人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

最近、何のために生きるのか分からなくなってきました。

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「40代主婦です。かつて希望した大学を卒業し、ある程度の会社に就職し、結婚退職をしました。今は子育ても一段落し、充実した毎日を送っているはずなのですが、最近虚しさを感じます。子どもも夫も私のする家事を、当たり前のように見ていて辛くなります。コロナで自粛が続く中、趣味や友だちと会うこともなかなかできません。発散する場所がない中で、毎日の家の用事をするにも、ため息が出てきます。最近何のために生きているのか分からなくなってきました。」

 

お辛いところを通っておられますね。質問して下さった方は、今まで頑張って生きてこられた方だと思います。

今はコロナ禍で、ストレス発散もままならず、気持ちが萎えてしまっておられるのでしょうか。

文面から、「こんな筈ではない」「もっとしっかりしなければ」という気持ちが滲み出ているように感じました。

もっと向上したい、もっと頑張って充実したい、でも「思い通りにならない」「できない」という虚しさが伝わってくるようです。

 

かつて高度成長の時代、頑張れば報われる時代がありました。ベビーブームにもなり、子どもたちがたくさん誕生しました。結果、熾烈な受験戦争となり、「友だちよりも一点でも多く」点数を取った者が受験の勝者となりました。良い大学、良い就職を勝ち取り、人生の勝者となれるという構図でした。その弊害からバブル以降「ゆとり世代」が生まれました。(1987〜2003年度生まれ)

 

そのバブル時代までの空気を成長期に吸った者たちは、「頑張れば認められる」「頑張らなければ認められない」という感覚を無意識のうちに持っています。

しかし今の時代の雰囲気はまったく違います。頑張っても認められないことが当たり前となり、「ゆとり世代」から「さとり世代」を経て現代に至るのです。

今は小さくまとまる時代と言えましょう。外は荒海で不安定なので、身近な確実な所に安定を求めるのです。そのため、会社での出世よりも自分の趣味やプライベートを重要視する人々が増えました。

 

あなたの「安定の土台」は、何ですか。

趣味でしょうか。ご家族の安らぎでしょうか。友だちでしょうか。

どれも大切です。

 

しかし実は、何かを支えにして生きていると、その支えがなくなった時に、落ち込んでしまいます。

聖書の中にこんな例え話があります。

 

岩の上に建てた家、砂の上に建てた家、どちらも変わらなく見えるが、雨が降って洪水が押し寄せると、砂の上の家は、簡単に倒れてしまった。

 

アメリカに行くと、「あなたは何を信じていますか」と時々聞かれます。

それは人間には「精神的バックグラウンド」が必要であるという前提があるからです。

「目に見えるもの(土台)」が無くなったとしても、それでも自分を支える「確かな土台」。

仕事が無くなっても、経済的に困窮しても、家族と別れ、友人と疎遠になっても、

あなたが立ち続けられる土台が必要なのです。

これは知識にレベルではありません。心の拠り所、本当に信じるものがあるかどうかの問題です。

 

クリスチャン作家、三浦綾子さんの小説に「道ありき」があります。

三浦綾子さんの自叙伝小説です。

綾子さんのクリスチャンになるまでの心の軌跡が描かれています。

軍国主義どっぷりに浸って、教え子を戦争に送ることを使命と純粋に考えていた綾子さんは、終戦で価値観が崩壊します。そして何も信じられないと虚無主義になります。その時だけ楽しけれ良いと考え、婚約を二股かける自堕落な状態の時、不治の病にかかります。(彼女はこれを自分への罰だと受け止めました)

そんな時、入院先に幼なじみの前川正という青年がやってくるのです。彼はクリスチャンで、綾子さんの自暴自棄を心配します。散々クリスチャン信仰を批判する綾子さんに対して、青年は誠意を尽くして対応します。

最後に綾子さんは「この人が信じる神様を信じてみよう」と思うのです。

「綾ちゃん。人間はね。一人一人に与えられた道があるんですよ」と優しく語られる言葉が、本書の主題です。

 

もし創造主である神様を信じ、そのアガペの愛(無償無限の愛)を知ることができたなら、あなたの生活は激変します。

人に認められなくても生きていけます。

「愛に溢れる」ので、その「愛」で人に接することができるようになります。

「岩の上」家を建てた「人生」となり、

どんな時にも穏やかに、「愛し続ける」ことができるのです。(祈りからくる神様の力によってです)

