人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

クリスマスにはどういう意味があるのですか。イエス・キリストの誕生を、なぜお祝いするのでしょうか。

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【クリスマスにはどういう意味があるのですか。またクリスマスイブ(12月24日)、クリスマス(12月25日)はどういう違いがあるのですか。どうしてイエス・キリストの誕生を、世界中でお祝いするのでしょうか。不思議な気がします。】

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

クリスマスが近づき、コロナ禍の中にあったとしても、街にはイルミネーションが輝いています。

今回、クリスマスのことを書くにあたり、世界のクリスマスの様子をリサーチしました。すると、写真を見るだけで、心がワクワクしてきました。

プレゼントを交換し、家族で食事をする・・・いろいろなクリスマスの過ごし方があるとは思います。

 

今回、2つのポイントで書かせて頂きます。

①【クリスマスの意味】について

②【イエス・キリストが何をされたのか】について

 

①【クリスマスの意味】について

クリスマスは、英語でChristmas、キリストのミサ(礼拝・祭儀)という意味です。

Xmasと表記されるXは、ギリシャ語のキリスト(ΧΡΙΣΤΟΣ)の頭文字です。

ちなみに、イエス様の誕生の地のユダヤ歴では、日没から一日が始まりました。ですからそれを継承した教会歴でも、日没(クリスマス・イブ)からクリスマス(25日)が始まるのです。

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また、イエスキリストの誕生日は、実は聖書の記述がないのです。(ご存知でしたか)

ですから12月25日は「誕生日」ではなく、誕生を「お祝いする日」です。

ちなみに西方教会(カトリック・プロテスタント)では、ユリウス暦を使用するため12月25日。東方教会(正教会)では、グレゴリオ暦を使用するため1月7日にお祝いをしています。

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上の写真は、ドバイ(アラブ首長国連邦)のクリスマスツリーです。

(イスラム教の国ですが、豪華なクリスマスツリーが街中で見られます)

 

クリスマスのお祝いは、一部のイスラム教の国を除き、世界中で行われているのです。

キリスト教のお祝いであるクリスマスが、世界中でお祝いされるのは、確かに不思議な気がします。(たとえ商業ベースだとしても、世界中でお祝いされるお祭りは、他にはありませんので)

この後で②で、その意味について深めていきます。

 

②【イエス・キリストが何をされたのか】について

クリスマスが、イエス様の誕生をお祝いする日だと知っていても、イエス様が何のために生まれたのかは、一般にあまり知られていないかもしれません。

ちなみに「キリスト」とは、姓ではなく「救い主」という意味です。

 

「救い主」とは、「何から」の救いなのでしょうか。

聖書から見ていきます。

ヨハネによる福音書(新約聖書)

3:16「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである」

(この「神の御子」がイエス様です。)

 

私のブログを読んでくださる方は、気がついている方もおられるとは思いますが、あるテーマが流れています。

それは、聖書に書かれている「罪とは何か」と「罪への対処の仕方」です。

(「煩悩(ぼんのう)」への対処の仕方とも言うことができると思います)(見えない「心の中」でのことです)

 

いろいろな「問題」や「罪の行動」を取り上げることを通じて、

上記のテーマを掘り下げようとしています。

ですから、記事を読んでいると「心がザワザワする」と感じる方もおられるのではないでしょうか。(それは心の中にある、「醜い部分」が共鳴するためです)(私も書きながら、度々感じます)

 

人間が生きる上での、様々な「醜いもの」・・・自己中心からくるエゴや傲慢、強欲、正しさに反発する心(神や真理などない、自分の正しさがすべてという思い込み)・・・それらの聖書の言う「罪の性質」によって、人は、自動的に「不幸」を呼び寄せてしまいます。

(人を憎む思い、裁く思い、比較して見下す思い、お金や地位やモノを貪(むさぼ)る思い・・・これらはすべて「人間の醜さ(罪)」です)

この観点では、人間はすべて「罪人」と言えます。

そしてその「罪人」が死ぬと、「永遠の滅び」(=永遠の死、地獄)を「免れることはできない」と聖書に書かれています。


「神の子」であるイエス様が、「十字架で釘付け」にされたのは、「人間の罪」を身代わりとなって償う(罰金を支払う)ため、人間が「永遠の滅び」に堕ちるべきところを救い上げ、「永遠の命」へと変えるためだったのです。(天国に入れる特権です)
これが、イエス・キリストが「救い主」と呼ばれる理由です。

とても有難いものです。

 

ですから「この救い」は、現在の「クリスチャン」だけに限ったものではなく、「すべての人間」に必要なものなのです。

そう言う意味では、クリスチャンに限らず、世界中の人が「クリスマスをお祝いする」(クリスマスのお祝いを見る)ことも納得がいくような気がします。

 

クリスマスの有名な聖書箇所です。

(ヨセフに天使が、救い主の誕生を語ったところです)

 

マタイによる福音書(新約聖書)

1:20彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。 1:21マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその【罪】から救ってくださる方です。」 1:22このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。

 

イエス様は、約2000年前に、この地上に誕生して下さいました。

その目的は、【人々の罪】からの救いのためでした。

それは、「私のため」、「あなたのため」だったのです。

 

今年も、12月24日クリスマスイブ、25日クリスマスが近づいてきています。

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コロナ禍にあっても、いやコロナ禍だからこそ、

一人一人が、「真理」と「救い」を知ることができますように。

そして、人々が罪や煩悩の苦しみから解放されて、少しづつでも(人間は罪深いですから)

自由を体験できますように。

 

地上に平和と希望が与えられますように。

世界中で蔓延しているコロナの問題が、できるだけ早く収束しますように。

死にたくなるほどつらい経験をしている方の、苦しみが少しでも軽減されますように。

 

心よりお祈りをしています。

 

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【コラム】コロナ禍での、クリスマスの喜び

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今年は、コロナの影響で特別な年末を迎えようとしています。クリスマスと言っても、多人数で集まってお祝いすることも遠慮しないといけない状況下です。帰省も難しいかもしれません。

通常ですと、心がウキウキする街中のイルミネーションも、なぜか逆に寂しさを感じます。どうしてそう感じるのかと、よくよく思い巡らしてみると、出歩く人が例年よりも圧倒的に少ないからだと思い当たるのです。(私の近所の駅の話です)

皆が、どこか萎縮しています。騒いでいる人も、現実逃避のように感じるのは、私だけでしょうか。

 

しかし、こんな時でも、世界中でクリスマスがお祝いされています。商業主義のため、と利用している人もいるでしょうが、「心からお祝い」している人も、多くいるのです。

 

今回は、コロナ禍での「クリスマスの喜び」について考えてみたいと思います。

 

内戦の国の、少女の話を聞いたことがあります。

その少女は、両親を目の前で虐殺され、1人助けられて保護施設に連れて行かれました。

施設の人たちが関わっても、長い間、話すことをしなかったそうです。

どんなに女性の担当者が、優しく話しかけても、下を向いて目を合わせることもしませんでした。

 

しかしある日、この担当者は、彼女が小さな声で「ある歌」を歌っているのを聞きました。

 

Jesus loves me, this I know, for the Bible tells me so.....

Yes Jesus loves me, Yes Jesus loves me, Yes Jesus loves me, the Bible tells me so.

