人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

ひどい状況下でも、「良い告白」をするパワー(力)

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今回は、前回、前々回の「告白の力(言葉の力)」の補足です。

「私は一番愛されている(最高に愛されている)」という心からの告白は、

「すべての否定的な言葉」を跳ね飛ばす力を持っています。

 

私たちの周りには、様々な否定的な言葉が満ちています。

それをすべて聞いていたら、きっと人間はおかしくなってしまいます。

 

「苦しみに会ったことは、幸いでした。私はそれであなたの掟を学びました。」(詩篇119:71)

とあるように、

私たちは、「苦しみ(痛み)」を通じて学習をします。

「否定的な言葉を入れてしまった」なら、「こんなに苦しいことがあるのだ」と悟ると、

「痛みを感じたくない」ために、「否定的な言葉を入れない」選択をするのです。

 

ですから、私たちはどこかで「否定的な言葉」を無視し、入れないようにしています。

壁を作るのです。

しかし、壁は完璧ではありません。ある瞬間に「悪いもの」が入ってくる時があるのです。

 

残念なことに、一旦「否定的な言葉」を、そうだと「受け入れて」しまうと、

それは「自分の考え」になってしまうのです。

「悪魔が喜ぶ言葉」には習慣性があります。

 

「お前はダメだ」「決して上手くいかない」「死んだ方がいい」「生きていても意味がない」

「早く死ね」「生きているだけで迷惑だ」「消えて無くなった方がいい」………

これらの言葉に呪縛されると、簡単に「抜け出して」はもらえないのです。

 

しかし、聖書の言葉(神様の言葉)は、そのすべての否定を「ひっくり返す力」を持っています。

(具体例は、別にまとめたいと思いますが、、、オセロがクロからシロに変わるようなものです。)

 

まずは、肯定的な言葉を、①「見つけて」下さい。

それは、自分に合ったものでなければなりません。

「そうだ」と思えなければ使うことができません。

 

それを見つけたら、②「告白する」のです。

何度でも告白します。

「私は価値がある」

「愛されている」

「助けられる」

「見て頂いている。守られている」

「失望しなくても、良い」

「上手くいく」etc

聖書には希望的な言葉が満ちています。

(単なる希望的な言葉ではありません。「神様の約束」です。)

 

その中でも究極的な言葉が

「私は神様から、一番愛されている」という告白なのです。

 

この告白をすると、

「自分に優しく」なります。

悪魔が喜ぶ、「お前はダメだ」という、否定的な言葉が湧き上がってきても、

「それは、本当か?」と疑問を投げることができます。

そして、「それは、ウソだ!」と言い切ることができるのです。(私は一番愛されているのですから。)

 

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)

 

「私は神様から、一番愛されている」

この告白の土台から、すべての考えを「組み立てる」と、「悪いもの」は載せられなくなります。

外からやってくる「悪魔のささやき」も、入りこめません。

 

「私は神様に一番愛されている」

これは、「万能の告白」です。

この告白をし続けると、嵐のような状況でも、安定感を持てます。

すべての人がパニックでも、あなたは、自分のすべきことを「コツコツ」とすることができるのです。

 

ぜひやってみて下さい。

 

詩篇120:1-3

1 苦しみのうちに、私が主に呼ばわると、主は私に答えられた。

2 主よ。私を偽りのくちびる、欺きの舌から、救い出してください。

3 欺きの舌よ。おまえに何が与えられ、おまえに何が加えられるのか。

 

詩篇121:1-3
1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。

2 私の助けは、天地を造られた主から来る。

3 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。

 

あなたの「大切な心」が、守られますように、、、

祝福をお祈りしています。

 

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「言葉」の力「告白」の力② 「幸せだ」と言える理由。

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先回は、「言葉の力」について考えました。

特に言葉を聞いておられるお方(神様)がおられることを「意識」すると、

「言葉が変わる」ことを学びました。

 

先回お話をした友人の宣教師は、「私は世界で一番、神様から愛されている人間」と告白しています。

どうしてそんなことが言えるのでしょうか。

(金メダルのように、色々な一番があるとは思います。)

 

今回は、読んで下さっている方に、そのことを「説得しよう」(笑笑)と考えています。

しばらくお付き合い下さい。

 

あなたがこの地上に誕生する確率は、かなり低いものです。

数億個の精子が、卵子と結合して、受精卵になるのですが、

受精せずに終わることも多いのです。

受精しても子宮に着床できずに終わることもあります。

この段階で、あなたのDNAは、数十億の兄弟姉妹の中で、ただ1人選ばれて、この地上に誕生したことになります。

 

