人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

心の中に「良くない思い」が湧き上がります。どうしたら良いのでしょうか。

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23歳の大学生です。心の中に時々「訳の分からない思い」が湧き上がります。怒りや暴力的だったり、相手を馬鹿にして見下す思いだったり、口にするのも恥ずかしい思いも、湧き上がります。それを実行することはほとんどありません。しかし人が見ていない、気がつかないことなら「やっても良いのでは」というズルイ考えが浮かびます。自分のことを「嫌な奴」だと思います。この嫌な考えを消したいです。もし消せないなら、飲み込まれずに上手に付き合う方法はあるのでしょうか。

 

ご質問をありがとうございます。

このテーマは、すべての人間に当てはまる、共通の重要な課題です。

多くの人は、「このような負の思い」が湧き上がると、

「無視をし、考えないように」します。

しかし「消える」ことはないのです。

 

こういうことを悩むことが、「未熟だ」と言う大人がおられますが、高齢になってもこの問題は解決することはありません。老人にも「良からぬ思い」は、湧き上がります。

むしろ老人の方が、長く生きた分「自分の中の闇」に気がついているのです。

(自分をごまかして生きている人は、別ですが、、、。)

 

聖書はそのような闇を、「罪」と言います。そしてそれを持つ人を「罪人(つみびと)」と言います。

聖書は、人類すべて「罪人」だと言うのです。

 

ローマ3:10-12、13-14、23

「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない、神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」

「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」

「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」

 

それは、「凶悪犯罪を犯した人」という意味ではありません。(面と向かって、あなたは罪を犯した人と言えば、怒り出す人がいるでしょう。」

それは「心の性質」なのです。

 

つまり「罪を犯したから罪人(つみびと)ではなく、罪人だから罪を犯す」のです。

繰り返します。「罪の性質を持つ、罪人」だから、罪を犯すのです。

 

良く犯罪を犯した人が、「自分はあの時、魔が差した」と言うことがあります。

理性で抑えていても、「ふっと悪の思いが降りてきて、それを止めることができなかった結果」です。

 

残念ながら質問者さんの最初の質問「良からぬ思いは消えますか」は、

「消えない」が答えです。

しかし「罪に飲み込まれず、打ち勝つ方法」はあります。

「鳥が頭の上を飛ぶことは止められなくても、鳥が頭に巣を作ることは止められる(西洋のことわざ)」なのです。

 

今回は、以下の三つを考えていきます。

①「自分の中の闇」に気がつくこと、認めること。

②闇を克服する「処方せん」を知ること。

③解決の力を持った、「光の助け」を受けること。

しばらくお付き合い下さい。

 

①「自分の中の闇」に気がつくこと、認めること。

ここまで読みながら、ある人は、「もう読みたくない」と思われているのではないでしょうか。

解決法が無い中で、「罪の性質」を見るのは、苦痛でしかありません。拷問です。

解決法は②で扱いますので、もう暫く我慢して下さい。

 

自分が癌だった場合、どこに癌があるかが早く分かれば、手を打つことができます。

私の身内に、検査で大腸ガンが分かり、早期だったので、手術で完全に切除できた人がいます。

今も定期的に病院に行っています。それは、もし数値が悪くなれば、直ぐに手を打つためです。

 

「自分が大丈夫だ」と過信する人が、危ないのです。

自分の中に、闇に対する「弱さ」があると自覚することが重要です。

自覚する人は、気をつけるからです。

 

そう言う意味では、質問者さんは「自分の弱さ」を自覚されています。

ですから、今持っておられる、「その悩み」は大切です。

「その悩み」がない人の方が危険なのです。

 

「自分が正しいと思っている人」がいるとします。(一般論で考えます。)

その人は、もし問題が起きたら、「誰かのせい」にします。

自分は間違えるはずがないのだから、自分が間違えてしまったのは、「環境が悪い」か「誰か相手が悪い」と考えます。

 

もし誰のせいにもできない場合は、どうなるでしょうか?