イエス様が私を愛してくれている。それを私は知っている。聖書にそう書いてあるの。

イエス様が強いんだから、私は弱くても、怖くないの。

そう、イエス様は私を愛している。イエス様は私を愛している。

(私は知っている)だって聖書にそう書いてあるから。

 

有名な、キリスト教会の子供讃美歌「日本語では、『主われを愛す』」です。

この少女は、この歌を歌ったしばらく後に、話せるようになったということです。

 

「イエス様が私を愛してくれている」

この「事実」が、信じる者(そのことを「知っている者」と言った方が良いかもしれません)には、とても大きな影響を与えたのだと思います。

 

人は、どれほど悲しみと痛みを感じても(死ぬ以上の苦しみを経験しても)、

その苦しみの「一番奥底」を分かってもらえ、

「痛みを感じる自分」を受け止め、愛して頂いていることが「解る」と、

生きていけるのではないでしょうか。(回復していけるのではないでしょうか)

 

皆さんは、最初のクリスマス(イエスキリストの誕生)がどのようなものだったかを知っていますか。

誰に、クリスマスの喜びが、最初に伝えられたかをご存知ですか。

 

今日は、2つのポイントで書いていきます。

①最初のクリスマスは、「貧しい羊飼いたち」に伝えられたこと。

②救い主は、あえて「貧しい家庭」に生まれ、生まれた場所も「家畜小屋」だったこと。

 

ルカによる福音書(新約聖書)

2:8さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。 2:9すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。 2:10御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。 2:11きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 2:12あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」

 

①最初のクリスマスは、「貧しい羊飼いたち」に伝えられました。

当時の「羊飼いたち」は、最下層の人たちでした。

また羊飼いたちは、当時の宗教的義務であった神殿礼拝に行けませんでしたから(羊を置いて街に行けませんので)

宗教面でも差別され、見下されていた人たちだったのです。

風呂にも当然入れませんし、服はぼろぼろだったでしょう。(臭いも凄かったでしょう)

地位も見た目も、最下層の人たちだったのです。

 

聖書で、救い主は「王の王」として誕生することが書かれています。

では、なぜ「王の王」の誕生が、「貧しい羊飼いたち」に、最初に伝えられたのでしょうか。

 

羊飼いたちは、差別されていても、大自然の中で生きていたため、

純粋で、信仰深い人たちだったと言われています。

 

神様は「純粋で信仰深い人」を見ておられるのです。

決して見捨てることがない、忘れることがない、のです。

 

その「実例」が、「貧しい羊飼い」に、最初のクリスマス(イエス様のお誕生)が伝えられた事実です。

 

ですから、もしあなたが「寂しさ」を感じても、

「誰も理解してくれない」と嘆きたくなっても、

「助けてくれる人はどこにいるのか」と叫んでも、

 

あなたが「心から助けを求める時」に、

その心を理解し、「助けよう」として下さっている方(創造主)が、近づいて下さるのです。

(私はそう信じています)

 

皆さんも経験があるのではないでしょうか。

「誰も助けてくれない」と絶望していたとしても、

あとで振り返ると「何とか乗り越えることができた」ことを。

 

そして、よくよく考えると、そこには「不思議な助け」があり、

「通常だと起こり得ないこと」が起きたことを……そんなことがありませんでしたか。

もし「そんなこと」があったとすれば、私は信じるのです、

「あなたの叫び」を聞き、「助けて下さった方」がおられるということを。

 

この世界を造られた創造主は、

「羊飼い」を忘れることがなかった、お方です。

いやむしろ「救い主の誕生」を最初に伝えるほど、「貧しい羊飼い」に注目しておられたならば、

神様は、「私たちの小さな叫び」を見落とされないはずなのです。

 

②救い主は、あえて「貧しい家庭」に生まれ、生まれた場所も「家畜小屋」だったこと。

救い主は、「王の王」として生まれた、と先ほど書きました。

しかし、その「王様」が、どうして「家畜小屋」で生まれたのでしょうか。

「地上の王様」の住む宮殿のふかふかのベッドの上で生まれても良かったのだとは思うのです。

 

しかし家畜小屋は「象徴」でもあります。

考えれば分かりますが、家畜の住む小屋は、掃除をしていなければ不衛生です。

ひどい臭いも、したでしょう。

飼い葉桶は、触りたくない程の状態だったかもしれないのです。

 

王様の厳かさや聖さとは、かけ離れていました。

救い主は、そんな「最悪な場所」で生まれたのです。

 

このことは、どう考えたら良いのでしょうか。

神様は、「私たちの心の汚さ」をご存知です。

それでも、「私たちを受け入れ」「愛して」おられます。

その象徴が、「家畜小屋」だと言えるのです。

 

私たちが、「完璧でなく」ても「強欲」でも、「人を許せなく」ても、

「心の中に汚いもの」を一杯持っていても、

救い主は、そんな私たちを「受け入れて下さる」のです。

 

また救い主は、「貧しい家庭」に生まれました。

そうであれば、当然、お金や不足の苦しみを経験されたはずです。

「王である方」なのに、貧しい者が経験するあらゆる痛みを、味わったのです。

(ですから、私たち普通の人の苦しみを解って下さる、のです)

救い主は、そのようなお方として、お生まれになりました。

 

統計上、世界人口の3分の1以上の人がクリスチャンです。

その多くの方々が、「イエス様の誕生の意味」を知って、クリスマスをお祝いしているのです。

 

天使は羊飼いたちに、

「『恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです』

と民に『喜びの訪れ』が来たこと」を伝えました。

 

クリスマスは「喜びの訪れ」の知らせ、なのです。

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「クリスマスは嫌いだ、誰とも一緒に過ごせない、自分が惨めになるだけだ」という人がいます。

しかし「クリスマスの本質」を考えると、

そういう人こそ、「クリスマスの本当の意味」を知って欲しい人なのです。

 

それは、「寂しいから、助けて」と正直に祈る者たちのためであり、

「生きる力が見つからず」「上を見上げることもできず叫ぶ」者たちのためでもあるのです。

 

寂しさと痛みの中にいる者に、

「救い主が来られた」「真の喜びの訪れが来た」ことを、

互いに伝え、喜びあうのが、本来の「クリスマスの過ごし方」なのです。

 

このことを「あなた」が知られたならば、「今年のクリスマス」は、

少し違う気持ちで迎えることができるのかもしれません。

 

コロナ禍で、そして様々抱えておられる問題のため、「誰からも助けてもらえない」

と痛みと失望の中におられる方に、

「ぬくもり」と「チカラ」が届きますように。

「1人じゃない、助けがある」と信じ「前を向くこと」ができますように。

支えと祝福を、心よりお祈りしています。

「クリスマスの喜び」が、「そんなあなた」に届きますように。

 

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職場で人間関係でのトラブルを抱えています。どんな対応をしたら良いでしょうか。

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職場に影響力のある人が2人います。2人は現在、部署が違いますが、お互い自己主張が強く、譲りません。2人はそれぞれでは良い人なのですが、相性が悪いのか過去に何度かぶつかったことがありました。今は距離があるので、問題がないのですが、将来的に揉めごとが起こる可能性が高く心配です。どちらの人とも仕事上の関わりがあるため、対応に気を遣います。アドバイスを頂けると助かります。(40代管理職)

 

ご質問を下さり、ありがとうございます。

職場の人間関係は、毎日顔をあわせるため、こじれると大変難しいものです。特に管理職のお立場では、チームを上手くまとめなければいけませんから、とても気を遣われることでしょう。

解決の方法は、複数あるでしょうが、原則的なことを3つ書かせて頂きます

参考にして頂けると幸いです。

 

ここでは、お二人の心に焦点を当てて、考察したいと考えています。

業務として指導するならば、形は整うでしょう。

しかし、面従腹背という言葉があるように、心の中の問題は、簡単には解決しません。

今回原則的なことを書かせて頂きますが、解決は、質問者さんの努力だけでなく、お二人の姿勢が大きく影響します。(和解をしたい、仲直りをしたいかどうかの姿勢)

ですから、一緒に筋道を追って考えながら、どこまでを目標にしていったら良いかを考えていきましょう。

 

①変わろうとしない人は、変わらないという事実。

②多くの場合、被害者と主張する人は、立場が変わると加害者であるということ。

③人との和解は、誰かが汗をかく(犠牲や努力)によってなされるという事実。

 

