人生相談〜聖書、イエス様を信じる立場から

世界のベストセラー聖書の価値観から、生きるを考えます!(モノの見方が変わると、とても楽になります)

「人間を超えた存在」を信仰するということ。ロシア、ウクライナ侵攻。中国、核心利益に対抗できる思想

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今回は、世界情勢に関わる内容です。

「民主主義の根本は、神信仰である」ことを考えます。

 

ロシアがウクライナに侵攻してから、一ヶ月が過ぎました。

ウクライナでは、自国を守る為に武器を取って戦うという人たちが、現在男性で7割、女性で3割いるそうです。降伏し虐殺された経験を持つ彼らは、命がけで戦っているのです。

 

そして、世界では「次は中国の台湾侵攻」と危険視されています。

なぜなら中国では「核心利益」という、国の方針があるからです。

領土の保全として、2013年4月、習近平氏は、チベット・新疆ウイグル自治区、台湾・東シナ海、だけでなく沖縄県石垣市の尖閣諸島も、中国の核心利益と、中国外務省報道官に言わせています。

核心利益とは、どんな代償を払ってでも守らなければならない決心、を表す中国の外交用語です。

 

ですから、台湾侵攻、併せて尖閣侵攻は、「あるかないか」ではなく、

「いつあるか」なのです。(ウクライナ侵攻によって、日本の国防意識も高まっているのが現状です)

 

第二次大戦後、そして中ソ冷戦後も、アメリカは中国を支援してきました。

そして彼らは考えていました。

「中国に支援をすれば、彼らも共産主義を捨てて、民主主義に変わるだろう」

しかし実際には、中国は力がつくまで「自分たちの野望」を隠していただけでした。

 

中国では、朱子学が思想の根本にあります。

彼らは、「宗教はまやかしであり、宗教を信じるのは愚かである。一部のエリートが、愚民を支配するのが理想である」と昔から考えていたのです。

ですから科挙という制度がありました。

神を否定する共産主義思想が入る前から、彼らはエリートの支配制度を持っていました。

その構造が、そのまま一部の共産党員が民を支配する、共産党体制に移行しただけです。

 

中華思想と共産主義の「中国」は、

民主主義の「アメリカ」を、

心の中では「下」に見ているのです。

 

彼らの中心は、民ではありません。

国家なのです。

国家を守る為には、民は犠牲になっても構わない、というのが彼らの根本的な考えです。

(彼らは支配体制が変わる度に、前の一族を虐殺してきました。ですから、虐殺は日常なのです)

 

ウイグル自治区の「ジェノサイド(民族大虐殺)」も正当化します。

それは共産主義体制を守るための、核心利益だからです。

 

彼らは、私たち民主主義の立場では無いのです。

人権も平等もありません。

あるのは、「自分たち一族の利益追及」であり、

「それを保証する共産主義体制の維持」なのです。

自由平等、公共の利益という概念がないのです。(本当です)

 

この壁を破るには、唯一「神の前の平等」しかありません。

それも「生きた信仰」が必要です。

 

実はアメリカにも、「信仰」ではなく、「自分たちの打算」で動く、

エスタブリッシュと呼ばれる、支配者階級が現実にあります。

彼らもまた、「一部のエリートが民衆を管理支配するのが理想」と考えています。

共産主義思想と、とても似ています。

彼らは、世論操作をしても、

不正選挙をしたとしても、

「自分たちの体制を守ることが善である」と(本気で)考えています。

 

本来、「神信仰」が土台であり、その上で法の下で平等が、基本理念の筈なのに、

現実には、そうなっていないのです。

自分たちの利益と野望が一番になっているのです。

 

純粋な「神信仰」がないならば、民主主義を打算で利用します。

しかしそれは、「本来の思想」では無いのです。

神を打算で利用する「邪な心」ではなく、「純粋な心」が必要なのです。

 

本題に戻します。

本来、「平等や人権」には、健全な「神信仰」が必要です。

健全に、神(創造主)を信じるので、「神の下での平等」が成立するのです。

 

ウイグル自治区のジェノサイドの虐殺を否定するにも、

領土を武力で変えようとする、ウクライナ侵攻を否定するにも、

根本的な考えに「神信仰」が必要なのです。

 

最後に「まとめ」です。

中国の虐殺、武力侵攻を止めるには、

「軍事バランス」や「軍事同盟」という具体的方策、

攻めたくても攻められない環境を作ることが緊急の課題です。

(ウクライナがなぜ攻められたかを考えれば、自然に対策は見えてきます。核のアンバランス、NATO非加盟が致命傷でした。)

