人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

人に「嫌われて」しまいました。どう接したら良いか、アドバイスをお願いします。

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以前、会社の同僚に問題点を指摘した時、分かって貰えなかったので、その方の個人的な性格を、少し強く指摘をしました。そのことで、その方は私に「心を閉ざして」しまわれました。私に対して「よそよそしい」態度になりました。その直後に私は約1ヶ月の長期出張に出ました。帰ってきた後も、冷たい態度は続いています。仕事の関係で毎日会いますが、中々辛い雰囲気になっています。今後どんなことを心がけて、接したら良いでしょうか。良いアドバイスをお願いします。

 

ご質問をありがとうございました

仕事で顔を合わせる方との関係ですから、今の状況はお辛いことと思います。

問題が起きた直後に、質問者さんは長期出張に出かけられたということですから、直後のフォローが十分できなかったのかもしれません。

また、人はプライドがありますから、その方も、傷ついていたとしても「私は傷ついていない」と虚勢を張っている可能性もあります。

(そういう方の場合、「言葉」と「心」が違うので、問題解決が長引くことがあります。)

 

コリント3:6「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」

 

人間関係には、必ず揉め事が起こります。

人が画策して、上手くいく時もあれば、上手くいかない時もあります。

 

そんな時、「人を変えるのは、神のわざである」という感覚は、大切です。

その感覚を持っていれば、「深追い」をしなくなるからです。

(「解決への執着」から、却って問題をこじらせるのを避けることができるのです。)

 

今回、問題解決のヒントとして、3つのポイントを考えていきます。

①共通のルールの下にいることを、共有すること。

②言い方の落ち度は、謝罪の気持ちでいること。

③時を待つこと。

それでは、しばらくお付き合い下さい。

 

①共通のルールの下にいることを、共有すること。

その方(Aさんとお呼びします)に、問題点を指摘した時、

質問者さんは、「個人的な感情」で指摘をしたのではない、と思います。

ある「共通のルール、基準」から、ご指摘をされたのだと思われるのです。

この点は、非常に重要です。

 

なぜなら、ここが曖昧ですと、

「正しいことを指摘」したのに「過剰な罪責感」を持ってしまうからです。

(但し言い方は大切です。これは②で触れます。)

 

曖昧だと、次の問題が起きた時に「冷静に指摘」ができずに、

ルールに従うこと自体がおかしくなってしまいます。

(多分、質問者さんもそのことは理解しておられると思います。)

 

質問者さんもAさんも、「同じルール」の下にいるはずです。

その自覚があれば、次の問題が起きた時も、「理性的」に業務として対応できるのです。

(少なくとも、質問者さんは自覚していなければなりません。)

 

②言い方の落ち度は、謝罪の気持ちでいること。

人間は、指摘されると「腹を立てる」ものです。(そうですよね。)

それが当たっていれば余計に「腹を立てたり」します。

理性と感情は、別物です。

仮に、100%Aさんに落ち度があっても、「正論が人を傷つける」ことがあるのです。

 

その点に関しては、「謝罪の気持ち」を持つことは必要です。

(それを口に出すかどうかは、考えるべきです。人によっては、謝罪を受けると「鬼の首でも取ったように」自分のミスは横に置いて、攻撃する人がいますので、、、)

 

「正しいことは正しい」

しかし「愛情を持って対応」すべきなのです。

 

1コリント13:1-4

「たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値打ちもありません。

また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。、、、」

 

「正しいことを、愛情をもってする。」この感覚が大事なのです。

お相手を傷つけてしまった点に気がついたなら、

「傷つけたことは申し訳ない(部分謝罪)」という気持ちを持っていると、

何かの折に「謝罪の気持ち」を伝えることができます。

そうすれば、「和解できる可能性」がグッと高まるのです。

 

③時を待つこと。

質問者さんは、残念ながら「Aさんの気持ち」を変えることはできません。

人は、「人の心を変える」ことができないのです。

ある意味、Aさんも、「自分の歪んだ心」をすぐに変えることはできないのです。

 

ですから、私たちはその人を「愛情をもって見守る」ことしかできません。

その方が、自分自身を「内省する」のも、「時があり」ます。

「心を開く」のにも、時があるのです。

ですから、「その時を待つ」気持ちでいることが重要です。

 

伝道者の書3:7-8

「引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。、、、」

 

「その時がきた」なら、良い話ができるでしょう。

「質問者さんの気持ち」を、Aさんに伝えることができるでしょう。

もしかすると「雨降って地固まる」ようなことが起きるかもしれないのです。

 

大事なことは、「質問者さんの心」です。

質問者さんの心が、「愛情に満ち」ていれば、どこかで、「良い関係へ」と向かうはずです。

(「見えない心」が、大事なのです。見えない心も、持ち続ければいつかは「見える形」に繋がるのです。)

