、
心を「幸せの感情」で「いっぱい」にするのです。

これには、心を「確実に光で満たす」という意志(熱意)が必要です。
そして、満たされるまでの「時間」も必要です。

しかしやってみるだけの価値はありますので、ぜひやってみて下さい。

 


【まとめ】です。

あなたの気持ちを知ってくれる人を見つけて下さい。(一人ではないことを体験して下さい)

 

その上で、3つをお試し下さい。
①「感謝の気持ち」で周りを見ること。
②「すべきこと」を、コツコツとすること。(目標の再設定)
③「幸せの感情」を味わうこと。

 

優しい質問者さんが、
今の職場で、「前向き」に「輝いて」生きていかれることを、お祈りしています。

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生きることが怖いです。大人が混乱している姿を見て、こんな状態でも生きないといけないのでしょうか。

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「周りの大人がみんな混乱してるのを見て、大人が何年も生きていても、こんなに動揺するのかと思いました。長く生きていても意味がないように感じます。こんな状態でも生きていかないといけないのでしょうか。長く生きることの意味はあるのですか。」(M.K.中学2年女子)

 

ご質問をありがとうございます。

現在は、新型コロナの影響で、感染予防のストレス、それに伴う生活や仕事の混乱、経済状態の危機が起こっています。平静を装っている大人でも、心の奥では皆が動揺しています。

今まで、確かだ、当たり前だと思っていたことが、当たり前ではなくなりました。

いのちの危険を感じる中で、恐怖と不安が人々の心に満ちています。

「確かな支え」が無くなった喪失感は、大人でも耐えるのが難しいことです。

 

質問者さんは、中学2年生ですから、未来に「夢や希望」を持ちたいと願う年齢だと思います。

小さな頃は、大人は何でもできると思っていたでしょうから、

現在の大人が混乱する姿を見て、動揺するのは当然です。

長く生きても、意味がないのではないか、と感じるのも自然なことかと思います。


今は非常事態です。コロナ戦争と言っている大人もいます。(ほとんどの大人は戦争未経験者です...つまり非常時を経験していません)

そんな不安な時代の雰囲気を、質問者さんは、感じておられるのです。

とても繊細な質問者さんだと思います。

 

今回私は、1つのことだけお話するつもりです。一緒に考えて頂けると嬉しいです。

 

白い画用紙を頭の中にイメージしてみて下さい。

そこに、一本の木を描いて下さい。(実際に画用紙に描いてもらっても構いません)

どんな木が、そこに描き出されましたか。

 

 その木のサイズは、葉の繁り具合は、根はどうでしょうか。

直接お会いすることができないので、その絵を実際に描いて頂き、見ることができないのですが、

心理テストでは、木は「あなたご自身」を象徴すると言われています。

木が大きければ、エネルギーに満ちており、とても小さければ、エネルギーが枯渇していると言われます。

あなたの「木の大きさ」は、どれぐらいですか。

 

今回お話したいことは「木のお話」です。

 

旧約聖書、イザヤ書37章に、

(30) あなたに与えるしるしはこれである。すなわち、ことしは落ち穂から生えた物を食べ、二年目には、またその落ち穂から生えた物を食べ、三年目には種をまき、刈り入れ、ぶどう畑を作ってその実を食べる。(31) ユダの家の、のがれて残る者は再び「下に根を張り」、「上に実を結ぶ。」

 

これは、ヒゼキヤという王様が、助けを求めた中で与えられた「回復のメッセージ」でした。

苦しみが過ぎ去る約束でした。

しかし、神様が手を打たれても、根が張るまで、しばらく時間がかかり、その後に回復が与えられるという、約束だったのです。

つまり、インスタントで簡単には回復されなかったということです。

 

実際に、地面を掘り下げ、根を張ることは、「苦しみ」を伴います。

しかし、根を張ることなく、木が枝を伸ばし実を結ぶことはないのです。

根が弱ければ、風が吹くと、簡単に倒れてしまいます。

いくら一瞬実を結んだように見えても、その重さに耐えられず、木は倒れ、生きていけません。

 

木は根を張らなければ、長く生きていけないのです。

そして、もう一度書きますが、根を張ることは「苦しいこと」なのです。

 

人生には、「楽しいこと」がたくさんあります。

しかし、根を張る時期が必ずあるならば、「苦しみ」も「必ずある」のです。

人生は、「苦しい時期」を必ず通るのです。

 

一つ質問です。

「根を張る、最も良い時期は、いつだと思いますか」

(少し考えてみて下さい)

答えは……「それは、………一番苦しい時です」

地上で楽しいことがあれば、そちらに目が行きます。(先送りができます)

しかし、本当に苦しい時には、「根を張ること」に「集中」しなければ、生き残れません。

「逃げられない」のです。

「生き残る」ためには、根に集中しなければならないのです。

ゆえに、根を張る一番の好条件は、「最も苦しい時」です。

 