平和」と叫んでいても、狂信的な指導者の前では無力です。

 

しかしもっと根本的には、国民の考え方が必要です。哲学や思想です。

「神信仰」が必要です。

 

日本にはキリスト教徒は少ないですが、

「お天道様が見ている」という、感覚を多くの日本人は持っています。

これはキリスト教の「神信仰」に通じるものです。

(また天皇制の影響によって、大きな家族という感覚を持っています。これも諸外国にはない考え方です。)

 

神信仰があるので、「自由平等」が成立します。

「虐殺も略奪もしてはいけない」法律の根拠となります。

 

それは、日本人的に言えば

「お天道様が見ている。だから悪いことをしてはいけない」

という感覚です。(日本人に暴動略奪がない、大きな理由です)

 

ウクライナ侵攻と虐殺を「悪い」と言えるのも、

中国の台湾武力侵攻を「絶対にダメ」と言えるのも、

ウイグル自治区ジェノサイドを、「犯罪」と断罪できるのも、

 

根本には、「神信仰」が無いと成立しません。

薄っぺらいヒューマニズム(人道主義)では、

人間同士の弱肉強食を止められないのです。

 

ここまで読まれて、いかが思われましたか?

神様やイエス様を信じる純粋な信仰が、個人のものだけ、ではなく、

国や民族の「尊厳と自由の根本」になることをまとめさせて頂きました。

平和を、イエス様に祈っています。

 

マタイ5章7-10 (イエス様のお言葉)

7 あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。

8 心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。

9 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。

10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。

 

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「認められるために」行動し、挫折するイライラの克服

今回、「認められるため」に努力するのではなく、

「認められているから」行動するというテーマを考えていきます。

 

人は、社会的欲求があり、評価されたり認められたりすることで満たされる心があります。

「いいね」が嬉しいのも、「つながりを求め、その反応を求める」のも、人間の本性です。

人は一人では生きていけないのです。

しかし、人の世では、「認められない」ことが必ず起こります。

ボタンを掛け違えてしまったり、誤解から来ることもありますが、

自分の力不足からくることも、多々あるのです。

 

どれだけ努力しても、認められないことが起きます。

そんな時、更に努力する人もいますが、

しかし「諦め」たり「自閉的」になる人もいるのです。

ある人たちは、人との繋がりを切って、行動します。

人につまずき、傷つきたくないからです。

しかしそれは危険です。

 

社会に貢献し、人からの評価に繋がれば、「社会的欲求の満足」が満たされます。

しかし、目標の立て方が「自己本位」ですと、努力は承認欲求につながりません。

そうするとますます認められない、こととなります。

 

では、どうしたら良いのでしょうか?

 

第一に考えるべきことは、自分の目標をもう一度吟味することです。

せっかくですから、人から評価される目標を考えましょう。

皆の益となることを考えるのです。

 

しかしここにも落とし穴があるのです。

「良い目標を立てた」としても、

承認欲求が強すぎると、認められない場合、更にイライラします。

「自分で決めたイメージ」に合わないと、人を批判し、又は自分で自分をダメだと決めつけてしまい、ひどく落ち込んでしまうのです。

 

ではどうしたら良いのでしょうか。

不思議な表現だと思われるかもしれないですが、

「認められるため」に行動するのを止めて、

「 認められているから」行動するに、シフトを変えるのです。

 

「認められるため」に行動すると、

「認められない」とイライラします。

 

しかし「認められているから」行動している人は、

「認められたなく」ても、良かれと思うことを修正しながら進めていきます。

そうすると結局、「認められるように」なるのです。

 

持っている者は、更に与えられる法則です。

「だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持 っているものまでも取り上げられる。」(マタイ25:29)

 

今回は、「自分は既に認められている」と、「気づく」ことが大切であることを、

まとめようと考えています。

 

①すでに、あなたは認められている、のです。

あなたは、生きているということは、存在が認められている、ということを知っていますか。

命が誕生するのは、奇跡です。

生きているということも、実は奇跡の連続なのです。

心臓が止まらずに動き続けていることも奇跡ですし、

怪我をしたら血が止まり、皮膚が再生することも奇跡です。

そのメカニズムは、人間の知性を越えています。

 

私は何を伝えようとしているかと言えば、

あなたを選び、あなたを作られた創造主がおられ、

創造主が、あなたをいつも愛しておられるという「事実」を伝えようとしているのです。

創造主が、あなたの全存在を知り、認めてくださっていることを伝えようとしているのです。

 

あなたはこういうかもしれません。

「私はそんな価値はない。あなたは私を知らないのだから」

確かに知りません。

しかしあなたに命を与えたお方は、あなたをどんな風に思っておられるのかを考えたことはありますか?