聖書を読むと、「土(肉体)」に「神の息」が吹き込まれて、霊が宿ることが書かれています。

あなたに霊(たましい)が与えられているということは、神様の介入があった証拠です。

ある瞬間に、神様の力によって、あなたの身体に「霊が吹き込まれた」のです。

そして「あなたという人格」が、地上に誕生したのです。

 

聖書に「母の胎内で神様があなたを組み立てた」と書かれています。

(受精卵が分割して、胎児になる過程は、神秘そのものです。)

そのようにあなたに関わられた、神様(創造主)は、

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)

と言われるのです。

 

ここまでは知識です。

しかし、イエス様を救い主と信じ、創造主を父なる神と受け止めることができた人は、

神様と親子の親しい関係を持つ(体験する)ことができるのです。

 

それ故に、私の友人のように(私もそうですが、、、)

「私は一番愛されている」と告白することができるのです。

(私の場合は、最高に愛されている、という感覚です。)

 

少し私の話をさせて頂きます。

クリスチャンになっても、すべてが順風満帆という訳ではありません。

先日も書きましたが、この数年、結構厳しいところを通りました。

多分一番厳しい時に、たくさんの人が私を助けてくれました。

「神様が送って下さった」としか思えないタイミングで、

私のことを心配して電話やメールが来たことは、一度や二度ではありませんでした。

 

「人間の力では無理」と思える状況で、

切羽詰まって祈る中で、、、

神様が「私の祈りを聞いておられる」「私のために祈って下さる人を用いて、私を助けようとしておられる」ことを、何度も感じました。

(神様と急激に関係が深まるなら、「苦しみも感謝だな」と感じています。)

 

私のための特別な御言葉(神様からの言葉)も、与えられました。

(機会があれば、どこかで紹介します。)

 

これらの経験を通じて、

神様は「私に手を伸ばして」おられる。

私が「手を離さなければ」(あきらめて、もういいと手を振りほどかなければ、絶望の告白しなければ、、、)

必ず助けて頂ける。

聖書に書いてある通り、神様は私のことを「本気で愛して下さっている」

と思えるのです。(実感です。)

 

神様がいつも私を愛して下さっているから、「私は幸せ」です。

これをつかんでしまうと、

①認められるために、「過剰に努力」する必要がなくなります。

なぜなら、もう「認められています」から、

自分を支えるために「ガツガツと」必死になる必要がないのです。

むしろ「認められた者」として、堂々と余裕を持って人と関わることができるのです。

(人間関係が、相当楽になります。)

 

②自分と人に優しくなります。

愛された者、赦された者が「私」です。

神様からすでに「優しくしてもらって」います。

それが分かると、「自分に優しく」なります。その結果「人にも優しく」なるのです。

 

③自分を傷つける言葉を、心に入れなくなります。

神様が私を「大事だ、大切だ」と言って下さるなら、

その「私」を破壊することは「神様の意に反し」ます。

「私を壊そうとする言葉」も「傷つけようとする感情」も、避けなければなりません。

 

「自分が大事だ」と分かれば分かるほど、

「破滅的なもの、は決して入れてはいけない」ことが分かるのです。

そうすると「破滅的なもの」を上手に止めたり、よけたりすることができます。

(少し説明が必要ですが、それは別の機会にさせて頂きます。)

 

イザヤ43:4-5(一部抜粋)

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」

「恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしは東から、あなたの子孫を来させ、西から、あなたを集める。」

 

創造主の「あなたへの愛の言葉」を、

そのまま受け止めることができるならば、

あなたは「愛の人」「幸せな人」に、作り変えられます。

そうすれば、どんな時も、「幸せだ」と心の底から「告白」できるようになるのです。

 

「自分」と「関わる人」に、幸せを与える「告白の力」を、2回に渡って書かせて頂きました。

ご参考にして頂ければ、幸いです。

祝福をお祈りしています。

 

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「言葉」の力。「自分」と「関わる人」を幸せにする、告白の力

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本日は「告白の力」 について考えます。

以前何かの本で、相撲の力士は「疲れた」とは言わず「力がついた」と言う、と書いてあるのを読んだことがあります。(否定的な言葉ではなく、肯定的な言葉を使うという例です。)

 

「できる。できる。」と言っている人は、どこかで成し遂げることが多いですし、

「できない。できない。」と言っている人は、最初から諦めていますから、できる可能性は1ミリもないのです。

言葉には、不思議な力があります。

 

