人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

やる気のない部下を「指導するように」言われています。どうしたら良いでしょうか。

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職場で、上司から「やる気のない部下」を指導するように言われています。やる気のない部下をやる気にさせるのが「きみの仕事」だと言われています。目標を話し合ったり、励ましたり、いろいろと努力したのですが、本人に向上心が無く、言われた時だけ「分かりました〜」と言い、一向に改善する様子がありません。(指摘をすると、〇〇のせいと、同じような言い訳を言ってその場を取り繕います。)困ったことに、本人は悪びれること無く「このままで良いです。別に向上したいと思いません。」と言っています。上司にそのことを報告するのですが、「あなたの仕事、あなたの責任」と言われ続けています。ストレスで気が変になりそうです。どうしたら良いでしょうか。

 

ご質問をありがとうございました。

大変なプレッシャーの中でお仕事をされているのですね。何とか問題点を整理して、解決策を立てたいと願っています。

まずはっきりさせなければならないことがあります。

それは「部下の心を変えるのは、部下自身の責任」であって、「質問者さんの責任ではない」ことです。

この点をまず「明確に」しなければなりません。

同じように「部下が向上心を持たない」ことは、「部下自身の責任」です。「質問者さん」ではありません。質問者さんはあくまで「助ける役割」であって、それ以上でないことを留意しましょう。

いくら上司の方から「プレッシャー」をかけられたとしても、その点は「明確に」しなければなりません。

 

今回、質問者さんの「責任の範囲」(バウンダリー、境界線)を明確にしたいと思います。

その点が明確になれば、「持たなくても良いストレス」を回避できます。

(そして「すべき責任」に集中できます。)

しばらくお付き合い下さい。

 

今回は、以下の3点です。

質問者さんの責任は、

①「部下の方が変わる」責任は「部下自身」にある、と伝えること。

②「現在」の部下の「客観的な評価」を伝えること。

③「今後」の部下の「良い可能性」「悪い可能性」を明確に伝えること。

 

①「部下の方が変わる」責任は「部下自身」にある、と伝えること。

質問者さんが、部下に指摘をする時に、その方が「〇〇のせい」と言っている点が気になります。

もしかすると部下は、「言い訳を言う」ことが「癖」になっているのかもしれません。

言い訳を言う人は、「責任を取ろう」としません。絶えず「誰かの責任」にして、「自分の責任」を回避します。そして多くの場合「逃げられない」時には、「謝る」ことで逃げようとします。

 

ですから、質問者さんの責任は、

部下が「自分の責任」を「逃げられない」ように「確認(指摘)する」ことです。

 

例えばこんな感じです。

失敗をして「ごまかそう、責任を誰かに押し付けよう」としている状況で。

「〇〇のせいで、できませんでした。」

「確認だけど、できなかった責任は誰にあるの?」

「だって、〇〇がありましたから、できませんでした。」

「確かにそうかもしれないけれど、その上で対応するのが、あなたの仕事でしょ?」

「だって、〇〇でしたから」

「もしそうだとしたら、事前にそうならないように手を打つことが、あなたの仕事でしょ。そして事後に対処するのもあなたの仕事。」

「だって、、、」

「あなた、給料をもらっているよね。なぜ会社はそのお金を払っていると思う?。それはあなたがその仕事をする対価として支払っているのよね。」

「はい。、、、」

「それが分かっているなら、給与分は仕事をしようか、給与分の責任は取ろうよ。」

こんな感じです。

とにかく質問者さんは、部下に、

「自分の責任は、自分で取る」この当たり前のことを、指摘(確認)をするのです。

 

最初部下の方は、ごまかそうと抵抗するかもしれませんが、

それを「逃げられないように」軌道修正するのが、「質問者さんの仕事」です。

それを「聞く、聞かない」は、部下の仕事(責任)です。

「部下の責任」は、「部下に」取らせなければなりません。

質問者さんが悩むのは、「どのように指摘をしたら良いか」だけなのです。

(愛情を持って、はっきりと指摘をしましょう。それが質問者さん(上司)の仕事です。)

 

②「現在」の部下の「客観的な評価」を伝えること。

部下の方が、「逃げたり責任転嫁する」のが癖になっている場合、

現状を言い訳によって「正しく認識していない」可能性があります。

それを「正しく認識してもらう」(フィードバックする)ことが、質問者さん(上司)の仕事です。

 

まずは部下の良い点を積極的に伝えましょう。(意識している、興味を持っていることを伝え、愛情を伝えるのです。)

部下は上司に評価されていると思うとやる気が湧くものです。

そして(ここが大事ですが)、、、次に部下の欠点も正確に伝えましょう。

「逃げる癖がある」ことも、事例を挙げて「ふさわしいタイミング」で伝えるのです。

(そのために、良いコミュニケーションを日頃から作っておきましょう。)

部下を観察して、適切なフィードバックを返すのも、上司の仕事です。

 

