人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

「過去を後悔」している方へ。すべてのことが益となるという考え方。

f:id:jesuslovesmeus:20220316162321j:plain

今回は、「すべてのことが益となる」という聖書の考え方に触れます。

「あの時、あれをしていれば、、、」

「あんなことがなければ、あんな選択はしなかったのに、、、」

私たちは、時々過去を振り返り、悶々とします。

 

変えられない過去のことを考えても、仕方がないのに、

一旦「悩みのモード」に入ってしまうと、抜けられなくなるのです。

 

「過去を否定する人は、現在も否定することになる」

この言葉は真実です。

過去の選択を後悔し、その感情を引きずると、今の自分を肯定できなくなります。

結果、精神的にも不安定になってしまいます。

 

あの時はあれで良かった。最善だったと割り切ることは必要です。

しかし割り切れない感情は、どうしたら良いでしょうか。

今回は、その部分に触れていきます。

 

①「すべてのことが益となる」という思想。

これは聖書の価値観です。

ローマ人への手紙8:28

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。」

 

ここには割り切りや、悪いことを忘れる、という、

「人間側ができること以上」のものが書かれています。

「全能の創造主」の力と働きが起きると、「マイナスさえもプラス」になる圧倒的な力です。

 

あなたは、創造主(天地を造られた神様)を信じておられますか。

(私の文章を読まれる方は、信じる方が多いように感じていますが、、、)

論理的に「全能者である、創造主」がおられるならば、一人一人の人生に介入することは可能です。

つまり「あなたの人生」に介入できということになります。

 

その方が働かれると「すべてのこと」が、良い方向に向かうのです。

失敗も益になります。

苦しみも、プラスになります。

 

しかしここには前提があります。

それは「神のご計画によって召された人々のために」という直前の言葉です。

つまり「神に選ばれた」ということが大切です。

 

「神に選ばれた」ということは、選ぶのは「神ご自身」です。

正直、人間がとやかくいうことではないのです。

しかし神に選ばれた人の「特徴」を知ることができます。

それは、「選んだ方の声を聞く」という特徴です。

 

すべてのことを益にする、神様に助けてもらいたいならば、

神様の言葉に「耳を傾ける」必要があります。

それは「神様の近くにいる」ということです。

「神様の近く」にあなたがいれば、憐れみ深い神様に助けて頂き易くなります。

(そういう体験が導かれる人が、正に「選ばれた人」と言えるでしょう)

 

②訓練という視点。

ローマ人への手紙8:29には、次の言葉が書かれています

「なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。」

 

「神様のイメージしたあなたの姿」に成長する「訓練」という視点です。

 

人生には失敗もあります。

周り道をすることもあるでしょう。

 

しかしあなたが、自分を越えた神様を意識し、

この地上で人生が終わるのではなく、死後の天国があることを意識するならば、

苦しみの意味が変わってきます。

 

苦しみは、訓練であり、あなたの魂が成長する為に、用いられるのです。

 

ヘブル12:10-11「 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父(神様)は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。

すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」

 

失敗は、創造主が働かれると、良いものに変わります。

そして補足として、

周り道や痛みを通じて、「心が聖化される訓練」があるということです。

 

聖書は、「あなた」に神様が働かれる時、

「すべてのことが益」に変えられると約束します。

 

「あなたに関わって」くださる「神様」に期待しましょう。

祝福をお祈りしています。

 

にほんブログ村 その他生活ブログへ

にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

もし気に入って頂けたら、たくさんの方に読んで頂くために、クリックの御協力をして頂けると幸いです。(一日一回カウントされます)

人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から - にほんブログ村

読者登録をして下されば、新しい記事を自動的に知らせてもらえます。(無料ですが、はてなブログの登録が必要です。)

 

もう一つ別のブログランキングです。(こちらもクリックして頂くと助かります。一日一回カウントされます)

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


人間関係ランキング
人気ブログランキング

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑

こちらをクリックすると記事一覧を見られます。

「自分の居場所」について、その見つけ方、さびしさの克服の仕方

f:id:jesuslovesmeus:20220315112219j:plain

今回は、「自分の居場所」について考えてみます。寂しさの克服の仕方にも触れます。

居場所は、非常に重要です。「自分の最も大切なもの」「守りたいもの」と言い換えても良い、かと思います。

 

ロシアの大統領プーチン氏は、自分の最も大切なものは、「ロシアだ」と言ったそうです。

ウクライナの大統領ゼレンスキ氏にとっては、「ウクライナ」でしょう。

ゼレンスキ氏がキエフに残るのは、自分の命以上に「ウクライナとその自由が大事」と考えているからだと、想像します

人は、「自分の居場所」のために、強肩になったり命をかけることもあるのです。

 

あなたにとっての「居場所」は何ですか。

 

少し視点を変えて考えてみます。

人が「人生を変えるきっかけ」は、

「闘病生活」「監獄生活」「離婚」「身近な人の死」等

といいます。

それによって、ギリギリまで追い詰められ「死を意識する」ような体験をするからです。

 