「根を張ること」を考えてみます。

根とは、水分を吸収する器官です。管(くだ)、ホースです。

具体的には、「何かとつながる心」です。「祈り」と言い換えることもできるでしょう。

自分の「本当に支えになるもの」とつながる力なのです。

 

 

不安定な「砂の上」に、自分が立ち、つながっていることに、気がついたなら、

根を掘り下げて、その下にある「確かな岩」を見つけるのです。

岩の「安定感」を自分のものとし、岩から湧き上がる「水脈(力)」を感じるのです。

それが「根を張ること」です。

(どのように「安定感、安心感」を心に根から吸い上げるかは、詩篇63篇等で学べますが、それは別の機会に取り上げます)

 

根を通じて「心が満たされた」なら、あなたも、今まで以上に「強い人」になれます。

(自分は弱くても、岩が強いから、私は強い、という境地です。)

(カラ元気で、強いふりをすることではありません)

 

ぜひ、「苦しみ」を楽しんで下さい。

(そんなことは、可能か、と思われるかもしれませんが、可能です。苦しみの意味が分かり、確かなものにつながる喜びが分かれば、少しずつできるようになります)

 

冒頭のご質問に「大人は、動揺している(答えを持っていない)。だから長く生きる意味を見出せない」

ということが書かれていました。

最後にこの事に触れさせて頂きます。

 

皆が、同じものを見て、同じように動揺しているように見えても、

実は、個々人が抱えている荷物(重荷)は、

中学生である質問者さんと、ご両親や学校の先生方は、違うのです。

 

山をイメージして下さい。

木がたくさん植わっています。

山道の入り口と山頂近くは、見える景色が違ってきます。

登山の最初に聞いていたことも、実際高いところまで登ってみると、(下界にたくさんの木が見えて)印象も感じ方も違ってくるのです。

家族のことを考え、会社や役割やお金のことを考えると、当然、重荷が増えていきます。

見える景色、支える責任が、立場によって異なってきます。

「一人分」の支える根は持っていても、高い場所に登り、家族のこと会社のことが見え、それらを考えると、「すべて」を支えるだけの根を持ち合わせていない、だから動揺してしまう、ということも十分考えられるのです。

 

質問者さんは、聡明で、観察力の鋭い方だと、私は感じます。

頭の回転も速い方でもあると思います。

 

頭の回転の速い人は、傾向として「結論を素早く出せる」という特徴があるようです。

しかし「見るべき材料がそろわず」に「結論を出す」と悲劇的な結論を出してしまう場合があります。

 

聡明な質問者さんには、ぜひ今の「苦しい状況下」で、根を深く掘り下げてほしいと願います。

(確かな支え、価値観を身につけ、どんな嵐が来ても倒れない生き方を身につけて欲しいのです)

そして、山道を登った時、(もう少し経験を積んだ時)、「多くの人を支えることができる人」となって欲しいのです。

 

人生には、「苦しみ」があります。

あなたにも、あなたの周りの人にもあるのです。

今の時代は、人々は「自分のことで精一杯」です。

しかし「確かな根を持っている人」は、

「隣の倒れかかった木」さえも、支えることのできる存在になれるのです。

 

どんな時も崩れない「絶対的な岩」、支えを見つけて下さい。

そしてそれを「吸収する根」の力を強めて下さい。

聡明な質問者さんなら、そのことができると信じています。

祝福をお祈りしています。

 

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人を裁く思い、を止めることができません。どうしたら良いでしょうか。

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「あることをキッカケに、人を裁いてしまいました。許すことができません。理性では抑えようとしているのですが、見ないようにしよう、紛らそうと思うほど、心が悶々としてきます。苦しいです。どうしたら良いでしょうか。」32歳女性

 

苦しいですよね。人を裁く思いを心に持つことは、しんどいことです。

最初にお話したいことは、あなたはとても「良心的な方」だと思います。

 

ある人たちは、「裁くことに快感」を持ちます。

それは自分を高い位置に置いて、人を見下し、自分を正当化しているためです。

そのような人は、「自分の裁く思い」を間違っていると「決して考え」ません。

「歪んだ感情」と言わなければなりません。

 

しかし、質問者さんは、そのようには、考えておられません。

「裁くこと」に苦しんでおられます。

それは、とても純粋な心であり、誠実な姿勢です。

 

 私のブログを読まれている方(質問者さん)は、私の立場を知っておられると思います。

聖書は、こう記しています。


マタイ7:1「 さばいてはいけません。さばかれないためです。
7:2 あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」

 

他人を「裁く」場合、その裁きと「同じものさし」で、自分で自分を裁きます。(自然なことです)

「コイツは価値がない」と思えば、自分が同じ状況に落ちた場合、「自分も価値がない」と宣言することになります。

歳をとって能力が落ちた人を「価値がない」と見下す人は、自分の能力が落ちた(と感じた)時、自分自身を「同じように裁く」のです。そうすると落ち込んだり、場合によって鬱になったりするのです。