③「今後」の部下の「良い可能性」「悪い可能性」を明確に伝えること。

部下は「自分の責任」を「自分で取って」いかなければなりません。

それは、良いことも悪いことも、です。

会社から「指示された仕事」を、「適切に」こなしていけば、「良い評価」を受けるでしょう。

しかし、指示を聞かず、自分なりのやり方を変えようとしなければ、「悪い評価」を受けます。場合によっては「配置換え」も起きるでしょう。最悪、「解雇通知書」を受ける可能性もあります。(当然法律に則って行われるものです。)

 

「部下をやめさせる」と言う意味ではなく(質問者さんには、その権限がないとは思われます。)

「会社の方針に従わない」ことをし続けた場合、

「結果は自分で刈り取る」と言う事実を、「部下に認識」してもらうのです。

(当人が自覚していない場合があります。)

(そもそも自覚している人に対しては、、、ここまで詰める必要はないでしょうね、、、)

「種蒔きと刈り取りの法則」です。

良い意味で、部下の「交通整理」をしてあげるのです(させて頂くのです。)

 

そして、質問者さんのサポートを受けつつも、

部下の方ご自身が「自分の目標」を立て、「自分の責任」を明確にして、業務に当たるのです。

そのような姿勢になれば、「言い訳を言うこと」は、少なくなるでしょう。

業務に向かう「目つき」も変わる筈です。

 

部下の方が、「自分の責任で仕事」ができるように「サポートする」ことが、

質問者さんの仕事です。

 

「部下の応答」は、「部下の責任」であることを留意しましょう。

 

質問者さんの「悩むべきポイント」は、愛情を伝えつつ、どうしたら分かってもらえるかの「言い方」と「タイミング」なのです。

そこにエネルギーを集中するのです。

 

いかがでしょうか。

今回、質問者さんの留意すべきポイントとして、

3点をまとめさせて頂きました。

参考にしてみて下さい。

 

これらのことを「裁きの心」からではなく、

「愛情を持って」為していかれますように。

 

聖書の言葉です。

「憎む者が口づけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である。」(箴言27:6)

「 鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。」(箴言27:17)

 

質問者さんの心が守られ、支えられて、良い仕事ができますように。

 

今回論点を明確にするために原則的なことを書かせて頂きましたので、

補足すべき点があるとは思います。それは又別の機会にまとめたいと思います。

祝福をお祈りしています。

 

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母親との確執についての相談です。

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クリスチャンのYです。先日はお答えをありがとうございました。今回は、母親との関係の相談をお願いしたいと思い、メールを送りました。ご助言頂けるとうれしいです。

 

私がクリスチャンになる前、私が12歳の頃に両親は離婚をしました。母は現在71歳で、東京で一人暮らしです。母は未だに父を憎み続けています。人を信用せず警戒し、疑い深く、人を詮索し思い込み、手がつけられないほど、ネガティブです。そして父の憎悪をぶつける相手は、娘である私と妹です。(私は3人兄弟姉妹の真ん中です)

妹も私も、母親の感情的、否定的、恨みつらみの電話やメール攻撃を今まで何度も受けてきました。妹はたえきれず、鬱状態にまで追い込まれてしまいました。

私は以前、母に聖書の言葉を紹介し、ゆるしや罪のことを伝えましたが、すべて拒否されました。神様の話をしても聞いてくれません。「私は私なのよ」「あいつをゆるしてたまるか」の一点張りです。そして私は一人ぼっちでかわいそうなのよ。」「私の面倒は誰がみてくれるの?」、「あなたたちは私の産んだ娘なのだから、見捨てないわよね?」と暗に強要してきます。

聖書に「あなたの父と母を敬え」とありますが、正直、自己憐憫を強調する母からの連絡は拒否したい、母と関わりたくないと感じています。

どのように対応したら良いのでしょうか。ご助言頂けるとうれしいです。

 

Yさん。メールをありがとうございました。

お母さんと関係について、悩まれている様子がひしひしと伝わってきました。

誠実に関わろうとしながらも、限界を感じておられる様子を感じます。

この状況では、人間的な視点では「打つ手がない」のが現状でしょう。しかし祈りは天に届いているでしょうから、イエス様が何かの「良い計画」を考えておられると思います。

 

今回「人間側」で出来ることとして、以下の3点を挙げてみます。

①感謝する力を体験すること
②ご自分の身を守ること
③御霊に満たされること(自分からは何もしないこと)
 
「人間側」で力がわかない時(あきらめそうになったり、気力がわかない時に)、
「み言葉の力」が重要です。
それぞれ、み言葉を書いておきますので、参考にして下さい。(み言葉から力を頂いて下さい)
 
①感謝する力を体験すること
Ⅰテサロニケ5:16‐18
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
 
「ネガティブの力」に対抗するには、「神様の力」を受けるしかありません。
そのために人間に出来る方策は、「感謝すること」です。
「お母さんの娘」として生れたことの「感謝の理由」を挙げてみて下さい。
 