先日、私の友人の宣教師のお話を聞きました。

彼は、大学時代、クリスチャンになる前は、母国の学生運動のリーダーで、良くデモに参加していました。。

「〇〇政権は滅びよ!」「〇〇は死ね」とシュプレヒコールをあげ、政府の不平等と戦っていたそうです。

当時の彼は、目がつり上がったような表情をしており、お付き合いをしていた彼女(現在の奥様)の友人たちは、早く別れた方が良いと言っていたらしいのです。

すべてのことを批判し、不満を感じ、苛立っていました。

 

そんな彼が、クリスチャンになり、聖書の言葉に触れたのです。

旧約聖書、民数記の言葉です。

 

民数記14:26-30

26 主はモーセとアロンに告げて仰せられた。

27 「いつまでこの悪い会衆は、わたしにつぶやいているのか。わたしはイスラエル人が、わたしにつぶやいているつぶやきを、もう聞いている。

28 あなたは彼らに言え。これは主の御告げである。わたしは生きている。わたしは必ずあなたがたに、わたしの耳に告げたそのとおりをしよう。

29 この荒野であなたがたは死体となって倒れる。わたしにつぶやいた者で、二十歳以上の登録され数えられた者たちはみな倒れて死ぬ。

30 ただエフネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアのほかは、あなたがたを住まわせるとわたしが誓った地に、だれも決して入ることはできない。

 

ここは、聖書の有名な箇所です。

「約束の地カナン」を目前にして、12人が偵察に行ったのですが、ヨシュアとカレブ以外の10人は、「できない。不可能だ。」と言いました。

ヨシュアとカレブだけが「可能だ。約束の地に入れる!」と訴えたのです。

実際にその地に入ることができたのは、二人だけでした。それ以外は全員、荒野で死に絶えたのです。

 

ここで注目するポイントは、神様の言葉です。

「わたしは生きている。わたしは必ずあなたがたに、わたしの耳に告げたそのとおりをしよう。」

 

今回このブログで指摘したいのは、

 人が「告白し続ける」ならば、「実現する」という、自己啓発ではありません。

 

「生きている神様」が「私たちの言葉を聞いて」おられるという「事実」です。

そして、その神様(創造主)が、「聞いた通りにする」と、言われている「事実」なのです。

 

友人の宣教師は、このことが本当に分かった後は、

「言葉に気をつける」ようになったそうです。

そして「前向きな言葉」を語るようになりました。

 

「私は神様から一番愛されています。」(その根拠については、次回のブログで触れる予定です。)

「私の家族も一番愛され、祝福されてています。」「私の教会も一番祝福されています」

「私は、北海道から沖縄まで、イエス様の素晴らしい言葉を伝えるようになります。」

 

現在の彼の表情は、とても穏やかです。友人も多く、皆を愛し、皆から愛されています。

そして先日も北海道に伝道旅行に行って来られました。

「彼の告白通り」になっています。

 

「生きておられる神様」が、私の言葉を聞いておられ、

「聞いた通りにする」と言われているとすれば、

「言葉」に気をつけなければなりません。

そして、私の人生の「言葉の責任」は、「私自身」にあるのです。

 

「良い種(告白)」を蒔けば、良い実を刈り取り、

「悪い種(告白)」を蒔けば、悪い実を刈り取るのです。

 

人生の主人公は、あなた自身であって、あなたの言葉によって、右にも左にも行けるのです。

そこには言い訳も、責任転嫁もないのです。

(厳かな事実です。)

 

「生きている神様」を信じる者は、襟を正した人生を歩むことができます。

そして「神様の言葉」を尊重する人(アーメンと同意する人)は、「幸せを味わう」ことができるのです。

 

 イザヤ48:17-18

17 あなたを贖う【主】、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる。「わたしは、あなたの神、【主】である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。
18 あなたが『わたしの命令』に耳を傾けさえすれば、あなたの『しあわせ』は川のように、あなたの正義は海の波のようになるであろうに。」

 

「言葉」を大切にしましょう。

「口から出す言葉」に気をつけましょう。

そして、その言葉を聞いておられる「神様を意識」するならば、

「良い言葉」を選ぶことができるのです。

 

祝福をお祈りしています。

 

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「闇に引きずり込まれ」そうです。どうしたら良いですか。

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「小さい時から、闇の影響を受けてきたような気がします。

何度も、闇に引きずられ、落ちてきました。良い方向に向かおうとすると、必ず闇は大きくなります。

そして、もの凄い力で落とされます。良くなった分、ひどく落ちるのでみじめになります。どうしたら良いのか分からなくなります。

聖書で、救いの道はありますか。」

 

「闇(悪魔)に対抗する力、方法」は聖書に書かれています。後でそれには触れます。

最初にはっきりと指摘します。

「闇に引きずられる」かどうかを決定するのは、「あなた自身」です。

闇がどれだけ強くても、「あなた自身」が、「行きたくない」と強く願えば、行く必要がないのです。

 

闇(悪魔)は、「うそを吹き込み」ます。

「お前は、ダメだ」

「お前は、救われない」

「どうせ、同じだ」

「お前は、滅びる」

しかし、それは、「悪魔自身の運命」を自分で語っているのです。(聖書の黙示録に、「火の池」として書かれています。悪魔はそこに投げ落とされます。)

あなたは、悪魔と同じところ、「地獄」に行きたいですか?