想像してみてください。

あなたにとって、死を意識する時に、「あなたの支え」となるものはありますか。

重病で死を目前に迎えた時、あなたを助けるものは何ですか。

 

会社ですか。社会的地位や名誉ですか。財力ですか。権力ですか。

多くの人は、「家族」と答えるようです。

なぜなら、いつかは年を取り引退します。身体も弱ります。

最後に支えになるのは、「家族」だからです。

 

しかし、完璧な伴侶はいませんし、完璧な親も、完璧な子どももいません。

完璧な演技はできるかもしれませんが、

当人も追い詰められれば、本音が出てきます。

残念ながら、お相手の本音をすべて知ってしまったら、

「頼りきること」は、できなくなるものです。

 

家族に頼りきろうとすると、(家族にはわがままが出ますので)

自分の願いを果たしてもらおうとします。

相手に命令したり、コントロールしようとする人もいます。

お金や権威を使って、身内を威嚇をすることもあります。

愛や支えを得るために、恥も外聞もない行動を取ったりするのです。

 

どうしたら良いのでしょうか。

どうしたら、人に過剰に執着せず、イライラせず、生きていけるのでしょうか。

 

私が提供できることは、

創造主である「イエス様を信じる恵み」です。

イエス様を「自分の居場所」にするとも表現できます。

 

イエス様を信じ、その実在を体験できると、「愛され守られている」ことを実感できます。

すると、「人に認められることに執着」しなくても良くなるのです。

精神的に安定します。

そのため、身近な人に良い対応ができるのです。

これは「家族への愛情」の「土台」となるものです。

 

ご存知だと思いますが、

家族は、自動的に良い関係になる訳ではありません。

時間と愛情を注いで、関係が良くなるのです。

 

最も大切であるはずの、家族に全く目を向けず、

老年になって、離婚や親子の断絶等、寂しい関係になってしまう人がいます。

 

そういう方は、気がついた時が重要です。

良い種を蒔くのです。家族に時間と愛情を注ぐのです。

今までのことを謝罪する気持ちで、行動するのです。

(それを言葉に出せれば素晴らしいです)

今からでも遅くはありません。

「時間」は、愛情のバロメーターです。

その人のことを考え、一緒に時を過ごすのです。

 

そのためには、自分が安定していることが大切です。

それには、絶対的に必要なことがあります。

「確かな居場所」を持つことです。

 

私がお伝えできる、最も確かな「居場所」は、

私たちを造られた「創造主」立ち返ることです。

創造主の目的を知り、その方向に向かって生きることです。

これを一般的に「天職」とか「天命に生きる」とか言います。

 

創造主の居場所にできるメリットを簡単にまとめてみます。

①絶対的な平安と安らぎが得られる。

②人やものに執着しなくなるので、適切な関わりができる。

(心が安定するので、人間関係が、「大人の対応」ができる。)

(人をコントロールしようとしたり、過剰に期待したり、逆に失望したりする必要がなくなる)

 

現在の世界情勢を見ても、聖書の預言記述を見ても(マタイ24章)

これからの時代は、地震や戦争の噂を聞く混乱の時代です。

 

確かなものが壊れていく時代に入っています。

これからの時代は特に「絶対的な居場所」が必要です。

それを持つ者は、激動の中でも「心を安定」して生きることができるのです。

 

今回、「創造主イエス様」を信じることによって得られる、

究極の「居場所」についてまとめてみました。

あなたの「確かな居場所」を見つけるための、

お役に立つことができれば幸いです。

 

祝福をお祈りしています。

 

伝道者の書 12章1節 (ソロモン王の言葉)
あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。

 

にほんブログ村 その他生活ブログへ

にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

もし気に入って頂けたら、たくさんの方に読んで頂くために、クリックの御協力をして頂けると幸いです。(一日一回カウントされます)

人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から - にほんブログ村

読者登録をして下されば、新しい記事を自動的に知らせてもらえます。(無料ですが、はてなブログの登録が必要です。)

 

もう一つ別のブログランキングです。(こちらもクリックして頂くと助かります。一日一回カウントされます)

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


人間関係ランキング
人気ブログランキング

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑

こちらをクリックすると記事一覧を見られます。

神様からの「霊的祝福」を受け取る方法

f:id:jesuslovesmeus:20220310122952j:plain

しばらくブログ更新ができませんでしたが、

今回は、神様からの「霊的祝福」を受け取る方法、について考えてみたいと思います。

 

神様からの「霊的祝福」とはどんなことかというと、

「神様の助け」と言い換えてもよろしいかと思います。

それは「物心両面」のものです。

 

神様の助けがあり、神様が共におられることが分かると(実感できると)、

「心の平安」が与えられます。

これは、精神的な「思い込み」を越えた「実体験」です。

(ぜひ体験されることを、オススメします)

 