紙に書き出しても良いかと思います。
天の父なる神様が、「お父さんとお母さんのDNAを用いて」、Yさんを地上に誕生させて下さいました。神様の計画は完ぺきですから(人間が不完全でも)、そこには神様の意図があるはずです。
「いのちを与えられたこと」「ひとり親で育ててもらったこと」「お母さんとの苦しみがあったからイエス様と出会えたこと」・・・
お母さんからの「ネガティブ感情」以上に「感謝をする」のです。
その内、本当に感謝できるようになっていくはずです。
すると③でも書きますが、Yさんの言葉(感情)が変わります。
 
②ご自分の身を守ること
ローマ人への手紙12:17‐19
「12:17 だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。
12:18 あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。
12:19 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。」
 
「すべての人と平和を保つ」ために、距離をあけることも視野に入れるべきです。
一方的に攻撃される場合、「自分の身を守る」ことも大事です。
 
こんな風に言うことも可能でしょうか?
「お母さん。私はお母さんの娘としてうまれたことを感謝しています。しかしお母さんの言葉を聞き続けると、私が壊れてしまいます。ですからお母さんと距離をあけます。私がもっと強くなったら、関わることができるかもしれませんが、今はそれができません。ごめんなさい。」
その時大事なことは「感謝をあらわすこと(本気で)」と「お母さんを責めないこと」です。
「わたし言葉」で語りましょう。「わたしが堪えられない」「わたしが壊れてしまう」等です。
このことは、「お母さんを無視するのではない」ことを伝えましょう。愛情を込めて冷静に誠実に語るのです。(手紙で伝えてもよろしいかとは思います。)
 
その結果、直接には会話をしなくなっても、「お母さんのためのお祈り」は続けて下さい。そしてもし気持ちが湧き上がったら、誕生日など何かの折に、(カード等で・・・方法は最善を考えて下さいね)愛を伝えて下さい。しかし直接の電話やメールのやり取りは避けるのです。
「無視をする」のではありません。「距離をあける」のです。
 
エペソ6:1-4
「6:1 子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。
6:2 「あなたの父と母を敬え。」これは約束を伴う第一の戒めです。
6:3 「そうすれば、あなたは幸せになり、その土地であなたの日々は長く続く」という約束です。6:4 父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」
 
「主にあって」と言う点がポイントです。盲目的に両親に従う訳ではありません。
 
両親に対しても「子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」と命令されています。それができていないならば、悪い結果を迎えることは、ある意味当然でもあります。
 
すべてが「神様の手の中」にありますから、両親を敬いながら「まな板にのせる」ような気持ちで、「すべてを委ねて」しまうのです。(委ねることと、放棄することは違います。その違いをこの後書いていきます。)
 
③御霊に満たされること(自分からは何もしないこと)
(質問です)ペットボトルのお茶があったとします。
もしキャップを開けて、ペットボトルを振り回したら、どうなりますか。
(答えは)・・・単純にお茶が周りに飛び散ります。
 
今は、「Yさんの心」は、お母さんから受けた「傷」で一杯になってしまっています。
もし「揺さぶられる」ような状況になったならば、
(隠していても)負の感情が飛び出るはずです。
 
ですから、御霊に満たしていただいて、心を「良いもの」で一杯にして頂くのです。
それまでは距離をあけるのです。
 
①でも書きましたが、感謝の心で心が満たされるならば、Yさんの心だけでなく、言葉が変えられます。
その時には、きっと自然に話ができると思います。
「ゆるすことの恵み」
「神様(イエス様)を信じる恵み」
「天国の恵み」
「罪を赦されて、天国に入る大切さ」
まるでペットボトルから流れ出るように、自然に「良い言葉」があふれ出すようになるのです。
 
人間的に頑張って「あらゆる努力」をしてお母さんに「プレッシャーをかけて」も、
状況は今まで通り、何も変わりません。むしろ悪くなることが多いはずです。
 
ですから、御霊にゆだねて「何もしない」ことです。(人間的に過剰な動きをしないことです。)
そして「自分の罪」に気がつくたびに「悔い改めの祈り」をして、「御霊の実」を結ばせて頂くのです。
「何もしない」を心に決めた方が、方針がすっきりとします。
「御霊にゆだねて」、「御霊の導きを選び続ける」のです。
 
ガラテヤ5:22-26
5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
5:23 柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。
5:24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。
5:25 私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。
5:26 うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりしないようにしましょう。
 
Yさん今回はこのような内容を書かせて頂きました。
①感謝する力を体験すること
②ご自分の身を守ること
③御霊に満たされること(自分からは何もしないこと)
参考にして頂ければ幸いです。
 
お母さんとの関係、ご家族の回復を、心よりお祈りをしています。
(お母さんが、イエス様を信じて、憎しみから解放されるためにも祈っています。)
すべての導きと祝福がありますように。

 

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上司から指摘されることが辛いです。どのように考えたら良いでしょうか?