 

①変わろうとしない人は、変わらないという事実。

「自分は正しいと思っている人」は、実際は、自分が正しいと「思いたい人」です。

そうであるならば、あらゆる理屈を使って「自分は正しいこと」を証明しようとします。それは相手が間違っていることを証明しようとすることでもあります。

 

ざっくりとですが、

人は大きく分けて、2つに分かれるように思います。

 

a自分を越えたルール(高い生き方)を見上げて、そこに近づいていこうと考えるタイプ

b自分が大事過ぎて、自分がルールとなり、他人を従わせようとするタイプ。

 

質問者さんが関わろうとする人が、bのタイプの場合、残念ながら、関係の好転はかなり難しいと言えます。

しかし諦めないで欲しいのです。

aのタイプでも、「自分や周りのこと」が誤解によって「十分見えていない」ならば、一見「自己中心」行動を取る可能性があるのです。

その場合、心を開いた話し合いが必要です。

 

その方が、「成長したい」「自分を高めたい」と考える方ならば、aである可能性が高いでしょう。

その方たちのことを思い起こし、その時々の発言を振り返ってみて下さい。

ただし、「自分を良い人と見せたい」動機で「自分を高めたい」と周りに言いふらしているようなタイプであるならば、残念ながら「かなりのナルシスト」と言わなければなりませんので、bである可能性が高いのです。

 

ですから、質問者さんの「観察力」と「目標設定」が重要です。

2人がコミュニケーション不足からの「誤解や行き違い」によって、関係が悪くなっているならば、質問者さんや相応しい人が「橋渡し役」になることを通じて(③で確認します)関係が改善する可能性があります。

 

その2人の方が(片方の方だけかもしれませんが)、bのタイプで「自分を愛しすぎる人」の場合は、仕方がありません。

ビジネスライクで、「仕事上だけ」は大人対応をするように、指導し「表面上は平和」という、解決を目標にすることが相応しいかもしれません。

 

質問者さんの冷静な観察力(分析力)が要求されます。

「和解をする気がない人」に「和解を勧める」ことは、プレッシャーにしかなりません。下手をするとパワハラ的な発言と言われてしまうかもしれません。その点は十分気を付けて、目標設定をして下さい。

(期待をし、信じることは大切です。しかし、もしできない人(その気がない人)ならば、「できない」と質問者さんが受け入れる必要があります。その上で次の対処をすべきです)

 

②多くの場合、被害者と主張する人は、立場が変わると加害者であるということ。

 お2人が、aのタイプと仮定して進めていきます。(bであったとしても参考になるとは思います)

人は感情的になった場合、「盲目(一部しか見えない状態)」になります。自分を守るために、あらゆる手段を尽くします。そして自己防衛のために相手を攻撃します。

自己正当化のために「相手だけが悪い」と考えます。

自分を「被害者」を確信し、相手を絶対的な「加害者」と見るのです。

 

しかしよく話を聞けば、二人とも(AさんBさんと仮定します)「被害者の部分」もあれば、「加害者の部分」もあることに気がつくはずです。

「Bさんにこんな酷いことを言われたの」とAさんが被害者として主張したとしても、実はその前に、AさんがBさんの傷つくことをどこかで言っていることも、かなりのケースであるのです。

 

「自分は『被害者』かもしれないが、『加害者』でもある」

この視点を持った人は、自分を客観的に見ることができます。

そしてこのことに気がつくと「相手だけを悪く言うこと」ができなくなります。

(そのために、冷静になる時間が必要かもしれません)

 

「自分が相手にしたこと」で、「明らかに悪いこと」は「謝罪する気持ち」を持つことができると、「和解」にかなり近づきます。

 

この時、Aさん、Bさん双方に必要な考え方は、「クレイマーに攻撃された時」にも書きましたが、

(この記事は下に張り付けておきます)

「部分謝罪」です。

 

もしAさんが「正しいことを言ったとして」、

「相手(Bさん)を傷つけたならば」

「(bさんを)傷つけてしまったことは謝ります」というのが、ふさわしい言い方です。

「私(Aさん)がすべて悪かった」という必要はありません。

Aさんが「すべて悪い」と謝罪すると、相手(Bさん)は「自分の考えはすべて正しい」と誤解しますので、避けるべきです。

 

そのように、二人が自分たちのことを、客観的に気づく方向に関わることができたならば、相当な確率で和解に向かうことができる筈です。

(ここでは理想形を記していますので、実際のところ、ここまで行くことは、質問者さんが、AさんまたはBさん(もしくは両方)に相当に心を開いて話をしないと難しいです。そのような関係を持つことができるかどうかを思案して、対応していかれることを勧めします)

 

 

③人との和解は、誰かが汗をかく(犠牲や努力)によってなされるという事実。

感情的になっている二人を和解へ導く場合、「和解の務め」をする人がどうしても必要です。

2人だけで話すと、すでに感情がこじれているので、(2人がどれだけ和解を願っていたとしても)、直接会話をすれば、ますます感情はこじれる可能性が高いのです。

 

「2人が和解する」には、

「2人を仲直りさせたい」、という「強い気持ちを持っている人」が必要なのです。

 

質問者さんは、クリスチャン(イエス様を信じる人)の中には、信じられないほどの許しを実行した人がいることを知っているでしょうか。

交通事故で、自分の子供を殺されたクリスチャン両親が、運転手に対して「私はあなたを許します」と言った事実があることを、私は知っています。

 

彼らは、イエス様が「私のために死んで下さり、その上で許すことを願っているから」

「イエス様の苦しみに免じて」「許します」という、心のプロセスを通っているのです。(この心のプロセスは簡単なものではありません。しかしイエス様の愛と赦しを知っており、体験した者は、そのように至る人も現実にいるのです)

 

よく時代劇やドラマで、「私に免じて許してやってくれないだろうか」というのに近いでしょうか。(次元が違うかもしれませんが・・・)

 

仲の悪い2人が、仲直りをするためには、誰かが「汗をかく」必要があります。

その和解のために、配慮をし、努力をし、エネルギーを注ぎ続ける「和解の務め」をしていこうという人が必要なのです。

 

聖書の言葉です。(この聖書の意味は、深いものがあります)

イエス様は、私たち人間が、「神との和解、人との和解、の使者」となることを願っておられるのです。

2コリント(新約聖書)

5:17だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 5:18これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。

 

素晴らしいことに、質問者さんの職場には、そのような気持ちを持っている質問者さんという方がいます。そして質問者さんに賛同する人も、きっとおられると思うのです。

(私はそう信じています)

その方たちの願い(祈り)があるうちは、きっと「和解、仲直り」の方向に向かっていくと信じるのです。

 

「仲直りができる」と信じて下さい。そして直接的な行動はすぐにはしなくても、その気持ちを持ち続けて下さい。それが祈りとなるのです。

祈りが積まれたならば、壁が崩れるように、物事が好転とも多くあるのです。

 

先ず、信じていきましょう。

見えない「心の中で生み出されたもの」が、信じていく中で、時が至ると

「目に見える形で実願すること」が多いのです。

(赤ちゃんの出産に例えることもできます。約10カ月大事にお腹の中で育て、時が来ると自然に生まれるのです)

 

今回3つのポイントで考えてみました。

①その方々が、どれだけ「変わろうとしているのか」「和解を願っているのか」、見極めて下さい。

②和解のためには、双方が「被害者」であり、「加害者」であったことを、お互いに認めることが必要です。

③誰かが「和解を信じて」、汗をかき、信じ関わっていく中で、多くの和解が実現するのです。

 

質問者さんの職場が、ますますチームワークに満ちた、雰囲気の良い職場となりますように、

質問者さんの祈りが用いられ、実現しますように、

祝福をお祈りしています。

 