「精神的な支え」だけでなく、「具体的な助け」も与えられます。

仕事や研究のアイデアが与えられたり、

病気がいやされたり、

不思議な助けが与えられることもあります。

 

今朝のことです。

出かけるギリギリの時間に、

私は「ある封筒」を探していたのですが、何処かに紛れて見つかりませんでした。

あと数分で家を出ないと間に合いません。

瞬間的に「神様どこでしょうか。」と祈ると、

次の瞬間目に留まった書類の山がありました。

そこをかき分けると、その封筒がありました。(奇跡でした)

 

教会のある方は、子供の手続きをするため、

役所まで車で行かなければなりませんでした。

しかし閉まるまで、ほとんど時間がなかったのです。

「神様助けてください」と祈ると、

信号がすべて青で、ギリギリ間に合ったと言うことでした。

 

私も、もう一つ思い出しました。

娘が小学生の頃です。

娘の運動会に参加するため、前日には絶対、家に帰らないといけない状況でした。

しかし、成田に飛行機が遅れて到着しました。

この成田エクスプレスに乗らないと、名古屋に向かう最終の新幹線に間に合わないという時、

走りながら「神様、間に合わせてください」と祈りました。

プラットホームに駆け込むと

アナウンスがあり「列車は、15分ほど遅れて到着します」と流れました。

列車が時間通りに来ていたら、間に合わなかった状況でした。(電車の中で、神様に感謝の祈りを捧げました)

 

神様が助けてくださると、不思議なことが起こります。

(上の三つは、いみじくも、どれもギリギリの状況での助けです。神様はギリギリの状況で助けられることが多いと、個人的には感じています)

 

これからは、ポイントを書いていきます。

神様からの「霊的祝福」を受け取るために、

①切に求めること。

②祝福を頂くための「良い種」を理解すること。

③その種を具体的に、蒔くこと。

 

①切に求めること。

やはり求めなければ、与えられません。

諦めたらそれで終わってしまいます。

 

しかし諦めそうになる時に、

私たちが信じる「聖書に書かれている、創造主」が、

どのような方であるか、を知ると、求めやすくなります。

創造主である、イエス様は、優しい方です。

「100匹のうち、1匹の羊が迷ったら、99匹は誰かに預けて、1匹を探し出されるお方」です。

 

そのことが分かってくると、問題の時に、

素直に瞬時に「イエス様、助けて」と祈りの言葉が出てくるのです。

 

②祝福を頂くための「良い種」を理解すること。

実は、神様に近づくも、離れるも、「私たち次第」なのです。

 

「私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。」(申命記30:19)

「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」(ガラテヤ6:7)

 

私たちが、神様に喜ばれることを「選び取れば」、

祝福(神様の助け)を頂くことができます。

しかし反対に「神様の喜ばれない」ことを、選んでしまうと、

祝福がない(のろい)の状況に、堕ちるのです。

 

理屈は、とてもシンプルです。

しかし、難しいのは、「自分の素の考え」が

「神様に喜ばれるもの」かどうかを見極めることなのです。

(多くの人は、無自覚で、確信を持って、悪い種を(当たり前に)蒔いています)

 

「自分の心の願い」考えが、

良い種なのか、悪い種なのか。

見極めるため、もっと分かりやすいのが「聖書の言葉」です。

 

本気で、良い種を蒔きたいならば、聖書を読みましょう。

それも「自分の考えを吟味する気持」で読みましょう。

 

聖書が取っ付きにくいのであれば、

youtubeで、キリスト教のメッセージを聞くか、キリスト教の歌(賛美の曲)を聞いてみましょう。

 

自分の課題(どちらを選んだら良いのだろうか)を考えながら、聴き続けるのです。

すると、ある瞬間に、「悟り」が与えられます。

 

(すべてのオリジナルは聖書ですから、

聖書を読まれることはおススメします。)

 

一日で答えが返ってこなくても、諦めないでください。

そして、「できないところはできない」と、誤魔化さずに祈り続けてください。

(探し続けてください)

祈りは、正直でなければ、神様に届きません。

 

ある瞬間に、ふと「これが一番良い」という思いに至ります。

 

できるだけ、心をフラットにしてください。

欲望が、心を曇らせ、正しい選択の邪魔をします。

 

欲望を乗り越えるために、

欲望以上に、「霊的祝福」を求めることです。今回の①のポイントです。

(私たちは色々な打算を持っていますから)

 

聖書をよく知るクリスチャンとお話しできるなら、それも幸いです。

とにかく、「あなたの心」を測るには、

「物差し」が必要なのです。

「神様の物差し」に当てはめるなら、「自分の考えを吟味」できるのです。

 

③良い種を具体的に、蒔くこと。


ヤコブ1:25「ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。」

 

良い種は、実際に蒔いて、祝福を受けます。

できたら良いな、と足踏みしているならば、受けられません。

もったいないのです。

「できない」と言い訳を言わず、

「小さなこと」から実行しましょう。

 