 

あなたがたくさんの問題があったとしても、むしろ問題があるからこそ、

あなたのことを心配されると思いませんか

 

雨でずぶ濡れの仔猫を見たら、多くの人はかわいそうと感じると思います。

憐れみ深い、天の神様はあなたを見て、あなたの心を見て、心を動かされると思いませんか。

もしかすると、創造主は、「あなたのすぐ近く」まで来ておられる可能性があるのです。

 

②認められていることを、知識だけではなく、実感、体験すること。

 

「既に認められている」を悟るには、

創造主から、愛され認められていることを、「まず知ること」から始まります。

「十分に存在が認められている」ことを知るならば、

あなたは、自分が「一人でない」ことを、理解できます。

 

イザヤ43:4-5

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。

恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。」

 

詩篇27:10

「私の父、私の母が、私を見捨てるときは、主が私を取り上げてくださる。」

 

しかし、知性だけでは、実は足りないのです。

「本当にそうだ」と、実感する体験がなければ、力になりません。

 

人間には感情があります。

知性だけでは、否定的な感情に、簡単に負けてしまいます。

否定的な感情に負けない、実感を伴った肯定的な体験が必要です。

 

この体験をするなら、

あなたの人生は「劇的に変わり」ます。

 

あなたが「忙しさで自分を誤魔化さなく」ても良くなります。

人から誤解された時に、自分には価値がない、と思わなくても良くなるのです

失敗した時に、自分はダメなやつだ、と思わなくても良くなるのです。

 

よく考えてみれば、人は必ず失敗します。

思い通りにならないことはあります。

その都度、自分はダメだ、と思っていたら辛くなります。

 

しかし、創造主を信じると、

支えられていることが分かると、

心が変わります。

失敗しても、否定的にならなくなるのです。

 

後はどのように、神様の愛を知り、その御臨在を実感するかにかかっています。

愛されていることは、知識ではありません。

実感であり体験です。

 

③聖書は、聖霊が働かれると、実感できると書き記しています。

聖書は、神の霊(聖霊)が働けれる時に、その体験をすることができると教えています。

 

ヨハネ14:26-27

しかし、助け主、すなわち父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。

わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。

 

では、どのようにしたら、神の霊を体験できるのか。

これを言語化するのは、なかなか難しいのです。

一言で言えば、「信仰によって受け取る」と表現できるのですが、

信仰にも、いくつかのプロセスがあります。

後日機会をみてまとめたいと考えています。

ここでは、「聖霊が働かれる」と実感できる、

というところまでで、留めておきたいと思います。

 

認められたいと願って、挫折した時、

まず目標設定を吟味してみる、ことは大切です。

 

しかし結局は、「認められている」ことを体験した人が、

安定して良い行動が取れ、「人からも認められる」のです。

創造主から、イエス様から認められていることを、悟るのは、

「一生の財産」となります。

 

祝福をお祈りしています。

 

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「落ち込んだ時」の聖書の対処法。祈るという視点

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本日は、落ち込んだ時の対処法を聖書から考えてみます。

聖書にはこんな言葉があります。

「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである」(伝道者の書7:14)

 

良い日もあれば、悪い日もあります。

喜べる日もあれば、悲しみで胸が苦しくなる日もあるのです。

 

①「反省せよ」とは「落ち込むことでは無い」のです。

失敗したり、上手くいかなかった時に、「反省する」とは、

もう一度自分のやったことや、周りの環境を再検討するということです。

理性的な作業です。

もちろん、再検討すると、精神的には「落ち込み」ますが、

落ち込むだけで終わってはいけないのです。

次に同じ問題に遭遇した時に、上手に乗り越えるための準備をするのです。

 

②自分を越えた存在(創造主)を意識できるチャンス。

「これもあれも神のなさること。後のことを人に分からせないため」

を考えてみます。

人間は皆、自己中心です。「自分を基準」に全てを考えます。

問題が起こらない時は、「自分が神」のように振る舞います。

つまり、自分の考えが絶対と考え、他者を従わせようとする、のです。

 

