人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

「山に登ったもの」到達したもの、だけが見える景色

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本日は、「山にに登った者だけが、山の景色を見ること(体感すること)ができる」について、考えていきます。

 

詩篇121:1‐3
「私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのか。
私の助けは【主】から来る。天地を造られたお方から。
主はあなたの足をよろけさせずあなたを守る方はまどろむこともない。」

 

本日、北海道のある牧師先生のお話を聞きました。

最北に近い地のある教会に問題が起き、その教会には「たった一人の女性」の信徒しか残らなかったそうです。

牧師もいない中で、その女性は、将来に絶望する気持ちで、祈ったそうです。

「この教会は、どうなるのですか?」

何度も祈る中でのある時、彼女の心の中に【声】が響いたそうです。

「この教会は、わたし(創造主)の教会である」(わたしが守り、導く)

彼女の心には、平安が与えられ、祈り続けることができたそうです。

 

直後から、周りの教会の牧師たちが、交代で車で何時間もかけて、その一人の女性のために、日曜日のメッセージに行って下さったそうです。

その後、神学生が派遣され、1年後、現在の牧師が派遣され、今に至るということです。

その女性は、後に笑顔で、

「2年前の私に話すことができたら、『大丈夫、すべて上手くいくから』と言ってやりたい。」と笑ったそうです。

 

私たちは、苦難の最中には、目の前が真っ暗になります。

信仰を持っていたとしても、苦しい時には苦しいものです。

しかし、私たちに【助け】が与えられるならば、

その苦しみを乗り越えることができるのです。

 

そして【声】を聞き、【助け】を受け、試練を乗り越えたならば、

「それを乗り越えた人」だけに「見える景色」があります。

そこには、ドラマを見るのでもなく、人から聞いた話でもない、

「生の感動」があるのです。

 

聖書は、「乗り越えられる試練しか与えられない。」

「試練と同時に、脱出の道が与えられている。」と言います。

 

私たちも【助け】を受け、問題を乗り越えていくならば、

「山に登った者だけ」が見える景色を、見ることができるのです。

 

それは平凡な地上では、「決して見ることができない」景色なのです。

祝福をお祈りしています。


Ⅰコリント 10:13「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」

 

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「誰のために」生きるのか。

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本日は、「大きなもの」のために生きると、そのような仲間と、助けが与えられることを考えていきます。

昨日は、①自分の才能を発見する。②苦しい中でも前進し、自分を鍛えること。を考えました。

自分の境遇を呪うことなく、黙々とスキルアップをしていくことで、「未来」の備えをすることができるのです。

今回はその続きです。

 

私たちは、自分を大切にして生きています。

「自分が嫌いな人」でも、ボールが飛んでくれば、無意識に避けます。

本能的に、人間は自分を守るようにできています。

ちなみに「自分が嫌いな人」は、理想の自分がいて、そこに至らないから「自分が嫌いだ」という人が多いのです。

つまり本当は「自分を好きになりたい」のです。根本では自分を大切にしています。

「自分の考え」を大事にしているのです。(そうではないでしょうか。)

 

しかし人は同時に、「社会的な存在」です。

「誰かに認められること」を願っています。

それは、裏返せば「誰かのために生きる」ようにできているということです。

 

聖書はこう言っています。

ピリピ人2:4 「おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。」

1コリント10:31「あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」

 

上の2つの聖書の言葉を、皆さんはどう考えますか。

「自分のことだけで精一杯だよ」

「人のことなど、考える余裕がない」

特に、不遇な中で問題で苦しんでいる場合、余裕がないと思うのが通常です。

 

しかし考えてみて下さい。

「山登りを目的」とするならば、歩けば必ず「きつい所」を通ります。

もし「目的」を見失ったなら、流されて、「くだりの道」を選ぶかもしれないのです。

「目的が散歩」ならば、それも良いでしょう。

しかし「頂上が目的」ならば、目標から目を逸らしてはいけません。

 