 

焦らず、じっくりとお取組み下さい。

焦りは禁物です。

イエス様は、私たちに「和解の務め」を与えられました。

それは「罪赦された」人間が、赦されたことを感謝する時に、

「起こる心の動き」なのです。

 

「人を許すこと」「仲直りをすること」、、、これらは神様の喜ばれることです。

①共通のルールの下にいることを、共有すること。

②言い方の落ち度は、謝罪の気持ちでいること。

③時を待つこと。

 

このことを通じて、「より一層人間関係が良くなる」ことを、

お祈りしています。

 

ご参考にして下さい。

祝福をお祈りします。

 

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「幸せ」をどうやって感じたら良いのでしょうか。③愛することと、自分の居場所について

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今回は「『幸せ』をどうやって感じたら良いでしょうか」のお答え、3回目です。

今回は、「愛することと、自分の居場所について」を考えていきます。

 

少し考えてみてください、、、、

小さい頃は、私たちは安心できる場所があり、毎日が不安がなく、幸せだったと思うのです。

 

しかし、大人になるにつれて、現実が見えてくると、私たちは不安を感じるようになります。

それは小さい頃のように「自分を守ってくれる存在」がいない現実を悟るからです。

 

そして自分を愛し、守ってくれる人を探します。そのような人を見つけると幸せを感じます。

(恋人、友人、恩師、、、)

しかし、その人も「いつも自分を愛してくれる訳ではない、いつも守れない」ことにどこかで気がつくのです。

 

そのため、ある人は絶望します。

ある人は諦めます。「そんな存在などいない」と結論付けます。

でも心のどこかの「愛されたい、守られたい」という、本能にも似た気持ちは消えません。

だから、、、心の奥にぽっかりと穴が空いたように生きているのです。

それを埋めようと、目標の達成感を得ようとします、、、仕事、出世、貯金、資格、、、。

しかし、達成しても、また次の目標を立てないといけないのです。

 

「心の中には、神様にしか埋められない穴がある」とは、そのような穴です。

いつも自分のことを知ってくれる存在、愛してくれる存在、そんな存在が本当にいたら嬉しいと、誰もが思っているのです。

 

個人的な話ですが、

私には、「創造主である神様との関係」が、人生に不可欠です。

なぜなら、継続的に人と「愛する心」で関わるためには、

祈りの中で、創造主(イエス様)と繋がっていなければ、難しいからです。

 

イエス様と繋がっていれば、

人と穏やかに関わることができます。

不思議な知恵が与えられます。

気力が充実して、人と接することができます。

苦手な人や、難しい状況でも、前向きに関わることができるのです。

 

イエス様を信じても、最初からそのようになれた訳ではありません。

自分の足りなさを感じ、弱さや悲しみを通じて、

助けを求めて、祈り続ける中で、

「イエス様と繋がる感覚」を身につけることができました。

(訓練があります。)

 

今回は、「愛する時、居場所を見つける時に、幸せを感じる」がテーマですが、

私が提供できる一番の答えは、「創造主との関係」「イエス様との関係」の中で

居場所を感じ、幸せを味わうことです。

 

いつも書いていますが、人間の愛は不完全です。(私自身の愛も含めて)

ですから、創造主もイエス様も見えないのですが、

関わっていただかないと、継続的な「人との良い関係」が作れないのです。

(切れそうになるような酷いことをされた時に、それでも穏やかに接するためには、確かな支えが必要なのです。)

 

神様との関係(愛の交わり)を持つために、

以下の3つを、考えていきます。

a、人間は「与える愛」が分からない。

b、人を愛する時に「与える愛」を理解できる。

c、愛し愛される関係の中で、「居場所」を感じる。

 

a、人間は「与える愛」が分からない。

幸せを感じるためには、「愛されるより愛すること」です。

「受けるよりも与えるほうが幸いである。」使徒20:35

これはイエス様の言葉です。

 

しかし多くの人は、「与える愛」を持っていません。

「愛が欲しい」と周りを探しまわって、「見つけたら奪おう」と考える人がいます。

「愛は惜しみなく奪う」と考えている人です。

しかし、そのブラックホールに、心の健康な人は近づきません。

心が健康な人は、人を愛し、愛が溢れている所を選びます。

多少はボランティア精神で関わってくれても、ずっと奪い続けられたならば、最後は身の危険を感じて離れていきます。

 

再びイエス様の言葉です。

ルカ6:38 「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」

 

「与えて欲しい」ならば、最初にまず「与えること」なのですが、、、

どうでしょうか。あなたは「与え続ける愛」を持っていますか?