(行きたくないと思います)

 

行きたくなければ、闇の勢力、悪魔と決別しなければなりません。

決別は、可能です。

その方法です。

 

最初に最もシンプルな方法です。

ヤコブ4:7 ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。

 

「神様に従うこと」です。そして「悪魔に立ち向かうこと」です。

 

「悪魔に立ち向かうこと」はできるのでしょうか?という質問が聞こえてきそうです。

「可能です。」むしろ「立ち向かう気持ち」が大切です。

そのためにも「神様に従うこと」が重要です。

聖書を読むならば、神様の命令がいくつも書かれています。(今回は、深掘りしません。)

できることから、「やってみる」ことです。

やってみると、霧が晴れるように、神様の良い計画と、悪魔の汚い策略が見えてきます。

 

失敗しても大丈夫です。

聖書の中に書かれている創造主は、「イエス様の十字架」で、私たち人間に「罪のための、命の代価」を与えて下さったほどのお方です。

何度でも「助けを求め」れば、助けて下さるのです。

(このことは、信じて下さい。)

 

あなたは、「悔しくない」ですか?

 

今まで、「小さい時から闇の影響を受けてきた」と書かれていましたから、

あなたを陥れた、様々なことを思い出すでしょう。

それを思い出すと「悔しくない」ですか?

本当なら、もっと良い結果を得られたのに、もっとたくさんの楽しいことがあったはずなのに、

「それを捨てる」ようにあおられて、素直に「捨てて」しまった。

悪魔の策略に乗せられて、「悪い選択」をしてしまった。

 

確かに、「判断」は「あなた」がしました。

しかしもし「うそを吹き込まれて」の判断だったとしたら、

うそを吹き込んだ「悪魔の策略」に腹が立ちませんか?

 

エペソ6:10-11

10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。

11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。

 

「悪魔の策略」に気がつくことは、可能です。

(神様に近づく中で、見えてくるのです。)

 

ヤコブ4:8 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心ある人たち。心を清くしなさい。

 

「悪魔の策略」に気がついたなら、人は簡単には「誘惑」に乗らないものです。

 

まず目の前で「何が起きているのか」を見極めましょう。

悪魔が働く時は、創造主の許可を受けて、働きます。(ヨブ記参照)

ですから必ず「試練に伴う、脱出の道」が、備えられているのです。(1コリント10:13)

 

もう一度書きます。

「光」と「闇」を、選ぶのは、「あなた自身」です。

悪魔にそそのかされる必要はありません。

「悪魔の策略」は、断固拒否しましょう。

 

自分と戦うのではなく、悪魔の策略を拒否し、対抗するのです。

 

エペソ6:12-13

12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。

(具体的な武具については、今回は触れません。)

 

最後に、このことを書いて終わります。

悪魔の攻撃を受けている人は、悪魔に目をつけられている人です。

悪魔が「こいつが、神様の元に行ったならば、大変なことになる」と思われている人です。

(ぜひ、このことを自覚して下さい。)

 

チャンネルを切り替えましょう。

闇ではなく、光に目を向けるのです。

そうすれば、光がもっとはっきりと見えてきます。

「神様に近ずく」のです。

 

ヨハネ1:4-5

4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。

5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

 

光は、闇に打ち勝っています。

(闇は、光よりも弱いのです。)

 

あなたが、心を「光に向ける」だけで、闇は去っていきます。

ぜひこのことを「実行」して、この素晴らしい開放感を味わって下さい。

 

聖書には、まだいくつも「悪魔、闇の勢力」を退ける方法が書かれています。

聖書の「真理の言葉」を知って、自由を得るために「活用する」ことができますように、、、

祝福をお祈りしています。

 

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人に「嫌われて」しまいました。どう接したら良いか、アドバイスをお願いします。

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以前、会社の同僚に問題点を指摘した時、分かって貰えなかったので、その方の個人的な性格を、少し強く指摘をしました。そのことで、その方は私に「心を閉ざして」しまわれました。私に対して「よそよそしい」態度になりました。その直後に私は約1ヶ月の長期出張に出ました。帰ってきた後も、冷たい態度は続いています。仕事の関係で毎日会いますが、中々辛い雰囲気になっています。今後どんなことを心がけて、接したら良いでしょうか。良いアドバイスをお願いします。