ピリピ3:14
「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」

 

目標(目的)が重要です。

「自分のため」は当然ですが、

「誰かのため」誰かのニーズのために生きることは、自然であり、それを「意識し続ける」ことは、大切なのです。

恋人のため、家族のため、会社のため、社会のため、国を護るため、、、

 

本気で、そのような目標を持つ人は強いのです。

そういう人は、逆境の中であっても、

「山登り」のように、目標に向かって進んでいけるのです。

 

今回の衆議院選挙で落選してしまった、長尾たかし氏はそのような人でしょう。

詳細は書きませんが、本気で日本のことを考えて、打算抜きで行動している氏の姿勢に共感する人は、ネットを中心に多くいるようです。(政治ですから、色々な立場で見る方はおられるでしょうが。)

 

プライベートでも、オフィシャルでも、

目標は必要です。

目標に向かって、逆境の中でも、(目標を忘れずに)コツコツと進む人には、仲間が与えられます。

それが大きな目標ならば、多くの援助者が与えられるのです。

 

一点注意すべきことは、「誰かのため」という場合、

「本当に誰かのため」でなければいけません。

自分のため、自分に利するために「誰かのためを振る舞う」ことは危険です。

(そのような打算は、必ずバレてしまいます。その時は、全てがご破算になります。)

 

心の中を考える場合、

見えない神様を意識することは、とても役に立ちます。

「人はうわべを見るが、主は心を見る」(1サムエル16:7)

からです。

 

そういう意味で、神を意識し、

聖書が勧めるように「神の栄光のため」(善の神様に喜ばれ、評価されるように)生きることは、

「素晴らしい生き方」です。

 

心の中は、普通見えません。

しかし、純粋な心でコツコツと「神の栄光のために」生きる人は、

「人生の重要なところ」で、

準備された「チャンス」をつかめるのです。

 

「王の実力」をつけた人が、「王の門から入れる」ようなものです。

それは、日々の生き方が「実力テスト」のように、結果を生むのです。

 

人生が終わり、、、、

私たちが、創造主の前に立つ時に、

「自分の人生の総括」をすることになります。

その「最後の総括」を意識して、「逆算」して計画を立てて生きることも、

理にかなった生き方だと思うのです。

 

今回2回に渡って、人生には、、、

①与えられた能力、使命がある。

②自分の能力のスキルアップは、自分の責任(選択)である。

③誰のために、能力を使うのかが、重要。(特に、神の栄光のために生きる、素晴らしさ)

を考えてみました。

 

「人生を最善に生きる」ために、ぜひ参考にして頂ければ幸いです。

祝福をお祈りしています。

 

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「未来」 の仕事、働き、趣味について

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今回は、聖書から「人生の使命」と「与えられた働き」  について考えてみます。

 

未来の確実な予測はできません。

しかし、いくつかのヒントはあったりはするのです。

 

刺繍は、綺麗な花が描かれていても、

裏返っている時は、その絵が分からないように、

人生も、振り返ると、一本の道のように 見えても、

問題の渦中では、ゴミのようにしか見えない時があるのです。

 

人生は、「自分だけで選んできた」ように見えても、

実は「選ぶように導かれていた」ということがあります。

 

今回のブログは、視点を変えることを、念頭に置いて読んで頂ければ、

と願っています。

それは、「自分から見える視点」をはなれて、

少し「高いところから、自分を見る視点」です。

 

人生には、、、

①与えられた能力、使命がある。

②自分の能力のスキルアップは、自分の責任(選択)である。

③誰のために、能力を使うのかが、重要。

(人生には、実力テストの時がある。)

 

今回のテキストは、預言者エレミヤです。

エレミヤ1:4-8
【1:4 次のような【主】のことばが私にあった。1:5 「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」1:6 そこで、私は言った。「ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません。」1:7 すると、【主】は私に仰せられた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。1:8 彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。──【主】の御告げ──」】