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【コラム】神様に守られている感覚

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いつも読んで下さり、ありがとうございます。

最近、コラムが多いですが、今回もしばらくお付き合い下さい。

 

今回、「神様に守られている感覚」について書いていきたいと思います。

皆さんもきっとあるのではないでしょうか。

「ヒヤリハット」の体験です。

「危ないところで守られた」という体験です

私も先日、車の運転をしている時、追い越し車線から走行車線に車線変更をしようとして、確認の上でハンドルを左に切ろうとしたことがありました。その直前、左ミラーに「チラリと白い車が見えた」ので、留まりました。その直後、猛スピードの車が左から追い越していきました。(猛スピードで左からの追い越しは、当然違反です)

「あの瞬間」に白い車を、左ミラーで見ていなければ、確実に事故になっていました。

「猛スピードで左から追い越すなど、あり得ない」と私の常識では考えていたのですが、実際は、起きたのです。

 

私は、いつも運転する前には、「イエス様にお祈り」してからハンドルを握るようにしています。

別に大した祈りではありません。「イエス様、守って下さい」そんな祈りです。

そして「守って頂いている感覚」で、運転するのです。(これが大事だと思います)

 

そして守られた後に、「イエス様、ありがとうございました」と(心からの感謝を)祈るのです。

 

今回のブログは「神様に守られている感覚」の話です。

 

中学生の頃、海外の短波放送(日本語放送)を聞くというブームがありました。

(インターネットのない時代です)

私も、短波放送対応のラジオを買ってもらい、雑誌を買ってアンテナを自作し、よくイギリスのBBC日本語放送を聞いていました。(イギリスから電波が届くことは驚きでした)

最初は苦労しました。アンテナを立てる前は、電波が弱くなかなか聞けませんでした。

周波数調整のダイアル(ツマミ)も当時はアナログだったので、少しずれるだけで、ノイズが入ってまともに聞けませんでした。

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(この写真は、私の持っていたものと同機種です。懐かしかったのでアップしました)

ダイアルを右や左に微調整して、ようやく放送が聞けた時は、本当に嬉しかったです。

しかし、遠いところからやってくる電波のためか、アナログのダイアルの特性か、調整をしたはずでも、日によって微調整が必要でした。

苦労した分「BBC…こちらは日本語放送……JST……」というアナウンサーの声を聴くと「これは、イギリスから届いた放送なのだ」と感慨深く、興奮したものです。

 

「神様に守られている感覚」(神様に助けられる感覚)は、

この「電波受信」と似ている気がします。

「電波」はあるのですが、「ラジオ(受信機)」がないと気がつきません(聞こえません)。

そして受信機は持っていても、感度が悪い時には「アンテナ」が必要です。

さらに「日々、微調整が必要」なのです。

 

私はクリスチャンなので、定期的に教会に行きます。

行き始めた当初、「教会にいる時には、神様の恵みを感じるのに、家に帰った時に感じないのはなぜだろう」と思ったことがありました。

今は良く分かります。教会は「電波(神様の力)が強い」のです。

教会には祈り深い方がおられます。

イエス様の「2人3人クリスチャンが集まる中に共にいる」という約束と「祈り深い方の信仰」によって、教会は「神様の恵み(光)」が強いのです。

 

しかし家に帰ると「光はある」にもかかわらず、受信機の感度が悪いため「受信しにくい」状態だったのです。

ところが家に、一人の信仰深い人が来てくれますと、「アンテナ」が立って電波が強くなるように「光」を感じることができたのです。

 

私も、クリスチャンとなって聖書(基準)を学び、祈りの訓練(ダイアルの微調整)を学ぶ中で、

段々と「神様との感度」が良くなってきました。(当然まだまだ途上ですが、)

(このブログは、信仰を持っている方も、持っておられない方も、読んでおられると思います。クリスチャンでイエス様とつながっている者は、こういう感覚を持っている、と知って頂き、参考にして下さればと思います。神様に助けて頂くためのヒントにして頂ければ、と願っています)

 

※神様に守って頂く、その守りを受け止める(受信する)ためには、

いくつかのコツがあるように思います。 (※神様:この世界を造られた創造主)

 

その中で一番大事なことは、極めて単純です。

それは「意識すること」です。

(助けて下さいと、日々求めることです)

 

神様は私たちを「助けたい」と思っておられることが、聖書に書かれています。

電波を受信するように、「電波がある」と信じて、

「上(神様)に向けて、ダイヤルを回し続ける」のです。

 

「ダイヤルを回し続ける」ことは、あなたにとってどういうことでしょうか。

具体的なことは、ここには書きませんが、ぜひ色々と実験されたらよろしいと思います。

 

難しいこと、ややこしいことは考えなくても良いのです。

ただ神様を「意識」し、「求める」ことだけで良いのです。

そうすれば「何かの返答」があるはずです。

 

これが、私が「日常的に意識していること」です。

(そのため、何かをする前に「イエス様守って下さい」と祈っているのです)

 

「守り」があるなら、「受け取れた方」が良いに決まっています。

そして、「この守り」を実感できると、「不思議な平安」が与えられます。

将来起きるだろう問題にも「不安が少なくなる」のです。

(問題が起きても、その時また「助けてもらえば良い」と考えることができるのです。安心です。)

 

あなたがたくさん「神様からの守り」を体験できますように。

日々の生活で、神様の守りに「気がつきます」ように。

 

このブログが、「助けを得るため」のヒントになれることを願っています。

祝福をお祈りしています。

 

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【コラム】自分の使命(生きる方向性)を考え、果たすこと(考察)

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いつも応援して下さり、ありがとうございます。

55歳の誕生日を迎えました。

妻がケーキを買ってきてくれ、ささやかな楽しい時間を持つことができました。

もう人生の半分は過ぎてしまったのだろうな、と思うと、感慨深いものがあります。

 

これからの人生を思い巡らす中で、頭の中に「自分の使命を考え、果たすこと」というタイトルが思い浮かびました。

今回はそのことを、まとめたいと思います。

 

今、コロナの第3波で、社会全体にストレスが蔓延しており、心がささくれ、人に攻撃的になっているような気がします。多くの人の心は、悪いほう、低いほうに向いています。

衝動的、刹那的な雰囲気に巻き込まれ、したくないこと、してはいけないことを、考えてしまいそうな風潮です。

しか、だからこそ「自分の使命(生きる方向性)」を考える時だと思うのです。

何もせず、何も対策を打たないならば、悪い力に煽られると、心は低いほうに自然と落ちてしまうでしょう。

しかし「自分の使命」を考える時に、低い方に流れる濁流に逆らうことができます。

そして、逆に高いほうに向かうと信じるのです。

そう思いませんか。

 

今回も3つのポイントです。

①「自分のできること」で「人が喜んでくれること」を継続する。

②「身近な人」を大切にする。(愛の言動一致)

③「心の状態」を整える。(心のきよめ)

 

①「自分のできること」で「人が喜んでくれること」を継続する。

「自分の使命」のことを考えるとは、仰々しい、堅苦しいと感じるかもしれません。

そんなことは分からない、と思われるかもしれません。

しかし見つける道筋はあります。

 

「自分の使命」を考える時、 

「自分ができること(得意なこと)」、

「人が喜んでくれること」の中に「自分の使命(生きる方向性)」あると考えた方が自然です。

つまり「状況証拠」です。

(神様は「これをさせたい」と計画しておられるならば、それができる能力を備えて下さると信じるのです)

(聖書を読んでいて、祈りの中で「これが私の使命ではないか」と受け取ったことがいくつかありますが、しかしそれは別に機会に触れたいと思います)

 

「自分ができること(得意なこと)」で「人が喜んで下さること」を考えると、

皆さんは、何を思い浮かべますか。

 