 

ご質問をありがとうございました

仕事で顔を合わせる方との関係ですから、今の状況はお辛いことと思います。

問題が起きた直後に、質問者さんは長期出張に出かけられたということですから、直後のフォローが十分できなかったのかもしれません。

また、人はプライドがありますから、その方も、傷ついていたとしても「私は傷ついていない」と虚勢を張っている可能性もあります。

(そういう方の場合、「言葉」と「心」が違うので、問題解決が長引くことがあります。)

 

コリント3:6「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」

 

人間関係には、必ず揉め事が起こります。

人が画策して、上手くいく時もあれば、上手くいかない時もあります。

 

そんな時、「人を変えるのは、神のわざである」という感覚は、大切です。

その感覚を持っていれば、「深追い」をしなくなるからです。

(「解決への執着」から、却って問題をこじらせるのを避けることができるのです。)

 

今回、問題解決のヒントとして、3つのポイントを考えていきます。

①共通のルールの下にいることを、共有すること。

②言い方の落ち度は、謝罪の気持ちでいること。

③時を待つこと。

それでは、しばらくお付き合い下さい。

 

①共通のルールの下にいることを、共有すること。

その方(Aさんとお呼びします)に、問題点を指摘した時、

質問者さんは、「個人的な感情」で指摘をしたのではない、と思います。

ある「共通のルール、基準」から、ご指摘をされたのだと思われるのです。

この点は、非常に重要です。

 

なぜなら、ここが曖昧ですと、

「正しいことを指摘」したのに「過剰な罪責感」を持ってしまうからです。

(但し言い方は大切です。これは②で触れます。)

 

曖昧だと、次の問題が起きた時に「冷静に指摘」ができずに、

ルールに従うこと自体がおかしくなってしまいます。

(多分、質問者さんもそのことは理解しておられると思います。)

 

質問者さんもAさんも、「同じルール」の下にいるはずです。

その自覚があれば、次の問題が起きた時も、「理性的」に業務として対応できるのです。

(少なくとも、質問者さんは自覚していなければなりません。)

 

②言い方の落ち度は、謝罪の気持ちでいること。

人間は、指摘されると「腹を立てる」ものです。(そうですよね。)

それが当たっていれば余計に「腹を立てたり」します。

理性と感情は、別物です。

仮に、100%Aさんに落ち度があっても、「正論が人を傷つける」ことがあるのです。

 

その点に関しては、「謝罪の気持ち」を持つことは必要です。

(それを口に出すかどうかは、考えるべきです。人によっては、謝罪を受けると「鬼の首でも取ったように」自分のミスは横に置いて、攻撃する人がいますので、、、)

 

「正しいことは正しい」

しかし「愛情を持って対応」すべきなのです。

 

1コリント13:1-4

「たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値打ちもありません。

また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。、、、」

 

「正しいことを、愛情をもってする。」この感覚が大事なのです。

お相手を傷つけてしまった点に気がついたなら、

「傷つけたことは申し訳ない(部分謝罪)」という気持ちを持っていると、

何かの折に「謝罪の気持ち」を伝えることができます。

そうすれば、「和解できる可能性」がグッと高まるのです。

 

③時を待つこと。

質問者さんは、残念ながら「Aさんの気持ち」を変えることはできません。

人は、「人の心を変える」ことができないのです。

ある意味、Aさんも、「自分の歪んだ心」をすぐに変えることはできないのです。

 

ですから、私たちはその人を「愛情をもって見守る」ことしかできません。

その方が、自分自身を「内省する」のも、「時があり」ます。

「心を開く」のにも、時があるのです。

ですから、「その時を待つ」気持ちでいることが重要です。

 

伝道者の書3:7-8

「引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。、、、」

 

「その時がきた」なら、良い話ができるでしょう。

「質問者さんの気持ち」を、Aさんに伝えることができるでしょう。

もしかすると「雨降って地固まる」ようなことが起きるかもしれないのです。

 

大事なことは、「質問者さんの心」です。

質問者さんの心が、「愛情に満ち」ていれば、どこかで、「良い関係へ」と向かうはずです。

(「見えない心」が、大事なのです。見えない心も、持ち続ければいつかは「見える形」に繋がるのです。)

 

焦らず、じっくりとお取組み下さい。

焦りは禁物です。

イエス様は、私たちに「和解の務め」を与えられました。

それは「罪赦された」人間が、赦されたことを感謝する時に、

「起こる心の動き」なのです。

 