 

人は、そうならないために、「二つのものさし」を持ちます。(自己防衛です)

人は裁いても、自分はOKというものさしです。

しかしこれは厳密には「不正」です。そして「罪」なのです。

 

人を見下す理屈も、同じです。自分は「良く」人は「悪い」のです。

そのものさしが「二つ」あることに、気付こうとしないのです。(否認)

 二つの物差しは、「不正」です。私たち人間は、この「罪」を背負って生きているのです。

 

長々と説明をしてしまいました。

「人を裁く思い」の解決のため、

今回は、二つのことを書きたいと思います。

 

①裁きによって、自分の隠れた思いが明らかになること。

②裁きによって、自分の持つ「小さなものさし(価値観)」に気付き、心をもっと大きくするチャンスを得るということ。

 

この二つによって、質問者さんの心が整理され、ご自分の心を受け止め易くなると信じます。(裁きの心の「赦し」と「きよめ」については、別の機会に触れる予定です)

 

①裁きによって、自分の隠れた思いが明らかになること。

「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」ということわざがあります。

憎しみという感情は、理性を混乱させます。心の中がぐちゃぐちゃになり、正しい判断ができなくなります。

上記のことわざは、人は感情的に憎むと、関わるすべてが憎くなることを、言い当てています。(このような対応は、問題を起こします)

 

ですから、「自分の心のものさし(価値観)」や「感情」を冷静に分析しなければなりません。見たくないものであっても「事実」ならば、「受け止める心」を持つ必要があります。

 

しかし「本当の自分を知る」と言う事は、実は恐ろしいことです。

それは、「自分は善人だ」と言う認識を持つ人にとって、「自分は善人という偶像」を打ち砕くことになるからです。

(よく聞いて下さい)

私がお話をしていますと、ある話題になると、明らかに「心ここにあらず」という感じになる方がいます。人によっては「眠くなる」方がいます。しかしどちらの方にも言えることは、否認(聞きたくないことを聞かない自己防衛)だと言うことです。

(自分のことは気がつきにくいのです)

 

もし、自分の心を見ようとせず、処理できていない感情で、物事に当たる場合、

人を通じて「自分が抑えこんでる感情」が引き出されます。

 

いわゆる「どこに行っても嫌な人がいる」という現象です。

神様が、あなたの課題を、気づかせようとしていることではありますが、

人間的な視点で見れば、自分の中の、見えてないコンプレックス(処理できていない感情)が、嫌な人を通じて「引き出される」のです。

「それを見たくない」という心が動く時、ますます心の中が、悶々とします。

 

ダビデという人物がいます。(旧約聖書の人物です)

彼は、苦難の後、王様になってしばらくたった時、夫のある女性と関係を持ってしまいました。

彼はその罪を正当化しました。そしてその後、王であるという権威を使って、夫を戦死させたのです。

彼は、「自分の罪深さ」に気がついていませんでした。(ものさしが二つあったのです)

しかしここに預言者が遣わされます。そしてたとえ話をしました。

それは罪を犯した「別の男の話」でした。

それを聞いてダビデは激怒します。「そんな奴は死刑だ」と言います。

すると預言者は「その罪人はあなたです」と宣告したのです。

このように、ダビデは「人の罪」によって「自分の罪」に気付かされたのです。

(人の罪は分かるが、自分の罪は気づきにくいのです)

 

しかしダビデは、「自分の罪」に気がついた時、「深く悔い改め」、赦しと回復の道を歩みました。

 

他人を許せない思いがあったら、何が許せないのかと考えましょう。(他人のことは冷静に分析できます)そこにあなたの価値観があります。

その価値観で、自分自身を計ってみるのです。

出来ているところ、出来ていないところ・・・あなたは頑張ってその価値観を守っていたかもしれません。しかしあなたも状況が変われば、(究極まで追い詰められたならば)、「同じように罪を犯す可能性」があるのです。(または既に犯しているのです)

 

そこに目を留めた時、心の取り扱いが始まります。

(心の取り扱いに関しては、別の場所で触れていきます)

心の取り扱いを受けると、あなたは頑張ってではなく、恵みによって自然にそのことができるようになるのです。

その取り扱いを受けたしるしは、「許しのこころ」です。

実はこれがキリスト教の「一番の根幹」です。

(自分が赦されたから、人を許すことができるという体験です)

その体験をした人は、心が穏やかに変えられていきます。

 

②裁きによって、自分の持つ「小さなものさし(価値観)」に気付き、心をもっと大きくするチャンスを得るということ。

 

嫌な気持ちは、自分の心の中の「ものさし」に反することによって起こります。

そのものさしが、どんなものかを知ることができたならば、自分のイライラの原因がはっきりとします。

「人を裁く原因」を考える中で、「自分のものさし」が見えてきます。

そして「そのものさし」は、意外と小さく短いのです。

自分の価値観がはっきりとした時が、実はスタートラインです。

 

