人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

【イースター、コラム2】桜の若葉のような「復活の力」***弱い者が命の力を体験する

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 先週末の雨と風で、「桜の花びら」が一気に散ってしまいました。

しかし今朝の桜の木、雨上がりの枝には、すでに生命力にあふれた「若葉」が芽吹いていました。(思わず写真を撮りました。2021年4月5日)

 

「花びら」が自分の身を犠牲にして、

「若葉」に、「命と居場所」を明け渡したように見えました。

 

今回は、イースターのコラム、第2回目です。

「イースター」は、「イエス様のよみがえり」をお祝いするキリスト教のお祭りです。

今回は、イースターの「命の力」についてお話ししたいと思います。

特に「弱い者が受け取ることができる、力」についてです。

 

先回お語りしましたが、クリスチャンにとって「イースター(キリストの復活)」は、

「クリスマス」以上の重要な意味を持っています。

 

イエス様は「十字架での死」なれ、3日後に「よみがえり(復活)」をされました。

これはキリスト教の「最も根幹の教え」です。

 

十字架で「人間の罪の代価」が支払われました。(人間は罪人です。)

そして復活されたことで「罪の代価の支払いが成し遂げられた(罪と死に勝利した)」ことが、実証されたのです。(クリスチャンはそのように受け止めています。)

 

キリスト教は、「低くなる者」の教えです。

「へりくだった者」が「恵みを受け取ることができる」という教えです。


ヤコブ(新約聖書)
4:6 しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」

 

実は、以前も書きましたが、弟子たちは全員「失敗者」でした。

 ユダの裏切りによって、イエス様は逮捕され、

一番弟子のペテロも「イエス様を知らない」と裏切り、

弟子たちも全員逃げてしまいました。

(ペテロは「自分の弱い本当の姿」に気がついた時、号泣しました。)

 

事実、もしもイエス様が「よみがえり」をされなければ、

「イエス様を信じる群」は、バラバラになっていたでしょう。

 

イースターの朝、一部の弟子が、「イエス様に出会った」と証言しましたが、

迫害を恐れ、身を寄せ合っていた弟子たちは、誰一人その話を「信じなかった」のです。

 

ですから、弟子たちは、全員「自分の限界」を経験し、

「自分の弱さ」を自覚した者たちだったのです。

 

しかし、そんな「恐れと疑いの中」にいた弟子たちが、

その後、「神の聖霊の力」に触れられることにより、

迫害の中、殺されそうになっても、

「イエス様はよみがえられた(復活された)」と証をし続けたのです。

(実際、何人もの殉教者が起きました)

 

弟子は、一人一人「自分の弱さ」に気がつき、

イエス様に、その弱さをそのまま「告白し」、

聖霊に触れられ「弱さをつくり変えられた」のです。

 

弱さを認めることは、辛いことです。

しかし「自分の弱さを認め」、自分を主に明け渡した時、

「弱い時にこそ、強い」というキリストの教えを「体験できる」のです。

 

使徒パウロの言葉です。
Ⅱコリント(新約聖書) 12:10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

 

世の中の一般的な考えは、

あえて言えば「弱肉強食」です。

弱さを見せた時は、負ける時です。

綺麗ごとを言っても、「弱い者はダメだ」と心の奥で考えています。

ですから「無理をして強いふり」をします。だから「辛い」のです。

「自分が敗北者」にならないように「怯えながら頑張る」のが普通の人の考え方です。

 

しかし「イエス様の前」では「弱さを出しても、良い」のです。

むしろ「弱さを出したほう」が、イエス様に助けて頂けます。

 

なぜなら、イエス様は「究極の弱さ」を経験され、

(批判と裏切り、失望と絶望を味わい)

それでも「十字架の道」を歩み切られ、「勝利の復活」をされたお方です。


ピリピ人への手紙(新約聖書)2:6-9
キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、
自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。

 

 

ですから、虐げられ理解されずに痛みを覚える「すべての人」が、

イエス様から慰めを受けることができるのです。

イエス様は強いお方です。

弱い私をしっかりと支えて下さるのです。

 