 

多分、あなたが願っている「どんな時にも穏やかに人と接すること」「いつも人と良い関わりをすること」が実現できるようになります。

 

あなたも、こんな生き方をしてみたいと思いませんか。

今は、不安定で、お辛いところを通っておられると思います。

しかし、もしかすると、今の不安定感は、本当の「岩の上」に自分を置くきっかけとなるのかもしれません。

信仰は無理に持つものではありません。

しかし人間にとって必要なものでもあります。

 

何のために生きるかは、あなたが自分をどう考えるかで決まります。

それは、「自分で生きている」と考えるか、「誰かに生かされているか」と考えるか、です。

誰かに生かされている、すなわち「自分を造った創造主がいる」と信じるならは、

あなたの人生の目的は、「創造主に聞く」のが一番です。

 

そのために「聖書」が書かれ、2000年以上も「キリスト教会」が存続しているのです。

 

クリスチャンになるとは、素晴らしいことです。

創造主なる神様が「あなたの人生」を導いておられることを信じ、祝福をお祈りしています。

 

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生きる気力がわきません。どうしたらいいのでしょうか。

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ご質問ありがとうございます。

生きる気力がわかないとは、とてもお辛い状況だと思います。

すべきことが見つからないのか、またはすべきことが分かっていながらも、それをするだけの力がわかないのか。

 

どちらにしても、あなたは「先」を見通して「今」を考えておられるのだと思います。

「本来こうすべきだ」ということを「おぼろげながら」でも「感じて」おられ、「理想に近づけない自分」に苛立ちを感じておられるのかもしれません。

 

あなたにとっての「理想や目標」は一体何であるか。少し一緒に考えてみたいと思うのです。

 

あなたは「何がしたい」のですか。(それがわからないから悩んでいるんだよ)と突っ込みを受けそうな気がしますが・・・、

でもよく考えて下さい。

「あなたは何がしたいのですか」

「それは実現可能なことですか」

実現可能か、不可能かを見極めることは、非常に大切です。

 

「このゲームをクリヤーしたい」「この仕事を仕上げたい」「資格を取りたい」

それが実現可能なものならば、自分で締め切りを作ったら良いとは思います。

(ただしあまりきっちりしすぎないことです。できないならもう一度改めて作ればよいというぐらいの方が、気が楽です)

もし親しい友だちがいるならば、(家族でも良いですが)、あなたの「希望」を話してみることをお勧めします。人に話すと意外とやる気が起こるものです。その人に応援してもらうことができたならば、力がわいてきます。

 

 

私は、24歳でキリスト教会に行きました。大学を卒業して一年後で、ある事情で京都で一人暮らしをしていました。当時、人生に相当悩んでいました。

「人生に意味がなければ、生きている価値がない」と今考えるほど自分を追い込んでいました。

京都の知人が通うキリスト教会に行き始めたのですが、

何かをしていなくては、悩みに埋もれてしまいそうで、休みの日にはひたすら歩いていました。(南禅寺、大文字山辺りはお気に入りの場所でした)

北大路バスターミナルから、大原三千院までバスで行き、帰りは歩いて帰るようなこともしていました。ある冬の日には、途中で日が暮れてしまい。真っ暗な国道367号線の山道をひたすら南下しました。大型車がやってくると風圧で巻き込まれそうになりました。「このまま死んだらどうなるだろうか」と思って空を見上がると、大きな丸い満月が山の間から見え、「綺麗な絵になる景色だ」と一人感動しました。何故だか涙が出ました。

 

当時、本当に生きる気力がありませんでした。

いつも虚しく、ただすべきことをこなしているだけの毎日。

「人生の目的」がほしい。

「私が何のために生きているのか」を知りたい。

毎日そんなことばかりを考えていました。

 

定期的にキリスト教会の集会や勉強会に参加していましたが、最初は「聖書の言葉」が心に響きませんでした。正直良くわかりませんでした。(頭では理解できても心で信じられませんでした)