 

b、人を愛する時に「与える愛」を理解できる。

そして人間は、「本当に与える愛」が理解できません。

「与える愛」とはどういうものかも知りません。

1ヨハネ4:8

「愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」

「愛が分からない」ので、神が実感として「分からない」のです。

 

究極の居場所は、神様との「愛の交わりの中」にあるのですが、

理性や理屈で「愛」を理解しても、実感として、「与え続ける神の愛」が分からないのです。

 

「与える愛」が分かるためには、逆説的ですが、

「与える愛で、愛し続ける」ことが必要なのです。

愛を学ぶ必要があります。

 

「子を持って知る、親の恩」と言われます。

子どもの頃は、「当たり前」のことと思っていたことが、本当は「親の愛情」からだったと、親になって初めて実感するのです。

 

人を愛する訓練をしていく中で、「神様の愛」が分かり、「愛の交わりの素晴らしさ」を実感していくのです。

 

c、愛し愛される関係の中で、「居場所」を感じる。

箴言17:17

「友はどんなときにも愛するものだ。

兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。」

 

友情関係は、愛し愛される関係です。一方的に愛するだけでは、友人ではありません。

一方的に愛されるだけでも、そこには繋がりもなく居場所もないのです。

 

神様との関係も同じです。

愛を学び、その愛を受けたなら、神様(イエス様)を愛するという選択と決断が必要です。

 

また私の個人的体験ですが、

毎朝、起きた瞬間から祈り始めます。愛の関係の確認をするのです。

「主の愛を感じ」ます。

「主を愛しますと告白」します。

その感覚がないと、気持ちが悪くて1日が始められないのです。

 

その感覚(イエス様との愛の交わり)で1日を始めると、安心です。

主がいつも一緒にいてくださいます。

失敗をしても、主が支えてくださいます。

「本当の私」を知っておられるイエス様が共におられるので、

嫌なことを言われても、誤解されても、そんなに動揺しなくて済むのです。

 

この安定感は、本当に有難いです。

どんな時でも、私を支えてくれる居場所があり、この居場所は揺らぐことはありません。

(絶対的な安定感です。)

この安定感を体験したいと思いませんか?

 

今回は「神様との愛の交わりを体験する方法」を、まとめました。

神様(イエス様)のことを良く知らない方にとっては、

ピンとこないことも多くあったとは思います。

 

もしそうであっても、

幸せを感じるためには、

「居場所が必要である。」

そして居場所を確保するためには、誰かを「愛することが大切である。」

この2点を押さえて下されば、人間関係や様々な場所で、「幸せを味わう」ことができると、信じています。

 

そして、もしあなたが「創造主との交わり、その愛の中での居場所」が欲しいと思われたならば、

「主の愛」を通じて、

「深い平安(幸せ)」を味わえることをお祈りしています。

 

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「幸せ」をどうやって感じたら良いのでしょうか。②自分の人生を生きる!

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先回の質問のお答えの続き、です。

先回は、「幸せを感じる心」について聖書から考え、それを「受け取る方法」について考察しました。

今回は、自分の人生を生きる!即ち、②「自分の願いを持ち、それを求め続けること。」

について考えていきます。

 

箴言13:12(口語訳)

望みを得ることが長びくときは、心を悩ます、「願い」がかなうときは、命の木を得たようだ。 

(命の木とは、神の祝福の象徴)

 

以前から語っていますが、

「和をもって尊しとなす」「空気を読む」

これらの言葉は、日本人の考え方、文化を現しています。

これらは、素晴らしい配慮に満ちた考え方であり、日本人の優れた特性です。

しかし、コインの表裏にように、

空気を読み、自分に期待されたことに応えようとする余り、

日本人は、他の国の方々以上に、同調圧力に弱い傾向があるのです。

 

つまり、自分がある願い、考えを持っていても、相手の様子を見て、

(親だったり、友人だったり、同僚だったり)

自分の意見を引っ込めてしまい、過剰適応してしまうのです。

そしてそれが習慣化してしまうと、

人に合わせることで、自分の存在価値、居場所を見つけようとしてしまいます。

するとある人たちは「自分が何を願っているのか分からない」

「自分が何をしたいのか分からない」状態になってしまうのです。

(かつての私も、、、かなり、そのような傾向がありました。)

 

こういう立場に「追いやられる」と、

生きることは、「義務感」になってしまいます。

人のニーズばかりを考えて、

生きる喜びが感じられず、「幸せを感じられない心」になってしまうのです。

 

では、どうしたら良いのでしようか。

その穴から抜け出す方法はあるのでしょうか。

今回のポイントは、この点です。

 

②自分の願いを持ち、それを求め続けること。

「願いがかなうことは、命の木」(神の祝福、幸せの源泉)

 

あなたは、「自分の希望」を持っていますか?

「自分の願い」を知っていますか?