 

①与えられた能力、使命がある。

これを読んで下さっている皆さんにお聞きします。

「あなたは、どんな趣味を持っていますか。」

「何をする時に、喜びがありますか」

「小さい頃は、どんな子どもでしたか、好きなことは何でしたか?」

 

ちなみに私は、小さい頃から、本が好きでした。

学校の図書館にいつも行って、お気に入りの本を探していました。

「ドリトル先生シリーズ」、

「長靴下のピッピ」等を、今でも懐かしく思い出します。

それらのストーリーにワクワクする中で、いつも感動を求めていました。

本を読み終えると、寂しくなって、新しい感動、世界観を探し始めていました。

 

今振り返ると、ここに私の原体験があるように思います。

「真実の感動を知り、その感動を伝えたい。」

今の私の本業は、その延長線上にあるのです。

 

最近、小説を読んだり、ドラマのセリフを聞く時に、

「こんな表現ができるのか」

「こんな構成、展開、、、があるのか」と感動することが多いのです。

そんな時「こんな職業につけたら、たくさんの人に感動を与えることができて素晴らしいな」とも思うことがあります。

 

多分、私の「未来」の仕事、働きの希望は、この路線です。

「人と関わること」も「立場や役割をこなすこと」も、

根底には「感動し、感動を伝え、それを共有したい」という強烈な思いがあるような気がするのです。

 

音楽、スポーツ、芸能、、、

どの分野で活躍している人も、自分の特技を生かして仕事をしています。

その特性によって、「未来」が決まっています。

 

「あなたは、どんな趣味を持っていますか」

「好きなことは何ですか」

「あなたは、何をする時に喜びがありますか。」

その中に、あなたに与えられた使命と未来が隠れているかもしれません。

 

是非許される範囲で、一歩踏み出してみることです。

本を読んだり、情報を集める中で、見えてくるものがあります。

「山の景色」も少し歩くと変わります。

見える世界が変わるのです。

そのように、あなたの使命や未来も、進んでいく中で、今よりはっきりと見えてくるはずです。

 

②自分の能力のスキルアップは、自分の責任(選択)である。

先程の聖書箇所で、神様はエレミヤに「まだ若いと言うな」とおっしゃいました。

「使命が与えられているのだから、恐れずに前進するように」と言われたのです。

 

エレミヤは、そうやって問題の中でも、

前進していく中で、経験を積み預言者としてのスキルをアップしていきました。

飛び込んで、経験を積むことは、「自分自身の判断(選択)」です。

そしてそれを「するかどうか」は、「自分の責任」なのです。

 

神様があなたに「何かの使命」を与えているならば、

進む中で、不完全でも「何かしらの景色、ヒント」が見えてくるのです。

それを見過ごさず、前進していくならば、良い仕事ができるようになります。

 

仮にもし間違ったならば、修正すれば良いだけです。

一番怖くて悲しいのは、「道が準備されていた」のに「そこを行かない」ことです。(但し無鉄砲で危険な道は、慎重に考える必要はあります。)

 

また、自分のモデル(理想)になるような人を見つけると、歩み易くなります。

そういう人が見つかったなら「徹底的に研究」しましょう。

その人の知恵や能力、生き様を学ぶのです。

そういう中で、あなたに合った「スキルアップ」をすることができます。

 

その「スキルアップ」によって、未来の働きに備えることができるのです。

 

次回は、最後のポイント、

③誰のために、能力を使うのかが、重要。

(人生には、実力テストの時がある。)

を考えていきます。

祝福をお祈りしています。

 

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「苦しみにあって、良かったこと」 詩篇 119篇71節

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本日は、「苦しみ」について考えてみます。

苦しみは、誰もが避けたいことです

そして、もし起きてしまったなら、一瞬でも早く解決したい、と考えるはずです。

 

本当に、苦しみは良いことなのでしょうか?