「人を許すこと」「仲直りをすること」、、、これらは神様の喜ばれることです。

①共通のルールの下にいることを、共有すること。

②言い方の落ち度は、謝罪の気持ちでいること。

③時を待つこと。

 

このことを通じて、「より一層人間関係が良くなる」ことを、

お祈りしています。

 

ご参考にして下さい。

祝福をお祈りします。

 

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「幸せ」をどうやって感じたら良いのでしょうか。③愛することと、自分の居場所について

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今回は「『幸せ』をどうやって感じたら良いでしょうか」のお答え、3回目です。

今回は、「愛することと、自分の居場所について」を考えていきます。

 

少し考えてみてください、、、、

小さい頃は、私たちは安心できる場所があり、毎日が不安がなく、幸せだったと思うのです。

 

しかし、大人になるにつれて、現実が見えてくると、私たちは不安を感じるようになります。

それは小さい頃のように「自分を守ってくれる存在」がいない現実を悟るからです。

 

そして自分を愛し、守ってくれる人を探します。そのような人を見つけると幸せを感じます。

(恋人、友人、恩師、、、)

しかし、その人も「いつも自分を愛してくれる訳ではない、いつも守れない」ことにどこかで気がつくのです。

 

そのため、ある人は絶望します。

ある人は諦めます。「そんな存在などいない」と結論付けます。

でも心のどこかの「愛されたい、守られたい」という、本能にも似た気持ちは消えません。

だから、、、心の奥にぽっかりと穴が空いたように生きているのです。

それを埋めようと、目標の達成感を得ようとします、、、仕事、出世、貯金、資格、、、。

しかし、達成しても、また次の目標を立てないといけないのです。

 

「心の中には、神様にしか埋められない穴がある」とは、そのような穴です。

いつも自分のことを知ってくれる存在、愛してくれる存在、そんな存在が本当にいたら嬉しいと、誰もが思っているのです。

 

個人的な話ですが、

私には、「創造主である神様との関係」が、人生に不可欠です。

なぜなら、継続的に人と「愛する心」で関わるためには、

祈りの中で、創造主(イエス様)と繋がっていなければ、難しいからです。

 

イエス様と繋がっていれば、

人と穏やかに関わることができます。

不思議な知恵が与えられます。

気力が充実して、人と接することができます。

苦手な人や、難しい状況でも、前向きに関わることができるのです。

 

イエス様を信じても、最初からそのようになれた訳ではありません。

自分の足りなさを感じ、弱さや悲しみを通じて、

助けを求めて、祈り続ける中で、

「イエス様と繋がる感覚」を身につけることができました。

(訓練があります。)

 

今回は、「愛する時、居場所を見つける時に、幸せを感じる」がテーマですが、

私が提供できる一番の答えは、「創造主との関係」「イエス様との関係」の中で

居場所を感じ、幸せを味わうことです。

 

いつも書いていますが、人間の愛は不完全です。(私自身の愛も含めて)

ですから、創造主もイエス様も見えないのですが、

関わっていただかないと、継続的な「人との良い関係」が作れないのです。

(切れそうになるような酷いことをされた時に、それでも穏やかに接するためには、確かな支えが必要なのです。)

 

神様との関係(愛の交わり)を持つために、

以下の3つを、考えていきます。

a、人間は「与える愛」が分からない。

b、人を愛する時に「与える愛」を理解できる。

c、愛し愛される関係の中で、「居場所」を感じる。

 

a、人間は「与える愛」が分からない。

幸せを感じるためには、「愛されるより愛すること」です。

「受けるよりも与えるほうが幸いである。」使徒20:35

これはイエス様の言葉です。

 

しかし多くの人は、「与える愛」を持っていません。

「愛が欲しい」と周りを探しまわって、「見つけたら奪おう」と考える人がいます。

「愛は惜しみなく奪う」と考えている人です。

しかし、そのブラックホールに、心の健康な人は近づきません。

心が健康な人は、人を愛し、愛が溢れている所を選びます。

多少はボランティア精神で関わってくれても、ずっと奪い続けられたならば、最後は身の危険を感じて離れていきます。

 

再びイエス様の言葉です。

ルカ6:38 「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」

 

「与えて欲しい」ならば、最初にまず「与えること」なのですが、、、

どうでしょうか。あなたは「与え続ける愛」を持っていますか?