また、自分を客観的に見るためには 、「もっと大きく長いものさし」を知る必要があります。

これはイエス様の言葉です。
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」

 

「自分のものさし」が、小さなもので「実は大したものではないこと」に気がつくと、

そのものさしで「人を切りまくること」は少なくなります。

 

「自分も大したものではない(完全でない)」「人だって大したものではない」所詮みんな人間なのだ。・・・そう思えるのです。

 

 
Ⅰヨハネ(新約聖書)
3:20 たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。
3:21 愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、3:22 また求めるものは何でも神からいただくことができます。

 

「自分の小ささ」を知り、「大きなもの(存在)を見つめながら」進む時、裁きの思いが小さくなっていることに気がつくでしょう。(そして、少しづつ「愛の心」が大きくなっていくのです・・・見るものに近づくのです)

 

裁きの思いは、アラート(警報)です。

1自分の中によく似た罪が隠されていること。

2自分のものさし(価値観)は意外と小さいもので、振りかざす価値はないこと。

 

思い巡らしてみて下さい。

きっと裁きの思いが、小さくなっていることに気がつくはずです。

 

祝福をお祈りしています。

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もし知人から「死にたい」と言われたら、どんなことに気をつけたら良いですか。

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「もし、身近な人に、苦しんでいる人がいて、「死にたい」と連絡をもらった場合、ふさわしい言葉が言えるか自信がありません。言ってはいけないこと、言うべきこと、したほうが良いことはありますか。」

 

ご質問ありがとうございました。

非常に大切なことであり、デリケートなご質問だと思います。

もし「死にたい」と知人に突然言われたら、驚かれたるでしょうし、責任を感じるとも思います。

そのような連絡をする人は、とても追い詰められている筈です。「語る一言」で今後が変わる可能性もあります。ですからその返答は、とても「重い言葉」となります。そう考えると、腰が引けてしまうかもしれません。

しかし事前に想定しておけば、多少は安心できるとは思います。

今回も、できるだけシンプルに「ポイント」を共有したいと考えています。

 

まずお話したいことは、

そのような相談を受ける「質問者さん」は、とても優しい方、共感性の豊かな方だと思います。

「死を考えている人」が最後に連絡しようとする相手は、「話を聞いてもらえる人」とご本人が考える方だと思います。ですから、もしそのような連絡を受けたら「苦しみを聞いて差し上げる」ことに集中したらよろしいとは思うのです。

そう考えて下されば「肩の荷が降りる」とは思うのです。

 

幾つかを箇条書きします。 

【してはいけないこと】

①お説教をする(問題点や死ぬことはやめなさいと説得しようとすること)

②昔の楽しかった思い出話を、こちらからすること。

③アルコールを勧めること。

 

【した方が良いこと】

①共感に努めること。

②感謝の言葉を語ること。

③できれば次回会う約束を取ること。

 

【その他】

①聴き方の技法(エコー)

②甘いものを勧める。

③自分の心(質問者さんご自身の心)を守る。

 

 

【してはいけないこと】

①お説教をする

本当に追い詰められた人は、冷静になっています。(衝動的な場合を除く)

家族のことを考え、仕事や自分の責任を考えた上で、死を決断しようとしています。

そのような人に「他の人が苦しむ」とか「周りの迷惑を考えた方が良い」というアドバイスは、ナンセンスであり、傷口に塩を塗るだけの言葉となります。

「もう十分にそれらのことを考えた上」死を覚悟している場合、どんな説得も無意味なのです。

議論をしないでください。(効果がありませんから)

相手が議論してくれも「〇〇を言うほど、苦しいんだよね」と言って、受け止めてあげて欲しいのです。

あなたが、論破されることが問題ではありません。

「あなたが答えを持っていない」ことが問題でもないのです。

あなたのプライドも、問題ではありません。

「役割」に徹してください。「自分はこの人の、苦しみを受けとめる」ために、神様から遣わされた者なのだ、と考えて欲しいのです。

「死にたい、と言っている間は大丈夫」と言う考え方があります。

しかし、「そうではない」と考えて対応した方が良いです。

人間は、何が「着火剤」になるか分かりません。とにかく聴いてあげてください。

何度も言いますが「役割に徹する」のです。それは「聴く役割」です。

 

聖書では、ヨブ記の中の「ヨブを責める友人たち」が、してはいけない行為の、反面教師の事例です。(詳細は別の場所で取り上げる予定です)

 

 

 ②昔の楽しかった思い出話を、こちらからする。

昔からの知人の場合、励ますために、「昔はこんなことがあったよな」と話を変えるケースがあります。

けれでも、気を付けて下さい。もしあなたが辛い話題を避けたいためだけに、「昔の楽しい話」に話題を変えているならば、もしかするとお相手を追い詰めることになるかもしれないのです。(昔は良かったが今はダメだという、メッセージになる可能性があります)