まとめです。

神様の「霊的祝福」を受け取るために、

一番難しいことは、自分の「心の吟味」です。

 

良い「霊的な種」を蒔けば、祝福を刈り取ります。

悪い「強欲の種」を蒔けば、呪いを刈り取ります。

このシンプルな法則が、本当に分かったならば、確実に「人生が変わる」のです。

 

祝福をお祈りしています。

 

ガラテヤ6:7-8

「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。

自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」

 

にほんブログ村 その他生活ブログへ

にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

もし気に入って頂けたら、たくさんの方に読んで頂くために、クリックの御協力をして頂けると幸いです。(一日一回カウントされます)

人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から - にほんブログ村

読者登録をして下されば、新しい記事を自動的に知らせてもらえます。(無料ですが、はてなブログの登録が必要です。)

 

もう一つ別のブログランキングです。(こちらもクリックして頂くと助かります。一日一回カウントされます)

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


人間関係ランキング
人気ブログランキング

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑

こちらをクリックすると記事一覧を見られます。

「ストレスを溜めない」生き方、考え方

f:id:jesuslovesmeus:20220303122415j:plain

今回は、神様を「身近に感じる」時に経験する、「感覚(体験)」の一つをまとめてみたいと思います。

コロナ禍で、私たちはたくさんの「ストレス」を経験しています。

換気、社会的距離、マスク等々、今まで経験したことのないストレスです。

自分の力では「どうしようもない」環境です。

 

しかしこのような中でも、社会生活を送っていかなければなりません。

コロナは(普通の風邪やインフルエンザも含め)、「免疫力」が落ちた時に、かかりやすくなります。

ですから、今の時代「出来るだけ免疫力を上げる」ことが重要です。

 

そのために、休息と栄養を充分取る、

日光に当たる、適度な運動を取る、等の健康管理が大切です。

その中でも「ストレスを溜めない」ことが重要だと言われます。

(コロナのための、「お注射」は、打てば打つほど、自然免疫力が下がるという研究論文があるようですから、知恵深く対応する必要があります)

 

私の知っている会社の役職を持つ方が、こんなことを言っていました。

「新しい社員が入って来た時、前の会社の批判を言う人は気をつけるようにしている」

「入ってすぐに、自分の部署の問題点を指摘し、ここはこうした方が良いと、改善案を言う人も気をつけるようにしている」

「そういう人は、周りに注意がいかず、自分のことだけしか考えていない傾向がある」

「自分の任された仕事の意味が分からず、自分を正当化し、いつも人を批判することで、周りをかき回す」

「そして、ストレスを溜め、1年以内に会社を辞める」

なかなか鋭いご指摘だと思いました。

 

今回、ストレスを溜めない生き方として、

いつものように3つのポイントを考えていきます。

 

①「感謝」し、一旦は周りを受け入れていくこと。

②自分の基準に合わない人を、「許す」こと。

③人に関わる時は、「愛を動機」として言動すること。

そして、これらを継続して実行するためには、自分の気持ちをいつも理解してくれる存在、が必要であることにも、最後に触れたいと思います。

 

第1テサロニケ5:16-18

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」

 

①「感謝」し、一旦は周りを受け入れていくこと。

ここまで読んでくださったは、きっと「ストレスを軽減したい」と考えておられると思います。

実際、難しい環境でそれができるのは「心の持ち方」にかかっています。

 

改善や正義感は良いのですが、

自分の置かれている状況を、「客観的に理解」することは、最初にすべきことです。

理解した上で、良い改善案が出てくるのです。

 

そのために必要なことは、「受け入れること」です。

先入観のない「現状分析」が有用です。

 

周りの状況を考えながら、「感謝します」と言ってみてください。

最初は、気持ちが乗らないかもしれません。

しかしそれでも「感謝します」と言い続けるのです。

 

すると先入観がリセットされます。

「感謝のメガネ」で、環境を見ると「感謝できること」が浮き上がってくるのです。

すると、「ひどい」と思っていたことの「背景」が見えてきます。

(批判だけをしている人には、決して見えてこない事実です)

背景が見えてきたら、改善案も「より精度の高い」ものとなります。

そのような視点を持てば、

あなたは、職場や集まりの中で、「より必要とされる人」となるのです。

 

感謝すると、以上のメリット以外に、精神的に楽になります。

(これが、今回のメインポイントです)

イライラが減ります。ストレスが確実に軽減されるのです。

 

②自分の基準に合わない人を、「許す」こと。

イライラの最大の原因は、「許せない心」です。

自分の基準に当てはまらない人を、徹底的に攻撃をすれば、スッキリするかもしれません。

しかし「返り血」は確実に返ってきます。

そして、同じ基準で「あなたも攻撃」されるのです。

 

売り言葉に買い言葉、という現象が起きます。

もし、周りが遠慮をして、言わない場合、

批判する人が「確実に一人」います。

それは「あなた」です。

自分で自分を裁くのです。(実はこれがストレスの「最大原因」なのです)