(人からの期待ではありません)

幸せは、「それ」を発見するところから始まります。

 

「自分の希望」をリストアップするとしたら、どんなことがかけますか。

絶対不可能な希望、かなり難しい希望、努力したらできるかもしれない希望、、、

諦めかけた希望、、、すでに諦めてしまった希望、、、

とにかく書き出してみましょう。

そしてそれを、じっくり見つめ、考えてみるのです。

 

そして、許される範囲で実行するのです。

 

私の場合、数年前に公私ともに厳しい環境になり、

自分はこれから、「どのように生きていったら良いか」を真剣に考えた時期がありました。

もともと文学部国文学科卒業で、昔は詩や短い小説を書いたりしていましたので、

将来は文章で「神様との関係の素晴らしさ」を広く伝えたい、という希望を持っていました。

しかし卒業後は、仕事に追われて、小説も詩も全く書くことがありませんでした。

 

その時期、いろんな可能性を考えて、自分の夢の実現を考えてみました。

白い紙に「思いつくまま」の希望を書き出しました。(ウイッシュリストです。)

経済的なこと、、、自分のしたいこと、、、自分のしなければならないこと、自分の使命、、、

そして「今後の人生のいくつかのプランを考えました。

 

その一つに「神様との愛の関係をテーマにした小説」を書いてみたいと、いうものがありました。

そして一念発起をしたのです。

どうせなら懸賞に応募しようと考えて、準備を始めました。(懸賞金獲得という、大それた夢も持ちました。)

最近の小説を読み漁り、ドラマを見たりシナリオを読んだり、文章作成のスキルアップを考えて、自分の興味のある分野を深掘りし始めました。

(それまで仕事に追われて、20年近く仕事関係の本以外は殆ど読まなかったのです)

その夏に、原稿用紙300枚の小説を書き上げました。

次の年、その小説を修正したものを、ある出版社に応募をしました。

入選はしませんでしたが、編集部から連絡があり、自主製作という形なら、印刷費の一部を負担するという形で出版をすることができると言われました。

(しかし結局、、、今の経済状況ではできないので、断念をしましたが、、、、)

 

そして、、、「どんな形で発信できるだろうか」と考えている中で、昨年コロナ禍が始まったのです。

そして9月に相次いで俳優さん、女優さん方の自殺、、、の記事を読みました。

とにかく「生きることの励みとなる何か」を発信しよう、と考えてこのブログを9月に開始しました。

今、2021年10月、、、一年が過ぎ、プログ発信が生活の一部になっています。

 

細々と書いているこのブログを読んで下さっている皆様、定期的に応援して下さる皆様には、

心より感謝をしています。

 

しかし今振り返るなら、数年前からの厳しい状況を通らなければ、

(その時ウイッシュリストを書かなければ)、

このような形で、発信しようということは考えなかったと思うのです。

また「小説の練習」がなければ、今のブログのスタイルにはなっていなかったと思うのです。

 

ピリピ2:13-14

神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、(実現へと)事を行わせてくださるのです。

すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。

 

創造主は、私たちに「能力」を与え、「志、ビジョン、願い」を与えて下さいます。

ですから、大事なことは、神様の語っておられる中で「自分の願い」を持つことです。

そして「それ」をつかんだら、「呟かずに、疑わずに」行うことです。

 

人の目を気にしてでもなく、人の期待に応えるためでもなく、

自分自身が心の底から願う「願い」を見つけることは非常に大切です。

(現在の環境の中で、許されるものという限定はつくでしょうが・・・)

 

その願いが、実現する時に、幸せを感じるものなのです。

箴言13:12(口語訳)

「願い」がかなうときは、命の木を得たようだ。 

 

現在の私は仕事をしながら、忙しくはしていますが、

オフの時には、感動的なドラマを見たり、自分の好きな景色を見たり、食事を食べに行ったり、

家族と関わったり、知人たちたちと関わったりで、結構楽しく暮らしています。

 

「幸せだな」と思います。(多分以前よりも充実しています。)

 

現在私が気を付けていることは、「自分の心の動き」(願い)に正直になることです。

「自分の願い」を大事にして、生活することです。

(忙しい中でも、自分らしく充実して生きるには、このことが不可欠だと思います。)

 

今回は、「幸せを感じるために」

②「自分の願いを持ち、それを求め続けること。」

をまとめてみました。

 

今回は、私の話が多くなってしまいましたが、

参考にして頂ければ幸いです。

 

次回は、③「愛すること、自分の居場所を持つこと」を取り上げます。

祝福をお祈りしています。

 

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「幸せ」をどうやって感じたら良いのでしょうか。

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コロナも長く続いており、気候変動や社会情勢を見ても、将来に希望が持てません。こんな時代に、どうやって「幸せ」を感じたら良いのでしょうか。人の言葉はコロコロ変わります(自分も含めて)。聖書から何か良いアドバイスはありますか。

 

質問者さんのご質問をお読みして、

「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ」(イザヤ40:8)