「自分のせい」だと逃げられないと、極端に徹底的に「自分を責める」のです。

(パニック状態です。)

しかし、そうは言っても「そんな自分」を受け入れることができません。

「正しいはずの自分」が間違えたので、「そのままの自分」を受け入れることができないのです。

そして、自分を受け入れられないので、責めながら「見ないよう」にします。

そしてある方たちは、自己憐憫に入って行くのです。(「自分はこんなに可哀想なのだ」、と。)

かなり「危険な心の動き」です。

 

ですから、質問者さんのように、自分の弱さを「正直に見つめる(自覚する)」ことは、とても大切であり、健康的なことです。

その上で、「闇を克服する方法」に触れていきます。

 

②闇を克服する「処方せん」を知ること。

「陸」から「水に落ちた人」を助けようと思うなら、しっかりと「陸」につながっていなければなりません。いざとなれば、すぐに安全なところに行ける準備(装備)ができていないと、危険です。

 

闇を直視しようとする場合、「直視ても大丈夫」と言う「絶対的な安心材料」が必要です。

、、、少し長くなりましたので、一旦ここで中断します。

 

次回は、闇を克服する「処方せん」に、詳細に触れたいと思います。

祝福をお祈りしています。

 

ヨハネの福音書 1章4~5節

この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。
光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。

 

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降格して、心が「空っぽ」になってしまいました。どう考えたら良いでしょうか。

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仕事上のミスをして、降格してしまいました。頑張って成績を上げ、それなりの成果を出した後の降格でしたので、正直、へこんでいます。まるで仮面を外され、丸肌の自分をさらしているようです。昔から、人の目を気にして生きてきました。役割を与えられると頑張れるタイプで、休みの日は「抜け殻」のようにぼんやりすることが多かったです。こんな私ですから、今の状況はとてもつらいです。仮面を外され、支えを無くし、素の自分は「空っぽで、何もない」と感じています。新しい何かの支えがあれば、頑張れるような気がしますが、しかしそれも無くなるかもしれないと思うと、絶望的な気分になります。どう考えたら良いのでしょうか。

 

ご質問をありがとうございました。

今はとても苦しい状況ですね。自分の支えが無くなることはとても辛いことです。

しかし、ここを乗り越えたならば、質問者さんは「芯の強い人間」になれます。

今までよりも、充実感のある人生を送り、「見える景色」が変わってくるはずです。

これから書かせて頂く文章が、何かの参考になることを願っています。

 

今回も、いつものように3つの点で考えてみます。

①人生には、「仮面を外される」ようなことが、必ず起きること。

②「本当の自分」を自覚する時に、人生の喜びが見つかること。

③「仮面」ではなく「その奥の自分」にエネルギーを注ぐこと。

しばらくお付き合い下さい。

 

①人生には、「仮面を外される」ようなことが、必ず起きること。

「謙遜な人はいない。謙遜になる環境があるだけだ」という言葉があります。

普通、人は「仮面」で、自分の価値を測ります。しかし仮面を外されると、自分の価値を見失うのです。

本当は仮面を外されても、自分の価値は変わらないのです。しかし実際に体験すると、全てを無くしたように感じます。

どうしてでしょうか。

そのことをご一緒に考えたいと思います。

 

質問者さんも「仮面」という言葉を使われましたが、

私なりに「仮面の定義」をしてみます。

「仮面」とは、「その人の役割を現すもの」。地位、立場、収入、家柄と言ったその人の「外から見た姿」。又は「それを自覚する自分自身の姿」。

 

質問者さんは、「今までそれなりの成果を出してきた」と書いておられましたから、順調な人生を送ってこられたのでしょう。

仕事上、失敗はつきものです。失敗がなかったとすれば、幸運なだけであって、すべての人がその幸運を味わう訳ではありません。

要領良く、失敗を誰かに押しつけることができたとしても、(そういう人が出世しやすいのですが)、必ずどこかで恨みを買います。

 

仮に全てを上手くやって、頂点に到達しても、どこかで引退しなければなりません。

肩書きではない「素の姿」になる(戻る)のです。

その時に、ある意味「本当の人生」が始まります。

肩書きで「下駄を履かない(水増ししない)」自分です。

 

「質問者さん=仮面」ではないのです。

質問者さんが、「いくつかの仮面」を外したり、はめたりできるだけなのです。

仮面を外してもはめても、「質問者さんの価値、本質」は変わらないのです。

 

そういう意味では、引退後ではなく、まだ若い時期に「仮面を外す(外される)」体験ができることは、実は素晴らしいことなのです。

 

すべてを無くしたように感じても、実際は、今まで気づかなかった素晴らしいものを見つけるチャンスなのです。

 

②「本当の自分」(仮面の下の自分)を自覚する時に、人生の喜びが見つかること。

「仮面」で生きていると、頑張った自分を演出します。

頑張った自分をアピールします。(心の奥ではアピールをしています。)

すると評価された時に、「頑張ったから、評価されたのだ」となるのです。

 

これは実は「危険な考え」です。

つまり、頑張らなかったら「価値がない」

「良い仮面、を演じなければ価値がない」と思い込む危険性があるからです。

 