暖かいクリスチャンの方々に接する中で、純粋に信じている人の「輝き」を見ました。

「また来てくださいね」という温かい言葉に励まされて、教会に通い続けました。

そしてあるきっかけを通じて、イエス様を心に迎え入れる祈りをし、その後、洗礼を受けたのです。

 

あれほど、悩みの中にいた自分が、クリスチャンになった後、中学校の教師となり、そして現在は牧師をしていることを考えると、人生は不思議です。

 

私の体験ですが・・・人生真っ暗でも大丈夫です。生きていれば、そして求め続ければ、どこかであなたの人生に「力を与えるもの、存在に」出会うことができます。

(私のようにイエス様に出会うということだけではないと思います。創造主は、あなたに必要な人やものを送って下さる筈です)

諦めないことです。しるしを見つけることです。一緒に悩みながら、考えてはみませんか。

 

私が悩んでいた時、愛知県で牧師をしている恩師の一人は「徹底的に悩んだ方がいい。悩みなさい。中途半端に悩むのは良くない」と言われました。

(なんて冷たい言葉を・・・)とその時思いましたが、真理だと思います。

徹底的に悩んだら、真剣に道を模索するようになります。そして求めたら「道(何か)に出会う」のです。

諦めないでください。

 

飛躍するようで恐縮ですが、「自分で生きている」のではなく「生かされている」のです。もしそうだとすれば「生きる意味と目的」は必ず存在します。

 

「あなたの人生」に「意味」があるのです。(信じて下さい)

そして「目的」も存在します。

それを知ることができたなら、最も確かな「生きる気力」がわき上がるのです。

 

どこかで「あなた」とお話をすることができれば幸いです。

ここまで読んで下さった「あなた」の祝福をお祈りしています。

 

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人生苦しいことばかりが続きます。どうしたら良いのでしょうか。

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コロナの状況下で、私たちはストレスに満ちた生活を送っています。

自粛自粛…と感染予防のためあらゆることに気を使い、気軽に人に会うこともままならない状況です。

ステレスが続くと、人の心はトゲトゲしくなります。余裕がなくなるので、人に優しくなれなくなります。

 

あなたは、今一体どんな状況なのでしょうか。その苦しみは物質的なことですか。精神的なことですか。

 

余裕がある時には、耐えられたことも、余裕がなくなると死活問題になります。ちょうど、人から押された時、崖の縁(端)に立っていたなら「殺すのか!」と叫んでしまうようなものです。広い野原の真ん中なら、何の問題もないことでも、崖っぷちでは感情的になり、相手のことを配慮できない言動になってしまいます。

 

苦しみを感じているあなたは、今どこに立っているのでしょうか。

自分のことを考える時、他の方の人生を思い巡らすと、自分が客観的に見れます。

そう言った意味でも、今日一人の人物を紹介したいと思います。

 

今日紹介したい人は、ダビデです。

有名なミケランジェロのダビデ像のモデルになった人物です。

彼は、王様になると言われながら、約10年以上も不遇の時を経験しました。20代から30代の時期に、前王サウルに誤解と嫉妬によって殺されそうになり、サウル王の死後も数年間、さらに思い通りにならない月日を過ごしました。

 

聖書の詩篇30篇には、ダビデの詩が載せられています。

この詩には、ダビデの体験が書かれています。

「病気→健康」

「滅び→いのち」

「御怒り(裁き)→恩寵」

「夕暮れ→朝明け」

「涙→喜び」

「嘆き→踊り」

「沈黙→喜びの賛美」

「順境と逆境」

 

ダビデの人生は「山あり谷あり」だったと言えます。

 

健康傲慢という言葉があります。ダビデは自分が順境だった時、自分の力で何でもできると過信していました。

健康であることは、神様の恵みですが、しかしそれを当たり前だと思うと、傲慢になります。

「死に至るような病気」になった時、ダビデは神が「御顔を隠された」と感じました。彼は「意気消沈」して「恐怖を感じ」ました。

プラスからマイナスになった時、「恐怖を感じ」神に叫び求め、マイナスからプラスになった時、感謝と喜びがわき上がったのです。

 

この詩編30篇の最後でダビデは、

「マイナス(苦しみ)を体験した」のは、

人生を導く神様を「ほめたたえる」ため、

いつでもどんな時でも神様に「感謝を捧げる」ため、

「マイナスを体験した」と結論づけています。

 