ヘブル人への手紙(新約聖書) 4:15-16

私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

 

弱い者が味わう「復活の力」を、

イエス様に出会うことによって、

あなたも体験することができますように。・・・祝福をお祈りします。

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映画「サンオブゴッド」より

 

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【イースター、コラム1】イースター(復活祭)の意味、世界のイースターのお祝い

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「イースター」とは、十字架にかけられたキリストが、3日目に予告通り、よみがえられたことをお祝いする、キリスト教のお祭りです。(2021年は、4月4日がイースターでした。)

キリスト教の伝統のある国ではその前後は祝日になり、イースターの日曜当日は教会に行き、その後はご馳走を食べ、エッグハントや楽しいイベントの時を持ちます。

イースターは、実はクリスマスよりも重要なお祝いなのです。

(日本でも、段々と知名度が上がってきました。)

 

イースターといえば、イースターエッグが有名です。

これは、鳥が「殻を破ってこの世に誕生する」ように、

キリストが「死の殻を破って、よみがえった」ことを象徴しています。

 

世界中でイースターはお祝いされており、国によって特色があり、調べるととても楽しいです。

 

エッグハント***定番のイースターのイベント、隠された「ゆで卵」を見つけ出し、その数を競う。

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アメリカ、ホワイトハウスの、イースターエッグロール

大統領夫人が主催し、卵を運ぶイベント。

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ノルウェー、トナカイレース

世界選手権を行う。

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イギリス、パンケーキレース

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上記以外にも、調べるとたくさんの「イースターのお祝い」の伝統行事があります。

 

次回のコラムでは、「イースターの意味」、

「キリストが死からよみがえられたことの意味」を

私たちの生活に即して考えていきます。

 

祝福をお祈りしています。

 

イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」(ヨハネ11:25〜26)

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映画「サンオブゴッド」より。

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【受難週、コラム3、受難日】大波のような神の愛***十字架の慰めと励まし

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本日、2021年4月2日(金)は、受難日です。

2000年余り前に、人類と私のために、イエス様が「十字架で犠牲を捧げて」下さったことを偲ぶ日となります。(私のためにという感覚が大切です)

本日は、イエス様の「慰めと励まし」について、共に考えていきたいと思います。

 

***************

イエス様のお弟子の一人で、シモン・ペテロという人物がいました。

彼は、一番弟子で年長者で、積極的な性格の持ち主でした。

 

十字架直前の「最後の晩餐」で、

イエス様から「あなたはわたしを『3度知らない』と言う」と言われ、

「絶対にそんなことはないです」と返答した人物です。

(しかし、現実にペテロは、イエス様が逮捕された後、仲間だということで「捕まりそう」になった時、激しく「そんな人は知らない」と誓って言ってしまったのです。人間はそれだけ弱いということです。)

 

イエス様は、この会話の直前に、

「 シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ〔新約聖書〕22:31‐32)

と言われました。

 

つまり、イエス様は「ペテロが、弱さのゆえに裏切ること」を知っておられたのでした。

その上で、最後の晩餐の中「弟子たちの足を洗い」(愛と赦しの象徴)、

ペテロのために、とりなし祈られたのです。

(ちなみに、イエス様を銀貨30枚で裏切った、弟子ユダの足も洗われました。)

 

イエス様は、そのようなお方です。

ご自分の使命に立たれ、ひたすら「愛と赦し」を実行していかれたお方でした。

人類と私の、「罪の赦し」のために、ご自分を「いけにえ」として捧げ、「十字架の道」を歩まれたお方なのです。

 

ですから、私たちが失敗しても、その私を「赦し受け入れて」下さるのです。

(罪をごまかすのではありません。罪を罪として指摘した上で、そのようにしてしまった弱い私の存在を、100%受け入れて下さるのです。そして回復の道を歩めるように助けて下さいます。)

 

あなたは、失敗したことがありますか。

あなたは「自分で自分を許せなくなったこと」がありますか。

 