 

詩篇119:71

新共同訳「卑しめられたのはわたしのために良いことでした。
わたしはあなたの掟を学ぶようになりました。」

新改訳「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」

 

人間関係の苦しみにしても、 もっと広い人間の普遍的な苦しみ(生きる、老いる、病気、死)

にしても、聖書は、それらは「人生の、掟を学ぶため」に有益だと教えているのです。

 

人間は、「自己保存の欲求」があります。

ですから、「外からの攻撃」に対しては、 防御本能が働きます。

(それが善意のアドバイスであっても、です。)

「自分を変えること」に、抵抗するのです。

 

「若い時の苦労(失敗)は、買ってでもしろ。」という言葉があります。

実際、失敗をすると、必死になって解決の努力をします。

周りを変えようとしますが、結局は自分を変え、自分が学ばないと解決しません。

そのあがきの中で、学習し、器を大きくすることができるのです。

若い内に、そのような学習をするならば、「一生の財産」となります。

(年をとってからでも、遅くはありません。経験が多い分、「深い悟り」となります。)

 

つまり、苦しみは「自分が成長する」ために、「最善の道」なのです。

 

感情では「避けたい」と思っても、理性的に考えて「行かざるを得ない」なら、

「行くしかない」のです。

 

【現実を直視し、逃げないこと】

ですから、大事なことは、「現実を直視すること」です。

辛くても、「絶対に外してはいけないもの」ならば、

歯をくいしばっても、進まなければなりません。

(「どうでも良いもの」は、どんどんスルーしたら良いと、個人的には思います。)

 

全てが、「人生勉強、修行だ」と考えて、乗り越えて行くのです。

(逃げるよりも、前向きに捉えた方が現実的ですし、解決が早いのです。)

 

聖書にも、「人生は訓練である」と書かれています。

ヘブル12:5-7

「『わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。

主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。』

訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。」

 

人生が「訓練である」ならば、厳しいことは「筋トレ」のようなものです。

負荷がかかった分、力がつくのです。

 

最後に、ではその訓練を受けている時に、

「神はおられる」のでしょうか?

訓練を受けている私を「神はどのように見ておられる」のでしようか。

(それも、人類の普遍的な質問です。)

 

イザヤ55章です。(1-11の抜粋です。是非本文全体を読まれることをお勧めします。)

【主は、わたしを求めよ、と思っておられる】
「1 ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。

6 主を求めよ。お会いできる間に、近くおられるうちに、呼び求めよ。」

 

【主の考えは、高過ぎて分からない。しかし必ず実現される、と言われている】

「8 わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。―主の御告げ―

11 そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」

 

神様は、あなたをいつも見ておられます。見て下さっています。

特に、苦しい時には、尚更です。

 

その神様の心は、「親心」です。

「たましいの成長をして欲しい」と願う、「親の心」です。

私たちが、アリのように、地面しか見えなくても、

創造主は、遥か高いところから、あなたを見ておられ、助けの手を伸ばしておられるのです。

 

そして、、、

【主】はいつも、そのことを「訴えておられる」のです。

 

私たちは、寿命を終え、いつかはあちらの世界に行きます。

その時に持っていける財産は、愛とか人格と言った「見えないもの」です。

 

「苦しみ」は、そのような財産を得る、「最善の方法」であると、

「聖書」は言います。

もし、それを知るならば、

「苦しみ」を別な視点で見ることができるのではないでしょうか。

祝福をお祈りしています。

 

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あなたも「愛されている」、、、太陽のぬくもりのような「愛」

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今日は、秋の晴天。ピクニック日和です。

風も優しく、寒くもなく、暑くもない気候で、

「太陽の光」が、心地良いです。

暖かい、「光のぬくもり」に満ちています。

 

今日は、あなたも「愛されている」、、、「注がれている愛」について書いてみます。

しばらくお付き合い下さい。

 

「天国」は、「平和で愛に満ちている場所」と、「聖書」には書かれています。

「太陽の光」もいらないほど、主の「愛の光」で満たされいる状態です。

「のろいも悲しみもない」様子が、描かれています。

 

