今回は、自分は見られているという感覚を持つと、自分を律することができる。ひいては人に信用されることを書いていきます。
ある人Aさんから聞いた話です。
以前ブログに書きましたが、嘘が癖になっている人の話です。
Aさんは、その人Bさんと話していて驚いたことがありました。
「人に見られている」時は、仕事をするのですが、
「人から見られていない」時には、平気でサボるのです。
実際Bさんの、サボっている姿を、多くの人が見ていました。
Aさんは言いました。
「人は見ていないようでも見ていますから、Bさんは、人から見られてられていますよ」
しかしBさんは、キョトンとした顔をしたそうです。
Bさんは「自分のごまかしを隠せている」と思い込んでいたようです。
「人が見ている時だけ、やっている振り」をしていれば、
「自分のごまかしは隠しとおせる」と思っていたようです。
クリスチャンであるAさんは、思わず言ったそうです。
「神様は、見ていますよ。そういう気持ちで仕事をしていかないと、トンデモないことになりますよ」
その言葉にも、キョトンとした反応だったそうです。
人は見られていないと「思い込んでいる」と案外ひどいことを平気でします。
諺に「旅の恥はかき捨て」とあるように、
知らない土地で、人の目が気にならないと、
タガが外れたように、わがままな行動を平気で取ったりします。
「人の目だけ」を気にしている人は、
人の目が無くなると、自制心が暴走します。
しかし、「神様が見ている、天が見ている」という感覚を持っている人は、
人が見ていてもいなくても、自分が正しいと思うこと、コツコツとするのです。
人が見ていないところで、コツコツとしている人は、
信用されます。
そして大きなことも任されるようになるのです。
“小事(しょうじ)に忠(ちゅう)なる者は 大事(だいじ)にも忠なり。
小事に不忠(ふちゅう)なる者は 大事にも不忠なり。 (文語訳)”
(=「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、
小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。」(新改訳))
(新約聖書・ルカの福音書 16章10節)
「天は見ている、人も見ている」という感覚は、
非常に大切な感覚です。
この感覚を持つ人は、大きな失敗をしません。(失敗しても回復します)
いつも自分の信じたことをコツコツとしながら、
信頼されるのです。
そんな人生は、素敵な人生です。
ただし「神様は、人間の罪を赦してくださる」ことを受け取っていることが大切です。
「赦し」を知らないで、すべて見られていると思うと、いたたまれなくなります。
神様との「健全な関係」を持つ方法を、知っていることが大切なのです。
祝福をお祈りしています。
「人は罪を犯す。それを赦すのが神である」(西洋の諺)
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