しかし、失敗すると、自分の考えが、絶対でないことを認めます。

すると、自分は神ではなく、この世界にのルールに従って生きているだけである、ことを認めざるを得なくなるのです。

(信仰を持つ人は、神様が支配している世界であることを、認めるようになります)

 

実は「自己中心という、覆い」が取れると、周りが良く見えるようになります。

自分の思い込みが取られ、物事をそのまま見ることができるようになるのです。

これは、成長にとって大きなチャンスです。

だから神様は、

「逆境の日には、反省するように」と命じられているのです。

 

③逆境時に、祈るという選択

逆境時に反省するためには、「自己中心」ではいけません。できないのです。

自分が基準ならば、全ては「相手が悪い」です。

よく考えてみて下さい。理性では分析できても、心の奥ではそう考えていますから。

 

反省するためには、「自分を越えた基準」が必要です。

その「自分を越えた物差し」で、自分を推し量る時に、問題点が明らかになり、反省できるのです。

 

だから逆境時には、落ち込み続けることは、マイナスです。

落ち込みとは、自分が基準ですから。

自分がこうあるべき、こうあってほしいという基準が満たされないために、気持ちがガッカリすることですから。

 

「自分を越えた基準」を、推し量るには、

「自分を越えた存在」に、心を向け、交流することが大事です。

これが、「祈り」です。

聖書の言葉です。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・ イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。 」(1テサロニケ5:16-18)

 

神様は、人間に、「いつも祈るように」と命じておられます。

それは、祈っていれば、神様とオンラインで繋がり、助けをいつも受けられるからです。

 

そして、祈りは、困難時に深まります。

自己中心の人間が、殻を破って、自分の価値観を大きくするためには、

困難の時に必死に祈ることが、必要なのです。

 

④祈りは、独り言ではない、相手がいる作業である。

あなたの祈りは、同じことをグルグルと繰り返していませんか。

もしそうならば、祈りになっていない可能性があります。

 

同じところを繰り返しているということは、自分の思考を「越えられない」ということです。

それでは、神様と会話をしていないのです。

 

まず祈りの対象を定めましょう。

イエス様(神様)に祈ることに、集中しましょう。

そのために、

イエス様がどんな考えを持っておられるかを、模索しましょう。

それには聖書を読むことです。

聖書の言葉に親しみ、イエス様の思想に触れることです。

そうすれば、自分は「どのような方」に、祈っているか(お話しているか)が分かってきます。

 

「その方」は、全能者であり、あなたを造られたお方です。

愛の方、義の方、聖なる方です。

王の王の権威を持っており、あなたが「主を軽んじる」ことは、

「不敬」であり、死刑のレベルの過ちなのです。(もちろん、愛の方ですから、殺されることはありませんが、、、)しかし、創造主とは、本来そういう「存在」です。

 

落ち込んだ時は、悶々と悩みに浸り続けてはいけません。

「主に祈る」のです。

 

自己憐憫という誘惑と習慣を脱ぎ捨て、

創造主に意識を向け、祈るのです。

 

祈れば、祈るほど、あなたは元気になっていきます。

祈れているか、祈れていないかは、(主と会話しているか、自己憐憫かは)、

祈った後で、あなたが元気になったか、暗闇の状態かで判断できます。

 

問題の時に、主に祈りましょう。

憂い悩みの時に、「イエス様」に悩みを全て聞いて貰うのです。

 

逆境は、あなたとイエス様の関係が、グッと深まるチャンスです。

祝福をお祈りしています。

 

「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである」(伝道者の書7:14)

 

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「イエス様」には、解決がある!!

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今回は、カナン人の女性の信仰を通じて、「イエス様の解決の力」を体験する方法について、考えてみます。

①イエス様には、「解決の力」がある。

②私たちは、「不信仰」なので、それを受け取っていない。

③「求めること」が大切。

④イエス様は、「現実を直視」させる。その上で求める心が大切。

 

しばらくお付き合いください。

今回は聖書箇所を記します。

 

マタイ12:22〜28
22 すると、その地方のカナン人の女が出て来て、叫び声をあげて言った。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊にとりつかれているのです。」

23 しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。そこで、弟子たちはみもとに来て、「あの女を帰してやってください。叫びながらあとについて来るのです」と言ってイエスに願った。