「現在(今)」の「お相手の辛い感情」に集中してください。そして後でも触れますが、全て受け止められなくても「受け止めたい」と考えて、言葉を発して欲しいのです。

 

 ③アルコールを勧める

アルコールを飲むと、実は「苦しみを忘れるのではなく、かえって強化される」という研究が、最近多く取り上げられています。

アルコールは、本質的な解決にはなりません。(むしろ後から苦しみが増大します)

また危機的な状況下でのアルコールの摂取は、脳の感覚がマヒして「一線を越える」ハードルを下げてしまう可能性があるのです。ですからアルコールは厳禁です。

 

 

【した方が良いこと】

①共感に努める

聖書に、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマ人への手紙12章15節)

という言葉があります。ですから、共感に努めて下さい。

しかし気を付けて下さい。

一般に「共に喜ぶ」よりも「共に悲しむ」ほうが易しいと言われます。

なぜなら「相手の成功」は、自分の嫉妬心を刺激します。(人間は罪深いのです)

「悲しみ」のほうが「共感しやすい」のです。

 

しかし「このような心(嫉妬)(上・下)(マウントの心)」で相手の悲しみを聞くと、

「自分はここまで落ちていないという」「優越感」を持つ場合があるのです。(何度も書きますが、人間はとても、深い部分で罪深いのです)

 

このような心を、お相手は「敏感に察知」します。

ルカ8:17「隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない」

 とあります。

長い時間話をしていれば、あなたの本音は必ず表に出てしまうのです。

ですから、優越感ではなく、「心から相手のことを思って」関わって欲しいのです。

(人間の心の「罪深さ」は、聖書が取り上げる重要テーマです。もしあなたが、自分の心の中の「闇」を解決したいのであれば、別の場所で取り上げ、掘り下げてみたいと考えています)

 

②感謝の言葉を語る

お相手は、「勇気を振り絞って」あなたに連絡をしたはずです。

ですから、「連絡をしてくれたことの感謝」をまず、その方に差し上げてください。

そしてお相手との関わりを思い出しながら、「その方に世話になったこと」を話して上げて欲しいのです。(その方への「感謝」は「励まし」となり、別の視点を持つ「気づき」につながります)

そして「逝ってしまったら、私はとても悲しむ」と(様子を見ながら)素直に伝えて欲しのです。

 

③できれば次回会う約束を取る

人は、「目標」を持つと生きていけます。

ですから、「一度会おうよ」とどこかで誘ってあげて欲しいのです。

衝動的になっているとするならば、しばらく時間を置くことで、(視点が変わり)危機を脱することもあり得るのです。

会うことができたら、あなた自身で抱え込まずに、専門家の協力を仰ぎましょう。(今は、いのちの電話も心療内科の新規予約も取りにくい状況ですから、少し時間がかかります)しかし何かの目標を一緒に持つことが、(目標がたとえ病院に行くことであっても)今後の生きる支えになり得るのです。

何よりも、「会う約束」を作ることで、(危機的な状況下で)「目先の目標」を持つことができるのです。

 

 

最後に【その他】です。

①聴き方の技法(エコー)

センテンスエコー、メッセージエコーという技法があります。

要は「オウム返し」です。本当に苦しんでいる時には「オウム返し」で返してもらうだけでも、「心を受け止めてもらった」と感じるものです。

ですから、答えに窮したら「〇〇と思っているんだよね」と単純にその方が「発した言葉」を「繰り返し」ましょう。

「親身に聞く デビット・アウグスバーガー著(すぐ書房)」は古典ですが参考になります。ネットで「エコー(繰り返し)」を検索してもヒットすると思います。

 

②甘いものを勧める

深夜など、落ち込んでいる時には、糖分が不足している場合があります。「甘いもの」を食べると、脳内に幸せを感じるホルモンが出てきます。(セロトニン等)

ですから、そのことも覚えておくことも必要です。

 

③自分の心(質問者さんご自身の心)を守る

冒頭に、質問者さんは、きっと「優しく、共感性に富んだ方」と書かせて頂きました。

特に共感性に富んだ方は、人の影響を受けやすい傾向があります。ですから「あなた自身の心を守ること」をお勧めします。関わった後、どこかで気分転換をして、自分自身の心をリフレッシュする時間を持つことを強くお勧めします。

共倒れになっていけませんから、あなたのメンタル面の健康を保つことは重要です。

 

箴言4:23節「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」

 

「あなたの心」を感謝と喜びで「いっぱいにする」のです。

苦しいことがあるほどに、心を「感謝と喜び」で満たすのです。

 

以前に書きましたが、私もいつも「心のメンテナンス」をしています。

毎朝起きた時に「イエス様感謝します。愛しています」と告白します。

そして辛いこと、悲しいことがある度に

「イエス様。私の心を満たしてください。光で一杯にして下さい」と祈ります。

 