自分で自分を「本気で許せなく」なると「人はおかしく」なります。

(精神的なバランスが壊れます)

だから人は、「誰かのせい」にして自分を正当化し、

あるいは「自分の罪(落ち度)をゴマ化して」、自分の心を正常に守ろうとするのです。

 

私たちは、「自分の罪をごまかす」のではなく、

「失敗した時に、赦して下さる存在」が必要なのです。

 

そのお方が「イエス様」です。

そしてそのお方は「口先だけで、赦す」と言われるのではなく、

「自ら、あなたの重たい罪の罰金」を十字架で支払って、

『わたしが支払ったから、赦す』と宣告して下さるお方なのです。

 

このようなお方を知り、その赦しを体験すると、

「人は変わり」ます。

「罪責感」から解放され、自由になります。

 

今まで「罪責感」のために使っていた「負のエネルギー」を、

もっと「積極的なもの」のために使うことができるようになり、

「生きることが、楽に(軽く)」なります。

 

イエス様の愛は「大波のよう」です。

こんな有名な讃美歌があります。

 

「大波のように」作者不詳

♪ 大波のように 神の愛が

わたしのむねに 寄せてくるよ

漕ぎ出せ 漕ぎ出せ 世の海原へ

先立つ主イエスに 身を委ねて ♪

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イエス様は、あなたが失敗しそうな時、失敗してしまった時、

傍らにおられて、「とりなし祈って下さる」お方です。

 

その「大きなお方」の存在を知り、その「大波のような愛」を実感することができた人は、

そのような失敗でも、どのような困難の中でも、

「自分らしく」「前向きに」生きることができるようになるのです。

(本当です。)

 

今回は、③イエス様の「励まし」について、書かせて頂きました。

最後に、聖書の一節を紹介して終わります。


ヘブル人への手紙(新約聖書)4:15-16
私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

 

「受難日」イエス様が犠牲となって下さった恵みを覚えつつ、

皆様の祝福をお祈りしています。

 

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【受難週、コラム2】桜の花のように生きる***イエス様の生き方

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現在、私の住む地域では桜が満開です。

毎年、桜を見る度に思います。

桜は、この一瞬に集中して花を咲かせている、と。

たった数日のために、一年をかけ長い冬を越えて、準備をしている、と。

コロナで、イベントとして桜の下で賑やかになる、集まりが少なくても、

ひっそりと黙々と咲いている。

自分のすべきことを、ただ粛々としている。

(日本人は、この桜の「美しさ」と「切なさ」を愛する国民です。)

 

クリスチャンになり、「イエス様の歩まれた道」を知った後は、

まさに「イエス様の生き方」が桜の花のようだ、と感じるようになりました。

 

今日は、イエス様の「ゲッセマネの園の祈り」から、

「自分のすべきことをする」を考えていきたいと思います。

しばらくお付き合い下さい。

 

***************************

今までの流れで言うならば、②課題の分離、となります。

「人のすべき課題」と、「自分の課題」を明確に分け、

「自分の課題に集中する」大切さを考えていきます。

(意志と責任感)

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(ホフマン「園の祈り」)

イエス様は、十字架にかかられる直前、

ゲッセマネの園で、切実な祈りを捧げられました。

 

「アバ、父よ、あなたにはすべてのことが可能です。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが望むことではなく、あなたが望むことを。」イエスは苦しみもだえて必死に祈られた。そして、汗が血のしずくのように地面に落ちた。(マルコ14:36、ルカ22:44)

 

神様からの御使命、

イエス様が歩むように「備えられた道」は、十字架の道でした。

ご自分が「生け贄」として身を捧げることを通じて、

すべての人間の「罪の代価」を支払い、

死後も続く「罪の責め」から、人々を「解放する務め」でした。

 

これは、「罪の無い」「人であるイエス様」しかできない仕事でした。

(「罪を持った人間」が死んでも、「自分の罪」のために死ぬだけですから)

 

イエス様は、父なる神様から、「人類救済の使命」を受けて、

その「救済の道」を歩まれたのです。

 