ですから「仮面の下の自分」無視をしてはいけないのです。

仮面の下の「素の自分」を大切にしなければなりません。

仮面の下の「自信がなく、不安で、力がない」つまり「空っぽな自分」を自覚するのです。

 

なぜなら「仮面の下」を意識して生活するとは、

「自分の弱さ、悲しさ、意気地なさ」を認める生活だからです。

 

あなたが「自分の弱さを自覚」すると、(自分の弱いところを思い起こしてみて下さい)

もし、そこで許して貰ったり、親切にされたならば、

そこで与えられた愛情は、心の奥にしみてきます。

すると、「仮面のレベル」ではない、「素の自分のレベル」での、「喜び」を味わうことができるのです。(理解して頂けますでしょうか。)

 

つまり、質問者の今の状況は、(仮面を剥がされた状況は)、

「人生の本質」を悟る上で非常に大切なプロセス(過程)なのです。

 

③「仮面」ではなく「その奥の自分」にエネルギーを注ぐこと。

今の質問者さんにとって大切なことは、肩書きではない「素の自分」を意識することです。

そして、そこにエネルギーを注ぐようにするのです。

 

繰り返しになりますが、

「素の自分」を意識すると、「人の優しさ」が見えてきます。

役割や義務感ではない、あなたのことを心配してくれる人がいることに気がつくのです。

 

周りを良く見て下さい。

あなたに肩書きがあったから付き合っていた人と、肩書きが無くても関係を持ち続ける人が、はっきりと分かれるはずです。

「どうせ、いつかはその会社を退職する時が来るのだから」と割り切って、周りを見てみましょう。

 

本当に優しい人を見つけることができたなら、肩書きがあっても無くても、そういう人とお付き合いをしたら良いのです。

 

「素の自分」を楽しみましょう。そこにエネルギーを注ぎましょう。

 

肩書きではなく、一人の人間として、今の会社に仕えていきましょう。

今できる、今すべき仕事は、コツコツと実行するのです。

もしかすると「肩書きではない」質問者さんをじっと見ておられる方がおられるかもしれないのです。

(そういう人は、質問者さんを引き上げて下さいます。しかしそのような期待をせずに、自然体でいきましょう。)

 

「そんな人はいない」「皆自分のことしか考えていない」

もしかすると、周りを見るとそう思われるかもしれません、、、。

 

しかし少なくとも、これだけははっきりと言えます。

良い悪いを全てみておられる「天の神様」(そしてイエス様)が、あなたの仮面ではない「心の奥」を注目しておられます。

イエス様は、「天の神様は、お願いする先に(言葉に出す前に)、私たちの必要を分かっておられる」(マタイ6:8)と言われています。

ですから、天の神様は(イエス様も)、あなたの「心の奥」をすべて知っておられ、正しく報いて下さいます。

その上で、必要な力を与えて下さるのです。

 

イエス様の言葉です。

「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているように、その人の腹(直訳)から、生ける水の川が流れ出るようになる。(ヨハネ7章37‐38節)」

 

イエス様と「仮面」ではなく、「素の自分」で信じてお関わりをすると、信じる人の「腹」から、いのちの力が流れ出るのです。(分かりにくい表現かもしれませんが、あるということだけでも受け止めて下さい。)

 

私のプログの最後は、いつもながらですが、イエス様のことにつながります。

なぜなら、空っぽになった心を、本当の意味で満たして下さるのは、神様(イエス様)しかおられないと信じているからです。

 

イエス様の愛と支えは、「仮面で大丈夫」と思っている間は、決して気がつかないものです。

(太陽の光のようなものです。自分でできるという「プライド」を持っている間は、光はあっても当たり前だと考えて、気がつかないのです。)

しかし、自分を支えるものが一つもない、という「仮面が剥がされた」状況下では、気がつきやすくなります。

 

「謙遜な人はいない。謙遜になる環境があるだけだ。」

苦しみの中で、人は謙虚になり、本当に大切な大きな支えに、出会うことができるのです。

人は謙遜になった時に、愛や慰めと言った「大切なもの」を受け取ることができるようになると思うのです。(そうではないでしょうか。)

 

「空っぽ」と感じておられる質問者さんの心が、満たされますように。

「仮面で、生きていた時」には感じられなかった「深い癒しと慰め」を経験できますように。

祝福をお祈りしています。

 

「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているように、その人の腹(直訳)から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ7章37‐38節)

 

「イエスは言われた。『わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。』(ヨハネ6章35節) 

 

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心がいつも不安です。(その2 )愚痴を聞き、受け止めてくれる存在

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「心がいつも不安です。神様を信じると‥安定するのでしょうか」のご質問の2回目です。