24 しかし、イエスは答えて、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外のところには遣わされていません」と言った。

25 しかし、その女は来て、イエスの前にひれ伏して、「主よ。私をお助けください」と言った。

26 すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」

27 しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」

28 そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。

 

ちなみに、ここでイエス様は「つれない対応」をされていますが、

冷たいからではありません。「意図を持って」のことなのです。

 

①イエス様には、解決の力がある。

キリスト教の立場では、(私も信じていることですが)

イエス様は、「創造主である天の父」の「ひとり子」であり、神様です。

ちなみに、三位一体と言います。

(「父・子・聖霊」の三つでありつつ、一人の神であるという神秘)

 

ですから、イエス様は、神の霊に満たされ、悪霊を追い出す力を持っておられます。(マタイ12:28)

そのため、「イエス様が一緒」ならば、

悪霊追い出しや、病の癒しは、日常的に自然に起こることなのです。

 

②私たちは、「不信仰」なので、それを受け取っていない。

この時代は、イエス様が地上におられた時なので、

今のクリスチャン(イエス様がいつも共におられる)とは、多少違いますが、

基本は同じです。

つまり、イエス様がおられても「奇跡の力」を、まだ受け取っていない、のです。

 

③求める心が大切。

イエス様は、不足を通じて、求めさせます。

ここでは、お母さんである女性の娘が、悪霊に支配されていることでした。

女性は、解決の為に、イエス様に求めました。

 

④イエス様は、現実を直視させる。

ここが一番の今回のポイントです。

イエス様は、現実の問題を突きつけます。

「わたしは、イスラエルの選民のために来たのであって、それ以外の民族のために来たのではない」とバッサリと言われたのです。

 

ここでまず知らないといけないことは、

イエス様は、この女性の「信仰が強い」ことを知っておられました。

そして、その信仰を「引き上げる」ために、敢えて厳しいことを言われたのです。

 

この女性がユダヤ人でないことは事実です。

そしてこの時代は、ユダヤ人に神様の救いの計画が進んでいたことも、事実です。

(後に、すべての民族の救いの時代がやってきます。十字架と復活以降です。)

 

その事実が突きつけられた時、

「それでも助けを求めた」のが、この女性の凄さ、なのです。

彼女は、イエス様を強く信じ、その「求める心の強さ」の故に、

「プライドや自尊心」は、簡単に捨てることができました。

イエス様の助けを求め、「へりくだって」懇願したのです。

「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」と、彼女は言いました。

 

イエス様は、彼女の信仰を褒められました。

(実は、聖書でイエス様が信仰を褒められたのは、ここを含めたった二ヶ所だけです)

そして、娘を癒してくださったのです。

 

まとめます。

(カナンの女性の信仰より)

イエス様は、「癒しの力」(解決の力)を、持っておられます。

その癒しの力を「体験」するには、「求める信仰」「受け取る信仰」が必要です。

 

イエス様が、私たちに「現実を直視」させた時に、

それでも、「イエス様の助けを求める信仰」が問われるのです。

 

イエス様は、聞きたくない「罪を指摘」されることがあります。

あなたの、「ダメさ加減」を、はっきりと、「白昼にさらされる時」があるのです。

その時、どうするかで、神の奇跡を体験できるかどうかが、決定します。

 

それでも信じて、食い下がれば、癒されます。

しかし、誤魔化したり、離れていくならば、

イエス様が持っておられる「奇跡の力」は、流れてきません。

 

④が大切です。

その上で、「現実を直視して」祈り求める信仰が、「最重要ポイント」なのです。

イエス様の助けを、「本気で求めて」おられる方は、

きっと「実行される」と思います。

祝福をお祈りしています。

 

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「過去を後悔」している方へ。すべてのことが益となるという考え方。

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今回は、「すべてのことが益となる」という聖書の考え方に触れます。

「あの時、あれをしていれば、、、」

「あんなことがなければ、あんな選択はしなかったのに、、、」

私たちは、時々過去を振り返り、悶々とします。

 

変えられない過去のことを考えても、仕方がないのに、

一旦「悩みのモード」に入ってしまうと、抜けられなくなるのです。

 

「過去を否定する人は、現在も否定することになる」

この言葉は真実です。

過去の選択を後悔し、その感情を引きずると、今の自分を肯定できなくなります。

結果、精神的にも不安定になってしまいます。

 