の言葉を思い出しました。

人の言葉は、状況によって変わります。変わらないことを願いますが、現実にはそれは難しいことです。そういう意味で変わらない「神のことば」 に目を向けることは大切だと思います。

 

歴史をみても、スペイン風邪など世界的に疫病が流行った時代がありました。

疫病もどこかで終わりの時(人類との共存の時)がやってきます。

もしかすると「平和な時」には考えない大切なことを、今のような「非常事態」には、考えるのかもしれません。

きっと今の質問を大切にすることは、とても重要なのだと思います。

今回も聖書の言葉をいくつか紹介します。

 

まず聖書で、幸せについて書いてある箇所です。

伝道者の書3:12-13

12 私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。

13 また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。

 

箴言13:12

期待が長びくと心は病む。望みがかなうことは、 いのちの木である。

 

今回は、

①幸せを感じることは、神様からのプレゼントであること。

②自分の願いを持ち、求め続けること。

③愛されるより愛すること。

の3点を考えていきます。(今回は①に絞って考えていきます。)

 

①幸せを感じることは、神様からのプレゼントであること。

「幸せ」の定義はいろいろとあります。

しかし「幸せを感じる」のは、その人の「心の持ち方」によるのです。

人が羨む環境でも、不満を感じる人もいれば、

これでどうやって生きるのか、という状況で、希望を持って幸せを噛みしめている途上国の子供たちもいるのです。

 

「幸せを感じる」ことは、環境ではありません。

そして「人間の努力」を越えたものです。

「何故だかそう感じてしまう」という理屈では理解できないものなのです

 

「感謝のメガネ」という言葉があります。(私がよく紹介する言葉です。)

感謝のメガネ(例えばオレンジ色のメガネ)で、周りを見るとオレンジ色に見えてきます。

しかし不満のメガネ(例えばブルーのメガネ)で、周りを見ればすべてブルーに見えるのです。

「幸せ」も同じです。

 

あなたが、「ブルーのメガネ」をいつも習慣的にかけているなら、

「感謝」で周りを見ることは、ほぼ不可能です。

どう頑張っても、理屈をこねても、「感謝」には見えません。「ブルー」なのです。

あなたが、どんな美貌を持っていても、能力があっても、家柄や財産があっても、「ブルー」にしか見えないのです。(理屈を越えています。)

 

しかし「感謝のメガネ」をかけていれば、

周りの「感謝できること」がよく見えてきます。

すると「可能性」や、「助けてくれる人」、「試練の中での脱出の道」が、見つけやすくなるのです。

(プレッシャーの中でも、笑顔がわいてきます。)

 

では実際には、どうしたら良いのでしょうか。

単純に考えるなら、ブルーのメガネを外して、感謝のメガネをかければ良いのですが、

ではどうしたら、ブルーのメガネを外せるのでしょうか。

感謝のメガネをどこで見つけられるのでしょうか。

 

ここに「神様からのプレゼント」のすごさがあるのです。

積み木を積むように「努力」しなくても、

「受け取れ」ば良いのです。

 

伝道者の書3:12-13

12 私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。

13 また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。

 

創造主に、「このプレゼントを下さい。」と祈れば良いのです。

「食べたり飲んだりする中で、幸せを感じられるようにして下さい」と祈れば良いのです。

いつまでですか。「受け取るまで」です。

 

いろいろな質問が聞こえてきそうです、、、

「神様という、見えない存在にどうやって祈ったら良いのですか。」

「どうやって受け取れると信じることができるのですか。」

「本当に受け取れるのですか。」

 

先日お伝えした聖書の箇所をみていきましょう。

ローマ12:2(新共同訳)「むしろ、心を新たにして、自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」

 

実は、受け取れるかどうか、信じることができるかどうかは、

聖書の言葉を「受け止められるか」どうかにかかっています。

そして高いところからではなく、へりくだって「自分を変えて下さい」と素直になることが秘訣です。

 

創造主を見上げて、心の一新によって「変えて下さい」と祈れば、

主は「あなたの心を変え」、「何が良いことであるか」を見極めることができるようにして下さる、、、と書いてあります。

 

あなたは見えない「創造主」を信じますか。

その方が「全知全能」であることを信じますか。

イエス様の十字架の犠牲によって、人の「罪の赦し」だけでなく、「心のきよめ」も与えて下さることを信じますか。

 

もし「信じられない」と言われたならば、

私はとても悲しい気持ちになります。

なぜなら、これは「私も教えられて体験したもの」だからです。

難しいと思える環境で「幸せを感じるコツ」を身につけた、「私も苦労した1人」だからです。

 

実際、私も信じても受け取るまでに(受け取るコツをつかむまでに)、

しばらく時間がかかりました。

 