「愚痴を聞き、受け止めて下さる存在」ということで、今回は考えていきます。

しばらくお付き合い下さい。

 

「本音」を誰かに聞いてもらう、ことは非常にありがたいことです。

模範解答ではない、心の中の混乱した気持ちを、そのまま聞き、分かって貰える存在。

私たちは、そんな存在に出会うと、余裕ができます。

この親しい方に分かって貰っているのだから、「 別にあの人に、分かって貰わなくても良い」と割り切ることができるのです。

 

誰にも本音を語れず、分かって貰える体験がない人は、寂しい人です。

その人は、「誰も私を分かってくれない」と諦めるしかありません。

しかし、諦めきれないのも、人の心です。

ですから、分かって貰えない状況が、一線を越えると、我慢ができなくなって「逆上」したり、

反対に少しでも分かってくれそうな人に出会うと、「言わなくても良い、受け止められないこと」を話し続けて、「引かれてしまう」 のです。

 

そういう人は、一度「専門的な学びを積んだ人」(カウンセラー)に、じっくり話を聞いてもらうか、

「内観」と言って、静かなところで、自分の心を「じっくりと見つめる」時間を持つことをお勧めします。

 

お友だちがたくさんいる人でも、専門的なカウンセラーに話を聞いて貰うと、

「気がつかない発見」をすることは、多いのです。

(プロの聞き方は、やはり違います。)

 

自分の本当の気持ちは、何なのか。

何を喜び、何に希望を持っているのか。

何を悲しみ、何に我慢しているのか。

どんな痛みがあるのか。許せないことは何なのか。

 

忙し過ぎたり、雑念が多すぎると、

自分の「本音」が見えなくなります。

また役割があると、責任感で物事を進めることがあります。

そうすると、自分の本音を無視して、義務で行動してしまいます。

すると「何にイライラしている」のか、分からなくなるのです。

 

ですから、「自分の本音に」じっくり「耳を傾けてくれる存在」は、

とてもありがたいのです。

 

「カウンセラーに聞いて貰って」も、実は「限界」があります。

相手は人間ですから、あなたのことを「全ては分かり」ません。

(分かったふり、分かる努力はして下さいます。)

 

また「内観」にも限界があります。

「自分の頭の中」だけの作業ですから、「自分の思考」を越えることはできません。

「外の世界」を悟れば良いですが、悟れないと「同じところをグルグル思考が回る」のです。

(解決が見えてこないのです。)

 

「創造主への祈り」(イエス様への祈り)は、これらの問題を解決します。

「祈り」は、一方的な会話ではありません。

その証拠に、どこかで「返事」が返ってきます。

 

しかし、「解決する」と言われても、

「分からない」と感じる方が多いと、思うのです。

(それを伝えたいというのが、このブログの目的でもあります。)

 

人間は、本音を知ることが大切です。

それを誰かに話して、受け止めて貰うならば、その人は安定します。

 

その存在は、あなたの「全てを分かってくれる存在」でなければなりません。

(思い込みではいけないのです。)

 

イエス様は、そのような存在です。

イエス様のことを、旧約聖書イザヤ書9章では、英語でワンダフル・カウンセラーと表現しています。(日本語だと、不思議な助言者、と訳出しています。)

 

ヘブル人への手紙には、

4:15「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」

と、「私の弱さを理解し、受け止め、同情して下さる方」である、と表現されています。

 

あなたは、そのような「全てを受け止めて下さる方」と出会いたいですか。

私は、聖書を信じる立場から、

「そういう存在」はいる、という前提でお話ししています。

 

創造主(イエス様)はあなたを愛し、全てを知っておられます。

あなたが、心を開いて、迎え入れるならば、

創造主の深い満たしと慰めの中に、

入ることができるのです。

 

あなたはイエス様に「愚痴を全て」語ることができるのです。

 

思い込みではなく、全て「受けてめて貰っている」と実感する時、

あなたの心に「深い平安」が与えられるはずです。

 

祝福をお祈りしています。

 

ピリピ4:6-7「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」

 

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心がいつも不安です。神様を信じると、安定するのでしょうか。

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人前では、弱いところを見せないのですが、いつも心の中には不安があります。人と会うことは楽しいのですが、他人は自分の本当の姿を知ったならば離れていくのでは、と心配しています。人前で演技することが多く、取り繕い、週末には疲れています。ブログを読ませて頂いていますが、神様を信じたならば、もっと心が安定するように感じます。神様を信じると、不安はどうなるのでしょうか。

 