しかし、現実の「十字架の道」は凄まじいものでした。

痛み、苦しみ、肉体的・精神的な苦痛だけでなく、

父なる神様との交わりが断絶すると言う、

(豊かな交わりを持ったイエス様からすれば)

信じられない程の、霊的苦痛を伴う道、でした。

 

ですから、イエス様は、ゲッセマネの園で、血が混じる程の汗を流して祈られたのです。

 

父なる神様に「投げること」もできない役割を、

弟子たちに「委ねること」もできない役割を、

「ご自分」で、黙々とこなされた「イエス様」。

 

イエス様は、人類代表の「非常に重い十字架」を背負って、

「痛みと苦しみの道」を歩まれたのです。

 

私たち「普通の人間」も、

自分の「すべき責任」を、神様に「任せること」はできません。

まして人に「責任を押し付けること」も、できないのです。

 

誰も「見ていなくても」、

誰も「評価してくれなくても」、

使命を与えられた「当人(私)」が、粛々と進めていくしか「道はない」のです。

 

イエス様は、弟子たちに

以下のように「弟子の覚悟」を迫りました。

「イエスは、みなの者に言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい』」(ルカの福音書9:23)

 

弟子たちも、「自分の課題」を明確に分け、その責任を果たすには、

逃げずに「十字架を負う」覚悟が、必要だったからです。

 

しかし、(最大の十字架を越えられた)「イエス様」の後に、

ついていく「弟子たち(私たち)」には、

イエス様と違って、「十字架を越える恵み」があります。

 

それは、苦しみを「歩み切った」イエス様から、

「慰め」を受けられるということ。

また、責任を持たれたイエス様の「お気持ちの一端」を、

「知ることができる」ということ、です。

 

これは、「苦しみを通った者」だけが「経験できる恵み」です。

そして、苦しみを通じて、苦しんだ方との「心情の交流」が、

一気に深まるのです。(神様の愛が、良く分かるようになります。)

 

「自分の課題」を分離して、

責任を持って言動するとは、とても「辛い作業」を伴うものですが、

「イエス様」の助けを知っているということは、

「大きな恵み」があるのです。

 

次回は、③「イエス様からの励まし」を一緒に考えていきたいと思います。

(苦しみを通られた方だから、理解して下さる、深い慰めです。)

「受難週の祝福」をお祈りしています。

 

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました」(へブル人への手紙12:2)


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【受難週、コラム1】幾つもの問題が同時に起きた時、どう対処したら良いかを考えます。

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(メル・ギブソン監督、「パッション」より)

**************************

今週は、キリスト教会では「受難週」にあたります。

イエス様が、十字架にかかられたことを偲ぶ週です。

イエス様は、ユダヤ教の「過越の祭」の初日(今年の暦では、3月28日)にエルサレムの町に入られ、今の暦の木曜日に「最後の晩餐」をされました。

その直後弟子の「ユダの裏切り」によって逮捕され、金曜日に「十字架刑」で命を捧げられました。(殺されました。)

その苦しみを偲び、私の罪の代価を支払うために「十字架の道を敢えて行かれた」イエス様に、感謝を捧げる週が「受難週」なのです。

そして、3日後は「イースター」です。主がよみがえられた日です。(今年は4月4日[日]です。)

 

****************************

今回は、コラムになります。

受難週を偲びつつ、イエス様の十字架を思いながら、書いていきます。

しばらくお付き合い下さい。

 

「弱り目に祟り目」

「泣きっ面にハチ」

酷い目にあった時、「傷口に塩」をぬられるような言葉を言われたり、

「失敗」の結果、うつ状態や、パニック等になることで「更なる失敗」をしてしまい、

「どん底」に落ちるような状態になることがあります。

「大きな問題」は、同時に起こることが多いのです。

 

今日もいつものように、3つのポイントで考えていきます。

イエス様が、①目的論、②課題の分離、③絶望を通過された、ことを確認しつつ、

そのイエス様と「身近な関係」になると、「励まされ」「力が与えられる」ことを、

お話ししたいと思います。

 