そして「満たされてから」、悲しいことをするようにしています。

(祈りと同時並行でする場合もありますが・・・)

 

ぜひ、自分のメンタルヘルスを意識してください。それは、とても重要なことです。

 

 

【まとめ】

今回のご質問は、マニュアルで解決する類のものではありません。

ですから、各項目を思いめぐらし、どうすべきかを考えるヒントとして頂きたいと願います。

説明の足りない部分は多々ありますが、

質問者さんの「心の準備」の糧となれば幸いだと思っています。

 

祝福をお祈りしています。

 

最後にクリスチャンが作った曲を二曲、リンクで張り付けておきます。

支えとなりますように。(祈り)

 

きみは愛されるため生まれた

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主の愛に生かされて

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クレイマーに攻撃されています。どうしたらよいでしょうか。

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「職場で、ある仕事のクレームを受けました。明らかなミスに関しては、すぐに謝罪をしたのですが、しかし納得してもらえず、クレームが段々エスカレートしてきました。その方なりの正義と理屈で話をしてきますが、一方的にこちらに要求を飲ませようとしており、自分が正しく、私たちが間違っているという態度を取り続けています。その方はとても頭の良い方です。クレームを通じて何か別の目的があるような気がします。すでに上司に相談をしていますが、今後どんな対応をしたら良いのか、アドバイスを頂きたく願っています。聖書に何か良いヒントはありますでしょうか。」

 

クレームの対応はとても難しいものです。とてもたくさんの精神力を使います。

まず、質問者さんの「こころが守られる」ことをお祈りします。

そして「良い知恵」が与えられることを、祈ります。

 

でも相談者さんは、すでに初期対応は終えられています。

初期対応として重要なことは、

1、部分謝罪(事実確認ができるまでは、全面的な謝罪をせず、感情を害させた等の明らかな落度のみを謝罪する)

2.傾聴しながら事実確認

3.共感する、質問と要約を重ねる

と言われています。

 

悪質なクレーマーの場合、無理難題を言ってくるケースがありますが、

その場合、事実確認をしていくと、話のつじつまが合わない部分が出てきます。そこを冷静に記録し、職場で共有します。(時には法律的な対処が必要なこともあります)

 

しかし、そのようなテクニック的なことは他でも書かれていますから、ここではどのような「精神的な姿勢」で対処すべきかを書きたいと思います。

 

今回は、2点に集約して書かせて頂きます。

1自分の心を守る

2チームワークで物事を進める

 

1自分の心を守る

クレームの対応で大事なことは「部分謝罪」であると書きました。

ミスはミスとして認めながらも、認めてはいけないものがあります。

それは「あなたの人格の否定」です。

あなた(あなたの部署)は、失敗(行為)をしたかもしれませんが、それで「人格が否定」された訳ではありません。

しかし感情的なクレーマーは(普通クレームは感情的になされます)、あなたの失敗(行為)だけでなく、あなたの人格までも否定することが多いのです。そこは受け入れてはいけません。

面と向かって、相手の言葉に反発する必要はありません。あなたがメモや心の中で「受け入れなければ良い」のです。

 

実は本来、「クレームにもルール」があります。越えてはいけない一線があります。

しかし感情的なクレーマーは、自分は被害を受けたのだから、「何をやっても良い」と間違った思い込みを持つのです。

 

相手は変わりませんから、人格を攻撃されたら「あなた自身で自分を守らなければ」なりません。
箴言(旧約聖書)
4:23 力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。

 

心が落ち着いで、自分を見失っていないならば、冷静な対応ができます。

反対にパニックになってしまっては、できる対応もできなくなります。

ですから、まず「自分の心」を守るのです。

 

そして、「傾聴しながら、事実確認」をしていくのです。(クレームの解決は、この事実確認からなされますから)

 

 

2、チームワークの重要性(チームワークで進める)

 

箴言の言葉を3つ書かせて頂きます。


箴言11:14 指導がないことによって民は倒れ、多くの助言者によって救いを得る。
15:22 密議をこらさなければ、計画は破れ、多くの助言者によって、成功する。
24:6 あなたはすぐれた指揮のもとに戦いを交え、多くの助言者によって勝利を得る。

 

助言者は、多いに越したことはありません。

既に上司と相談されていますから、この後いろいろな知恵を頂けることでしょう。

法律の専門家がいれば、その方のアドバイスを頂くことも重要でしょう。

もしあなたがミスをした張本人であれば、上司の判断で「別の人」が対応したほうが解決しやすいかもしれません。(当事者同士は、感情的になりやすいですから)

 

でも何よりも、あなたが「チームで進める時」に重要なことは「自分は一人ではないのだ」と感じることです。

 

あなたの愚痴を聞いてくれる人を、見つけましょう。親身になってくれる人に頼るのです。(弱さを表に出すことは恥ずかしいことではありません)応援してくれる人、忠告してくれる人を大事にするのです。