ぜひ信じて頂きたいです。

そして「感謝のメガネ」

「幸せを感じる心」を受け取って頂きたいと願っています。

祝福をお祈りしています。

 

マタイ7:7、11

7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。

11 、、、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。(必ず与えて下さるのです。)

 

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ストレスから「めまい」がひどいです。② 「心の平安」の受け取り方

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先回の質問のお答えの続きです。「ストレス」をなくす方法を考えるため、

先回は①「現実を受け入れる大切さ」を「創造主を信じる」信仰から学びました。

今回は②「心の平安の受け取り方」を考えます。

 

「自分は神様ではない(すべて自分の思い通りにならない)」と悟っても、

(詳細は前回の記事をご覧下さい)、

ぶっちゃけ「苦しいもの」は「苦しい」です。

いくら「現実は変えられない」「受け入れるしかない」と分かっていても、

苦しみには「身体が反応」します。

質問者さんは、苦しみを通じて、すでに「心が傷ついている」可能性があります。

その傷を、そのまま受け入れても、痛い傷口は痛いのです。

 

もしかすると質問者さんは、その痛みに堪えて、その痛みを見ないようにして、

今まで頑張ってきたのかもしれません。

もしそうなら、深い傷口のように、

表面は「治っている」ように見えても、奥はかなり「痛んで」います。

そして、、、そのことに「気づいておられない」のかもしれないのです。

 

ストレスから「めまいの症状」が出たのなら、出るまでの長い期間、

傷口が悪化していた可能性があります。

一旦発症したなら、「表面だけ」を見ていては不完全です。

「奥の傷」に対処しなければならないのです。

 

しかし傷口を直視するだけで、痛みを伴いますので、

人は無意識に、傷口を見るのを「避けよう」とするのです。

 

こういう時「私を造って下さった創造主」を知っている人は、癒しを受けやすいのです。

 

よく取り上げる聖書の言葉です。

詩篇139:23-24

「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。

私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」

 

自分では「直視できない」痛みを、

「すべて知っておられるお方」に祈り、取り扱いを受ける時に、癒しが始まります。

 

私は昨年秋に、右手の指を合計8針縫う、怪我をしました。

病院に行き、ゴミを取り除いて、消毒をして、医者に縫って貰いました。

「処置をして」 から二週間で抜糸をしましたが、「しっかりと処置」をして頂きましたので、安心して回復を待つことができました。(抜糸まで定期的に見て貰いました。)

 

何をお伝えしたいかというと、あるレベル以上の傷を癒すには、

専門家の助けが必要だことです。

 

聖書では、神様を医者として表現している箇所がいくつもあります。

特にイエス様のことは「不思議な助言者」英語では、ワンダブル・カウンセラーと表現されています。

イエス様は、心の医者でもあるのです。

 

ある方が、定年退職されました。

会社の状況のため、思ったほど退職金が出ませんでした。

退職金を当てにして、その後の人生設計をしていましたので、ひどく落ち込んだと言います。

家のローンをすべて支払い、家を改築し、年に一度は旅行をして、、、人生を楽しむ、、、。

体力的にも自信がなかったので、新しい仕事をすることも不安でした。

 

クリスチャンである彼は、教会で祈ったそうです。

心の中の不安や苦しみ、失望、悲しみ、、、をすべて、イエス様に祈りました。

祈っている中で、黒雲のように頭の中にいっぱいになっていた「重たいもの」がスーッと消えていったと言います。

そして心の奥で「わたしがいるではないか」という細く優しい声を感じたそうです。

その瞬間に「不思議な気力」が湧き上がり、「きっとできる。何とかなる。」と思えたそうです。

 

「自分の力ではない力」によって、この方は、「立ち上がる」ことができたのです。

「自分の気力」なら、どこかで疲れ果ててしまいます。

(人間は、一旦崩れると、脆いのです。)

しかし「心の医者でもあるイエス様」に関わって頂くと、「不思議な回復」が与えられます。

 

ピリピ4:6-7

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」

 

「安心できる医者」にお任せするように、

創造主である、あなたを造られた神様に、「重たい心」を委ねてみませんか?

 

そのお方は、あなたの心を癒し、つくり変えて下さいます。

 

ローマ12:2(新共同訳)「むしろ、心を新たにして、自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」

 

神様(イエス様)に心をつくり変えて頂くためには、

「神様、私をつくり変えて下さい」という、人間側の願いが「最初」です。

 

そのような「謙遜な心」で祈ることが非常に大切であることを、

最後に付け加えさせて頂きます。

質問者さんの心に「平安」が与えられますように。

 

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ストレスから「めまい」がひどいです。聖書から良いアドバイスはありますか?