あなたは、今どのような「マイナス」を通っていますか。

その「マイナスの先」のプラスは、どのようなものだと思いますか。

 

このままでは終わらないと考えてみてください。

苦しみには「必ず終わりの時」がやってきます。

 

「大きな苦しみの中」だとしても、

「小さなマイナス」と「小さなプラス」が並んでいることも事実です。

 

私たちの人生は、必ず「上がったり下がったり」して進むのです。

そして「下り」が大きい分、「上り」も大きいのです。

「下り」の後は必ず「上り」があると考えて、今を備えましょう。

「下り」でなければ、学べないことがあると受け取りましょう。

 

もし苦しいことが、長く続いているならば、

神様は「本気で」あなたをつくり変え、引き上げようとしておられるのだと考えてみてください。

 

きっと、見る視点が変えられ、崖っぷちが、「次の山に登る尾根」

つまり「ここから新たなステージに向かう上り階段」だと思えるかもしれないのです。

 

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神は「乗り越えられる試練」しか与えない

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

コロナ禍で、再放送された番組の一つに、「JIN-仁-」がある。

詳細や感想は他に譲るが、

その中の有名な台詞に、「神は『乗り越えられる試練』しか与えない」というものがある。

絶望的な状況下で、主人公が、何度も握った言葉だ。

疫病や不条理な苦しみの中で、希望と生きる力が与えられた言葉だった。

 

 

世界のベストセラーである聖書の中に、同じ意味の言葉がある。(多分、こちらがオリジナル)

仁のストーリーをリスペクトしつつ、取り上げてみたい。

 

「試練と同時に脱出の道がある」

 

これを書いた聖書の人物は、使徒パウロだ。彼はもともとユダヤ教徒のエリートだったが、イエス様に出会ったことを通じて熱心なクリスチャンになった。その働きが強烈だったために、一部の保守的ユダヤ教徒や反対する者たちから、ひどい迫害を受けた。

石打ち、投獄、幽閉だけでなく、精神的にも何度も追い詰められた。

しかし彼は、経験によって、「神は乗り越えられない試練を与えられない」「試練と同時に脱出の道が与えられる」と確信したのである。

 

【新改訳聖書】
Ⅰコリ 10:13 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。

 

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せっかくこのブログを読んで下さっているのだから、

同じパウロが語った言葉をもう一つ。

「すべてのことが、相働いて益となる(マイナスもプラスになる)」も紹介したい。

 

「災い転じて福となる」に近い言葉だ。

これもパウロの経験からの言葉である。だから迫力がある。

 

原文の大意は、こうだ。

「神様を愛し、神様に選ばれているなら、その大きな力で、マイナスだってプラスに変えて頂ける」

【口語訳】
ロマ 8:28 神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。

 

これも力強い言葉だ。

苦しみの中では、私たちは普通、原因を否定的に考えてしまうことは多い。「あれも良くなかった」「あれさえ無ければこんなことにはならないのに・・・」

自分や他人の失敗を掘り起こして、ぐちぐちと呟いてしまう。

(反省は大事だが、過剰な内省は心を壊すことがある)

 

しかし神は、そんな失敗の原因も「凄まじい力」で、ひっくり返すことができるお方なのだ。

これを、使徒パウロは、人生の事実として受け止めた。

そして未来も、そのようになると信じたのである。

苦しみの中にあって、「神はマイナスさえプラスに変えられる」と考えること(信じること)ができる人は、そこから最善を進むことができるのである。

 

「神様の与えて下さる言葉」は、人生が変わる言葉となるのだ。

 

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人(自分)をどうしたら愛せますか。

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このご質問は、生きる上での究極のテーマです。

 

愛する、愛される。

美しい言葉です。古今東西の小説もドラマも愛がテーマになっています。

 

しかし、大切なだけに、誤解も受けます。

期待が大きい分、失望も積み重なります。

 

愛が欲しい、と思いながら、こんな愛ならいらない、と叫んでしまうことも多いのです。

 

愛を知ること、

自分の限界を知ること、

創造主を知る意味、

 

について、今日は書いてみたいと思います。

 

私たちは、「自分のものさし」をそれぞれ持っています。その基準で判断し、善悪、好き嫌い、受け入れるか無視するかを決めるのです。

 