あの時はあれで良かった。最善だったと割り切ることは必要です。

しかし割り切れない感情は、どうしたら良いでしょうか。

今回は、その部分に触れていきます。

 

①「すべてのことが益となる」という思想。

これは聖書の価値観です。

ローマ人への手紙8:28

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。」

 

ここには割り切りや、悪いことを忘れる、という、

「人間側ができること以上」のものが書かれています。

「全能の創造主」の力と働きが起きると、「マイナスさえもプラス」になる圧倒的な力です。

 

あなたは、創造主(天地を造られた神様)を信じておられますか。

(私の文章を読まれる方は、信じる方が多いように感じていますが、、、)

論理的に「全能者である、創造主」がおられるならば、一人一人の人生に介入することは可能です。

つまり「あなたの人生」に介入できということになります。

 

その方が働かれると「すべてのこと」が、良い方向に向かうのです。

失敗も益になります。

苦しみも、プラスになります。

 

しかしここには前提があります。

それは「神のご計画によって召された人々のために」という直前の言葉です。

つまり「神に選ばれた」ということが大切です。

 

「神に選ばれた」ということは、選ぶのは「神ご自身」です。

正直、人間がとやかくいうことではないのです。

しかし神に選ばれた人の「特徴」を知ることができます。

それは、「選んだ方の声を聞く」という特徴です。

 

すべてのことを益にする、神様に助けてもらいたいならば、

神様の言葉に「耳を傾ける」必要があります。

それは「神様の近くにいる」ということです。

「神様の近く」にあなたがいれば、憐れみ深い神様に助けて頂き易くなります。

(そういう体験が導かれる人が、正に「選ばれた人」と言えるでしょう)

 

②訓練という視点。

ローマ人への手紙8:29には、次の言葉が書かれています

「なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。」

 

「神様のイメージしたあなたの姿」に成長する「訓練」という視点です。

 

人生には失敗もあります。

周り道をすることもあるでしょう。

 

しかしあなたが、自分を越えた神様を意識し、

この地上で人生が終わるのではなく、死後の天国があることを意識するならば、

苦しみの意味が変わってきます。

 

苦しみは、訓練であり、あなたの魂が成長する為に、用いられるのです。

 

ヘブル12:10-11「 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父(神様)は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。

すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」

 

失敗は、創造主が働かれると、良いものに変わります。

そして補足として、

周り道や痛みを通じて、「心が聖化される訓練」があるということです。

 

聖書は、「あなた」に神様が働かれる時、

「すべてのことが益」に変えられると約束します。

 

「あなたに関わって」くださる「神様」に期待しましょう。

祝福をお祈りしています。

 

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「自分の居場所」について、その見つけ方、さびしさの克服の仕方

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今回は、「自分の居場所」について考えてみます。寂しさの克服の仕方にも触れます。

居場所は、非常に重要です。「自分の最も大切なもの」「守りたいもの」と言い換えても良い、かと思います。

 

ロシアの大統領プーチン氏は、自分の最も大切なものは、「ロシアだ」と言ったそうです。

ウクライナの大統領ゼレンスキ氏にとっては、「ウクライナ」でしょう。

ゼレンスキ氏がキエフに残るのは、自分の命以上に「ウクライナとその自由が大事」と考えているからだと、想像します

人は、「自分の居場所」のために、強肩になったり命をかけることもあるのです。

 

あなたにとっての「居場所」は何ですか。

 

少し視点を変えて考えてみます。

人が「人生を変えるきっかけ」は、

「闘病生活」「監獄生活」「離婚」「身近な人の死」等

といいます。

それによって、ギリギリまで追い詰められ「死を意識する」ような体験をするからです。

 

想像してみてください。

あなたにとって、死を意識する時に、「あなたの支え」となるものはありますか。

重病で死を目前に迎えた時、あなたを助けるものは何ですか。

 

会社ですか。社会的地位や名誉ですか。財力ですか。権力ですか。

多くの人は、「家族」と答えるようです。

なぜなら、いつかは年を取り引退します。身体も弱ります。

最後に支えになるのは、「家族」だからです。

 

しかし、完璧な伴侶はいませんし、完璧な親も、完璧な子どももいません。

完璧な演技はできるかもしれませんが、

当人も追い詰められれば、本音が出てきます。

残念ながら、お相手の本音をすべて知ってしまったら、

「頼りきること」は、できなくなるものです。

 

家族に頼りきろうとすると、(家族にはわがままが出ますので)