今まで何をした時に、人が喜んでくれましたか。

また自分自身で、何に喜びを感じましたか。

思い起こしてみて下さい。

 

人にはいろいろなタイプがあります。

楽器をしている人なら、ギターやサックスは、「目立つことが好き」な人が多いです。

ベースやドラムは、反対に「縁の下の力持ちが好き」な人が多いです。

 

自分がやっていて「充実感」があること。

それを人が「喜んでくれる」こと。

そんな中に「自分の使命(生きる方向性)」があると考えてみると、興味深いと思うのです。

 

 ②「身近な人」を大切にする。(愛の言動一致)

先日新聞を読んで「セミを助けた話」に目が止まりました。

朝のラッシュ時に、道にいて轢かれそうだったセミを助け、庭の木にとまらせた話でした。

「小さな頃は、虫を平気で殺せたが、大人になると、殺せなくなった。特にセミの儚さは、戦争で死んだ人の命の儚さに重なるので、どうしても助けたくなる」というものでした。

その文章に流れる「優しさ」を感じ、暖かいものを覚えました。

 

明治時代のクリスチャンで内村鑑三という人がいました。

彼の有名な講演に「後世への最大遺物」というものがあります。(岩波文庫にあります)

「お金を稼ぐこと、教えること……しかし最も大切な遺産は、高尚な生涯(人の生き方)である」というのが主旨です。

私たちは、自分の生き方を通じて、周りに影響を与えるのです。

 

聖書の中に、「愛」についての言葉がたくさんあります。

「愛は結びの帯として完全である」

「愛はすべての罪を覆う」

「愛がなければすべてが虚しい」

……「愛」には力があります。

しかし「本当の愛」は思想でも哲学(考え方)でもありません。

行動です。

口先だけで綺麗な言葉を言っていても、実際の生き方(行動)と違っていたら、虚しいことです。

「愛を身につけている」なら、身近な人に「実践する」ようになります。

もし身近な人に「できていない」なら、理屈で知っているだけで、「身についていない」ことになるのです。

 

私も以前は家族に対して、(恥ずかしいですが)「思ったまま」のことを話していました。

今は「相手に伝わるような言い方」を考えて話すようにしています。

(神様の助けと訓練によって、少しづつです)

 

最近気になることがあります。

それは、傷つけられた(被害者)なら、傷つけた(加害者)を「徹底的に攻撃して良い」という風潮です。

特に第三者が、当事者を守るためという「名目」で攻撃に加わる場合、過激になることが多いのです。

 

これは世界的な風潮のようです。

2020年5月の「フロイド事件」をきっかけに始まった「ブラックライブズマター」の運動が暴徒化した件は、その典型例です。

ミネソタ州で起きた、黒人のフロイド氏が、白人警官に殺された事件は、全米に大きな反響を与えました。しかし極端な左翼勢力が関わることにより、平和と真逆の方向に向かったのです。暴力と犯罪により、シアトル市では一時、無政府状態になりました。

 

気をつけて読んで頂きたいのですが、

今の時代、「怒りや悲しみ」を煽って「自分の味方につけよう」という力が世界中で働いています。

しかしその「方向性(目的)」問題なのです。

一見正しく見えても、その目的を「吟味して」、

活動に賛成するかどうかを決める必要があります。

 

どれだけ煽(あお)られても、

それが、「愛とは真逆」の方向に向かっている場合、

気をつけなければなりません。

怒り、攻撃、正当化……、

もし動機(方向性)がそのようなものならば、距離を置くことが大事なのです。

 

そこから出てくる「言葉と行動」が、「愛する家族」にできるかどうかで考えてみましょう。

もしできないようなものならば、一旦立ち止まって「本当に加わるべきなのか」を考える必要があります。

 

日本での、第三者の「不倫へのパッシング」も同じ構図です。

全く関係のない人々が、評論家のように(悪い意味で)、正義感を振りかざして、罪悪感を感じることなく、加害者を攻撃できてしまうのです。

 

「煽(あお)られたら、煽(あお)り返す」

これは、低いほうに向かう行動です。

私たち一人一人が、反応しなければ、「悪い力は自然消滅」するのです。

しかし反応する人が多ければ、炎上します。

個々人の反応が、社会に「良い結果」も「悪い結果」も与えるのです。

ですから、一人一人の考え方が、実は非常に大切なのです。

 

あなたは、煽られて攻撃する人ですか。

煽られても、反応せず、立ち止まる人ですか。

 

「自分の使命」を考え、果たそうとする時、

内村鑑三の言うように、

「高尚な生涯(人の生き方)」を考え、一人一人の行動が吟味される」

(つまり、愛によって行動するようになる)と、信じるのです。

 

③「心の状態」を整える。(心のきよめ)

心の状態を整える上で、「ストレスの軽減」と「心の癒し(きよめ)」を取り扱うことになりますが、

「ストレスの軽減」は、他の箇所でも触れているので、

今回は、心の癒し(きよめ)」のみに注目します。

 

実は苦いものがあると、悪い力で煽られ時に、「心が反応」します。

そのような時、心が「ザワザワ」します。

そして、きよめられていない(対策が打てていない)と、

理性でやめておこうと思っても、衝動的に行動してしまうのです。

 

自分のことを振り返っても、いくつかの失敗をした原因は、

状況判断(知性)の間違いというよりも、

それを選んでしまった、心の未熟さ(むさぼり、や正当化やごまかし等の誘惑)によるものだと分析しています。

 

つまり、心がきよめられていないと、

悪い衝動で行動し、どこかでボロが出るのです。

 

人間の心の中には、意外と「多くの闇」が存在します。

そしてその闇に「気がついていない」ことが多いのです。

 

自分の使命を果たすためには、この「心の闇」のきよめが必要なのです。

ではどうしたら良いのか。

これが重要です。

 

分かりやすい言い方をするならば、

「ものさし」と「光」が必要です。

ものさしは、歪んでいるかどうかを測るため。

光は、はっきりと見るため。

(暗い部屋の中では、ものさしは見えません。光の下に行く必要があります)

 

これは、自分だけでは不可能なのです。

(自分一人で瞑想しても解決しません)

時計が壊れた時、自分で直すことはできないと同じです。

(直った気になるだけです)

本格的に治すには、設計図(基準)を知っている、「時計職人」に助けて頂かなければなりません。

そして、壊れたことを自覚して時計職人にお願いする(光の下に出す)、

「あなた自身の決断」が必要なのです。

 

あなたは、自分の心の中に「煽られた時に、反応してしまう傷(歪み)」を自覚しますか。

これを聖書では「罪、咎」と言います。

 

この部分の修復がなされると、歪みが取れ、楽になります。

(その方法は、別の箇所で取り扱います。ここでは「修復することが可能」である、と受け止めて下さい)

 

これから、世の中が「ますます悪く」なっていくとするならば、

「悪に煽られる」ことがますます頻繁になっていくでしょう。

 

その時、「精神面の対策」が一つもないと、簡単に「悪に巻き込まれてしまう」のです。

(怒りや攻撃、自己保身や批判への対策です)

 

「自分の使命を考え、果たす」

その気持ちを、いつも持っているなら、

簡単に悪に揺さぶられ、支配されることが少なくなると、私は考えます。

 

悪の力は、巧妙です。

傷や罪悪感を煽りながら、一見正しいような形でやってきます。

 

ですから、「これは悪である」と言う

聖書の真理(ものさし)が必要です。

そして、絶対的な光(神様の光)が必要です。

 

あなたが、「自分の使命」を果たしていけますように、

あなたが、善のものさしに沿った「満足できる人生」を歩まれますように、

祝福を祈っています。

 

 

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コロナ禍で不安でたまりません。どう考えたら良いのでしょうか。

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「50代の男性です。持病を持っています。コロナの第3波となり、連日の感染者と重篤者数を見ていると、不安でたまりません。すべてが消極的になっています。どう考えたら良いのでしょうか。」