ブログを読んで下さっているのですね。ありがとうございます。

神様を信じると、不安がどうなるのか、というご質問です。

私が感じるのは、すでに質問者さんは、神様の存在を信じておられるように思いますが、いかがでしょうか。

そして、「神様との関係」が深まったならば、不安が取り除かれるのではないかと、期待しておられるのではないでしょうか。

 

今回、神様(イエス様)に、

①知って頂いていること。

②思っている全ての悩みを、告げる(吐き出す)ことができること。

③その上で、慰めて頂けること。

を記していきます。

 

知性で理解すること、と感情で実感することは、違います。

「全て知って下さっている」という事実も、

頭で理解することと、心で理解することはかなり違います。

これから書く文章が、質問者さんの、「心の平安」に役立つことを願っています。

 

①神様は、あなたの全てを知って下さっている。

このことを実感するためには、質問者さんがある程度「自分を受け入れている」必要があります。

人は意外に自分を「そのまま」受け入れていません。

「理想の自分」は好きですが、「ダメな自分」は見たくないのです。

ですから、一部の自分を受け入れ、それ以外はごまかします。無かったことにするのです。

すると、あるものを無いようにしますから、演技をしなければいけません。

「理想の自分」を演出し、「本当の自分」を見せないようにします。隠すのです。(無意識にしている場合が、ほとんどです。)

ですから、疲れるのです。

 

本来の「素の自分」を隠すことだけでも疲れるのに、

自分がしたくもない(酷い言い方ですが)「良い自分」を演じているならば、

どこかで「もう全て辞めたい‼︎」と叫びたくなるはずです。

 

では、どうしたら良いのでしょうか。

それは、「ダメな自分」をそのまま受け入れ、認めることです。

「ダメ」ならば、「ダメなまま」で、受け入れるのです。

 

やってみたら分かりますが、これが「なかなか難しい」のです。

あなたが綺麗なところだけを、人に見せることが習慣になっているなら、

「ダメな自分」が見えた瞬間に、「見えないように隠す」ことも習慣になっています。

もし見つけてしまうと(隠せないと)「落ち込み」ます。

そして「誰かのせい」にしようとします。自分を「悲劇の主人公のように」思い込もうとします。

極端な場合、頭の中の「理想の自分」を「本当の自分」だと思い込むのです。(これは悲劇です。本人が悲劇と思っていないことが、最大の悲劇だったりします。)

 

「神様があなたを知って下さっている」とは、あなたの汚いところも、全て知っておられるということです。

その上で、「受け入れて」下さり、

その汚い部分を見て、

「綺麗にする方法はあるのだから、私を受け入れてご覧なさい。」と言われるのです。

 

イザヤ1:18 「さあ、来たれ。論じ合おう」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」

 

「汚い自分」を、「心から受け入れる」ためには、

「それでも受け入れて下さっている存在」を知ることと、

「綺麗になる方法」を知ることが必要です。

 

それは、「神様(イエス様)の存在」を知り、

「十字架の赦し」を知ることです。

 

恐れずに、汚い自分を受け入れてみて下さい。

イエス様は、そんな心の葛藤をしている、あなたの全てを知り、理解し、

受け入れて下さっているのです。

 

そのことが分かってくると、演技することが減ります。

 

自分自身を取り繕わなくても、認めてもらえる存在、

その方が、一緒にいて下さることが分かってくると、

人前でも、堂々とできるようになるのです。

多少の演出はあっても、過剰な演技はなくなるのです。

 

演技しなくても、受け入れ、赦し、愛して下さっている存在、

天の神様であり、イエス様の存在は、

非常にありがたいのです。

 

イエス様を信じ、イエス様が一緒におられることが、

実感として分かると、不安がなくなります。(安心感、心の安定が与えられます。)

これは、信じる(体験する)者が、味わう事実なのです。

 

次回は、「イエス様に、悩みを打ち明けることができる」こと。

「イエス様に慰めて頂ける」ことに、触れたいと思います。

 

質問者さんの「心の平安」のため、

お祈りをしています。

 

「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ人への手紙4:6,7)。

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「イエス様が恋人だ」と言われる、友人のクリスチャンがいます。

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最近私はクリスチャンになりました。私の友人で「イエス様が恋人だ」と言われるクリスチャンがおられます。彼女は、会社に勤めるごく普通のOLです。真面目な方で、会社でも責任ある立場に立っておられ、信用も厚い方です。数年前に、人生で厳しいところを通った時に、彼女は「そのような信仰になった」と言われました。見えない、手で触れられないイエス様という方を、そのように信じることは可能なのでしょうか。

 