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パート先の職場に、年下の上司がいます。まだ始めたばかりで慣れていないのですが、色々と指導される中で、時々厳しいことを言われます。

パートということで、気楽な気持ちで始めたので良くないのかもしれませんが、「そこまで言われなくても良いのでは」と思っています。年下の上司は「今伝えておかないと後で大変なことになると困るから」というのですが、「パートでそこまで責任を持たなくていいのでは」と正直思います。どう思われますか?

 

新しいパートを始められたのですね。

新しい職場では、新しい人間関係を作らなければなりませんから、気もつかわれるでしょう。

慣れない環境ですから、ストレスも溜まることでしょう。

せっかく新しく始めた仕事ですから、気持ちよく続けていけたら良いですね。

いくつかポイントを絞って考えてみたいと思います。

 

パートを始められて、どれくらいの期間が経ちますか?

人には相性というものがありますから、その上司の方と質問者さんとは、上手く意思の疎通ができていないのかもしれません。

一つ質問をしたいのですが、上司の方は、どちらかと言うと「親切な人」ですか「意地悪な人」ですか。(ここから始めます。)

 

まず「意地悪な人」の場合です。

どういう立場でも、上司は責任を持たされます。

会社では、その上の上司から、必ず「責任を追及」されます。(それが組織というものです。)

 

(「年下の上司」と敢えて書かれたのは、その方が精神的に未熟という意味でしょうか。)

もし上司が、精神的に未熟で、自己中心的な人であるなら、

指導上の「言い方も未熟」になります。

 

その場合、「言われた事実(ポイント)」だけを受け取りましょう。(それが理にかなっている場合はです。)

言い方は「無視する」のです。

時給分だけは、仕事をしましょう。(私はいつも「こういう言い方」をしています。)

嫌な言い方をされることも、「時給分」と考えて、割り切って仕事をするのです。

質問者さんは、年上なのですから、ぜひ大人対応をしてみましょう。

(もし、上司の責任を一方的に押し付けられたり、人格的な否定など、時給に合わない負担だと冷静に思ったならば、始めたばかりの職場であっても、進退を考えても良いとは思います。)

 

次に、どちらかと言うと「親切な人」の場合です。

その場合、少しじっくりと考える必要がありそうです。

 

聖書の中では、指導者は「模範」を求められます。

しかし、同時に部下にも「模範」が求められるのです。(パートでそこまで求めらるのか、と思わないでくださいね。時給分の責任は与えられます。)

 

人間は、神様から造られたと言う「存在価値」は同じですが、

一人一人の「役割」は異なります。

上司は上司の役割を果たし、部下も部下の役割があります。

給与が発生する以上、

その「責任」と「厳しさ」は、立場が違っても、存在します。

 

1ペテロ5:2〜3 (指導者に対する言葉)

2 卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。

3 あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。

 

ヘブル13:17  (指導を受ける立場への言葉)

17 あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。、、、ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。

 

上司にも、部下にも、期待されるべき「役割」があるのです。

(「会社」だけでなく、個人として集まる「教会」も当然同じです。)

(特に「教会」では、神様から与えられた役割を責任を持って果たす時に、悔い改めと人格的な成長が与えられます。)

 

もし年下の上司が「親切な人」な場合、

「質問者さんご自身の心」を内省する必要があります。

 

人は、自分の欠点を指摘されるのは、苦手です。

プライドがあるので、自分の身を守ろうとするのです。

下手をすると、「正当な指摘」に対しても、「怒り」を感じます。

 

その結果、「相手を攻撃」したり、言われた指摘を「無視しよう」とします。

(表面では「笑顔」でも、心の中は「嵐」です。)

 

こういう時は、「言われた指摘」より「大きなもの」を考えると、

指摘を受け取り易くなります。

 

上司や周りの人の「評価」とか、

指摘によって改善する「仕事の向上」とか、

それによって与えられる「収入」とか、

自分の「人格的成長」とか、です。

 

私なら、こう言う辛い時、「イエス様のこと」を考えます。

そして「自分が愛されていること」「守られていること」を思い起こします。

そして「心が満たされる」まで祈ります。

 

「大きなもの」に包まれると、(私の場合は、イエス様です。)

「小さなもの」はそんなに重要ではなくなります。

自分の欠点も、言われた事実も、失敗の悔しさも、「自分の存在を左右するものではない」ことに気がつくのです。

(心が安定していると)「指摘」は、むしろ改善によって状況が劇的に良くなる「有り難い助言だ」とも思えてくるのです。

 

「大きなもの」に包まれると、「指摘」も受け入れ易くなります。

「大きな支え」がある分、余裕をもって、指摘してくれた人と関わることができるのです。

 