 

b、人を愛する時に「与える愛」を理解できる。

そして人間は、「本当に与える愛」が理解できません。

「与える愛」とはどういうものかも知りません。

1ヨハネ4:8

「愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」

「愛が分からない」ので、神が実感として「分からない」のです。

 

究極の居場所は、神様との「愛の交わりの中」にあるのですが、

理性や理屈で「愛」を理解しても、実感として、「与え続ける神の愛」が分からないのです。

 

「与える愛」が分かるためには、逆説的ですが、

「与える愛で、愛し続ける」ことが必要なのです。

愛を学ぶ必要があります。

 

「子を持って知る、親の恩」と言われます。

子どもの頃は、「当たり前」のことと思っていたことが、本当は「親の愛情」からだったと、親になって初めて実感するのです。

 

人を愛する訓練をしていく中で、「神様の愛」が分かり、「愛の交わりの素晴らしさ」を実感していくのです。

 

c、愛し愛される関係の中で、「居場所」を感じる。

箴言17:17

「友はどんなときにも愛するものだ。

兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。」

 

友情関係は、愛し愛される関係です。一方的に愛するだけでは、友人ではありません。

一方的に愛されるだけでも、そこには繋がりもなく居場所もないのです。

 

神様との関係も同じです。

愛を学び、その愛を受けたなら、神様(イエス様)を愛するという選択と決断が必要です。

 

また私の個人的体験ですが、

毎朝、起きた瞬間から祈り始めます。愛の関係の確認をするのです。

「主の愛を感じ」ます。

「主を愛しますと告白」します。

その感覚がないと、気持ちが悪くて1日が始められないのです。

 

その感覚(イエス様との愛の交わり)で1日を始めると、安心です。

主がいつも一緒にいてくださいます。

失敗をしても、主が支えてくださいます。

「本当の私」を知っておられるイエス様が共におられるので、

嫌なことを言われても、誤解されても、そんなに動揺しなくて済むのです。

 

この安定感は、本当に有難いです。

どんな時でも、私を支えてくれる居場所があり、この居場所は揺らぐことはありません。

(絶対的な安定感です。)

この安定感を体験したいと思いませんか?

 

今回は「神様との愛の交わりを体験する方法」を、まとめました。

神様(イエス様)のことを良く知らない方にとっては、

ピンとこないことも多くあったとは思います。

 

もしそうであっても、

幸せを感じるためには、

「居場所が必要である。」

そして居場所を確保するためには、誰かを「愛することが大切である。」

この2点を押さえて下されば、人間関係や様々な場所で、「幸せを味わう」ことができると、信じています。

 

そして、もしあなたが「創造主との交わり、その愛の中での居場所」が欲しいと思われたならば、

「主の愛」を通じて、

「深い平安(幸せ)」を味わえることをお祈りしています。

 

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「幸せ」をどうやって感じたら良いのでしょうか。②自分の人生を生きる!

f:id:jesuslovesmeus:20211011125803j:plain

先回の質問のお答えの続き、です。

先回は、「幸せを感じる心」について聖書から考え、それを「受け取る方法」について考察しました。

今回は、自分の人生を生きる!即ち、②「自分の願いを持ち、それを求め続けること。」

について考えていきます。

 

箴言13:12(口語訳)

望みを得ることが長びくときは、心を悩ます、「願い」がかなうときは、命の木を得たようだ。 

(命の木とは、神の祝福の象徴)

 

以前から語っていますが、

「和をもって尊しとなす」「空気を読む」

これらの言葉は、日本人の考え方、文化を現しています。

これらは、素晴らしい配慮に満ちた考え方であり、日本人の優れた特性です。

しかし、コインの表裏にように、

空気を読み、自分に期待されたことに応えようとする余り、

日本人は、他の国の方々以上に、同調圧力に弱い傾向があるのです。

 

つまり、自分がある願い、考えを持っていても、相手の様子を見て、

(親だったり、友人だったり、同僚だったり)

自分の意見を引っ込めてしまい、過剰適応してしまうのです。

そしてそれが習慣化してしまうと、

人に合わせることで、自分の存在価値、居場所を見つけようとしてしまいます。

するとある人たちは「自分が何を願っているのか分からない」

「自分が何をしたいのか分からない」状態になってしまうのです。

(かつての私も、、、かなり、そのような傾向がありました。)

 

こういう立場に「追いやられる」と、

生きることは、「義務感」になってしまいます。

人のニーズばかりを考えて、

生きる喜びが感じられず、「幸せを感じられない心」になってしまうのです。

 

では、どうしたら良いのでしようか。

その穴から抜け出す方法はあるのでしょうか。

今回のポイントは、この点です。

 

②自分の願いを持ち、それを求め続けること。

「願いがかなうことは、命の木」(神の祝福、幸せの源泉)

 

あなたは、「自分の希望」を持っていますか?