自分の願いを果たしてもらおうとします。

相手に命令したり、コントロールしようとする人もいます。

お金や権威を使って、身内を威嚇をすることもあります。

愛や支えを得るために、恥も外聞もない行動を取ったりするのです。

 

どうしたら良いのでしょうか。

どうしたら、人に過剰に執着せず、イライラせず、生きていけるのでしょうか。

 

私が提供できることは、

創造主である「イエス様を信じる恵み」です。

イエス様を「自分の居場所」にするとも表現できます。

 

イエス様を信じ、その実在を体験できると、「愛され守られている」ことを実感できます。

すると、「人に認められることに執着」しなくても良くなるのです。

精神的に安定します。

そのため、身近な人に良い対応ができるのです。

これは「家族への愛情」の「土台」となるものです。

 

ご存知だと思いますが、

家族は、自動的に良い関係になる訳ではありません。

時間と愛情を注いで、関係が良くなるのです。

 

最も大切であるはずの、家族に全く目を向けず、

老年になって、離婚や親子の断絶等、寂しい関係になってしまう人がいます。

 

そういう方は、気がついた時が重要です。

良い種を蒔くのです。家族に時間と愛情を注ぐのです。

今までのことを謝罪する気持ちで、行動するのです。

(それを言葉に出せれば素晴らしいです)

今からでも遅くはありません。

「時間」は、愛情のバロメーターです。

その人のことを考え、一緒に時を過ごすのです。

 

そのためには、自分が安定していることが大切です。

それには、絶対的に必要なことがあります。

「確かな居場所」を持つことです。

 

私がお伝えできる、最も確かな「居場所」は、

私たちを造られた「創造主」立ち返ることです。

創造主の目的を知り、その方向に向かって生きることです。

これを一般的に「天職」とか「天命に生きる」とか言います。

 

創造主の居場所にできるメリットを簡単にまとめてみます。

①絶対的な平安と安らぎが得られる。

②人やものに執着しなくなるので、適切な関わりができる。

(心が安定するので、人間関係が、「大人の対応」ができる。)

(人をコントロールしようとしたり、過剰に期待したり、逆に失望したりする必要がなくなる)

 

現在の世界情勢を見ても、聖書の預言記述を見ても(マタイ24章)

これからの時代は、地震や戦争の噂を聞く混乱の時代です。

 

確かなものが壊れていく時代に入っています。

これからの時代は特に「絶対的な居場所」が必要です。

それを持つ者は、激動の中でも「心を安定」して生きることができるのです。

 

今回、「創造主イエス様」を信じることによって得られる、

究極の「居場所」についてまとめてみました。

あなたの「確かな居場所」を見つけるための、

お役に立つことができれば幸いです。

 

祝福をお祈りしています。

 

伝道者の書 12章1節 (ソロモン王の言葉)
あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。

 

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神様からの「霊的祝福」を受け取る方法

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しばらくブログ更新ができませんでしたが、

今回は、神様からの「霊的祝福」を受け取る方法、について考えてみたいと思います。

 

神様からの「霊的祝福」とはどんなことかというと、

「神様の助け」と言い換えてもよろしいかと思います。

それは「物心両面」のものです。

 

神様の助けがあり、神様が共におられることが分かると(実感できると)、

「心の平安」が与えられます。

これは、精神的な「思い込み」を越えた「実体験」です。

(ぜひ体験されることを、オススメします)

 

「精神的な支え」だけでなく、「具体的な助け」も与えられます。

仕事や研究のアイデアが与えられたり、

病気がいやされたり、

不思議な助けが与えられることもあります。

 

今朝のことです。

出かけるギリギリの時間に、

私は「ある封筒」を探していたのですが、何処かに紛れて見つかりませんでした。

あと数分で家を出ないと間に合いません。

瞬間的に「神様どこでしょうか。」と祈ると、

次の瞬間目に留まった書類の山がありました。

そこをかき分けると、その封筒がありました。(奇跡でした)

 

教会のある方は、子供の手続きをするため、

役所まで車で行かなければなりませんでした。

しかし閉まるまで、ほとんど時間がなかったのです。

「神様助けてください」と祈ると、

信号がすべて青で、ギリギリ間に合ったと言うことでした。

 