繰り返しますが、

「大きな支え」があることは、重要です。

それがあると、「批判」に一喜一憂しなくても良くなるからです。

「支え」があるので、「批判」を受けても「自分の価値」が貶められません。(低くなりません)

すると「批判(指摘)」を、自分の益となることとして「取り込める」のです。

 

上司がどんな人でも、(親切でも意地悪でも、年が若くて未熟でも)

質問者さんの「心」が安定しているならば、

その「小さな批判」を、

質問者さんの人生を「豊かに生きるため」の肥やしにできると思いますが、いかがでしょうか。

 

神様は、すべてのことを「益」にできるお方です。

神様の「助け」を受けたならば、マイナスさえもプラスに変えられるのです。

 

ローマ人への手紙8:28

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。」

 

質問者さんの「心の支え」と、

「職場での祝福」を、お祈りしています。

 

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クリスチャンになって洗礼を受けると、その後どうなるのですか?

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何回か、イスラム教からの回心での質問をした者です。

その後、巡回のキリスト教の宣教師にお願いをして、滞在先のホテルで洗礼を受けることができました。宣教師に「今まで通っていた教会で『嘘を言っていた』こと」もすべて告白し、「悔い改めの祈り」をすることができました。洗礼を受け、宣教師から特別な祈りをして頂いた時、「異言」というものを受けました。聖霊が内側から流れ出すような素晴らしい体験でした。

洗礼後、近所の異言を理解する教会に通い始めました。そこの牧師先生には、今までのことをすべて話し、理解をして頂きました。

宣教師のグループラインに入り、そこでは、「預言、啓示、幻」などのメッセージが送られてきます。今後、クリスチャンは、異言以外にどのようなものを頂けるのでしょうか? またそれらは具体的にどういった意味を持ちますか?

 

Mさん、洗礼を受けられたとのこと、おめでとうございます。

また、新しい教会に通い始められたということ、これからイエス様から与えられる恵みを期待しています。

 

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者 です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」 Ⅱコリント5:17

 

と聖書にあるように、イエス様を信じると死後に天国に行ける恵みだけでなく、生きている間もたくさんの恵みを頂きます。

それらは大きく分けると「御霊の実」と「御霊の賜物」であると、聖書には書かれています。

「御霊の実」は、精神的・人格的なもの、

「御霊の賜物」は、神様から与えられる特別な能力です。

(どちらも、普通のクリスチャンに与えられるものです。ですから積極的に求めていかれたら宜しいと思います。)

 

A「御霊の実」

「御霊の実」は、ガラテヤ人への手紙5章に一覧が書かれています。

ガラテヤ5:22-25

22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、

23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。

24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。

25 もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。

 

「愛」「喜び」「平安」、、、9つの実は、どれも素晴らしいものです。

そしてこれらは、人間の「頑張り」で得るものではありません。

御霊によって「与えられる」ものです。

 

ただし受け取るには「コツ」があります。

それは「自分の肉の思い」(わがままな自我)の自覚と、「十字架への告白」です。

(これを悔い改めと言います。)

特に大切なことは、自分の思い(考え)が、相当なエゴで凝り固まっていることの自覚です。

人間は、自分が一番ですから、エゴイストは当然と考えます。(心の中では、自分は正しいものだと思い込んでいます。)

しかしそうではない事実に気がついたなら、(自分がエゴイストである、間違った考えがある、という事実に気がつかされたなら、、、これは「聖霊の働き」によって起きることですが)

素直に、十字架につけてしまうことです。

 

そうすれば、「肉の思い」が取り除かれ、代わりに「御霊の思い、実」が与えられるのです。

(一度には与えられません。毎日少しずつ与えられる類のものです。)

期待しましょう。求めましょう。求めた分「受け取り易く」なるのです。

 

B「御霊の賜物(プレゼント)」

もう一つの神様からのプレゼントは、「御霊の賜物」です。

実はこれは人格とは別の種類のものです。ですから人格的には問題があっても「賜物」として頂く人もいます。(旧約聖書のサムソンがその最たる例です。)

 

1コリント12章4〜10を見てみます。

4 さて、御霊の賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。

7 しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。

8 ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、

9 またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、

10 ある人には奇蹟を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。

 

ここには「知恵」「知識」「信仰」「癒しの賜物」「奇跡」「預言」「霊を見分ける力」「異言」「異言を解き明かす力」の9つの賜物が書かれています。(厳密なものではなく、黙示や啓示、幻なども他の箇所には書かれています。)

 

ただし一つ言えることは、

「御霊によって」与えられることと、

「皆の益となるため」に与えられるものなのです。

ですから、これらの賜物が欲しい人は、「自分のことだけ」を考えるよりも、

「他の人の益となること」を考えると、「受け取り易く」なります。

 

Mさんが、神様から与えられた使命を果たすために、「賜物」を積極的に求めていかれたら宜しいかと思います。

 