 

「人が許す」と言ってくれても、「自分で自分を許せない」と、「地獄のような苦しみ」に至ります。

だから普通、それを避けるために、「自分をごまかし」ます。

自分はできているフリをします。

それもうまくいかなくなると、「二つの物差し」を使います。

「自分は良いが、人はダメ」という物差しです。

しかし、これらもすべて「ストレス」になります。

 

一番良いのは、「ハイはハイ、イイエはイイエ」。

自分ができていない時には、素直に謝って、許しを求め、

人の失敗も、基本的には「許す」ことです。

これをすれば、「相当量のストレス」が無くなります。(本当です)

(やってみて下さい)

考え方の土台は、「お互い様」です。

「私も許して貰う」のだから、「人にも許す努力をする」のです。

 

クリスチャンの場合、ここに「イエス様の赦し」が加わります。

イエス様に赦され、イエス様が「わたしがしたように、あなたもしなさい」と言われていますから、

イエス様を信じる人は、「人を許す」ことがしやすくなるのです。

 

③人に関わる時は、「愛を動機」として言動すること。

イライラしている人との関わりも、愛を動機として言動します。

良い種を蒔きます。

 

これは、劇的な効果があります。

イライラに、イライラで対応すると、当然ストレスがかかります。そして状況がひどくなります。

 

しかし、良い種を蒔き続けると、嵐が静まります。

するとストレスが自然に減っていきます。

あなたができることは、「他人を変えること」ではありません。

「自分を変えること」だけです。

自分の考え方を変える、のです。

 

①②③を考えてきましたが、人間には感情があります。(結構厄介です)

理屈は理解できても、感情が受け止められないということが、日常なのです。

 

あなたの気持ちを理解してくれる存在がいて、

いつもサポートしてくれたならば、

それをしやすいと思いませんか?

 

あなたの友人や先輩が、応援してくれたのならば、

頑張ろうと思えるはずです。

しかし、人間には限界があります。

すべてを理解してもらえませんし、時間や空間の制約があります。

 

そこで「神様の存在」なのです。

「イエス様が、私と一緒」にいてくださるという感覚(実体験)が有益なのです。

 

「ストレスを溜めない」生き方、考え方をまとめてみました。

①「感謝」し、一旦は周りを受け入れていくこと。

②自分の基準に合わない人を、「許す」こと。

③人に関わる時は、「愛を動機」として言動すること。

「イエス様が共に居られると」という感覚(実体験)が非常に役立ちます。

 

参考にしてみてください。

祝福をお祈りしています。

第1テサロニケ5:16-18

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」

 

にほんブログ村 その他生活ブログへ

にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

もし気に入って頂けたら、たくさんの方に読んで頂くために、クリックの御協力をして頂けると幸いです。(一日一回カウントされます)

人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から - にほんブログ村

読者登録をして下されば、新しい記事を自動的に知らせてもらえます。(無料ですが、はてなブログの登録が必要です。)

 

もう一つ別のブログランキングです。(こちらもクリックして頂くと助かります。一日一回カウントされます)

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


人間関係ランキング
人気ブログランキング

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑

こちらをクリックすると記事一覧を見られます。

「神様が共におられる」という生き方、感覚。まとめ

f:id:jesuslovesmeus:20220221130121j:plain

この一週間、ずっと「神様がおられる」と実感すると、生き方はどう変わるのか、

を言語化したいと模索していました。

 

ツイッターで、どう思いますか?と発信すると、

「愛されている」

「山上の説教のような生き方になる」

「人を許せるようになる」

「穏やかな生活ができる」等、

たくさんの応答を頂きました。

確かにそうだと思うと共に、大変勉強になりました。

(応答してくださった方々に感謝します。)

 

今回、

①知っていることと、実感はまったく違う。

②振り返れば、そこにおられる感覚。

③愛されている、満たされている、その先にあるもの。

という観点でまとめてみたいと思います。

感覚を共有し、互いに深めていけたらと願います。

 

①知っていることと、実感はまったく違う。

「畳の上の水連」(畳の上で泳ぐ練習をしても、実際とはまったく違うこと)

「耳学問」(耳で聞いただけの知識、知ったかぶり)

という言葉があります。

「神様が共におられる」ことも、同じです。

知っていることと実感はまったく違います。

 

神様が共におられるなら、苦しい時でも、平安があります。

体験している人は、苦しみの中でも、案外「ポジティブ」です。

しかし、知識だけの人は、パニックになります。

 

②振り返れば、そこにおられる感覚。

「共におられる」を言い方を変えると、私は上記の表現ができると思います。

遠くにおられるのではありません。

すぐ近くにおられます。

そして、すぐ近くにおられるならば、「目には見えなく」ても、おられるのです。

 

思い込みでは、無理やり考えているのでは、と考える方もおられると思います。

イエス様を信じる人にとっては、

思い込みではありません。

 