黙示録22:5

22:5「もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。」

22:3-4「もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。」

 

想像してみて下さい。

光に満ち、ぬくもりに満ち、愛に満ちているなら、

「人の心は、穏やか」になるのです。

温泉で湯槽に浸かって、くつろいでいる時には、

あまりケンカをしたいとは思いません。

ゆっくりと、色々と本音の話ができる時間なのです。

 

「愛されている」「満たされている」という感覚を持つことは重要です。

それによって、自分は価値があり、大切な存在だと、「実感」できるからです。

 

人生のどこかで、充電するように、「愛のチャージ(充電)」が定期的に必要です。

それによって「幸せを実感」できるのです。

 

今、この瞬間も、

「太陽の光」を浴びるように、「ぬくもり」が存在します。

(それは、絶対的な事実です。)

 

しかし、、、多くの人には、「大きな岩」のようなものが「邪魔をして」、

「光を浴びる」ことができずにいます。

「光の存在自体」も、信じられないかもしれません。

 

だから、、、もしどこかで「光」を感じたら、

それは「大きなチャンス」です。

その時には、岩陰から「顔を出せば」良いのです。

「光」に近づくために、一歩何かをしたら良いのです。

 

そうすると、、、

「苦しみや、闇」と思われるものの、向こうに、

同時に存在する、「光そのもの」が見えてくるはずです。

 

「光」を見つけ、その「ぬくもり」を体験するならば、

「闇そのもの」「岩そのもの」が、

小さなものに、見えてくるのです。(分かるのです。)

 

ですから、これを読まれているすべての方、

大切なあなたも「光を浴びる」必要があります。

愛されているという、「愛そのもの」を「体験」する必要があるのです。

 

私たちが、天国に行くことができれば、「その溢れる充実感」を、

四六時中体験できることとなります。

 

しかし、今生きている現在も、

イエス様を信じ、神の霊(聖霊)の力を受けるなら、

天国 に似た「愛の満たし」体験できるのです。

 

それは、今日のような「秋の高い空」の下で、

「暖かい日差し」を浴びるような「至福の時間」なのです。

 

人生の「日向ぼっこ」をしてみませんか?

祝福をお祈りしています。

 

2コリント5:13-14
「もし私たちが気が狂っているとすれば、それはただ神のためであり、もし正気であるとすれば、それはただあなたがたのためです。

というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。、、、」

 

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「寄り添うこと」の大切さ、「アドバイス」とのバランス。

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皆さんも、どこかで「人から相談」を受けたことがあるでしょう。

子どもが悩んでいたり、友人や同僚が落ち込んでいる時に、何と言ったら良いのか、又は声をかけたら良いかを考えたことも、あるのではないでしょうか。

又逆に、あなたが悩んでいた時に、意を決して相談をすると、「一方的なお説教」をされて、ガッカリした経験はあリませんか。

 

今回は、「寄り添うこと」の大切さを取り上げます。

A寄り添うことは、難しい。

B相手の性格、状況を見極めることが大切。

C解決策は必要。しかし語るのはタイミングを考えて。

しばらくお付き合い下さい。

 

A寄り添うことは、難しい。

「寄り添う大切さ」を知っていても、「実際に寄り添うこと」は難しいものです。

なぜなら、皆「自分の考え」を持っています。

十人十色、いろいろな性格の方がおられます。

そして通常「自分の考えを土台」として「相手の考えを推し量り」ます。

「自分は〇〇と思うから、相手も〇〇と思うに違いない」と考えるのです。

 

だから時々「相談を受けた」時に、「自分の持論を長々と語って」しまいます。

良かれて思ってのことです。

 

そうならないために、カウンセリングでは「技法」を学ぶのです。

「エコー(繰り返し)」です。

「センテンス・エコー(言葉の繰り返し)」「メッセージ・エコー(要約しての繰り返し)」

があります。(今日は説明を省きます。)