①目的論を考えます。(イエス様のご自分の生涯の目的認識)

皆さんは、イエス様の十字架にかかられた時の状況を知っておられるでしょうか。

ご存知の方もおられるでしょうが、人間的に考えれば、「かなり悲惨」な状況でした。

 

3年半、弟子たちと一緒に生活し、

多くの人を助け、一時期は心酔した人々が「王にしよう」と行動する程のカリスマを持ったお方。

それがイエス様でした。

しかし、働きの後半には「わたしは十字架にかかって死ぬのだ」と言われ、弟子たちを困惑させました。

そして「過ぎ越しの祭り」にエルサレム入場をされた時は、人々は熱狂的に迎えました。

まさかその数日後に、イエス様が殺されるとは、イエス様以外、誰も知りませんでした。

 

その後、権力者の陰謀、民衆の裏切り、親しかった弟子たちの裏切りと逃亡を受けます。

今まで歓迎した人々、癒され助けられた人々が、一気に敵のようになったのです。

精神的には、二重三重の苦しみと失望を感じる状況を通られました。

それに加えて、無実のご自身が、一方的な政治犯とされて、死刑を宣告されました。

 

私なら、この段階で、すでに「気がおかしくなる」と思います。

「オレの恩を皆忘れたのか」

「あの熱狂はウソだったのか」

「あれだけの努力をして、人生の最後はこんなザマか!」

裏切った人を呪い、そして神を呪うと思います。

(いくら「綺麗ごと」を言っても、追いつめられた時は何を言い出すか分かりません、ので。)

 

その上で、

規定により、39度の鞭打ちを受け、身体中血まみれになり、

その後、丸太の十字架を背負わされて、何度も倒れながらゴルゴダの丘に強制的に向かわさせられるのです。

(私ならもうダメです、、、そしてイエス様のお気持ちを考えると、泣いてしまいます。)

 

そして、ゴルゴダの丘では、十字架に寝かされ、両腕と脛に「太いクギ」を打たれます。

そのクギは、腕と脛を突き通します。

 

十字架が立てられると、

周りの見物人たちが、イエス様に「最低最悪の罵声」を浴びせます。

 

その声を聞いて、イエス様は、祈られたのです。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです、、、」と。

そして、その後「完了した」と言って息を引き取られました。

 

なぜこんなことが言えたのでしょうか。

それは、イエス様は、極めて明確な「目的」を持っておられたから、でした。

(当然、イエス様のお気持ち、すべてをはかることは不可能ですが、、、)

 

これから書くことは、一部の人には「分かりにくい」かもしれません。

しかし敢えてはっきりと書かせて頂きます。

 

人間は、「罪」を持っています。

それは「悪の心」です。「煩悩」とか、「汚れた心」、と言われるものです。

その悪は、「重く悲惨」なのです。

隠しても隠しきれない。

歳をとっても、決して消えない(むしろ歳を重ねるほどに、酷さに気がつく)

シミのような存在です。

 

多くの人は、そこからくる「罪責感」によって、自分と他人を責め、苦しみます。

そして生前だけでなく、死後にも「その罪」は「大きな影響」を与えるのです。

つまり、その「汚れと悪」を持っていては、死後に「光の世界(天国)」には「入れない」のです。

(当然だと思います。「そんな光」の中は「居心地が悪い」から、です。)

だから「地獄」に行くしかないのです。

(この事実を、正直に「受け入れること」ができる人は幸い、です)

 

だから「罪の赦し」が、人間には必要でした。

そしてその為には、「罰と、命の代価」が「必要」でした。

イエス様の地上の「生涯の目的」は、まさに「これ」でした。

 

罪の無い「神の子」が、十字架にかかり、

「私の罪と人類全ての罪を背負い」、

その「赦しの代価」を支払われたのです。

この事実を「自分の事実として」受け止め、

イエス様の「莫大な赦しの代価」を信じ、受け入れた者は、

「罪の借金が帳消し」になるのです。

 