 

ご質問をありがとうございました。

今は、コロナの感染者数も激増し、世の中全体が、再び萎縮のモードになりつつあります。先が見えない状況の中で、重苦しい雰囲気が迫ってきています。

ぜひ一緒に乗り越えていきましょう。乗り越えられない試練はない、と言います。

正直、男性が自分の弱さを人前に出すことは、非常に勇気が要ることだと思います。

質問者さんは、それだけ追い詰められているのではないかと想像しています。

すべての不安は取り除かれないかもしれませんが、一緒に考えていく中で、少しでも不安が軽くなることを願っています。

人は、見聞きする情報で、心に影響を受けます。

そのことを自覚しつつ、恐怖と不安の現状分析を一緒にしていきたいと思います。

 

今回は、項目は多いですが、活用できるように、各項はシンプルにお書きします。

【理性的な対応をするために】

①何を恐れているのかの現状分析。

②できること、すべきことのリストアップ。

③最善と最悪を考える。

④最悪を避けるためにできることを考える。

⑤最後は、「すべて委ねる」ことが大切。

 

①何を恐れているのかの現状分析。

厚生労働省が、10月29日に「新型コロナウィルス感染症の『いま』についての10の知識」を発表しました(11月27日更新)。最新のデータで多少の変化はあるでしょうが、概ねこのデータが現状を分析していると考えて良いでしょう。(マスコミの、視聴率目当ての恐怖をあおるような印象操作に、振り回されないことです)

(他の情報を過小評価するつもりはありませんが、政府の正式なデータ確認は有益です)

 

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一度上記をチェックして頂き、

まずは一旦、今までの不安を「リセット」してみましょう。

そして、自分の感じている不安は「根拠のある不安」なのかを分析するのです。

「正しく対応する」ために、正確な情報は大切です。

感情的煽動的な情報に振り回されないことです。

もし宜しければ、「何を恐れているのか」書き出してみることもおススメです。

より「自分の思い」が客観的になります。

 

②「できること」、「すべきこと」のリストアップ。

パニックになっている時は、理性的ではありません。

ですから、一旦、感情をリセットしたならば、次は「できること」、「すべきこと」を考えましょう。

 

「幽霊の正体見たり枯尾花」(幽霊だと思っていたら、枯れたススキだった)

という「ことわざ」があるように、

正体が、「はっきり見えた」ならば、「理性的な対応」ができます。

 

感染対策のための消毒、外での会話時のマスク着用、三密防止など、

すでにきっとされていることは、継続していきましょう。

もしもの時のために、主治医に相談することも、一つのアイディアです。

そして来るだけ、「対策を打った上」で、「日常生活を守る」ことです。

(このポイントも、書き出してみることをおススメします。より冷静に対処できます)

 

本当に追い詰められている時は、気力がなくなることが多いです。

もしそのような状況でしたなら、

すべきことのリストから、「した方が良いもの」の上位を

「今日の目標」として「定めて」実行してみましょう。

他のことは考えないで、「立てた目標」をこなすことだけに集中するのです。

できなければ、ご自分を責めずに、また次の日に、リスト上位を目標にしていきましょう。

 

この時の考え方ですが、

コロナ前の100はできなくても、ゼロにしてはいけません。

「対策を打った上」で、60ぐらいはしていくぐらいの気持ちがよろしいと思います。

会食があるなら、政府が勧めているように、食事中も基本マスクで、口のものを入れる時だけマスクを外して参加しましょう。(私もやっていますが、慣れれば自然にできます。それが不安で難しければ、会わずに電話でお話をしましょう。要は日常の会話(交わり)を楽しむことです。)

 

行動は制限されても「心まで制限する」必要はありません。

「心は自由」なのです。

 

自分の心を縛り付けてはいけません。

それができるのは、コロナ状況下でも「あなたご自身」なのです。

 

箴言(旧約聖書)

「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。」箴言4:23

 

③最善と最悪を考える。

私たちがパニックになる時は、想定外の事が起こった時です。

ですから、最善と共に、「最悪の状況」を考えるのです。

 

最悪のシナリオを考えてみます。

 

コロナにかかり、高熱が出ます。朦朧とした状態で検査をし、陽性反応が出ます。

入院をして、持病のため、呼吸困難になります。

集中治療室で、人工呼吸器をつけて治療を受けます。

回復の見込みがない状態となります。

治療の甲斐なく、あちらの世界に行ってしまいます。

残された遺族が、悲しみの中で葬儀を行います。

しかしこの確率は、50歳以下の質問者さんでは、コロナにかかったとしても0.06パーセントなのです。

(これが政府のデータです。これが多いか少ないかは、質問者さんの判断とはなりますが・・・50代の持病のある方はこれよりは多少上がるとは思います)

 

最悪の状況にならないように、対策を打てば良いのです。

(これもリストアップしてみましょう)

 

私が最も重要な対策として考えることは、「免疫力を高めること」です。

これが最も安全で確実な方法だと信じています。

そのために大きな要素の一つは「ストレスの軽減」です。

つまりコロナ禍であっても、冷静になって、過剰に状況を恐れず「ストレスを溜め」なければ、

死亡の確率は「確実に減る」のです。

(ここに今回のブログの目的があります)

 

④最悪を避けるためにできることを考える。

このトピックも、引き続き、理性的な対応です。

③で考えたように、

私たちができる一番確実な予防対策は、ストレスを溜めないことです。

①一③を思い巡らして下さい。

感染予防

栄養と睡眠

免疫力の強化

 

質問者さんは、最悪を避けるために、どんなことを実行できますか。

ちなみに、私の事例です。

私も、色々な人と会う機会がありますので、通常外出時には(今は当然ですが)マスク着用です。

アルコール(度数70%)の携帯用スプレーを持ち歩いて、何度も使っています。

栄養が大事なので、食事はしっかり取り、毎日R1(ヨーグルト)を食べています。

睡眠は、5時間以上取っていますが、深く眠ることを意識しています。(毎日スマートウオッチ(腕時計)でチェックしています) そのため、寝る前には必ずお風呂に一定時間浸かります。

そして毎日お祈りをして「心穏やかに生活」するように努めています。

 

質問者さんは持病を持っておられるとのことですから、しっかりとした医学的な対応をしながら、その上で、もしもの場合の対策を考えておくのです。

具体的には、先ほど書いたように主治医に相談して、もしもの場合のことを話し合うことは可能でしょうか。とにかく情報を収集して、前もって対策を立てておくことです。

 

どうでしょうか。どう思われますか。いくつか今後、行動できることのイメージはできましたか。

それをリストに書いて、優先順位の上のことから、一つずつ、機械的にやっていくのです。

(あえて機械的と書きました。必要なことであれば、気が乗らなくても実行するのです。それがリストを作る目的です。そこで得た情報(経験)によって、視野が広がり、心が落ち着くはずです)

 

⑤最後は、「すべて委ねる」

しかし最終的には、結局、「なるようにしかならない」のです。

しかしその中で、良い波に乗り続けることができるかどうかは、私たちのメンタル(考え方)にかかっています。

 

「なるようにしかならない」

それは裏返せば、「なんとかなることは、なる」のです。

そう考えると、無理な力が抜けます。

余計な力が抜けたなら、目の前にやってくる「良い波」に乗りやすくなるのです。

 

 

最後はキリスト教的視点です。

私は、本音のところで、「寿命までは生きることができる」と考えています。

地上で「使命がまだある内」は「生かされる」と思っています。

そのために感謝とお祈りをして、「良い働きができるように」ストレスを溜めないようにしています。

 

でも、それでも「問題」は起こりますし、「思い煩い」もやってきます。

しかし「思い煩い」がやってきた時、意識していることがあります。

それは、思い煩いの「原因」を「はっきりさせる」ことです。

(「原因」があいまいだと、パニックになりやすいのです)