ただし一つ気をつけなければならないことがあります。

それは、

1コリント14:29「預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。」

とあるように「聖書に合っているかどうかの吟味」は絶対にしなければなりません。

(この辺りは、今通っておられる牧師先生にお尋ねすると良いでしょう。)

 

霊的世界は、「ルールがはっきりさていない」と、恐ろしいことがおきます。

預言、黙示、幻は、下手をすると「肉の思い」から「何でもあり」になってしまう可能性があるのです。

ですから「聖書の基準」は絶対です。聖書の価値観から外れている場合は、「神様から」ではありません。「人間の思い」か、「悪魔の惑わし」です。

気をつけましょう。

 

まとめですが、

クリスチャンになると、「罪の赦しによる天国の約束」だけでなく、

「御霊の実」「御霊の賜物」が与えられます。

 

それらが与えられて、一度しかない人生を、

イエス様の助けの中、困難があったとしても、

「喜びと感謝」によって生きることができるのです。

それらは、「自我の頑張り」からではありません。「御霊の力」によるものです。

 

2コリント3:18

「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」

 

Mさんの今後のクリスチャン人生の、

祝福をお祈りしています。

 

今回は、御霊の実、賜物の一覧のみを書きました。

さらにそれらの具体例を知りたいと思われたならば、またお気軽にご質問下さい。

私が理解、体験している内容を記したいと考えています。

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感謝の力。〜創造主からの不思議な満たし

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先回の「人間関係のぶつかり合い、の克服」の続き(第2回)です。

先回は、①感謝をすると視点が変わること、を学びました。

今回は、②不思議な力・満たしを体験する、を学びます。

 

聖書の言葉です。

1テサロニケ5:16-18「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」

 

山の渓流をゴムボートで下る時、水が少ないと岩にぶつかって進めません。

無理に進むとゴムボートが破れてしまい、大変なことになります。

もし救助中ならば、全員死んでしまうかもしれません。

どうしたら良いのでしょうか。

(ボートを担ぐ、又は別の移動手段を使うことは考えないとします。)

 

可能性として、水の多い渓流に移動するか、

水が増し加わるようにするしかありません。

 

自分たちの力では不可能ならば、水が増し加わるのを、

「誰かにお願いする」しかないのです。

 

「岩」を「人間関係」と考えた場合、

「ぶつかる、危ない」と思っても、

水量が増えたならば、危険ではなくなります。

問題が問題では、なくなるのです。

「岩(人間)」は、変わっていません。

しかし、「水が増えた」だけで、景色が「別のもの」に変わるのです。

 

何をお伝えしたいかというと、

「心がカラカラで乾いている」と、「岩(人間関係)」にぶつかってしまいます。

しかし「心が潤い、満たされている」と、「岩」にぶつかることなく、上手に乗り越えて行けるのです。(相手の状況は、まったく変わっていないことに、注視して下さい。)

 

「水が豊か」だと、非常に楽になります。

「自分で、無理に頑張らなくても良くなる」ので、

問題解決を「最小限の力」で済ますことができます。

(何もしない方が簡単に解決する、恵みを経験するのです。)

 

「水が豊か」だと「流れに任せれば良い」ので、「全身の力を抜く」ことができます。

力を抜く分、リラックスをして、最高のパフォーマンスをすることができるのです。

(良いことしかありません。)

 

しかし、現実的には、

心が満たされることは、人間の力では難しい(不可能)ということが多いのです。

 

人間は、必死になると力が入ります。

すべての岩を跳ね飛ばしてでも、進んでいこうとします。

その結果、人間関係でぶつかり、流さなくても良い血を流し、返り血を浴びてしまうのです。

 

「力を抜いた方が良い」と分かっていても、

「何もしない方が上手くいく」と思っても、

強行してしまい、たくさんの岩(人間)にぶつかるのです。

(又は逃げてしまって、解決を放棄してしまいます。)

 

前振りが長くなりました。

先回確認したように、感謝すると「視点が変わり」ます。

そして、創造主が「私を助けようとする計画」を、

受け取り易く(気がつき易く)なるのです。

 

主は(イエス様は)、人間を潤し、満たすことができるお方です。

最も重要なことは、「満たし」を「体験する」ことです。

 

ここまでは、知識を語りました。

ここからは、体験する方法を書いていきます。(ここからが本題です。)

 

しかしながら、これは文章ですから、

「創造主からの満たし」があるという「弁証」と、

このように受け取れるという「導入」までしか書くことができません。

(具体的に体験するところまでは、個々の応答に委ねたいと思います。)

 

エゼキエル47:3-5

3 その人は手に測りなわを持って東へ出て行き、一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、それは足首まであった。

4 彼がさらに一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、水はひざに達した。彼がさらに一千キュビトを測り、私を渡らせると、水は腰に達した。

5 彼がさらに一千キュビトを測ると、渡ることのできない川となった。水かさは増し、泳げるほどの水となり、渡ることのできない川となった。

 