それは「スピード違反を犯した人」が、

他人に「反則金を支払ってもらって」免除されたのと同じです。

支払わなければ、「逃げきれません」が、

支払えば、「帳消し」になるのです。

 

イエス様は、「この目的」を「明確に持って」おられたので、

度重なる迫害も、苦しみも、痛みも、

乗り越えていけたのだと考えられるのです。

(到底その慈愛と、お考えの総意は、及びもつかない大きなものですが、、、)

 

ここから、私たちが学べる「真理」は、

人生の度重なる痛みと苦しみがあっても、

神様から与えられた「明確な目的」が分かったならば、

乗り越える可能性が、数段高まる、というものです。

(地上で「絶対に乗り越えられる」とは言い切れない部分があるので、このような表現にさせて頂きました。)

 

聖書には、

「訓練と思って耐え忍びなさい」

という言葉があります。

神様が与えたものが、「訓練、修練、修行、、、」なら、

そう考えて(割り切って)乗り越えていくしかない、のです。

(後からその意味を知ることも、多くあるのです。)

 

ルカによる福音書(新約聖書)23:33-34

「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

 

今回は、「イエス様の目的論」ということで、

「強い目的」を持っていたならば、

「度重なる試練や苦しみ」も乗り越えていけることを、考察しました。

(正直イエス様と比較すること自体、おこがましいとは思いますが、、、)

 

次回、イエス様の「課題の分離」、「苦しみの中の励まし」

に注目し、更に「幾つもの問題が同時に起きた時、どう対処したら良いか」を考えます。

 

イエス様の歩まれた道を考える時に、その「凄まじさと重さ」に圧倒されますが、

このような「いばらの道」を乗り越えられたお方が、

「私を助けて下さる」ことが分かると、

大きな励まし、になります。

 

「受難週の祝福」をお祈りしています。

 

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【お答えその2】他人のことは、「とやかく言う」のに、自分のことは「逃げてしまう」人にどう関わったら、良いでしょうか?

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今回は、「自分のすべきこと」から逃げてしまう(Jさんの)心理と、その方に、バウンダリー (境界線)を保ちつつ、どのように関わったら良いかを考察します。

 

以前も他の箇所でお話ししましたが、「逃げる人」は逃げ切れると思い込んでいる人です。

(「逃げ切れるだろう」と希望的観測で、問題を先送りする人です。)

 

しかし皆さんもご存知のように、普通は「逃げれば逃げるほど、対処が遅れ」、

結果「問題が更に大きく」なります。

重要な問題は、「早めの対処」がベストなのです。

(実際に動かなくても、対処を「覚悟すること」は、瞬時にすべきことです。)

 

今回のポイントも、いつものように

①目的論、②課題の分離、③励まし、の3点で考えていきます。

しばらくお付き合い下さい。

 

①目的論

いつもの確認ですが、問題の解決は「未来思考」です。

過去の原因は、認めつつも、「過去の原因」と決裂して、

「未来の目的」に注目することが、最善の方法です。

 

イエス様が、生まれつきの盲人を見て、

「神のわざが現れるため」と言われ、「未来の目的」で考えたようにです。

(弟子たちは、「過去の原因」に注目しました。.....少し前に触れたブログをご参照下さい。)

 

しかし問題を直視し、「未来に目を向ける」には、ある程度の「覚悟」が必要です。

 

以前読んだ本で、

「無理せず、努力する方法」をまとめた「ハウツー本」がありました。

そのポイントは、「知性化」でした。

aいくら「感情」でやる気が起こらなくても、

bやるべきことを「リストアップ」して、

c「締切をはっきり記し」、

dもし「やらなかった場合のリスク」を考える、ならば、

人は「努力しなくても」「必死にやる」ようになるという内容でした。

(確かにそうだと思います。)

 

ですから、その方(Jさん)は、もしご自身の先送りの悪癖を解決したいと願うなら、

「未来思考」で考えるために、

「未来の解決」を目的として、

すべきことを(紙に書き出すなりして)、リストアップする必要があります。

 