ご質問をありがとうございました。

クリスチャンになられたのですね。おめでとうございます。

イエス様を信じると、神様の愛を知るようになります。

愛を知るとは、人生で最も大切なことです。

愛を知った分、自分を尊重し、他人を尊重できるようになります。

それは、無理にということではなく、自然な心の発露です。

愛に満ちた分、人生が豊かになるのです。

 

ご友人で、「イエス様が恋人だ」と言われる方がおられるということです。

文面から、少し戸惑っておられる様子が伺えます。

確かに、見えないイエス様をそのように表現するのは、不思議に思われるでしょう。

しかし、実はそのように感じるクリスチャンは、多くおられるのです。(特に女性の方に多いです。男性でも、厳しいところを通られた方にはおられます。)

 

聖書では、イエス様は花婿で、教会は花嫁と書かれています。

ですから、花嫁である私たちは(男性も含めて)、イエス様とそのような親密な関係を持つことは可能です。

 

神様(イエス様)との関係は、「求めた分」深まります。

相当深く求めても、イエス様の愛は、それ以上なのです。(あなたのために十字架で命を投げ出された程です。)

 

多くの人は、イエス様との関係を知性で捉えます。

そして「愛されているのだ」と理解し、感動します。

しかし、人生の厳しいところを通った人は、「知性のレベル」では、満足できません。足りないのです。

 

家族との離別、病気等で、生きるか死ぬかの状況を通った多くのクリスチャンは、

それこそ「自分の人生を賭けて」イエス様に助けを求めます。

助けられないと「生きていけない」「気が狂ってしまう」と感じて、真剣に祈るのです。

時には断食して祈ります。。

食事も喉を通らない状況の中で、祈る時に、

自分の理解を超えた、主の愛、イエス様の愛に出会うのです。

 

「あなたの口を大きく開けよ。私がそれを満たそう」(詩篇81:10)

 

求め出会った時、多くの人は「イエス様の御臨在」に、「触れられる」のです。

この「触れられる」という体験が重要です。

 

もしあなたのことを、好きだと言ってくれる恋人ができたなら、

その恋人が、いつも話を聞いてくれて、味方になって下さり、

あなたをいつも守って下さるならば、、、

あなたはその恋人にメロメロになってしまうと思うのです。

 

その恋人は、あなたが間違ったことをすると、真剣に考えてくれ、真剣に叱ってくれる。

そしてあなたが立ち直ったなら、自分のことのように喜んで下さる。

「よく出来たね。信じていたよ、きっとできると思っていたよ。」

そんな愛情深い方が身近にいて、いつも接してくれたならば、どうでしょうか。

 

きっとあなたは、毎日を幸せに送れるに違いありません。

 

その人が、直接会えなかったとしても、電話でお話しできたなら、どうでしょうか。

あなたはきっと、電話をかけまくると思います。

 

父なる神様や、イエス様との会話(祈り)は、この電話のようなものです。

直接見ることができなくても、

その声を聞くことができるのです。

そしてその声を聞くと、安心できるのです。

 

祈りは、一方的に祈るだけではありません。

答えが返ってきますし、

答えと共に不思議な満たし(これを御臨在と言います。)を受けるのです。

それを受けるまで祈るのです。

 

質問者さんは、恵まれていると思います。

なぜなら、そのような「イエス様との信頼関係」を持っているご友人が、身近にいるのですから。

(モデルがいなければ、私の言っていることが実感できないと思います。)

 

「イエス様が恋人だ」と言われるそのご友人は、

イエス様から「たくさんの愛情」を頂いていることでしょう。

 

ぜひそのご友人を観察して下さい。そしてその「祈りや姿勢」を真似てみて下さい。

きっとあなたも、そのご友人が受けているような「愛情」を、体験することができるはずです。

 

イエス様は、あなたとも「深い信頼関係」を結びたい、と考えておられるのではないでしょうか。

なぜなら、そのご友人があなたに備えられたのは、神様の計画だと思うからです。

 

せっかくクリスチャンになれたのですから、

イエス様との深い関係を持つことができたならば、素晴らしいですよね。

祝福をお祈りしています。

 

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憎んでいて、許せない人がいます。どう考えたら良いですか。

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私には、身内に許せない人がいます。私の人生をめちゃくちゃにした人で、憎んでも憎みきれません。そのことを考えると歯ぎしりし、夜も眠れない状態です。

心穏やかに生活したいのですが、どのように考えたら良いでしょうか。憎むことは、罪なのでしょうか。

 

ご質問をありがとうございました。

許せない気持ちで、苦しんでおられるご様子をお見受けします。

具体的な理由は分かりませんが、酷い体験をされたことでしょう。

その苦しみは、相当に深いものだとお察しします。

まずは、その苦しみが、主によって慰められます様に、お祈りをさせて頂きます。

 