私も、もう一つ思い出しました。

娘が小学生の頃です。

娘の運動会に参加するため、前日には絶対、家に帰らないといけない状況でした。

しかし、成田に飛行機が遅れて到着しました。

この成田エクスプレスに乗らないと、名古屋に向かう最終の新幹線に間に合わないという時、

走りながら「神様、間に合わせてください」と祈りました。

プラットホームに駆け込むと

アナウンスがあり「列車は、15分ほど遅れて到着します」と流れました。

列車が時間通りに来ていたら、間に合わなかった状況でした。(電車の中で、神様に感謝の祈りを捧げました)

 

神様が助けてくださると、不思議なことが起こります。

(上の三つは、いみじくも、どれもギリギリの状況での助けです。神様はギリギリの状況で助けられることが多いと、個人的には感じています)

 

これからは、ポイントを書いていきます。

神様からの「霊的祝福」を受け取るために、

①切に求めること。

②祝福を頂くための「良い種」を理解すること。

③その種を具体的に、蒔くこと。

 

①切に求めること。

やはり求めなければ、与えられません。

諦めたらそれで終わってしまいます。

 

しかし諦めそうになる時に、

私たちが信じる「聖書に書かれている、創造主」が、

どのような方であるか、を知ると、求めやすくなります。

創造主である、イエス様は、優しい方です。

「100匹のうち、1匹の羊が迷ったら、99匹は誰かに預けて、1匹を探し出されるお方」です。

 

そのことが分かってくると、問題の時に、

素直に瞬時に「イエス様、助けて」と祈りの言葉が出てくるのです。

 

②祝福を頂くための「良い種」を理解すること。

実は、神様に近づくも、離れるも、「私たち次第」なのです。

 

「私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。」(申命記30:19)

「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」(ガラテヤ6:7)

 

私たちが、神様に喜ばれることを「選び取れば」、

祝福(神様の助け)を頂くことができます。

しかし反対に「神様の喜ばれない」ことを、選んでしまうと、

祝福がない(のろい)の状況に、堕ちるのです。

 

理屈は、とてもシンプルです。

しかし、難しいのは、「自分の素の考え」が

「神様に喜ばれるもの」かどうかを見極めることなのです。

(多くの人は、無自覚で、確信を持って、悪い種を(当たり前に)蒔いています)

 

「自分の心の願い」考えが、

良い種なのか、悪い種なのか。

見極めるため、もっと分かりやすいのが「聖書の言葉」です。

 

本気で、良い種を蒔きたいならば、聖書を読みましょう。

それも「自分の考えを吟味する気持」で読みましょう。

 

聖書が取っ付きにくいのであれば、

youtubeで、キリスト教のメッセージを聞くか、キリスト教の歌(賛美の曲)を聞いてみましょう。

 

自分の課題(どちらを選んだら良いのだろうか)を考えながら、聴き続けるのです。

すると、ある瞬間に、「悟り」が与えられます。

 

(すべてのオリジナルは聖書ですから、

聖書を読まれることはおススメします。)

 

一日で答えが返ってこなくても、諦めないでください。

そして、「できないところはできない」と、誤魔化さずに祈り続けてください。

(探し続けてください)

祈りは、正直でなければ、神様に届きません。

 

ある瞬間に、ふと「これが一番良い」という思いに至ります。

 

できるだけ、心をフラットにしてください。

欲望が、心を曇らせ、正しい選択の邪魔をします。

 

欲望を乗り越えるために、

欲望以上に、「霊的祝福」を求めることです。今回の①のポイントです。

(私たちは色々な打算を持っていますから)

 

聖書をよく知るクリスチャンとお話しできるなら、それも幸いです。

とにかく、「あなたの心」を測るには、

「物差し」が必要なのです。

「神様の物差し」に当てはめるなら、「自分の考えを吟味」できるのです。

 

③良い種を具体的に、蒔くこと。


ヤコブ1:25「ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。」

 

良い種は、実際に蒔いて、祝福を受けます。

できたら良いな、と足踏みしているならば、受けられません。

もったいないのです。

「できない」と言い訳を言わず、

「小さなこと」から実行しましょう。

 

まとめです。

神様の「霊的祝福」を受け取るために、

一番難しいことは、自分の「心の吟味」です。

 

良い「霊的な種」を蒔けば、祝福を刈り取ります。

悪い「強欲の種」を蒔けば、呪いを刈り取ります。

このシンプルな法則が、本当に分かったならば、確実に「人生が変わる」のです。

 

祝福をお祈りしています。

 

ガラテヤ6:7-8

「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。

自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」

 

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