 

本当に悩んでいる場合は、「言葉を繰り返し」て貰うだけで、

「相手に受け止めて貰った」と感じて、「気分が軽く」なるものです。

 

ですから、「悩んでいる人」が、目の前にいたならば、

「自分の持論を言わず」

ただ「相手の言葉を繰り返し」その人のことを「分かろうと努めるだけ」で、

お相手は、満足することが多いのです。

(単なる技法ではなく、「心に寄り添う気持ち」が大切です、、、。)

、、、難しさを感じながらの関わりとなるでしょうが、、、。

 

B相手の性格、状況を見極めることが大切。

繰り返しになりますが、人には「色々な性格」があります。

ですからまず、「自分と他人は違う」と割り切って、

(これがとても大切な視点です。)

「別人格の相手の考え方」を知ることに、努めましょう。

その人の考え方を観察するのです。(お相手を知ろうとするのです。それが、愛情です。)

 

特に悲しみの中にいる人は、悲しみを乗り越えるのに、一般的にいくつかの段階を通ります。

その段階を知って関わることは、役に立ちます。

これを「グリーフケア」と言います。

「悲しみの五段階」と言われるものです。

①第一段階「否認と孤独」

失恋や死別、大きな悲しみ、痛みを経験した時に、最初に人は「そんなことはあるはずがない」と現実を受け止められず、否定するのです。そして深い孤独を感じます。

②第二段階「怒り」

否定した後は、怒りが湧き上がってきます。

③第三段階「取り引き」

あの時こうしておけばこんなことにならなかったのでは、と「もしもの場合」をあれこれ考えます。

④第四段階「抑うつ」

もう〇〇なのね、とひどく落ち込みます。

⑤第五段階「受容」

悲しい現実を受け止められるようになり、新たな自分を見つけ、受け入れていきます。

 

お相手の性格、状況を理解するには、お相手を「知ろうという気持ち(観察力)」と「忍耐力」が必要です。

「自分と他人は違う」

「悲しみには段階がある」

ことを最低限、受け止めていれば、

「持論を一方的に語る」ような、「マズイ対応」は決してしなくなるものです。

 

C解決策は必要。しかし語るのはタイミングを考えて。

技法だけで、機械的に関わるだけでも、仮にあなたが解決方法を持っていなくても、

「ただ寄り添うだけ」で、お相手はある程度は満足するでしょう。

 

しかし、仕事や具体的な解決が必要な状況では、

「そうですね」とうなずくだけでは足りません。

あなた自身が、「解決のいくつかの策」を持っていることは必要になります。

そうでなければ、真の意味で「苦しみはなくならない」からです。

 

能力の高い人であれば、話を聞いている段階で、

「これが問題だ」

「これを修正すれば、解決する」と

頭の中に、「解決策」が浮かんでくるかと思います。

 

しかし「その解決策」を「言葉にする」のは、タイミングが必要です。

(そんなことは考えておれない、危機的な状況でも、配慮は必要です。)

問題が解決しても、担当者が倒れてしまったならば、結果として大きな損失となってしまいます。

(人によっては、相当にデリケートなご性格を持っておられるのです。)

 

あなたの解決策を、お相手は「受け止めることができる状態なのか」を、

よく加味して言葉に出すかの、判断しなければなりません。

(大変ですが、、、)

 

私たちの「そのお相手への、愛情」が問われるのです。

あなたが、お相手をたくさん知り、

そのお相手への「接し方」を理解するほどに、

「真の意味での、解決」の「言葉」を導くことができるのです。

 

ピリピ2:3-5

「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。

自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。

あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」

 

相談された時には、

「寄り添う気持ち」が大切です。

そしてそのためには、

「自分と相手は違う」という事実を受け止め、(個性も、能力も、成長過程も、、、)

「今のお相手」を知る努力が重要です。

 