②課題の分離

しかし、いつもここに書いているように、その気になるかどうかは、「本人次第」なのです。

リストアップすることも、覚悟を決めることも、「本人がしなければ」なりません。

この境界線(バウンダリー )は、誰も犯せない(侵入できない)領域なのです。

 

逆に言えば、「逃げてしまう人の心理」は、

「自分の責任」から逃げている、、、

つまり「自分のすべきこと、領域」をごまかして生きているのです。

 

そして、「逃げ続けた結果の恐ろしさ」を

見ないようにしているのです。

 

「自分の課題」を分離するためには、

「自分のすべきこと」の「最低限はする」ことが不可欠です。

それをする、、、「生き残るため」に、

それをしないと「死んでしまう」というぐらいの「危機感」が必要です。

 

その方が、「未来思考」で「解決の目的(目標)」を立てていけますように。

「課題を分離」して、自分のことは「自分の責任」でしなけれならない、と覚悟することができますように。

 -----それらことをお祈りします。

 

③励まし(最後にこのポイントです)

Jさんのような方と、内面的な話をすると、

ほぼ100パーセント、泣き言と言い訳が返ってきます。

しかし、「その感情」に負けてはいけません。

その方が、問題を解決して「楽になる」には、

「理性的」に「事実を受け入れる」しかないからです。

 

もし質問者さんが、Jさんに「良い関わり」をしたいと考えるならば、

お話しを聞きつつも、

「目的論」に立って、「未来思考」で、

目的(目標)を整理する方向で、「励まして」いかれることです。

 

しかし「深追い」は厳禁です。

本人の責任(バウンダリー )に入ってはいけません。

そういう方は、いつも「誰かのせい」にしようと、

虎視眈々と「チャンス」を狙っていることが多いですから、

その策略に「乗っては」いけないのです。

(質問者さんが深追いをすると、言い訳を正当化する材料を与えることになります。)

 

クリスチャンである私は、

神様とお付き合いする中で、いつも気がつかされることがあります。

それは、

神様は、助けて下さいますが、最後には、

「あなたはどうしたいのか」と質問されるのです。

 

神様に、「言われるから」するのではなく、

「自分の意志」で実行することを、神ご自身が願っておられるのだと思います。

神様もバウンダリー を大切にしておられるのです。

(そのように、神様は人間を造られたのです。ロボットではなく、自分の意思[意志]を持った存在として)

 

イエス様の有名な言葉を再掲します。

 

求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。(マタイ7:7)

Ask and it will be given to you; seek and you will find; knock and thedoor will be opened to you. (Matthew 7:7)

 

神様は、求める者(原語は、求め続ける者)に、与えられるのです。

 

Jさんが、ご自分の課題(目標)を明確にし、

質問者さんも、バウンダリー を保ちつつ、

良い関わりができますように、

祝福をお祈りしています。

 

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他人のことは「とやかく言う」のに、自分のことは「いつも問題を先送りする」人がいます。やんわりと指摘をしても分かって貰えません。どうお付き合いしたら良いでしょうか。

f:id:jesuslovesmeus:20210326122034j:plain


ある男性が身近にいます。他人に対しては、「あれが問題」「ここがおかしい」と厳しく文句を言うのですが、自分のことは「できない理由」をつけていつも先送りをしています。その人と一緒にいると「いつも批判をされている」ようで、居心地が悪いです。一方で、人の言葉に傷ついてしまうことが多いようで、「昔言われた言葉」をよく覚えています。人の言葉をよく誤解して受け止めてしまう傾向があるようです。話す時にとても気を遣います。どんな対応をしたら良いか、アドバイスをお願いします。

 

*********************************

ご質問をありがとうございます。

その方と一緒にいると、批判をされているようで、居心地が悪くなり、気を遣われるのですね。

その方と、どのように対応したら良いかのヒントを考えてみます。

その方の特徴を分析し、いくつかの関わりの方法を提示したいと考えています。

 