理性と感情は違います。

これから書くことは、理性では分かっても、感情では受け止められないかもしれません。

しかし、前に進んで行くためには、ナビゲーションが必要です。

ぜひ参考にして頂いて、質問者さんの心の解放につながることを祈っています。

 

今回、

①怒りの感情は、自然なものであること。

②しかし、憎み続けていると、不幸になってしまうこと。(危険)

③許しは、自分のためであること。

を考えていきます。

しばらくお付き合い下さい。

 

①怒りの感情は、自然なものであること。

聖書の中にこんな言葉があります。

エペソ4:26-27「 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。」4:26 “Be angry, and do not sin”: do not let the sun go down on your wrath, 27 nor give [g]place to the devil.

 

聖書は、怒ることを禁止してはいません。

むしろ、be angry 怒ることは自然なことだと教えています。

身体を打たれたら傷ができて痛いように、

心を打たれたら(目には見えなくても)心に傷ができて痛みが生まれます。

それは、当然のことなのです。

 

②しかし、憎み続けていると、不幸になってしまうこと。(危険)

しかしながら、痛みによって「怒り」が生まれ、それを長く持ち続けて「憎しみ」になると、話は別です。

憎しみは、負のエネルギーを持っています。そして更なる負のエネルギーを生み出します。

それは、自分を腐食します。

(サビのようなものです。最初は大したことはないと思っていても、サビが進行すると動けなくなります。ほっておくと本体までも崩れてしまうことがあります。危険なのです。)

 

あなたの感情を腐食させ、あなたの判断を歪めます。

そればかりか、あなたがサビついていると、あなたと関わる人を腐食します。

確実にあなたの親しい関係に(特に子供たちに)悪影響を与えるのです。

(本人がそのことに気がついていないことが悲劇です。)

まさに、悪魔に付け込ませるチャンスを与えるのです。

 

良く聞くことですが、

憎み続けた相手が、そのことをすっかり忘れていて、結局苦しんでいるのは、憎んでいる本人だけ、ということも普通に起きるのです。

 

まさに悪魔の思うツボなのです。

(悪魔は人間の心を破壊し、自分と他人の生活を呪わせることに、最高の快感を持つのです。)

 

③許しは、自分のためであること。

ですから、聖書は「許しなさい」と主張します。

危険を回避する、唯一の方法が、「赦し(許し)」なのです。(*私のブログでは、神様のゆるしを赦し、人へのゆるしを許しと、漢字を使い分けています。)

 

許すことは、感情というより、意志です。

それは、選択です。

 

その選択ができると、、、

a,憎しみの感情から解放されます。

b,赦し(許し)がどんなものなのかが分かり、自分を許すことができるようになります。

 

a,憎しの感情から解放されます。

憎んでいると、確実に負のエネルギーに包まれます。

そして、負のエネルギーは、あなたの心を腐食します。

 

ですから、負のエネルギーを捨てるためにも、

許しを選択する必要があるのです。

(これは感情ではありません。光と自由を体験したいのなら、「許します」と告白するのです。気持ちが乗らないかもしれません。しかし告白することが重要です。)

 

b,赦しがどんなものなのかが分かり、自分を許すことができるようになります。

苦しい中で、許しを告白していると、分かることがあります。

私は許せない。しかしこんな許せない存在を赦すと言って下さる方がおられる。

許せない存在を、許すというのが、「赦し」なのだ。(分かりにくい表現で恐縮ですが、、、)

 

イエス様がペテロに「7の70倍赦しなさい」と言われました。

ペテロは当時の考えで、3回許せば良いということを知っていて、イエス様に「7回許したら上出来ですよね」と問いました。しかしイエス様は「7の70倍赦しなさい」と言われたのです。これは無限に許しなさいという意味です。

 

神様の「私への赦し」が、「無限の赦し」です。

その「赦し」を体験した者が、傷つけた人を「同じように許す」ことができるようになるのです。

 

ですから、人を許すことは、(聖書に書かれている赦しは)、「自分の力」ではできないことです。

時間がかかりますし、自分を越えた力(助け)を受けなければ、できません。

 

以下の聖書の言葉は真実です。

マタイ6:14-15

「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」

 

「同じ物差しで測り返される」(ルカ6:38)のです。

 

「あなたの許し」が、深まれば、あなたが神様から「赦されていること」が、よく分かるようになります。

そして、「人を許した分」、「人からも許される」のです。

(体験的に分かると思います。優しい人には、人は優しくなりますし、無慈悲な人には冷たい対応をするのが、人の常です。)