チームは、問題が起きた時に結束し、成長します。

 

「個人」では受け止めきれないプレッシャーも、「チーム」でなら受け止めることができます。

 

もしあなたがクリスチャンなら、チームで心を合わせて「祈ること」も大切です。

願いは、自分のためだけなら「自己中心」になることが多いです。

しかしチームのため、仲間のためなら、(それは愛を動機としているので)より高次元な答えが頂けることが多いのです。

 

イエス様も、複数で祈ることが大切だと言われました。
マタイの福音書(新約聖書)
18:19 「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。18:20 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」(イエス様の言葉)

 

またイエス様は、弟子たちを働きに出す時に、複数で行かせました。
ルカの福音書(新約聖書)
10:1 その後、主は(イエス様は)、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。

 

相談し、祈り合う仲間が「私たち」には必要なのです。

 

クレーマーのご対応は、大変だと思いますが、きっとあなたを支えてくれる人は既に身近におられると思います。(その方々の、顔を思い浮かべてみて下さい)

きっとその方々の協力の元、解決に向かっていけると信じています。

 

今回書かせて頂いたことは、具体的な方策ではなく、考え方です。

1自分の心を守る

2チームワークで物事を進める

 

質問者さんのため、祝福をお祈りしています。

 

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仕事で「心が折れそう」になっています。不安が消えません。どうしたら良いでしょうか。

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「25歳の男性です。会社で新しい企画を任せられました。経験を積むために、と言われたのですが、初めてのことばかりで、不安が消えません。不安材料ばかりを見てしまい、動けなくなっています。上司はサポートすると言ってくれていますが、心が混乱し、何をどう相談したら良いかも分からない状態です。何か良いアドバイスはありますか。」

 

期待を受け、上司から仕事を任せて頂いたのですね。これはチャンスでもあります。

しかし、質問者さんにとっての今は、「そんな気分ではない」状態だと思われます。

「不安材料ばかりを見て、動けない」とおっしゃっていますので、すでに「穴に落ちて」しまっている状態です。

こういう時は、外部から助けて貰うことが大事です。

少し、一緒に考えていきましょう。

 

今回お話ししたいことは、3点です。

A【不安を一度リセットすること】

B【今までの成功体験(肯定的なイメージ)を思い巡らすこと】

C【大きな目標ではなく、可能な小さな目標を考えること】

 

質問者さんにとって、この新しい企画は、嬉しいことでもあり、不安なことでもありますよね。

期待をされていることは嬉しいでしょうが、その重圧感は相当な大きなものでしょう。

今後経験を積めば、きっと今回のような恐れや不安はなくなるでしょうが、今は経験不足で「成功体験」が足りないでしょうから、不安を感じるのは「当然のこと」だと思います。

 

A【不安を一度リセットすること】

人は、一般的に「肯定的なもの」より「否定的なもの」に影響されやすいという研究があります。

そして「否定的なもの」は、「粘着性」があるのです。(一度捕まると離れられない、ゴキブリホイホイのようなものです)

動けば動くほど、否定的な思いに捕まるのです。

 

そして人は「意識したもの」に縛られます。「否定的なもの」から、抜け出そうと考える程に、ますます「否定的な不安感」に縛られるのです。

ですから、「否定的なもの」と戦っては「いけません」

「無視」をし、「リセット」するのです。

 

旧約聖書の人物で、ダビデがいます。(私の文章には度々登場します)

彼は、「心が折れそう」な状況下で、何度も危機を乗り越えました。

義理の父親から、誤解によって幾度も殺されそうになっても、彼は自暴自棄にはならず、一歩一歩すべきことを進めたのです。(考えて見て下さい。自分を守るだろうはずの人から、殺されかけるのです。人間不信になってもおかしくない状況です)

 

彼は、「問題」である「義父サウル」や「苦しい状況」に目を向けませんでした。

彼が目を向けたのは、自分を愛し守ってくれる存在、すなわち「創造主である神様」です。

 

詩篇103:2-5(ダビデ作)
103:2 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
103:4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。

 

質問者さんには、「安心できる存在」はありますでしょうか。

「自分を支えてくれるもの」があれば、そこに「心を集中」するのです。

「不安の対象」ではなく、「安心の対象」に目を向けるのです。(切り替えるのです)

 

リセットするためには、別のものに集中することが大事です。

神様(自分を完全に支えてくれる存在)に目を向けて、リセットすることが最善ですが、別のものでもリセットできます。

一般的に、リセットするために、

運動する

音楽を聴く

文字に書き出してみる

瞑想する

 

が良いと言われています。

久世浩司氏の資料より

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まずは、「リセット」を意識しましょう。

「否定的なもの」から目を離すのです。 

 

 

B【今までの成功体験(肯定的なイメージ)を思い出し、思い巡らすこと】

B-1「信仰(こころ)の筋肉」とB-2「思い巡らすこと」

 