イエス様が「世の終わりまで共にいる」(マタイ28:20)と、言われています。

イエス様が、「嘘をつかない」と知っている方ならば、

「本当のこと」だと信じることができるはずです。

 

要は、私がそれを「分かっているかどうか」

「体験しているかどうか」の問題です。

 

その感覚を持つと、

「安心感」がわきます。

「自己肯定感」があります。

未来に対する不安が「なくなる」のです。

 

今まで、「認められる」ために、努力していた人が、

「すでに認められていた」こと、に気がついてしまいます。

必死に認められようと「足掻く」必要がないこと、に気がつくのです。

 

「ほんわかとした、温泉のような、陽だまりの喜び」

心の「平安」が、湧き上がるのです。

 

③愛されている、満たされている、その先にあるもの。

愛されていることが分かり、満たされている実感が湧くと、

「行動の動機」が変わってしまいます。

 

自己実現(自分が決めたことを達成したい衝動)は、意味を為さなくなります。

それで、自分を支える必要がなくなるからです。

 

また承認欲求(認められたい、自分を認めさせてやりたい衝動)も、弱体化します。

そんなに頑張って意地を張らなくても、すでに「認められている」ことを知っているからです。

 

自己中心的な衝動が、消えていく、または小さくなるのです。

そして「愛してくださった方」に喜ばれるように生きていきたい、と動機が変えられるのです。

 

具体的には、

「神様に喜ばれたい」、

周りの人々に対して「ニーズに応えたい」、

私が愛されているように、その人々を大切にしていきたい、と動機が変化します。

 

聖書は(イエス様は)こう言っています。

「『心を尽くし,思いを尽くし,知力を尽くして,あなたの神である主を愛せよ.』これがたいせつな第1の戒めです.『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ.』という第2 の戒めも,それと同じようにたいせつです.律法全体と預言者とが,この2つの戒めにかかっているのです」

(マタ22:37‐40)

 

この主の「ご命令」を、強制的ではなく、

「自分の喜び」として、行動できるようになる、変えられる、、、

これが、クリスチャンが進んでいく方向だと思いますが、いかがでしょうか。

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。

皆さんが「神様が(イエス様が)共におられる」ことを通じて、

たくさんの恵みを受け取り、体験できますように。

 

共に深めてまいりましょう。

祝福をお祈りしています。

 

にほんブログ村 その他生活ブログへ

にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

もし気に入って頂けたら、たくさんの方に読んで頂くために、クリックの御協力をして頂けると幸いです。(一日一回カウントされます)

人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から - にほんブログ村

読者登録をして下されば、新しい記事を自動的に知らせてもらえます。(無料ですが、はてなブログの登録が必要です。)

 

もう一つ別のブログランキングです。(こちらもクリックして頂くと助かります。一日一回カウントされます)

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


人間関係ランキング
人気ブログランキング

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑

こちらをクリックすると記事一覧を見られます。

「雑念の嵐の中」での、心の平安

f:id:jesuslovesmeus:20220224161834j:plain

本日は、雑念の中で、「心がリセット」され、心穏やかになるには、

どうしたら良いか。

どこに「心の焦点」を当てたら良いか、について考えます。

 

今回のポイントは、以下の2点です

①イエス様(神様)を意識して祈ること、お話すること。

②感情を吐き出すこと、受け止めて貰うまで祈ること。

 

皆さんは、心がざわざわする時には、どうしますか。

気分転換に、お茶を飲んだり、

好きな動画を見たり、

一度、今の気分をリセットするには、それらは効果があります。

 

私は時間があれば、車でしばらく走って、近くの山の中腹にある「展望台」に行きます。

そこは、私の祈りの場所です。(ほとんど人がいません)

 

そこから下界を見ると、家も車も豆粒のように見えます。

「自分の苦しみも、小さく大したことはない」と思いながら、神様に祈るのです。

(心がリセットされます)

 

何か、「リセット」のため、自分なりの方法を持っていることは、大切です。

心は「正直」です。

メンテナンスをおこたると、胃が痛くなったり、頭痛がしたり、めまいになったり、

どこかの弱いところに出てきます。(我慢し過ぎると、後で大変です)

 

ですから、心の耳を研ぎ澄まして、自分の「心の声」を聞く必要があるのです。

 

そして、「心の声」を聞いたなら、

次にすることがあります。

それは、、、その心を誰かに「受け止めて貰う」のです。

 

そのお相手は、安心感がある存在である必要があります。

また、解決する方法を知っている存在でなければいけません。

(そうでなければ、安心して、すべてを吐き出せません)

 

あなたには、そんなお方は、おられますか?