いつも3つのポイントでお話を進めていますが、(①目的論、②課題の分離、③励まし)

今回は、②「課題の分離」を最初に考えていきます。

 

一言で言えば、その方(Jさんと仮称します)は、

自分と相手との「課題」がしっかり分離できていない、

(混ぜこぜになっている)のだと思われます。

 

「自分のすべきこと」を誰かの責任にしたり、

「人がすべきこと」を自分が変えようとしてしまう、そのことは問題の「根本原因」だと思います。

 

Jさんは、「人の言葉をよく誤解する」と書かれていました。

そういう方は、人と自分の境界線(バウンダリー )が、あいまいなため、

「自分の考え」と「人の考え」は同じと思い込み、人の言葉を「自分流」に解釈する傾向があります。

(理屈と言うよりは、感情での思い込みです。)

 

つまり心の奥で、人はいつも自分を「分かってくれるはずだ」と思い込んでいるです。

(自分と「同じ」なのだから、分からなければならない、と他人に強制をしてきます)

その結果、コミュニケーションが上手くいきません。(当然です)

そして、自分の意に反する言葉に「驚き」過剰に傷つきます。(自分と「同じ」はずなのにおかしい、と思います。)

そして、自分の考えが「分かって貰えない」と嘆きます。(「同じ」だから分かるはずなのに、おかしいと悩むのです。)

それは「前提が間違っている」からです。

 

その方は、自分と他人を「分離」しなければなりません。

「自分の考え(感じ方)」と「人の考え(感じ方)」まったく別である、と理解しなければならないのです。

 

人は自分を理解するはずである、、、これは妄想です。

「現実を直視」しなければいけないのです。

表現しなければ、そして努力しなければ、理解して貰えません。(努力しても理解されないことも多いはずです。)

 

そういう傾向があるJさんと対応するには、どんな点に注意したら良いのでしょうか。

いくつかあるでしょうが、

私が、最も重要だと思うポイントは、「確認」です。

 

言ったことが上手く伝わっていないように感じたら、

「〇〇の意味で言ったのですが、伝わりましたか。」(言い方が悪くてすいません、と言えたらベストです。)と確認をしてみて下さい。

 

聞いたことが、おかしいと思ったら、

「△△と言われると、私は〇〇と理解しますが、それでよろしいですか」

「△△と言われると、私は〇〇と感じてしまうのですが、誤解ですよね」

等々、確認をするのです。(もう少しくだけた言い方の方が良いとは思います)

 

できるだけ「笑顔」でお語り下さい。

(そういう方の中には、「内容」よりも「顔の表情」で反応する方がおられますので、「笑顔」は、最高のツールです。)

 

①「目的論」を考える。

そういう方の中には、過去に執着する、過去の事例にこだわる場合があります。

人からされたことを忘れず、「ずっと根に持って」いたり、

「〇〇だから難しい」

「△△だから不可能だ」と

「原因論」ばかりに目を向けます。

(自分を安定させるために、現状や未来ではなく「過去」に執着するのです。)

「自分ができない理由」をどこかの「原因」に求めるのです。

 

本来は、「過去の原因」を押さえながらも、

「現実を直視」し、「未来」に解決するための「目標」を明確にし「実行する」のが、

具体的な対策です。

 

しかし、「自分のすべきこと(責任)」を回避するために、

「過去に言い訳」を求めるのです。

 

「自分のすべきこと」

「人のすべきこと(人に委ねること)」

を分けなければなりません。

 

以前取り上げた「ニーバーの祈り」が参考になります。

 

神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
(大木英夫 訳)

 

「過去に理由」をつけて、

「自分を変えないこと」を「正当化」することは、誤りです。

(「人を自分の思い通りにしようとする」のも、間違いです。)

 

過去の「原因論」から離れて、

未来の「目的論」に注視すべきです。

本来人間は、現実を見て「自分を変え続ける存在」だからです。

 

次回、もう少し解決策を掘り下げてみます。

祝福をお祈りしています。

 

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