上記は、神様がエゼキエルに見せた幻の描写です。

「水」は、「聖霊の満たし」を現しています。

そして「水」は「神殿(創造主の元)」から流れ出しています。

 

エゼキエルは、この時、「神様の言葉に応答」して、

「渡り」ました。

最初は、足首、次は膝、そして腰、最後は「泳げるほど」になったことが書かれています。

 

「渡る」ことは、「実際に近づいて体験する」ことです。

 

水泳と同じく、「説明する」ことと、

水に入って「体験する」ことは、まったく違います。

 

私は、寂しくなったり、エネルギーがなくなると、一人の時間を過ごします。

祈りの時間です。

 

イエス様に、自分の気持ちをお話しします。

自分の中の恥ずかしい部分も、そのままお話しします。

そして、力が必要な時は、「力を下さい」と祈り、

愛情が枯渇している時は、「愛情を下さい」と祈ります。

 

一人でいる時は、歩いている時も、自転車に乗っている時も、運転している時も、

話しかけています。

(時々お店で、慌てて口を閉じる時があります。)

 

イエス様は、本当におられるので、

独り言のような祈り、にならないように気をつけています。

 

イエス様のことを考え、イエス様の喜ぶ気持を考え、

本気で交わろうと、心を注いでいます。

 

すると、不思議な力で、満たされるのです。

(コツは、イエス様に心を開くこと、そして触れて貰うまで祈ることです。)

 

ルカによる福音書 11章9~13節 (イエス様のお言葉です。)

11:9 そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
11:10 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
11:11 あなたがたのうちで、父であるものは、その子が魚を求めるのに、魚の代りにへびを与えるだろうか。
11:12 卵を求めるのに、さそりを与えるだろうか。
11:13 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。

 

「求める者」には、「聖霊の満たし」が与えられるのです。

あなたも、「聖霊の満たし」を体験してみませんか?

 

干上がったカラカラの岩場の渓流で、ゴムボートに乗るよりも、

溢れる水の中で、ゴムボートに乗った方が、遥かに楽で、楽しいはずです。

祝福をお祈りしています。

 

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「人間関係のぶつかり合い」を克服するために。視点を変える。

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悪い「人間関係のぶつかり合い」の多くの原因は、肉の性質(罪)です。

我儘だったり、利己主義だったり、自分の思い(自我)を一方的に主張する時に、

軋轢が生じます。

「自分の弱さや落ち度」を認めないことも、争いの原因です。

 

議論を健康的にしていくために、争いを平和的に克服していくために、今回は解決方法を模索します。

カギは「感謝をする」です。

(感謝は、現状を受け入れる土台となります。)

 

聖書の言葉です。

1テサロニケ5:16-18

「16 いつも喜んでいなさい。

17 絶えず祈りなさい。

18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」

 

以下の3点を考えます。

今回は①のみです。

①感謝によって「視点を変える」。

②感謝するモードで、「良い力(満たし)」を受ける。

③感謝することを通じて、「奇跡」を体験する。

しばらくお付き合い下さい。

 

①感謝によって「視点を変える」。

人間関係がぶつかる時は、「意見の違い」から起きます。

ある問題に対する「無理解」や「立場の相違」から争いが起きるのです。

お互いに「譲れない」場合、お互いが「自分は正しく、相手が間違っている」と主張し合います。

(表面では合わせても、本音では譲れないのです。)

そのため、問題に気づく度に、相手を「徹底的に否定」します。

 

しかし、本当にそうでしょうか?

何かのバイアス、偏見が入っていないでしょうか。

こちらの思い込みはないでしょうか。

 

そんな時「感謝をする」と視点が変わります。

現状を受け入れる心が、湧き上がるのです。今まで見ていなかった視点に気づくのです。

 

「感謝なんかできない」と思われるかもしれません。

しかし本当にそうでしょうか。

議論できるということは、健康が与えられているということです。

(病気になったら、まず気力が湧きません。議論の場に立つことさえできないのです。)

 

また議論できるということは、

その仕事、その人間関係が与えられているということです。

そこに立っているということだけでも、素晴らしい恵みなのではないでしょうか?

 

まずは一つでも多く感謝できる点を見つけ出してみましょう。そして心の中で、

「感謝します。感謝します。」と言ってみましょう。

(気分が変わることを体験するはずです。、、、口に出して言っても構いません。)

 

少しでも感謝できる気持ちが湧き上がったら、

視点が変わり、現状を受け入れる余裕ができます。

相手の状況を考える(受け入れる)ことができるのです。

(その準備できます。)

 

「相手を攻撃し、認めない」視点と、

「相手を理解し、そこから解決を模索する」視点では、

後者の方が、何十倍も解決し易くなります。

仮に「相手が自分を変える気」が無くても、その現状を踏まえて「現実的な対応」をすることができます。

 