 

またそのような許しを、自分のものにできたならば、その「物差し」で「自分自身を許すこと」ができるようになります。(多くの人は、人を許せないと言いつつ、本当に許せないのは、自分自身だったりするのです。)

 

ですから、色々な面で考えても、

許しは、「あなた自身」のためなのです。

 

まとめです。

怒りを感じることは自然なことでも、

それを憎しみに熟成しまうと、あなたあなたの心を腐食してしまいます。(危険です。)

ですから、「赦し(許し)の効果」を知りましょう。

 

しかし知性と感情は別物です。

意志で許しを告白しても、感情はついていかないことは常です。

時間がかかることがあります。(焦らないことです。)

誰かの助けが必要なことが多いのです。

(心の深い感情を吐き出して、それを聞いて貰うことが、助けになります。)

 

そして、一番力になることは、あなたが「神様の赦し」を体験することです。

「7の70倍赦しなさい」と言われたイエス様の赦しは、

あなたが、どんなに酷い状態でも、「7の70倍赦す」、そのような十字架の赦しなのです。

 

今回、キリスト教の最も本質である「赦し」について書かせて頂きました。

質問者さんの心が解放されるために、参考にしてもらえたら嬉しいです。

祝福をお祈りしています。

 

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「苦しみの荒野」で、どう考えたら良いのか。

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人は、人生に何度か「荒野を通る時」があります。

 

韓国のクリスチャンミュージシャン「ジャン・ジンスクさん」

の人生のお証を聞きました。

 

「なぜ闇のなかに、深き闇みに
一人で捨てられたのか
私はなぜ寂しくなり、低くなり、
頼りなくなったのか
荒野、荒野にいる」

(ジャン・ジンスク 「荒野をとおって」)

https://youtu.be/CIVd8VOhRnU

 

彼女は、父親が肺がんで音楽大学生の時に亡くなり、その後も父親の闘病の影響で、貧しい生活を余儀なくされました。

ある日、バス代が足りなくなり、

惨めで悲しくなって、泣きながら主に祈りました。

「どうして私はこんな惨めな生活を送らなければいけないのですか。人生は辛すぎます。あと20万ウオン(2万円)必要です。天の神様が私のパパなら、願いを聞いて下さってもいいじゃないですか。父親は娘のために助けて下さいますよね。あなたが良いお父さんならば、娘を助けて下さい。」

 

そう祈った直後に、携帯に電話があり「子どもを教えて欲しい」と言われ、その報酬が20万ウオンだったのです。

彼女は、心の中に不思議な温もりを感じました。お父さんである神様が共におられる、という感覚でした。

 

彼女は、神様に必要な金額を祈るようになりました。

多くの場合、それは満たされたのです。

 

この後彼女は、自分の日記の中に書いた詩に曲をつけるようになり、楽譜に起こし始めました。

特に、苦しみや絶望の中で、父なる神様に慰めを受けた「信仰の思い」を多くの歌にしたのです。

 

自費でCDを作成すると、ガンで死の床にいる方や、夫を事故で亡くした方、様々な苦しみ悲しみの中にいる方々から、メールが来るようになりました。

アルバムは、二枚三枚と増えていき、現在に至るのです。

(背後で神様の導きとしか思えない、不思議な体験があったようです。)

 

「苦しみの中」で、私たちは混乱し、絶望します。

いくら気力を振り絞ろうとしても、

穴に落ちたような時には、這い上がることができず、泣いてしまいます。

(むしろ泣ける時は健全かもしれません。混乱し、自分の気持ちが分からない時には、泣くことさえもできませんから。)

 

そんな時、「誰か」があなたのすぐそばで、

「寄り添って」「助けて」下さるならば、、、

「その温もり」を、一瞬でも感じることができたならば、

人は「生きていける」のです。

 

「荒野」とは、そのような体験をする場所です。

街中では、色々なものがありすぎて、見えなくなっているものが、

「荒野」では、「はっきりと見える」のです。

 

むしろ荒野とは、「本当に自分を助けてくれる存在」を見つけなければ、

「いのちを保つことができない」という、究極の状況下です。

 

そこで「必死に求めた末」に出会うことができた助けは、

「本物の助け」です。

 

その出会いを、温もりを、体験した人は、

「荒野でも」生きていけるのです。

 

「荒野」とは、「本当の助け」に「出会う場所」なのです。

 

詩篇121:1‐2
「私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのか。
私の助けは【主】から来る。天地を造られたお方から。」

 

ローマ8:28 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。」

 

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