「神は、乗り越えられる試練しか与えない」という言葉があります。


Ⅰコリント 10:13 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。

 

質問者さんの「上司の立場」で考えてみますと、

上司は「あなたができる」と信じて託された筈です。

ですから、あなたは上司に認められ、期待されていると言えるでしょう。

そんなあなたですからですから、きっと乗り越えられるはずです。(私は信じます)

 

B-1「信仰(こころ)の筋肉」

先ほどの詩篇103には、

「主の良くして下さったことを何一つ忘れるな」とダビデは語っています。 

 

リセットした後に、

「否定的」になりそうな時、「良くしてもらったこと(成功体験)」を思い出すのです。

しかしここには、「信仰(こころ)の筋肉」が必要です。

「否定的なもの」が見えかけても、敢えて「肯定的なもの」を見続けるという、心の力です。

 

 

水の中に落ちた時、陸に上がるのに、腕や身体の「筋力」が必要です。

しかし同時に、「こころの筋力(上がろうとする意志力)」も必要なのです。

 

こころ(信仰)も、筋肉のように「鍛える」必要があります。訓練をすれば「強く」なります。しかし反対にサボっていますと、この筋肉は「弱って」いきます。

(自分でできない時には、誰かに助けてもらいましょう。しかしどこかで、自分自身にも力をつけなければならないです)

 

成功体験を思い出しましょう。小さなものでも。そこに集中するのです。

「こころの筋肉」を鍛えて、「良いもの」に意識をし続けるのです。

 

 

 B-2「思い巡らすこと」

「良いもの」を見つけ、集中したら、必ずしなければならないことは、それを「思い巡らすこと」です。

心の中に「光が満ちる」と、「闇」は入れなくなります。(夜に電気をつけると、暗闇が消えると同じ理屈です)


ヨハネ1:5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。(新約聖書)

 

「悪」が入る隙間が無いほど、「良いもの」を味わい、心を「良いもので一杯」にするのです。

これを忘れると、心の隙間に「悪(闇)」が入り込もうとします。

 

私は、朝起きると、無意識に「イエス様愛しています。感謝します」と祈っています。

夜中に目が覚めた時も「イエス様愛します」と心で祈るのです。

無意識でしていたことなので、最初その意味が良く分かっていませんでした。

しかし心のメカニズムを学ぶ中で、私は「イエス様愛します」と祈る中で、「良いもの(イエス様への愛とイエス様からの愛)」で心を一杯にしようとしていたのだ、と気がつきました。

この祈りをいつもするようになってからは、心が「悪や不安」で満ちなくなりました。

不安になりそうな時、(不安が入る前)に、「イエス様の愛します」と言って、心を「良いもの」でいっぱいにしようとします。そして、その祈りを終えてから、物事に対応するようにしています。すると、穏やかな気持ちで、進めることができるのです。

 

私が知っている限りでも、心の中を「良いもの」をいつも満たすだけで、精神的な病だけでなく、肉体的な病も癒される事例が、数限りなくあります。

興味のある方は、「ヒーリングコード、アレックス・ロイド著」(元Youth Pastor、心理学博士、自然療法博士)をお読み下さい。

 

 

最後に、

C【大きな目標ではなく、可能な小さな目標を考えること】に触れます。

私なりのイントロ(導入)を書かせて頂きますので。色々ご自分で検討してみて下さい。

「大きな目標」で不安になる時は、乗り越えやすい「小さな目標」をたくさん立てることが、よろしいです。

 

私が、四日市の今の教会を始める時、三重県北部、中部の殆どのキリスト教会を回りました。そして、立地条件、規模(開始時期)、駐車場等をリサーチしました。

その結果、近鉄本線の主要駅から歩いて10分程度の圏内に、新しい教会の場所を借りる、という結論となりました。(それを実行し、現在は四日市駅徒歩約7分にある中古ビルを購入し使用しています)

 

協力してくださる上司の方がおられるということですから、、胸を借りて、すべての現状を報告し、アドバイスを頂いたら、よろしいのではないでしょうか。それも一つの「小さな目標」になります。

 

助けてくれそうな人、調べられるものすべてを、リサーチしてみるのです。

(もしかすると、チームワークでしか、新企画は乗り越えられないかもしれません。その調整役を質問者さんは期待されているのかもしれないのです)

 

その幾つかの「小さな目標」の先に、質問者さんが目指している「大きな目標」のゴールが見えてくるはずです。

幾つもの「小さな目標」・・・イメージできましたでしょうか。(質問者さんの状況を全ては分かりませんので、ご自分で何度も繰り返して、イメージしてみて下さい)

 

A不安を一度リセットすること。

B肯定的なイメージを思い巡らすこと。

C大きな目標ではなく、可能な小さな目標を考えること。

 

この3つを思い巡らしつつ、実行してみて下さい。

またご質問があれば、お知らせください。

新しい企画の、成功の祝福をお祈りしています。

 

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