「感謝する気持ち」で問題を見ると、

問題が、自分の成長のツール、と思えてくるから不思議です。

 

感謝しながら、もし「自分の弱さや罪」に気がついたならば、

イエス様に助けを求めたり、

自分の罪(肉の性質)を告白して、聖めてもらうこともできます。

 

オセロが、クロからシロに変わるように、

問題を一つ一つ取り上げて、感謝をするのです。

最初は、口先だけで感謝していても、次第に心から感謝できる気持ちになっていきます。(不思議です。)

 

次回、感謝すると、

②不思議な良い力(満たし)を体験できることを学びます。

 

祝福をお祈りしています。

 

1テサロニケ5:16-18

「16 いつも喜んでいなさい。

17 絶えず祈りなさい。

18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」

 

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「罪」の恐ろしさ (イエス様について行く、心構え)

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イエス様について行くと、必ずぶつかるものがあります。

それは「罪」(肉の性質)です。

イエス様が願う多くの言動を、肉の性質(人間の中の我儘な性質)は、反発するのです。

 

イエス様は「愛しなさい。受け入れなさい。」と言われましたが、

肉の性質は、「そんなことはできない」と言うのです。

 

イエス様は「わたしが赦したように、あなたも許しなさい」と言われましたが、

肉の性質は「とんでもない。」と主張するのです。

 

まことに肉の性質は厄介です。

悪魔は、その「負の性質」を利用して、様々な攻撃を仕掛けてきます。

 

使徒パウロは、

ローマ人への手紙で

「7:19私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。」

と言っています。

 

そして、

「7:20もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。 7:21そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。」

と、自分の中に「罪の性質」を認めたのです。

 

イエス様について行こう(お従いしよう)と思わなければ、

肉の性質は「当たり前の感情」です。

傷つけられたら、傷つけ返そうというのが、自然な反応です。

結果、負の連鎖が続き、人間の争いがエスカレートすることが多いのです。

 

しかし、イエス様について行こう、と願い実行する人は、

必ず「肉の問題との戦い」を経験します。

「自分の心の中」での「負の感情」との戦いです。

(時に熾烈な戦いとなることがあるのです。)

 

ここで、「最も厄介」な問題に触れます。

それは、人間の争いを「煽る存在」がいることです。

それが「悪魔」です。(目には見えませんが、確かに存在します。この視点は大切です。)

悪魔は、「人間の肉の性質」が大好きです。

「許せない心」「裁く心」「見下す心」が、大好きなのです。

争い、傷つけ合い、炎上することを、「何よりの喜び」にしているのです。

そして背後から「もっとやれ」「壊れてしまえ」とけしかけて、

神が愛する人間を、「破滅」に向かわせようとしているのです。

 

こんな「悪魔の策略」に、「乗って」はいけないのです。

エペソ6:11

「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。」

 

ある牧師からこんな話を聞きました。

「神様に勝ったなら、悪魔にやられてしまう。

神様に負けたなら、悪魔に勝つことができる。」

 

それはこういう意味です。

「自我を押し通して、イエス様(神様の願い)を無視したなら、

悪魔に足元をすくわれ、打ち負かされる。

しかし、自我を押し殺してイエス様に従うことができたなら、

イエス様の力と権威により(信仰を用いて)、悪魔を打ち破ることができる。」

 

まさにその通りだと思います。

 

イエス様について行くと、

必ず「肉の性質」にぶつかります。

しかしそれでも、イエス様について行く人は、

(イエス様の助けによって)「肉の性質」を乗り越えることができるのです。

 

また「自分の中」の肉の性質だけではなく、

「他の人の肉の性質」にぶつかることがあります。

 

「相手の肉の問題」を指摘せずに泳がしている間は良いのですが、

立場上、「相手の肉の問題」を、はっきりと「指摘しなければならなくなった時」に、

強烈な反発を受けるのです。

 

正義や秩序保持を実行しなければならない時には、それは避けられません。

(上司が職務上で、部下の問題を指摘しなければならない時のようなものです。)

 

この時に、イエス様について行く人は、

イエス様から「知恵と力」を頂いて、

上手に乗り越えて行けるのです。

(この感覚は、次回のブログで触れる予定です。)

 

罪は恐ろしさものです。

そして「罪に支配されている人」は、恐ろしい攻撃を仕掛けることがあります。

 

しかし、「イエス様」は、十字架上で「悪魔」に勝利されました。

憎み合う罪の連鎖をすべて背負われて、

罪の代価を、命をかけて、十字架上で支払われました。

 

ですから、このイエス様を、

目の前にして、ついて行く人は、

恐ろしい攻撃を、上手に乗り越えて、

「進むべき道」を歩みきることができるのです。

 

繰り返しますが、

罪は恐ろしいです。

しかしイエス様について行く人は、その問題を乗り越えることができるのです。

 

ヨハネ 16:33(イエス様の言葉)

「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

 

祝福をお祈りしています。

 

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