三浦綾子さんのエッセイの中で、私たち人間は、非常に自己中心だという一文があります。集合写真は自分を最初に見るし、大事な花瓶を自分が割った時は仕方がないと思っても他人が割ると許せない、そんな感情を持っているというのです。私たちは「自分の考えが基準」ですし、ひどく「自分に甘いものさし」を持っているのです。

 

ここで、自分に甘いもの同士が集まる時、トラブルが起きるのです。

しかし、愛は「自分のものさし」を越えたところにあるのです。

 

お付き合いが深まり、信頼関係ができると、遠慮がなくなり、甘えが出てきます。

「どうして当然のことができないの、してくれないの」という気持ちがムクムクと湧き上がり、話すタイミングが悪いと喧嘩になったりするのです。

実は、喧嘩になることは健全でもあります。一番良くないのは片方が我慢することです。

その人は、「我慢すれば上手くいく」という「その場しのぎ」の「歪んだものさし」を握っているのですが、それはどこかで「機能不全」となります。

 

意外と「自分は愛情深い、良い人」と思っている人が、実は「非常に冷淡」だったり、「独善的」だったりするのです。自分のものさしの中では、愛情深くても、その外になると途端に冷たくなる人がいます。そしてそのことを本人が気がついていないことが多いのです。

 

ここで「創造主を信じること」の大切さを指摘しておかなければなりません。

「愛」は「自分のものさし」を越えたところにあるものです。

「創造主を信じる」とは、「自分のものさし」を越えた価値観を受け入れることができるかどうか、でもあるのです。

 

「自分が世界を作った」のではなく、創造主によって「自分は造られた存在」だと認めることができた時から、自分を越えたもの「真の愛を学ぶ旅路」が始まるのです。

 

外からの愛を受け入れ、人を愛すには、「自分のものさし」を越えなけれなりません。自分の正しさを手放す必要があるのです。ここには勇気が必要です。そしてそれでも大丈夫だという「信じる心(信仰心)」が必要です。

 

その「自分のものさし」を越えたものを受け取る心、信仰心がある人は、自分では許せなくても、「イエス様が赦されるならば許そう」という気持ちになり、自分を愛し許し、人を愛し許そうというレッスンを受けることができます。(イエス様のことをまだよく知らない方は、あなたを愛し許してくれた恩人を思い出して下さい。マザーテレサのような愛の偉人の言葉を思い起こしても良いと思います)

 

「自分を愛し許すこと」は可能です。そしてそれができた人だけが、真に「人を愛し許す一歩」を歩むことができるのです。

 

簡単に言えば、あなたを本当に愛してくれる方に出会うことです。そしてその愛を味わうことです。

そのために、「自分のものさし」に気がつき、それを乗り越え、自分を越えたものを受け入れる心が、大切なのです。

 

 

参考になりましたでしょうか。

ご質問があれば、お気軽にご連絡下さい。

 

「愛が深まる助け」があることを、お祈りしています。

 

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キリスト教で、自死(自殺)はどう考えているのですか。

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まずお話ししたいことは、自殺を考えてしまうことは、それだけ精一杯生きようとしておられるということだと思います。もしいい加減に生きているならば、適当に人を利用して生きていこうとしますので、自殺は考えません。自殺を考えるあなたは、根が真面目で、精一杯生きていこうと願いながらも、思い通りにいかない現実に困惑しているということだと思うのです。こういう時に大事な選択をしてはいけません。以前もお書きしたように、ぜひすぐに信頼できる人にお話しすることを、強くお勧めします。いのちの電話で、プロにお話しすることもお勧めです。

 

人は、期待した通りに物事が進まないと、エネルギー不足になって動けなくなります。それが続くと「自分が何で痛み苦しんでいるか」さえも、分からなくなります。方向を見失い、生きることよりも、死ぬ方が「楽に思えてくる」のです。

しかし、はっきりとお話ししなければなりません。ここで死を選ぶと、死んだ後の後悔の方が、今の苦しみより大きくなります。分かって頂きたいのは、決して自殺を選んだ方を批判するつもりはありません。それを選ぶほどの苦しみがあったに違いがないからです。しかし、死んだ後も霊が消えないので、死後ずっと後悔が続くのです。(赦しについては別の場所でお語りします)