 
ピリピ(新約聖書)
4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

  

「原因」がはっきりしていたなら、それをイエス様に祈ることができます。

はっきりと祈り、委ねると「平安が与えられる」のです。

(これが私の原動力です)

 

コロナが来ても

肉体的(物理的)には束縛を受けても

「心は自由」です。

信じる心も祈りも希望を持つことも、自由なのです。

 

そう考えて、もう一度質問者さんの周りを見て頂きたいのです。

 

①何を恐れているのかの現状分析。

②できること、すべきことのリストアップ。(理性的な対応)

③最善と最悪を考える。

④最悪を避けるためにできることを考える。

⑤最後は、「すべて委ねる」

 

以上のポイントを確認し、リストを作って、心の中で思い巡らしてみて下さい。

質問者さんの心が軽くなり、前向きな力が湧き上がることをお祈りしています。

 

もし理屈では分かるけれど、気力がついていかないと感じられるならば、

誰かに「話しを聞いてもらう」等、心情的な交流が必要です。

ご自分で話しを聞いて貰える方を見つけられるならば、ぜひその機会を持って下さい。

もし誰もいなければ、またご質問下さい。

可能な限り、ご対応させて頂きます。

 

祝福をお祈りしています。

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思い通りにならないと、自分を罰したくなります。どうしたら良いでしょうか。(中学生女子)

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「先日は、質問に答えてくださってありがとうございました。私のことを繊細と言ってくださってうれしかったです。相変わらず、周りの大人を見て悲しくなることはありますが、何とかやっています。今日は困っていることを質問したいと思います。上手くいかなかった時、思い通りにならなかった時、特に自分が失敗した時、自分を罰したくなります。殴ってやろうかと思います。そんな自分が怖くなります。こんな時、どうしたら良いでしょうか。よろしくお願いします🤲」(MK 中学女子)

 

Mさん。ご質問をありがとうございます。

さて、Mさん。少し、ご一緒に、ご自身の心を整理してみたいと思います。

 

質問をしますが、どんな時に、「思い通りにならない」と感じますか。

ゆっくりとMさんのお話が聞けるといいのですが、ここは文章での相談ですので、いくつか可能性を考えて書かせて頂きます。

 

では、しばらく一緒に考えていきましょう。

今回も、3つのポイントです。

①自分のものさしの自覚と、「嫌な気持ち」を味わうこと。

②健全に愚痴ること。

③自分で自分をさばくことの意味(理由)と、その解決方法。

 

①自分のものさしの自覚と、「嫌な気持ち」を味わうこと。

人は皆「こうあるべき」という「ものさし(基準)」を持っています。

そして、その「基準」から外れると、

つまり「思い通りにならない」と、イライラします。

 

先日、別の質問で説明した「うんていの棒」のようなものです。

あるべきところに「棒(支え)」がないと、ストレスを感じるのです。

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学校に行く前に、髪の毛が上手くセットできなかった時、

朝ごはんが時間通りにできていなかった時、

「こうあるべき」だと思って、それが思い通りでない時があります。

そんな時にストレスを感じてしまいます。

 

特に「当たり前」「当然こうなるはず」と思っていたものが、期待通りいかないと

爆発しそうになることがあります。

(「うんていの棒」が抜けていたため、落ちそうになるような苛立ちです)

 

また感情は、「水の中に入れた風船」のようなものでもあります。

水の中に沈めて、隠していたようでも、必ず「出てくる」のです。

たくさん隠した分、だんだん反動が大きくなり、出てきた時には、「制御(コントロール)」できなくなる場合があります。

多分、Mさんが、「自分を殴りたくなる時」は、こういう状況だと思うのです。

 

つまり、普通の状態では、Mさんは、「爆発するような人」ではないと思います。

しかし、イライラが募って、余裕がなくなっている時に、

「さらなるイライラ」がやってくると、「反射的」に自分を殴りたくなるような気持(衝動)になるのだと思います。

 

今回、最初に注目したいことは、

今、自分は「何に」イライラしているのか、と考える(自覚する)ことです。

実はイライラで一番やっかいなのは、「理由が分からないイライラ」です。

理由が分からないと、対策の打ちようがありません。

 

しかし、理由が分からなくても、必ず理由はあるのです。

人間は、実は、自分自身であっても、「見ないようにしている領域」があります。(否認)

自分は「こんなことでイライラするはずがない」、「こんなふうに考えるはずがない」

・・・そんな感じです。

特にまじめで正義感の強い人ほど、自分の中にある「負の感情」に気がつきにくい傾向があります。

 

それは、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような状態です。

「イライラのアクセル」と「自制のブレーキ」です。

表面では「停止している」ように見えても、実は何度も「アクセル」と「ブレーキ」を同時に踏んでいて、背後ではものすごいエネルギーが流れています。

それが続くと、(アクセルもブレーキも踏み続けるには大量のエネルギーが必要ですから)莫大なエネルギーを浪費します。そして(表見は何も起こっていないようでも)、心は「疲れ果ててしまう」のです。

 

ですから、イライラの理由が分かっている場合は、良いのですが、

分かっていない場合(あいまいな場合)

自分は「どんな基準」で考え

「何に」イライラしているのか、を確認することが大切です。

自分の感情を受けとめる作業です。

(そうでないと、次に考えたい、「健全に愚痴ること」に入ることができません)

 

デジタル断食、という言葉があります。

スマホやゲームからしばらくの間、離れて「自分自身を見つめる」時間を持つことです。

現代は忙しい時代です。絶えず情報にされされています。

自分の感情を「そのまま受け止める」作業をする場合、

少し静かな場所で、ゆっくりと自分自身を振り返ってみたら宜しいかと思います。

 

思い出してください。

Mさんがイライラした時は、「どんな時」ですか。

(また「どんな基準」で「何に」イライラしましたか)

 

例えば、時間に遅れそうで、イライラした状況があったとします。

多分Mさんは、「時間に遅れてはいけない」という「基準」で、

「遅れそうになる自分」に、ダメだという「判定(ジャッチ)」をしていることでしょう。

 

人によって、「到着時間の感覚(基準)」は「違い」ます。

「時間ちょうど」という人もいれば、「10分前」には準備したいという人もいるでしょう。「5分ぐらい遅れた方」が親切だ、と考える人もいます。「全く考えない」ようなあいまいな人もいます。

 

自分は「どんな基準」で考え、「どこまでは許容できるのか」を知っていることは重要です。

自分が「10分前には準備したい」と考えている人だ、ということであれば、

自分は、こういう人間だから、いらいらしているのだ、と自分自身を冷静に把握できるのです。

そうすると、パニックにならず、遅れそうな先方に、連絡をする等の対策を打つことができます。

 

また、同じ基準で、相手が時間に遅れる時も「イライラ」するでしょう。

しかし自分の基準(10分前)と相手の基準(5分後)とは違うことが多いのです

 

相手が時間に遅れ「平気な顔をしている」時、当然イライラするはずです。

しかし「自分の基準に違反するから」「腹が立つ」のだ、と自覚することができると楽です。

自覚した後で、「相手の基準」は、自分とは違うのだから、「仕方がない」とあきらめることができるのです。(受け入れることができるのです)

 

「自分はどんな基準」を持っており、

「何に」イライラしているのか。

それを自覚することは、心を平常にコントロールする上でも、非常に大切です。

 

一度、ゆっくりした時間を持てた時、「自分の基準」と「何にイライラしたのか」、この二つを考えてみて下さい。

 

その上で次のポイントに移ります。

②健全に愚痴ること。

Mさん。私はMさんの質問を読んでいて、非常に「高い良心基準」を持っている方だと思いました。

繊細で細やかで、そして非常に「高いところを目指している」方だと思うのです。

それは個性として、とても素晴らしい考え方です。

 