私も、そのような友人や先輩がいます。

何かあったら、電話をかけます。

 

しかし、日常は「お祈り」です。

イエス様に祈ります。

 

人は、いつもそばにいてくれません。

またいくら優れた人でも、私のすべては理解できません。

(理解しようとしてはくださいますが)

 

人は「山の裾野」のような助けは与えてくれますが、

「山の頂上」のような助けは与えられません。

(この意味を分かって頂けますでしょうか)

 

イエス様はいつも私を見ておられます。

ですから、もしあなたが「イエス様」につながり、心のすべてを吐き出すことができるなら、

あなたは、「心の深い部分」まで、平安が与えられるのです。

 

そのための今回のポイントです。

①イエス様(神様)を意識して祈ること、お話すること。

②感情を吐き出すこと、受け止めて貰うまで祈ること。

 

嵐を静めて下さる、イエス様。

イエス様に「祈り切る」(感情を注ぎ、開け放つ)大切さを考えます。

 

マルコ4:38-41

37 すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水でいっぱいになった。

38 ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思わないのですか。」

39 イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。

40 イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」

41 彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」

 

ここで理解の前提となる感覚は、イエス様が近くにおられるという感覚、です。

クリスチャンの方々は、それを習得しています。

そして、イエス様が「祈りを聞いて下さり」「すぐ身近にいて下さる」ことを、

悟るようになります。

 

イエス様が身近におられるので、

イエス様にお話できるのです。

(この感覚は、非常に大切です。)

 

ところが、この聖書の場面では、

イエス様は、眠っておられました。

弟子たちは、イエス様を揺すって叫びました。

「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思わないのですか。」

これは「冷静な言葉」だと思いますか?

いいえ、「感情的な叫び」です。

 

①「誰に」訴えるかは、非常に大事です。

自分なりのイメージであっても構いません。(段々とはっきりしていくものです)

「イエス様に訴える」のです。

 

祈りは、「対象が重要」です。

「イエス様に訴え」れば、「イエス様が答えて」下さいます。

曖昧な祈りでは、誰にお願いしているのか、分からなくなります。

そういう祈りは、聞かれません。

いや、その言葉は、祈りになっていない可能性があります。

独り言を呟いているだけかもしれないのです。

 

祈りは「対象が重要」なのです。

「イエス様」に、はっきりと祈るのです。

 

②祈りは、「感情の叫び」でなければなりません。

客観的な言葉、知識だけの情報、では「あなたの心」は届きません。

「イエス様、何とも思われないのですか?」

弟子たちのように「感情」でそう叫ぶ時に、

イエス様は、その感情を「受け止めて」下さるのです。

 

「感情」を通じてイエス様が働かれた時、

あなたの「感情が満たされ」ます。

その時に、「心の平安」がやってくるのです。

ご理解頂けたでしょうか。

 

聖書を見ると、初期の弟子たちは、信仰がなく(マルコ4:40)

心が固く閉じていた(マルコ6:52)とあります。

ですから、最初は良く分からずに、右往左往していました。

 

しかし、イエス様を身近に感じる中で、

(具体的には、聖霊が働かれる十字架と復活以降ですが)

イエス様に日々叫び、助けを感じて、成長していったのです。

 

雑念の中で、平安を受けるには、

「自分の心をリセット」する必要があります。

そして、自分の感情(本音)を「自覚」することです。

その上で、

①イエス様に、訴えます。

②自分の感情を叫びとして、訴えます。

 

それによって

「イエス様が働いて」下さるのです。

深い「心の平安」が与えられます。

(理屈っぽい書き方ですが、敢えてプロセスを言語化しています)

 

イエス様は、眠っているように見えても、決して眠ってはおられません。

私たちの叫びを聞き、解決の何かを見せて下さるのです。

 

雑念で振り回されている時、

参考にしてみてください。

 

祝福をお祈りしています。

 

詩篇121:1-4

1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。

2 私の助けは、天地を造られた主から来る。

3 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。

4 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。

 

にほんブログ村 その他生活ブログへ

にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

もし気に入って頂けたら、たくさんの方に読んで頂くために、クリックの御協力をして頂けると幸いです。(一日一回カウントされます)

人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から - にほんブログ村

読者登録をして下されば、新しい記事を自動的に知らせてもらえます。(無料ですが、はてなブログの登録が必要です。)

 

もう一つ別のブログランキングです。(こちらもクリックして頂くと助かります。一日一回カウントされます)

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


人間関係ランキング
人気ブログランキング

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑

こちらをクリックすると記事一覧を見られます。

「祝福の種」をまく、という視点。「祝福」すると祝福される。

f:id:jesuslovesmeus:20220223123836j:plain

今回は、「祝福の種」をまく、ということを考えていきます。

種まきと刈取りの法則です。

「祝福の種をまくと、祝福される」という「シンプルな法則」を考えていきます。

聖書を知る者にとっては、何度も聞いていることだとは思いますが、

私なりのアレンジで説明してみます。

 

まずは聖書箇所です。

ガラテヤ6:7-9

「7 思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。

8 自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。

9 善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」

 

ここに書かれていることは、非常にシンプルです。

それは「蒔いた種」の通りの「刈取り」がある、ということです。

(そして、それを支配しておられる創造主(神様)がおられる、という視点です)

 

つまりそれは、「祝福されたい」(幸せになりたい)ならば、

「祝福の種をまく」必要があるということです。

 