 

自死は、自分を殺すことです。殺人は聖書で認めていません。(戦争や正当防衛については、別の場所でお書きします)

いのちは「与えられたもの」です。与えられた以上、そこには計画があり、目的があります。(創造主は、あなたに期待しています)

それをすべてキャンセルしてしまうと、死んだ後、その計画を知った時には、必ず後悔するのです。

今、自殺を考えるあなたは、現実に直面するエネルギーがないかもしれません。すべてをリセットして楽になりたい、と思われているかもしれません。

 

しかし、大きなリセットを考える前に、幾つかの小さなリセットを考えてみてはいかがでしょうか。

 

聖書の中に、エリヤという人物がいます。非常に優秀な人物ですが、大きな仕事をした後、あることをきっかけに、死にたいと考えます。その時、創造主は「食べて飲んで休みなさい」と言われたのです。

 

もし、あなたが、エネルギーが枯渇していたら、美味しいものを食べたらどうでしょう。「味なんか分からないよ」と言われるかもしれません。もし時間があれば、少し寝てみたらいかがでしょうか。「寝ても悪夢ばかりで、寝ておれない」と言われるかもしれません。

重荷を誰かに話してみたらどうでしょうか。一人でも「あなたの心の奥の苦しみ」を知ってくれる人がいたら、かなり楽になるはずです。

少し、心の奥にエネルギーが溜まってきたら、解決策を進める気力が湧いてくるものです。

 

一番良いことは、先送りしても良いですから、どこかで今の目の前の問題を直視して、解決することです。今は「そんなことはできない」と思われるかもしれません。でも大丈夫です。何とかなります。「生きていれば」必ず解決はしていきます。

 

今は、休みましょう。休めない状況でも、半日でも良いから、休みましょう。リセットする方法を考えましょう。自死の前に、他の方法でリセットできる道があるはずです。

それを一緒に模索し、見つけていきましょう。

 

最後にキリスト教の立場で3つだけ、まとめさせて頂きます。

(少しかみくだいて書きます)

 

①命は自分のものではなく「与えられたもの」だと言うこと。

 

②人生はつらいことが多いが、「訓練」であり、「意味がある」ということ。

 

③死んだ後は、終わりではなく、「霊は永遠に生きる」ということ。

(死んでも苦しみが終わりません。むしろ死後の方が長いのです)

 

もし、あなたが自死を考えておられる方であるなら、

「苦しみの中にも、必ず道があります。」

それを覚悟して乗り越えることを通じて、あなたは

「他の人が持っていない強さ」を

身につけることができると信じています。

 

お祈りしています。

 

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竹内結子さん 芦名星さん 三浦春馬さん

言葉がなくなるほどショックだった。2020年9月27日朝のネットニュースで竹内結子さんの訃報が飛び込んできた。自死だそうだ。

「どうして」と言葉がなかった。前日まで家族と団らんの時を持っていたと言うことだが、身近な人たちにも原因は分からないということだ。

牧師という仕事をしていると、人の生死に関わることが多い。病院に訪問して、人の命、生命力の強さを感じることも多いが、あっけない程に逝ってしまう方もいる。どうしてこんなことが、と思うことがある。

私は、竹内結子さん主演の「ミスシャーロック」が好きだった。繊細で偏屈な主人公を好演し、ドラマの世界に引き込まれた。竹内さんは繊細でとてもお優しい方だった伝え聞く。竹内さんだからできた演技だったと思う。共演の貫地谷しほりさんも繊細な魅力的な演技をしていた。女優をされ、活躍されている方々は、普通の人以上に細やかな気質の方々が多いのではないだろうか。私は、貫地谷さんも好きなので、心配している。同じ番組で、心が触れ合う時間を共有した方々の、ショックが並大抵ではないのではないか。

竹内結子さんがどのような心の軌跡を通ったのかは、ご本人以外誰にも分からないだろう。今それを詮索することは無意味だ。まして犯人探しのように、元ご主人中村獅童さんをパッシングすることは、無意味を通り越して悲しみにしかならない。

竹内結子さんのご冥福をお祈りすると同時に、ご親族の慰めと支えをお祈りしていきたい。

https://blog.with2.net/link/?id=2052183