しかし自分にその「高い基準」を当てはめると、「身動きが取れなくなる」可能性があります。

中高生の年齢は、一般に「非常に理想が高くなる時代」です。

「こうあるべき」ということを考える時代です。

 

しかし、「理性」と「感情」は違います。

理性でこうあるべきだ、と知っていても「感情」は全く反対に向かうこともあるのです。(人間ですから、理想論では片付けられません)

 

Mさんのように「高い理想」を持っている人は、

自分の中の「負の感情」を許せないかもしれません。

つまり、「自分の愚痴が言えない」ということです。

でも人間ですから、どこかで「感情」を吐き出さなけば、心のバランスが保てないのです。

 

ですから、「健全に愚痴をこぼすこと」は大事です。

Mさん自身の「感情に焦点」を当てましょう。

「イヤなことはイヤ」と受け止めましょう。「腹が立つことは、腹が立つ」と認めましょう。

その上で、「愚痴を聞いてくれる人」を見つけるのです。

友だちでも、家族でも、あなたのことを大切に思ってくれている人であれば、だれでも構いません。

 

先ほど、感情は「水の中に入れた風船」のようなものだ、と書きました。

水の中に沈めても必ず「出てくる」と書きました。

たくさん隠してしまうと、反発が大きくなり、出てきた時には、「制御(コントロール)」できなくなる場合があります。

 

ですから、「風船が大きくなる前」に、できるだけ「小さく」出す(愚痴る)ことです。

「信頼できる人」に何度も「健全に愚痴る」のです。

 

私もありがたいことに、「心の内」を話せる方が数人います。

時々、問題があると、電話をかけて話を聞いてもらいます。

(一人でもこの世で、心の深い部分を知って応援してくれる方がいると、とても支えられるものです)

 

しかし、ここで「人に話す限界」も知っておかなければなりません。

話したい時に、その場で「信頼できる人」が電話に出てくれない時があります。(相手の都合が悪い場合もあるのです)

そんな時にも、ストレスは襲ってきます。

 

また人間は、感情や理性の限界があります。

カウンセラーでも、限界が当然あります。

(私にも限界があります)

ご両親にも、ご家族にも、お友だちにも「限界」があるのです。

ですから、相手が「自分の期待した」ように受け止めてくれないこともあるのです。

 

また人に「話さない方が良い」話題もあります。

 

私は、人に話せない状況の時、

まず「イエス様や天の父なる神様」に「お祈り」をします。

(実は、人に話す前から、イエス様にお祈りを始めています)

そして「心の内」を「全部お話し」します。

「祈り切ること」ができると、心が軽くなって人に「やさしく」なれるのです。

(祈りについては、別の個所でお話ししたいと思います)

 

Mさん。

できるだけ、「あなたの心」を信頼できる方に、

「健全に愚痴って」下さい。

「自分の負の心」を正直に受け止め、それを聞いて貰って下さい。

そうすれば、暴発することはとても少なくなります。

(苦しみも正直に話すことができれば、半分に減っていきます)

 

最後のポイントです。

③自分で自分をさばくことの意味(理由)と、その解決方法。

 

「リストカット」をしてしまう人がいます。

その人は、身体を傷つけると「ホッとする」と言うのです。

(身体は大切ですから、傷つけないようにと願っていますが、、、)

その理由は、はっきりとしています。

「自分で自分を罰する」と「ホッとする」のです。

 

【多くの人間】は罪を犯したら「罰(バツ)を受けるべき」と考えています。

酷いことをすれば、「報いがある」(罰がある)考えるのです。

(聖書もそのことを認めています)

 

Mさんが失敗した時に「自分で自分を殴りたくなる」と書いてありました。

多分Mさんは、無意識でも、こんなことをする自分は「殴られるべき」である、そして「殴ってやりたい」と心の奥で感じてしまうのではないでしょうか。

(自分を罰するタイプと、他人を罰するタイプがあるようです)

 

では、どのようにしたら「罰したい」という衝動を「昇華させる(解決する)」ことができるのでしょうか。

 

 

実はこれは、キリスト教の根本のテーマなのです。

それは「罪の赦し」です。

イエス様が「十字架」にかかられ、私たち人間の「罪の罰」を受け、その「身代金」を支払って下さったので、私たちは「自分で自分を裁く」必要がなくなったというのです。

 

自動車を運転している人は、法令違反を警察に指摘されたら、反則金を払わなければなりません。(例えば、普通車で一時不停止違反は7000円の反則金を支払うことになります。)

もし仮にそれを無視していた場合、些細な違反でも刑事裁判にかけられ、3か月以下の懲役または5万円以下の罰金を命じられます。

 

つまり、「罪」を犯したら、「反則金」を支払わないと拘束されてしまうのです。(逃げられません)

この「反則金」を、他の人が支払って下さったとしたらどうでしょうか。

当然、「他の人」が支払っても、「あなたは自由」になります。

 

イエス様の「十字架の罪のゆるし」を知り、信じた人は、

自分で自分を裁きたくなる時が来ても、

自分で裁く「必要」がなくなります。

「イエス様のいのちの代価」によって、自由になれるのです。

 

初めて、この「十字架のこと」をお聞きした人にとっては、十分には分からないかもしれません。しかし私たち人間には、「罪の問題」や「裁きの問題」を解決できる方法があるのです。(そのことだけでも、覚えておいて下さい)

 

実は、あなたの「罪の代価」の総額は、「あなたの力」で支払うことはできません。

私たちは、日々「的はずれ(罪)」を犯してしまいますから、その総額は、

「一時不停止違反」程度ではありません。

 

聖書のある個所に、人間の「罪の代価の総額」は(あくまで例えですが)1万タラント(約6000億円:国家の予算程度のお金)と表現されています。

厳密に考えれば、あなたは「犯したすべての罪の報い」によって「莫大な罰金」を請求されているのです。そして、必ず支払わなければならないのです。

しかしこんなことは不可能です。

 

【私】は、イエス様の十字架を「心から感謝」しています。

【私】の毎日の生活で、自分を罰したくなるようなことが起こっても、

(「莫大な額」を既に支払って下さっている「イエス様」のお陰で)

「わたしは赦されている」「わたしの罪の代価(身代金)は支払われている」

と言い切ることができるのです。

そして「自分」を「裁かなくても良い」とも言い切ることができるのです。

(これが【私】が失敗を犯しても、自分自身を受け入れて生きられる、原動力です)

 

心の奥を正直に見ていくならば、

「心の闇」の問題は、避けることができません。

ですから、保険として「イエス様の十字架の赦し」を握っていることは、

「自分の心」を「直視」するために、必要なことであると、【私】は考えるのです。

 

「思い通りにならないと自分を罰したくなる」と、

「その解決の方法を教えて欲しい」と、

Mさんは、質問してくださいました。

【私】の体験を参考にしてみて下さい。

 

Mさんには、

次に大きなストレスが来る前に、事前の準備をすることをお勧めします。

それは、

①自分の心を自覚し、受け止めること。

②心のストレスを、信頼できる人に(問題が小さいうちに)「健全に愚痴る」こと。

(神様へのお祈りも、チャレンジしてみて下さい・・・)

 

そのことを通じて、心を穏やかに保つことができると信じます。

 

また、自分を罰したくなった時には、

③罰する気持ちは自然なことである。しかしもう「罰さなくても良い」という解決方法が存在している。

 

ということを「思い出して」頂きたいのです。

 

 

(解決方法があると、考えるだけでも「気が楽」になれると信じています)

 

Mさんが「裁きの心」から「自由」になり、

よりMさんらしい、明るく素敵な人生を送ることができると信じ、

祈っています。

 

またご質問があれば、お知らせください。

祝福をお祈りしています。

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