そのような気持ちでいるならば、

あなたが、少々の失敗はしたとしても、

お相手は、「あなたの気持ち(愛情)」を受け止め、

「あなたの言葉」を聞いて、

「回復の道」を歩んでいけると信じています。

 

最後に「箴言のみことば」を紹介させて頂きます。

“指導がないことによって民は倒れ、多くの助言者によって救いを得る”(11:14)

“愚か者は自分の道を正しいと思う。しかし知恵のある者は忠告を聞き入れる”(12:15)

“密儀をこらさなければ、計画は破れ、多くの助言者によって、成功する”(15;22)

“相談して計画を整え、すぐれた指揮のもとに戦いを交えよ”(20:8)

 

祝福をお祈りしています。

 

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「めんどくさい」を乗り越える「力」

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今日は、少しくだけた内容になるかもしれません。

あるドラマを見ていた時、「めんどくさいは、すべてに優先する」という言葉を聞き、

「その通りだ」と思いました。

 

以前は、「気力」や「やらなければならない」という「責任感」で、多くの仕事をこなしていました。

しかし、そういう場合、

大体は、終わった後「疲れてしまう」ことが多かったのです。

 

最近は、「あること」をしてから、始めるようにしています。

それは「祈り」です。

単なる祈りではなく、「たましい」を込めた祈り、です。

少し説明が必要だと思います。

 

こんな経験はありませんか?

コーチングを受けたり、話を聞いて貰い励ましを受けたりすると、

私たちは「元気」になります。

そして仕事や、やるべきことをする「力」が湧き上がるのです。

「一人ではないんだ」と思い、

少々「孤独を感じる」ことがあったとしても「乗り越えて」いけるのです。

 

私たちには「励まし」が必要です。

 

しかし、いつも「人に励まして貰える」訳ではありません。

タイムリーに「声をかけて貰える」訳ではないのです。

 

そこで「お祈りの力」が効果を発揮します。

 

神様は「私たちの髪の毛の数」をも知っておられるお方です。

口に出す前から、「私たちの気持ち、願い」を知っておられるお方です。

そして、海の底に逃亡したとしても、そこに「一緒にいて下さる」のが神様であり、イエス様なのです。

 

私たちの「祈り方」が重要です。

イエス様が、どんな風に「あなたの祈り」を聞いてくださっているのかを、

「知って」「体験すること」が秘訣なのです。

 

「たましいを込めた祈り」とは、

感情や心の傷や、様々な悩みなど「たましい」のすべての思いを、

「感じながら」イエス様に告白する(祈る)ことです。

 

私の人格を知っておられ、気持ちも痛みなども「すべて知っておられるお方」に、

「心を注ぎ出して会話をする」祈り方です。

 

詩篇139:23「神よ。私を探り、私の心を知って下さい・・私のうちに傷のつい た道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください」 

(よく取り上げる、ダビデ王の祈りです。)

 

私は、こんな祈りをしています。

「イエス様、私は疲れました。」

「やる気が起こりません(笑)」

「あの言葉に、嫌な気持ちになりました。傷つきました、、、」等々、、、。

 

時間がある時には、仕事を始める前に「気持ちが収まるまで」祈っています。

すると「元気」になるのです。

(友人に相談した後のような感覚です。)

 

仕事中で、「気力がなくなったな」と思った時には、

「瞬間的」に祈ります。

短くても「集中して深く」祈ります。

「たましい(感情)」に「触れられる祈り」をするのです。

 

「めんどくさい」と思っても、しなければならないことはあります。

「とても重要」で「落としてはいけない案件」もあるのです。

 

「責任感や使命感の動機」で、行動する前に、

ギヤーを「祈り」に入れ、「たましいが触れられる祈り」を体験してみませんか?

 

きっと、あなたにも「新しい力」が与えられ、「新鮮な気力と知恵」によって、

「仕事」をすることができる、と信じています。

 

祝福をお祈りしています。

 

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