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仕事やプライベートで、ストレスを複数抱えています。身体が悲鳴をあげたようで、めまいがひどくなってきました。病院で薬を処方してもらい飲んでいますが、明らかにストレスが原因です。薬ではなく、もっと「考え方」などの根本的な対処が必要だと感じています。聖書の神様は信じていますが、聖書から何か良いアドバイスを頂けますでしょうか。よろしくお願いします。

 

めまいがひどいということで、大変ですね。

年齢的が上がれば、色々な責任が増えていきます。プライベートでもストレスがあるということですから、家に帰っても、心が落ち着く時間がないのかもしれません。

また、年齢が上がると、体力的に頑張りが効かなくなります。若い頃は気合で乗り越えられたことが、身体がついていかなくなります。

年齢的にも、物事の捉え方・考え方を、新しくする時期に来ているのかもしれません。

 

身体のメカニズムとしては、

ストレスが続くと、交感神経が優位となり、自律神経のバランスが崩れます。

血管が収縮し、その状態が長く続くと、耳や脳への栄養が十分行き渡らずに、めまいや動悸、頭痛などの症状が出てきます

「自律神経の整う考え方」という一般の書籍が出ていますが、「割り切ったり、忘れたり」することで、かなりの面で解決すると言われています。

 

聖書からのアドバイスということですから、

「創造主との関係」から、「聖書の言葉」に注目して、

「ストレスと心の平安」について、考えていきたいと思います。

 

今回は、、、

①人生は、自分の思い通りにはならない、ことを受け止める。

②自分を支えてくれる存在(創造主)との関係を、良好にする。

この2点を考えていきたいと思います。

しばらくお付き合い下さい。

 

①人生は、「自分の思い通りにはならない」ことを受け止める。

小さい頃は、家族があなたを守ってくれました。そしてあなたを応援してくれたと思います。

しかし学校に入学し、関わる人が増えるにつれ、「自分の思い通りにならない」ことが増えてきます。

学校を卒業し、社会に出ると、勉強ができても「それだけでは評価されない」世界に投げ込まれます。結婚、子育て、介護、そして自分の老化、、、長く生きるほどに、ますます「自分の思い通りにならない」ことが増えていくのです。

 

聖書の神様(創造主)を信じるとは、「自分が世界の中心(神様)」ではないことを認めることです。

自分は「造られた存在」であり、「与えられた人生」を精一杯生きているだけだ、と悟ることです。

イエス様は、「父と子」「主人と僕」と例えておられます。

「自分の思い通りにならない」ことは、当たり前なのです。

 

しかし多くの人が、「心の奥」では「自分が神様」のように振る舞っています。

「自分が全て把握」しないと落ち着かず、「自分の思い通り」にならないとイライラするのです。

知識で「自分を超えた存在(神様)」を知っていても、「自分が中心」でいないと満足できません。

神様さえ、自分の思い通りに動かそうとするのです。

「神様。私の願いを助けて下さい。」と祈る心の動機は、「私の思い通りにして欲しい」と、神様を「自分の僕(しもべ)」にしていることが多いのです。

 

箴言3:6-7

「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

自分を知恵のある者と思うな。」

3:5「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。」

このソロモン王の言葉は、「創造主(神様)」を「創造主と認めること」を勧めた言葉です。

「創造主を 認めれば」実は、かなりのストレスから解放されます。

 

「あなた」が、天が落ちてくると考えて、手を上に上げて踏ん張っていると「疲れ」ます。

自分が手を下ろしたら、天が落ちてくると考えるプレッシャーは「相当なもの」です。

しかし手を下ろしても、「何も変わらない」のです。(、、、杞憂です。)

「あなた」が「天の運行を支配している」のではありません。

「あなた」は、神様ではないのです。

それが納得できれば、「ストレスから解放」されるのです。

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繰り返しになりますが、人生は普通「思い通りになりません」

山登りを考えてみます。

この山が邪魔だと思っても、山を削ることはできません。

ただ山道を歩くだけです。「上り坂は上り」、「下り坂は下る」のです。

文句を言っても、仕方がありません。

ただ「受け入れて」歩くだけです。

 

創造主を信じ、「自分が神様ではない」ことを認めた人は、

人生を許容する(そのまま受け入れる)ことが、し易くなるのです。

 

詩篇37:5

「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」

 

「人生を神様が支配している」「自分は神様ではない」ことが分かると、

思い通りにならない「ストレス」から解放されます。

 

質問者さんは現在、公私ともに「大変な状態の中」におられるとは思います。

「ストレス」は、相当なものでしょう。

創造主を信じ認めた後、「心からそうだ」と思えるには、「祈り」が必要です。

 

次回は、ストレスが軽減する、創造主への「祈りの力」について、まとめたいと思います。

祝福をお祈りしています。

 

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HSPの方へのアドバイス②「心の穴をふさぐこと」

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「外からやってくる雑念」を吹き飛ばすには、心が愛情で一杯になっていることが必要です。