しかしこれが実際にはとても難しいことなのです。

「人から悪口を言われる」

「無視をされる」

「誤解され、攻撃される」

「運転中、急に割り込みをされ、事故に遭いそうになる」

自分の身に「迫れば迫るほど」、人は「感情的」になります。

 

思わず「倍返しだ」と叫びたくなります。

ドラマでは、すっきりしますが、実際の社会生活でそれをすると、

「大変なことになる」のが通常です。

 

「売り言葉に、買い言葉」となり、エスカレートします。

人を傷つけるばかりか、返り血を浴びて、負傷をします。

たとえ、そのグループの責任者であっても、禍根を残すことになり、

修復は、後から大変となります。

(ましてや、後輩ならば、よっぽどの正当性がない限り、握り潰されます)

「言わなかった方が、良かった」となるのです。

 

「問題点を指摘しない」という意味ではありません。

「表面的な平和だけを考えて、問題を見ないフリをする」でもないのです。

 

それでも言わなければならない場合があります。

その場合、入念な準備(心の準備、正当性を伝えるための準備)が必要です。

準備なく、突撃するのは、玉砕(全滅)のリスクがあります。

 

今回は「心の姿勢」と「実際の対応」とを、分けて考えようとしています

そして前者「心の姿勢」についてまとめようとしています。

(心の姿勢が整えば、実際の対応は上手くいくことが多いですから、、、)

 

本題に戻ります。

「人から悪口を言われる」

「無視をされる」

「誤解され、攻撃される」

「運転中、急に割り込みをされ、事故に遭いそうになる」

 

このような場面では、

通常は、「肉」が反応します。「自我や感情」が震えるのです。

 

しかし、ここが一番大切なポイントです。

(注意して読んでください)

「肉でまく」と「滅び」を刈取ります。(通常悪い結果になるのです。)

 

しかし「御霊の種」をまく、ならば、

御霊から永遠の命(神様からの祝福、幸せ、平安等の良いもの)を刈取ることができるのです。

 

具体的には、「相手を祝福する」ことから始まります。

「相手の祝福、幸せを祈る」のです。

 

「あんな奴のために、祝福なんて祈れない」そう思う方も多いでしよう。

しかし、本当にそうでしょうか。

 

あなたは祝賀が欲しいですか?

欲しいと思います。

では、あなたは祝福を受ける資格はありますか?

(自分の心を考えてみてください)

普通の人は、「自分は問題が多く、完璧ではない、だからもしかすると祝福をもらえないかもしれない」と考えます。

(私は立派で、十分価値があると言われる方は、気をつけて下さい。あなたは、高慢という聖書が最も嫌う、心の歪みを持っている可能性があります。恐ろしい罪です。)

 

あなたの人間性と、嫌なことをした相手の人間性。

イエス様の視点(きよい創造主の視点)で見るならば、どんぐりの背比べ、です。

(大した違いはない。、、、双方ともひどい、のです)

(ひどいことの自慢ではありません。)

 

あなたが、創造主から「赦されて」(この点も重要です)、

あなたが「祝福を受けるために」、

「良い種をまくように」と願われているのならば、

「実行する」ことは、「得策」ではないでしょうか。

 

ですから、、、

いつも「瞬間的に祈る」のです。

「人から悪口を言われる」

「無視をされる」

「誤解され、攻撃される」

「運転中、急に割り込みをされ、事故に遭いそうになる」

そのタイミングで、「瞬間的に祈る」のです。

 

感情に負けてはいけません。

法則は、法則ですから、交通信号青であれば、通常進むことができるように、

「祝福の種をまけ」ば、安全なのです。

 

繰り返しますが、感情に負けてはいけません。

(この場合)感情を信用してもいけません。

感情は変わります。周りの景色が変われば、一瞬で変わってしまいます。

 

種まきは、「神様の法則に沿って」実行するものです。

厳しい時こと、意図的に心の中で、「良い種」をまきましょう。

「お相手の祝福」をお祈りしましょう。

 

それをし続けると、不思議なことに、「私たちの心」が変えられるのです。

ですから、まずあなたの口、言葉で「祝福します」と告白し、実行してみましょう。

イエス様からの助けと導きを、お祈りしています。

 

ガラテヤ6:7-9

「7 思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。

8 自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。

9 善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」

 

にほんブログ村 その他生活ブログへ

にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

もし気に入って頂けたら、たくさんの方に読んで頂くために、クリックの御協力をして頂けると幸いです。(一日一回カウントされます)

人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から - にほんブログ村

読者登録をして下されば、新しい記事を自動的に知らせてもらえます。(無料ですが、はてなブログの登録が必要です。)

 

もう一つ別のブログランキングです。(こちらもクリックして頂くと助かります。一日一回カウントされます)

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


人間関係ランキング
人気ブログランキング

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

↑↑↑↑↑↑

こちらをクリックすると記事一覧を見られます。