「自分の願い」を知っていますか?

(人からの期待ではありません)

幸せは、「それ」を発見するところから始まります。

 

「自分の希望」をリストアップするとしたら、どんなことがかけますか。

絶対不可能な希望、かなり難しい希望、努力したらできるかもしれない希望、、、

諦めかけた希望、、、すでに諦めてしまった希望、、、

とにかく書き出してみましょう。

そしてそれを、じっくり見つめ、考えてみるのです。

 

そして、許される範囲で実行するのです。

 

私の場合、数年前に公私ともに厳しい環境になり、

自分はこれから、「どのように生きていったら良いか」を真剣に考えた時期がありました。

もともと文学部国文学科卒業で、昔は詩や短い小説を書いたりしていましたので、

将来は文章で「神様との関係の素晴らしさ」を広く伝えたい、という希望を持っていました。

しかし卒業後は、仕事に追われて、小説も詩も全く書くことがありませんでした。

 

その時期、いろんな可能性を考えて、自分の夢の実現を考えてみました。

白い紙に「思いつくまま」の希望を書き出しました。(ウイッシュリストです。)

経済的なこと、、、自分のしたいこと、、、自分のしなければならないこと、自分の使命、、、

そして「今後の人生のいくつかのプランを考えました。

 

その一つに「神様との愛の関係をテーマにした小説」を書いてみたいと、いうものがありました。

そして一念発起をしたのです。

どうせなら懸賞に応募しようと考えて、準備を始めました。(懸賞金獲得という、大それた夢も持ちました。)

最近の小説を読み漁り、ドラマを見たりシナリオを読んだり、文章作成のスキルアップを考えて、自分の興味のある分野を深掘りし始めました。

(それまで仕事に追われて、20年近く仕事関係の本以外は殆ど読まなかったのです)

その夏に、原稿用紙300枚の小説を書き上げました。

次の年、その小説を修正したものを、ある出版社に応募をしました。

入選はしませんでしたが、編集部から連絡があり、自主製作という形なら、印刷費の一部を負担するという形で出版をすることができると言われました。

(しかし結局、、、今の経済状況ではできないので、断念をしましたが、、、、)

 

そして、、、「どんな形で発信できるだろうか」と考えている中で、昨年コロナ禍が始まったのです。

そして9月に相次いで俳優さん、女優さん方の自殺、、、の記事を読みました。

とにかく「生きることの励みとなる何か」を発信しよう、と考えてこのブログを9月に開始しました。

今、2021年10月、、、一年が過ぎ、プログ発信が生活の一部になっています。

 

細々と書いているこのブログを読んで下さっている皆様、定期的に応援して下さる皆様には、

心より感謝をしています。

 

しかし今振り返るなら、数年前からの厳しい状況を通らなければ、

(その時ウイッシュリストを書かなければ)、

このような形で、発信しようということは考えなかったと思うのです。

また「小説の練習」がなければ、今のブログのスタイルにはなっていなかったと思うのです。

 

ピリピ2:13-14

神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、(実現へと)事を行わせてくださるのです。

すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。

 

創造主は、私たちに「能力」を与え、「志、ビジョン、願い」を与えて下さいます。

ですから、大事なことは、神様の語っておられる中で「自分の願い」を持つことです。

そして「それ」をつかんだら、「呟かずに、疑わずに」行うことです。

 

人の目を気にしてでもなく、人の期待に応えるためでもなく、

自分自身が心の底から願う「願い」を見つけることは非常に大切です。

(現在の環境の中で、許されるものという限定はつくでしょうが・・・)

 

その願いが、実現する時に、幸せを感じるものなのです。

箴言13:12(口語訳)

「願い」がかなうときは、命の木を得たようだ。 

 

現在の私は仕事をしながら、忙しくはしていますが、

オフの時には、感動的なドラマを見たり、自分の好きな景色を見たり、食事を食べに行ったり、

家族と関わったり、知人たちたちと関わったりで、結構楽しく暮らしています。

 

「幸せだな」と思います。(多分以前よりも充実しています。)

 

現在私が気を付けていることは、「自分の心の動き」(願い)に正直になることです。

「自分の願い」を大事にして、生活することです。

(忙しい中でも、自分らしく充実して生きるには、このことが不可欠だと思います。)

 

今回は、「幸せを感じるために」

②「自分の願いを持ち、それを求め続けること。」

をまとめてみました。

 

今回は、私の話が多くなってしまいましたが、

参考にして頂ければ幸いです。

 

次回は、③「愛すること、自分の居場所を持つこと」を取り上げます。

祝福をお祈りしています。

 

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