前回は、愛情を受け取る「へりくだり」についてまとめました。

今回は、②「心の穴をふさぐこと」を考えていきます。

 

いくら心に、愛情が注がれても、「下に穴」が開いていては、どんどん流れでしてしまいます。

「愛情や霊的祝福」を保ち続けるためには、「穴をふさぐ」作業がどうしても必要になります。

 

もしあなたがクリスチャンなら、日曜日に教会に行き、聖書のお話を聞き、お祈りをして心が満たされていても、教会を出て、しばらくすると、風船がしぼむように気持ちが沈んでしまう、ということはあるかもしれません。

 

クリスチャンでない方であっても、楽しいことの後に、すぐに寂しくなったり、急に生きていくことが辛くなったりすることはあるかもしれません。

 

あまりに急に「気持ちが落ちること」が続くならば、(例えるなら)心の中に「穴」が開いている可能性があります。

(ここでは、「心の壁が薄い、または穴が開いている」という観点で考えていきます。「心の要塞」の場合は、9/27の記事を参考にして下さい。)

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【穴を修復する方法】

その1、イエス様による癒し

これがある意味、「究極の解決方法」ではあります。

1ペテロ2:24
「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」

 

イエス様の十字架は、「罪の赦し」と共に「癒し」のためでもあります。

「癒し」とは、「不調」になったものが、「本来の状態」に戻ることです。

それは、「身体の不調」だけでなく、「心の不調」も含まれます。

 

「聖書をそのまま信じる」と癒しを体験します。

 

ですからこんな祈りが可能です。

「イエス様。私の心を癒して下さい。

バケツの穴のような部分を、あなたの大きな手で包んで下さい。

イエス様の血潮の力で、穴をふさいで下さい。

癒しの力で、覆って下さることを感謝します。イエス様の御名によって祈ります。アーメン」

 

聖霊が働かれる時に、あなたは何かの体験をします。

温もりを感じたり、包まれているイメージが与えられたり、明らかな変化を感じるのです。

 

9/30でもお書きしたように、

詩篇18:2-3「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。」

この聖書箇所から、「主が私の砦」になって下さることを信じて、祈った時に、

私の周りに主が「壁を作って下さった」という体験をしました。

それは「今も続いて」います。

まるで「イエス様の大きな手」で包まれているような感じです。

(受け取り方は個人差があるでしょうが、「癒されること」と、「砦となってもらえること」は聖書の事実です。)

 

この「厚い壁」に守られて、私の心に穴が開いていても、活力が「こぼれる」ことが無くなるのです。

(身につけるのに少々の時間がかかることもありますが、必ず身につけられると信じて下さい。)

 

その2、信仰の大盾を使う

多くの場合、心の活力が急に無くなる時は、外からの攻撃をうけることが原因です。

(言葉や霊的なプレッシャーによって)

 

エペソ6:16「これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。」

 

悪い言葉(霊的プレッシャー)を心に入れてしまうと、

火の矢が刺さるように、心に穴が空き、穴が広がります。

すると、否定的な感情が入るだけでなく、信仰や希望などの「活力」が急速に無くなるのです。

 

旧約聖書の預言者に、エリヤという偉大な人物がいました。

彼は、大きな戦いで勝利した後に、イゼベルという悪女の「否定的な言葉」を入れてしまったのです。

彼はそれにより落ち込み、ボロボロの精神状態になってしまいました。(燃え尽き、うつ状態)

彼は、別人ようになり、恐れと怯えで、直前の大胆な人物とは思えないほど、

精神的におかしくなってしまったのです。

 

エリヤは、飛んでくる火の矢を「心に入れて」しまったのです。

それは、心のバケツに穴が開き、心の中がぐちゃぐちゃになった状態です。

 

悪魔は、恵まれた人間を落とすことが「大好き」です。

特に、よくやっている人物を堕落させることを「最上の喜び」としています。

ですから、大きなことを終えた後は、気をつけなければいけません。

「悪魔の策略」を見極める必要があります。

そして「信仰の大盾」で、飛んでくる「火の矢を止める」、技術を高めておく必要があります。

 

「盾」を用いて、

「悪い言葉」を一切、心に入れてはいけません。

「悪い言葉」を入れず、「心に穴」が開かなければ、あなたの「気力、精神力、霊力」は保たれます。

あなたは「活力に満ちた」生活を持ち続けることができるのです。

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今回は、「心の穴をふさぐこと」というテーマで、

「イエス様の癒し」と、「穴を開けないスキル」を取り扱いました。

 

ここまで読んで下さった方が、心が守られて、「気力に満ちた精神生活」を送れますように。

 

大枠の説明をしていますので、

もし質問を頂ければ、お答えする形で具体例をあげて詳細を取り扱いたいと思っています。

祝福をお祈りしています。

 

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